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まえ の おはなし

~ 0 ~


これは、有名な話。



「マッチは…マッチはいりませんか…」



年の瀬の寒い日に、マッチを売る少女の話。



「マッチは…あぁ…」



これは、もしもの話。



「…こんなにあるんだもの、1本くらい…私が使っても…」



もしも……もしも、マッチ売りの少女が『途中で我に返ったら』。











~ 1 ~


年の瀬の忙しい時期の街中で、行き交う人々はマッチを売る少女になんて見向きもしません。


そもそも、冬の時期。


マッチが余っている事はあっても、足りないなんて事はどの家庭もありません。


それでも少女の父親は「マッチを売って来い」と言いました。


売れなければ食事は抜き。

それどころか家に入らせてもくれない。


貧しく、服も十分に買えない少女は、冬には相応しくない薄着でマッチを売っていました。



「お父さん…怒るかな」



少女は路地裏で、マッチを1本取り出して迷っていました。


商品に手をつけたのだと父親に知られたら、きっと酷い目に合うでしょう。


でも、酷い目になら既に合っています。


寒空の下、売れないマッチを売り切るまで家に帰れないのだから。


窓の奥から、楽しげな話し声が聞こえてきました。

少女は決心します。


あんなに大きな、暖炉の火のようなものじゃない。

1本くらい火を点けたって、バレない。



「えいっ」



そんなことを考えながら少女はマッチを擦りました。


ぼぅ、と、小さな火が灯ります。



「あぁ…ほんの少しだけど、暖かい…」



少女は嬉しそうに、空いた手を小さな火にかざします。


これが、暖炉の火だったら良いのに。

大きな火の前で、椅子に座って、編み物でも出来たら良いのに。


少女は目をつむって、大きな暖炉を想像しました。



「私の家の暖炉も…これくらい大きかったら良いのになぁ…」



でも、わかっています。


少女の家には、少女が思い描くような立派な暖炉はありません。


暖炉を囲んで、にこにこと家族で話をすることもありません。



「…そろそろ、仕事に戻らなきゃ…」



少女は名残惜しみながら、目を開けました。


すると、何ということでしょうか。

少女の目の前に、立派な暖炉があったのです。



「まぁ!…素敵な暖炉…!」



少女は暖炉の火に手を伸ばしました。


その時、マッチの小さな火が消えました。


一緒に、立派な暖炉もたちまち消えてしまいます。



「えぇ!?ちょ…どうして!?」



びっくりして、もう一度確かめたくて、少女は再びマッチを擦りました。


すると、どうでしょう。


今度は立派な御馳走が目の前に現れたのです。



「まぁ…!」



思わずお腹が鳴ってしまいます。


湯気の立つスープ、焼きたてのパン、大きな七面鳥。


美味しそうなブドウ酒まであります。



「こんな御馳走、見たことがないわ…!」



ふらり、と、少女が1歩踏み出した瞬間です。


マッチの火は消え、御馳走もたちまち消えてしまいました。



「あら!?」



少女は堪らず、再びマッチを取り出しました。







これは、もしもの話。



「…あら?この匂い…」



もしも、マッチの少女が。



「…っていうか、ヤダ。私、今、幻覚見えてた…?」



『途中で我に返ったら』。








~ 2 ~


少女が嗅いだ匂いは、マッチの物です。


火を点けた時に、良い香りがすると話題のマッチなのですから。


街に仕入れられた途端に売り切れ続出の人気商品なのです。


やっとマッチ売りの父親が大量に仕入れた頃には、みんなの家庭に余る程ストックしてある人気商品なのです。


仕入れが出遅れたせいで全く売れません。



「…」



確認のため、少女はもう一度マッチを擦りました。


