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5話・王者の義務。

 全てが神聖な国だった。

 パンは聖なる麦を挽いており、聖なる娼婦たちが神殿に住み、聖なる場所で眠る。


 私は思い出すことから逃げるように生きていた。

 聖なるパンを食べて忘れ、聖なる女を抱いて眠り、聖なる場所で思い出さないように祈った。

 何を忘れたのか、何に苦しんでいるのか、何に泣いているのか。


「……私は、誰を……愛していたんだ……? 俺は誰を忘れているんだ……?」

「今は休みなさい。今は眠りなさい。あなたは強い人だから忘れられない、強い人だからこそ苦しむだけ……今は、眠りなさい」

「すまん、えっと……ああ、ミリアラ」


 月光つきあかりが石造りの窓から差し込み、女の白い肌を照っていた。

 ミリアラは神聖娼婦と呼ばれる女で、このウルクでは神に連なる神聖な職業であり、身体を重ねても、それはひさぐということではなく、戦士を磨くということだった。

 人間が持つ獣としての本能、性の欲求を神聖な巫女が、その身体と心を用いて祓う。

 私も人として生きると決めたときから、神聖娼婦と何度となく身体を重ねていた。


 誰かを愛していたことは間違いない。

 だが、自分自身エンキドゥを俺と呼ぶ私は愛しているからこそ、その女を忘れなければいけないと告げる。

 そのことを、自分自身エンキドゥを私と呼ぶ私は察しながらも直面できていない。

 そこまでは、思い出してしまった。

 だそれ以上を思い出すことは辛うじて防いでいた。

 なぜ思い出してはいけないのか? なぜ忘れられたか? なぜ……それほど、ひとりの女を愛せたのか?




 ある宴会の折。

 酒に悩みが希釈されて、自分が誰かとギルガメッシュに相談したときには、やはり彼らしい返答が帰って来たことが有った。


「お前が誰か? そんなことは関係ないな。どうであれ、その世界は我が輩が支配し、そしてそこに生きる以上、お前は我が輩の所有物で、一番の友人だ」

「……明快だな……だが、“俺”……“私”は未来から来たように思う」

「ミライ? 明日や来年のことか?」

「来年の来年の来年。ずっと遠くで私は生きていて死んだ。

 そこまでは分かるが、私は……なぜかこの時代にエンキドゥという男として生まれ変わっていた。転生というのかな」

「そうだとして関係ないな。お前がどれほどの未来から来ていたとしても、そこは我が輩が支配している王国であるはずだ」


 私の友人、ギルガメッシュは自らの不死と不滅を信じていた。

 何度となく私は彼に尋ね、そしてその度、彼はこう答える。その日もそうだった。


「我が輩が死ぬはずがない。

 我が輩は絶対の王者。天より絶対の王者として宿命づけられ、地を征服している。

 いずれ海を渡り、その先まで永劫に渡って支配し続ける」


「不死の人間なんて居るわけがないだろ、ギルガメッシュ」


「人間はな。我が輩は神の血を四分の一を引いているのだ。死ぬはずがない。

 故にエンキドゥ。キサマも死なん。それが証拠に……」


「証拠に?」


「我が輩もキサマも、これまで生きて来て、一度も死んだことがない」


 自信満々に云い切る友人を、前時代的だと思う反面、何倍も清々しかった。

 この男は、絶対の野望が有り、国のために戦い、自分のために国を育もうとしている。

 私は……俺が生きていた頃……“ニッポン”という国に住んでいた頃、表面的には支配者は存在していなかったが、それでも、ギルガメッシュならば未来を変えられる。そんな感触に私は心底楽しんでいた、が、云い知れない不安も有った。