すると。



「あぁ…あぁ!お婆さん!」



亡くなってしまった、大好きだったお婆さんが目の前に現れたのです。


穏やかな笑顔は生前のままです。


見間違う筈がありません。



「お婆さん…!」



少女はお婆さんに手を伸ばし……






「…………アウトォォォ!!」






雪の積もる地面にマッチを叩き付けました。


アウトです。


死人が見えるのはまず間違いなくアウトです。


寒さと空腹で朦朧としていても、それくらいはわかります。



「ヤダ…もしかしなくても、このマッチのせい?」



少女はマッチの箱を眺めました。


普通のマッチ箱です。


何の面白味もないマッチ箱です。


このパッケージであれだけ売れたのが不思議なくらいです。



「このマッチの特徴って言ったら…匂い…」



確かに良い匂いと評判です。特にマダム層に人気です。




ここは、『もしも』の世界です。


『もしも』は1つとは限らないのです。



「…もしかして…匂い付けのために変な薬品でも使ってるんじゃ…!?」



もしもマッチ売りの少女が『妄想力が高かったら』。



「そうよ!きっとそれが火を点けた瞬間に煙に乗って辺りにまわって……幻覚が見える薬品!?かなりヤバいんじゃないの!?」



思わず少女はマッチ箱がいっぱいに入ったバスケットを落としました。



「もしも私の仮説が本当だったら…街中の家庭でこのマッチが使われてるわけで…!」



あれだけ売り切れ続出の商品です。


お金持ちの家だけじゃなく、普通の家でもこのマッチを使っているはずです。


もしもマッチのせいで幻覚が見えているのならば。


幻覚が見えてしまうような薬品が、少なくとも安全ではないのはわかりました。



「っ…!大変だわ…確かめなくちゃ!」



少女は急いで足元に散らばったマッチ箱を拾い集め、バスケットに放り込み、立ち上がります。


そして少女は寒空の下、一目散に駆け出しました。








~ 3 ~


「おまわりさんっ!!」



少女はおまわりさんの所へ駆け込みました。


確かめると言っても、まさか自分の足で1軒1軒回ったりはしません。

そんなのは非効率的です。


駐在所では、3人のおまわりさんがテーブルを囲んでいました。



「ふわあぁ…どうしたんだい、お嬢ちゃん」



街では人々が忙しくしているのに、おまわりさん達は結構暇そうです。


みんな眠そうな顔をしていました。



「もう遅い時間だから、早くお家に帰りなさい」


「随分寒そうな格好だね。大丈夫かい?少し暖まって行く?」



おまわりさん達は優しい人ばかりでした。


おまわりさんの1人が、椅子を勧めてくれました。


が、少女には暖まってる時間はありません。



「た、大変なの!おまわりさん!」


「何かあったのかい?」



おまわりさん達はきょとんとしています。


少女は一度、大きく深呼吸してから言いました。





「このマッチを使うと、幻覚が見えるの!きっと危険な薬品を使ってるんだわ!」





おまわりさん達はきょとんとして、みんなで顔を見合わせて、それから少女が掲げたマッチ箱を眺めました。


しばらくマッチ箱を見た後、みんな同時に吹き出しました。



「ぷっ…あはは!何を言うのかと思ったら…!」


「マッチを使うと幻覚が見えるって?そんな馬鹿な!」


「あ、それうちでも使ってるマッチだ。こりゃ大変!」



おまわりさん達はケラケラと笑いました。


これが忙しい時間帯だったら怒っていますが、退屈な時間帯には、なかなか面白いジョークです。


が……笑い転げるおまわりさん達の前で、少女は眼光を鋭くしました。



「何を笑ってるのよ!自分や家族…いいえ!街中の人々が危険に晒されてるかもしれないってのに、随分と呑気なものじゃない!」



ツカツカとおまわりさん達に歩み寄る少女に少し気圧されました。


が、今の言い方は少し気分が悪くなります。



「おいおい…大人をからかうのも良い加減にしなさい」



幸い、ここに居るおまわりさん達は穏やかな人ばかりでした。



「あぁっ……いいえ、貴方達の気持ちもわかるの!ごめんなさい!」



少女は突然、口元を手で押さえました。



「確かにこの寒い日のこんな時間帯に…こんな小汚い小娘が来てこんなに突飛な事を言うんだもの!笑っちゃうわよね…!」


「何だ…?」


「でもね、私も急いでたの…急いでおまわりさんに、この事を知らせなくちゃって!」



もしもマッチ売りの少女が『口が上手かったら』。



「だって幻覚が見えちゃうなんて、絶対に体に良くないわ!街中の人が危険だって考えたら私、恐ろしくって…!」


「おいおい…何も、泣かなくても…」



もしもマッチ売りの少女が『嘘泣きの達人だったら』。



「わかってるわ!私の頭がおかしいだけなのかもしれないわ!寒さで頭がやられてるんだって…でも、だからこそ、それを確かめるために此処へ来たの!」



そこまで言うと、少女はマッチの1本取り出しました。



「今、此処で、本当にマッチを使うと幻覚が見えるかどうか確かめていただけるかしら!?」


「お…おぉ…」


「しかしなぁ…幻覚が見えるなんて話、家内から聞いたこと無いぞ?」


「此処で使ってるのは…あぁ、普通の安物のマッチだな」



おまわりさんが駐在所にあるマッチを調べましたが、普通の、普通のマッチです。


少女が持っているマッチとは別の物です。



「検証のために一度暖炉の火を消させていただくわっ!」



少女は暖炉のそばに置いてあった、火消し用の砂を暖炉へぶちまけました。


途端に部屋が暗闇に包まれます。



「あ、コラ!」


「行くわよ!…刮目しなさい!」



少女はおまわりさんの言葉を遮って、マッチを擦りました。




少女の目の前に再び、お婆さんが現れました。



「…!」



少女は泣きそうになるのをグッと堪えます。


おまわりさん達の顔はよく見えませんが、どうやらマッチの火を見ているようです。


すると、



「おぉ…美味そうなステーキ!…腹減った…」



おまわりさんの1人が、ぽつりと、そう呟きました。



「上等なブドウ酒まで…あ、ほら、子供が飲むんじゃない!」



どうやら、何か見えているようです。


此処は殺風景な駐在所の筈なのに。


御馳走も無ければ、少女以外の子供も居ない筈なのに。


これ以上は危険だと判断した少女は、火を消しました。


するり、と、お婆さんの姿も消えてしまいます。



「うわっ!?な、何だ今の…」



びっくりしたようなおまわりさんの声がします。



「…どうかしら…何か、見えまして?」


「あれ!?ステーキは!?」


「…見えていたようですね…私の言う事、信じていただけるかしら?」



少女は普通のマッチで、テーブルに置いてあったキャンドルに火を点けました。



「あぁ…こんなの見ちゃったら信じるしかないな…」


「…ちょっと家の様子を見て来ても良いか!?家内と子供が心配だ!」



おまわりさんの1人が焦った顔で言いました。



「えぇ、勿論!御近所の皆様にも注意喚起してください!」


「わかった!」



おまわりさんはバタバタと、駐在所を出て行きました。








~ 4 ~


「しかし、何で今まで気付かなかったんだ…?」


「確かに。販売してから1ヶ月は経ってるよなぁ」



残ったおまわりさん達は、揃って首を傾げています。


一方、少女は何かを考え込んでいます。


そして少女が口を開きました。


もしもマッチ売りの少女が『頭の回転が速かったら』。



「…もしかしたら体調が関係あるのかしら?例えば空腹の状態とか…体が弱っていると薬品の影響を受け易い、とか…」


「なるほど」



確かに少女はお腹が空いていましたし、おまわりさん達もお腹が空いていました。


少女の仮説には一理あります。



「じゃあ健康な奴には幻覚が見えないのかな?」