 ギルガメッシュは、この宴会のあとも森を拓いている。

 森を焼かねばパンは食えない。湿地帯のウルクではパンは欠かすことのできない食料であった。

 森を伐らねば家は建てられない。石造りの家だとしても建てるのに木の道具が居る。人が増え続けるウルクでは家を建て続けなければいけなかった。

 森を費やさなければ戦争はできない。森を得るために戦争をしなければならない。


 人間が暮らすために過度と思える伐採には、私も既視感を覚えていた。

 未来に起きる出来事、環境の破壊、どうにも覚えが有るが、それでも私にはギルガメッシュを止めることができなかった。

 ギルガメッシュは、信念が有る。

 それは野望では有るが、私欲ではなく、自らの愛する国民のためだと分かった。

 世界中を愛しているからこそ、世界中を支配下に置こうとしている。


「森を燃やす方法をイシュタルが教えてくれたから。我が輩たちはイシュタルに選ばれた栄えるべき一族、そしてそれを統治し全ての戦争を終わらせられるのは我が輩だけだ」

「イシュタル……あの石像か。あれは()()()()()ではないのか?」


以前まえも云っていたな。なんだ? そのアスタロトという名前は。

 イシュタルは我々の豊穣の女神。我が輩を生み出した神であり、占星術や暦、算術、森を消費する方法……このまま進撃を続ければ、次は製鉄を授けると約束した。

 今は隕石からわずかに取れる隕鉄だけだが、大地から無尽蔵に生成する手段が有るという。

 我が輩の力、鉄の武具、炎の力、それが揃えば、世界は我が元で永遠の平和を得るだろうっ!」


 イシュタルはシュメール文明の神。美しい神であるはずだ。

 永く文明に支持され続けていたが、後にキリスト教が自らの正当性を表すため、他の土着の信仰を邪教と呼んだ。

 その折、他の神々と同じく、神から異形の悪魔へと姿を変えた。それがアスタロト。

 私の記憶にそんな歴史的な知識が有るのは良い。

 きっと、私は、“ニッポン”でこの知識を得たのだろう。未来においてシュメールは滅び、その信仰の一部分だけが残されている。

 そこまでは推測できるが、なぜだ? なぜ私はアスタロトという悪魔に、こうも記憶が有る?

 イシュタルの像は、長い髪が刻まれ、特徴的に吊り上がった尖った目、ただの石を磨き上げられた彫像は、制作者たちの中に有るイシュタルへの敬意が現れている。


 視る者に畏怖と敬意を抱かせる厭味いやみなほどに美しすぎる姿。それは私の中にあるアスタロトに似すぎている。


 時折、“俺”が垣間見せる記憶の断片を“私”が整理していくと、私はギルガメッシュと前世で出会い、共にアスタロトと敵対していたように思う。

 だが、逆にギルガメッシュが私と同じく未来から転生してきたとして、それを忘れているとは考えにくかった。

 ここまで傲岸不遜で尋常ならざる自我を持つ男ならば、前世の記憶くらい持っていて当然のように思える。


 私の魂は時間を逆行し、未来の“ニッポン”からシュメールにやってきた。

 だが、逆にギルガメッシュは、後に“生まれ変わり”、“ニッポン”で、私と友として出会った。

 そのとき、アスタロトと名乗る“何者か”と何かがあり、私はジンキを得て、そして私の愛する女が死に……。




「……私は、誰を……愛していたんだ……? 俺は誰を忘れているんだ……?」

「今は休みなさい。今は眠りなさい。あなたは強い人だから忘れられない、強い人だからこそ苦しむだけ……今は、眠りなさい」

「すまん、えっと……ああ、ミリアラ」


 忘れるために、私は神聖娼婦を抱いた。

 その間だけ、私は“俺”から離れることができた。

 この時代でギルガメッシュの友人として生きるのは楽しく、侵略のための戦いは痛快ですらある。

 だが、そう、私の記憶が正しいならば……ギルガメッシュは死ぬのだ。

 神の血を引くと称する私の友人は、ただの人間のように息絶え、未来の日本で私の友人として転生する。


 これが全て、私の頭が生み出した妄想であることを祈る。

 私には愛する女なんて居なかったし、ギルガメッシュは自身が信じるように不死で、森を焼いても破滅なんて来ない。

 罪なきウルクの人々が信じるように、そうであって、欲しいのだ。



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