「いいえ、そんな事は無いんじゃないかしら…きっと悪い物質が体に蓄積してると思うの」


「それじゃ…街の人達はまだ影響が出てなくても…」


「いずれ出て来る可能性は否めないわ!」



もしもマッチ売りの少女に『説得力がやたらとあったら』。


おまわりさん達は、ごくりとつばを飲み込みました。


思わず街中の人々が幻覚を見ている様子を思い浮かべて、身震いします。



「マッチの製造者は、ヤバい薬ってのを知らなかったのかな…?」


「こりゃ急いで回収して、製造者や工場に報告しないとなァ」


「…いいえ、ここは最悪のケースを考えるべきよ」


「え?」



もしもマッチ売りの少女に『推理力がやたらとあったら』。



「例えばこのヤバい薬品が…そうね、麻薬のような依存性の高い物だったら、どうかしら?」


「え…そりゃ、効果が切れたら…ヤバいことに…」


「えぇ!でも急にそのマッチに依存するようになったら早々に大騒ぎになっちゃうわ…

だからきっと、マッチに使われてるのは少量よ。依存の症状が一気に出ない、個人差で症状進行の早さが変わるくらいの」


「そうだな、個人差があれば一気にマッチの依存者が出て来るわけじゃないから…気付きにくい、かな」


「そうよね、だからマッチの値段も抑えられたのよ…マッチ程度じゃ足りないって人が出始めたら、きっと更に強い薬品を混ぜ込んだ商品を売るつもりよ!そう…!」



少女はキャンドルを指差しました。



「例えばキャンドルみたいな!マッチとセットでお得に販売してますぅ~、とか言ったら飛ぶように売れるわ!マッチ単体よりも値段が高くても!」


「え、そんなもんかな…?」


「甘いわ!主婦はセット商品とかセールとか割引とかそういう言葉に弱いんだから!」



少女の推理は止まりません。



「そうよ、段々と薬品の量、それから値段を上げて行って…最終的には薬品そのものを高値で売ろうっていう魂胆なんじゃないの!?」


「そ、そうなる前に!流石に誰か気付くだろ!」


「甘過ぎるわ!キャラメルフラペチーノにキャラメルシロップ追加してチョコレートチップ追加してホイップとキャラメルソース増量したってそんなに甘くないわよ!」


「うぐっ…」


「製造者は麻薬販売人と手を組んでると考えられるんじゃない!?」


「流石に突飛じゃ…」


「突飛!?さっき御自分で美味しそうな御馳走の幻覚を!見ておいて!突飛ですって!?片腹痛いわ!」



もしもマッチ売りの少女が『語彙力の鬼だったら』。


おまわりさん達は、少女の気迫にたじたじです。



「えぇ!街中の人々が虚ろな目で狂った笑顔でマッチを求めていても!突飛なんて仰るのかしら!?」



すると、駐在所の外からバタバタと音が聞こえて来ました。



「た…大変だ!うちの子供が!」



駐在所の扉を勢い良く開けたのは、先ほど慌てて出て行ったおまわりさんでした。


肩に雪が積もっていて、とても寒そうです。



「ど、どうした!?」


「家内が!いや、息子も!変な事を言ってて!」


「落ち着いてください、奥様と御子息は何と?」



少女がなだめるように言いました。



「お、俺の、お袋が見えるって!…去年の冬に亡くなってるのに!」


「…はぁ!?」


「息子が『お婆ちゃんもパーティに来てくれた!』って…楽しそうに…!」



どうやら少女の予想は当たっているようです。


体に悪いマッチを使い続けて、幻覚が見えるようになってしまったのでしょう。


すると少女の突飛な推理も、一気に真実味を帯びて来ました。



「マズいぞ…!」


「時間は無いわ!」



少女はおまわりさん達に言いました。



「今すぐ街中でマッチの使用を禁止して!それと換気を促すのよ!」



少女の言葉で、弾かれるように、おまわりさん達は駐在所を出て行きました。







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