4話・国ゆえの王、王ゆえの国。
「こっちだ! 見せてやろう! 特別だ!」
「……私としては、この町だけで十分、特別に思えるが、な」
ここまで郊外と都市の境界は明確だった。
私とギルガメッシュが歩み進めるそれらが“建築”だったからだ。
地面に穴を掘ったり、木を立てかけたような住居ではなく、土を練って組み上げた住居。
そのレンガ造りの建物から出て来た人々は、ギルガメッシュと私の姿を認めると歓声を以って迎えてくれる。
広い往来が、立ち止まった人々によって埋まる。英雄王・ギルガメッシュの帰還を湛える。
石のステップは崖をよじ登る感覚ではない。正に栄光を踏みしめるような建造物・階段。
空間を自然ではなく人間の意思によって満たした、そこは栄光の都市・ウルク。
オリエント一帯を支配する都市であり、炎の国であると道筋でギルガメッシュは語った。
砂漠に輝くオアシスのような大都市は、過酷で痩せた大地であろうとも栄えていると云うこと、そんざいそのものプライドであるというのも理解できる。
文字や占星術を利用した貿易や航海も行う、先進的な国家であったのだ。
「……確かに、これはスゴイな」
「なんだ。口だけだと思っていたのか? 我が輩は嘘を吐かん。吐く必要が無いからな!」
「それはまた、なぜ?」
「嘘とは弱者の擬態だ! 我が輩は最強にして唯一! 最強にして極美! 神すらも欺く必要はないからな!」
「なるほど。それなら……それは嘘かもな?」
「……ほう?」
「私は、お前に“負けて”はいないからな」
「それは嘘ではないが、嘘にしてやろうか? ここで決着を着ければ良い」
「やる気は無いだろ? この町は……あまりに、美しい」
路地を抜けた大通りには、精巧な石像や黄金細工、貿易で牛や馬が走り抜ける。
だが、それ以上に。その町には笑顔が溢れていた。飢えず怯えず、ギルガメッシュという絶対君主の庇護の下、彼らの生活は獣ではなく人間。
ギルガメッシュの守るべき町、羨ましいほど故郷と云う言葉が、似あっていた。
私は森に置いてきたフンババのことは気掛かりだが、不思議と、このギルガメッシュという男に心が丸くなるような、安堵感を覚えている。
自分と同じような身体能力を持つ超人だからだろうか、この豪放さは妙に懐かしい気がする。
……?
ちょっと待て? この感情が安堵、安らぎだとしたら……私が森でフンババと居た頃、感じて居なかったように思う。
なぜだろう? 私は……フンババを警戒していた?
フンババは唯一の同族で……同族……だったのか?
奇妙な違和感があるが、またも私の中の“俺”が塞き止める。
“私”と“俺”の葛藤を知る知る由もないギルガメッシュは、ビシィっと腰に手を当てながら一点を指差した。
「エンキドゥ! 見ろ! あれが今建造中の、最大の彫像、イシュタル神だ!
もちろん! 我が輩が製作総指揮を執っている一大事業だ! そう! 我が輩の功績だ! 世界が滅びるまで、ここに立ち続けているだろう!」
「あー……ハイハイ。お前も大分……アレ……?」
石彫りの彫像に黄金や宝石で彩ったもの。長い髪に豊満な肉体を持つ女性であると分かるが、顔の造形は中々に大雑把で誰なのかはよく分からない。
鉄器もないので石で石を削っているような状態なのは分かる……とか、例によって“俺”がそれ以上思い出すなというストッパーを掛ける思考に続き、他の奇妙な感触が有った。
このイシュタルという女もどこかで会ったことが有る。
ギルガメッシュと同じような既視感、反面、ギルガメッシュとは正反対の……そうだ、フンババに抱いていた感情と同じだ。
私はこの石像の女やフンババを警戒しているのだ。
「この石像は、まさか、アスタロトッ!?」
「何を云っているんだエンキドゥ? これはイシュタル。我が国の豊穣の女神だ。
俺たちに様々なことを教えた。農耕・レンガ造りに始まり、造船といったことまで事細かくな。
それでお前の森を採りに行ったほどだからな」
女神と云うには、妙に具体的ではないか。
神性ではなく、質実たる神が存在しているのか? シャーマニズムではなく?
バカバカしいと笑うより先に、それよりも最大の謎は私自身の“近代的”な認識の方か。
私はこの先進的である文明を見ても、どこかで【過去の文明は感動的である】という、時間的齟齬が有る。もっと進んだ文明を知っている気がする。
私が悩んでる内にもギルガメッシュは道行く職人から何かを受け取った。
そしてひとつを私に放り、ひとつを頬張った。
ゴツゴツと渇いた石のような、それでいて生き物の血潮のように熱い、パンだった。
「パンは素晴らしい。小麦の状態にしていれば保存もできるし、水を混ぜて焼けば増える。最高だ。
イシュタルの発明の中で、我が輩に次ぎ偉大な物だと感じる……このパンを焼き続けるために多くの薪が必要でな。
次に行くときはキサマの森を焼く。どうだ? エンキドゥ? 手伝う気は無いか?」
「……豊穣と実りの神か、なるほど。だがそれによって森を使い果たしたらどうする?」
「? 次の森を拓く」
「その次は?」
「次の森を拓く」
「そうして、世界中の森を燃やし尽くすつもりなのか?」
「我々が燃やし尽くす前に新しい森が生まれるだろう」
「……そうだろうな。多分……大昔の……いや、ずっと未来の産業革命辺りも、そう思ってたんだろうな」
疑問符を付けるギルガメッシュは、身分や体格・年齢にただただ不相応に子供っぽかった。
大王だろうと横暴だろうと、こいつはこいつなりに自分の国を良くしようとしている。
どんな時代でも良い人間は居るし、悪いと思ってやっているわけでもない。
そうだ。何かが腑に落ちた気がした。私は未来から来た。そして後の歴史を知り、それを思い出さないようにしている。
「さっきから何の話をしているんだ、キサマは? 気でも狂っているのか?」
「――そうかもな。私やギルが死んだあとのことを云っているんだからな」
「まただ。確かに気が狂っているとしか思えん。
この強く尊く気高い、このギルガメッシュ大王が死ぬはずがないからな」
「いやいやいや!?」
「それが証拠に、我が輩は死んだことが無い。多くの敵を薙ぎ倒してきたが、ただの一度も死んでいない。それが証明だ」
「不死身のギルガメッシュ大王サマってことだな」
「キサマもな。我が輩と戦って死ななかったキサマを、殺せるものがあるはずがない! あれですら、な!」
喋ることに夢中になり、大通りを抜け、人気もない坂道を登り切って居た。
“それ”は、早朝から続いた職務に疲れたように横になり、地平線へと沈もうとしている。
森から観るものとはまた異なる、海の果てへと沈む。無音であることが不思議なほどに大仰で、美しい夕日だった。
「太陽ですら、死と新生を繰り返す……だが、この究極都市ウルクの、最後にして最高の王、ギルガメッシュは違うと思っていた!
エンキドゥ! お前もそうだ! 我が輩と共に! この海の果てまでを全てウルクとしよう! 天の果てまで、我が王国とするのだ!」
夕映えよりも燃える瞳を覗かせ、太陽が沈む音のように尊大な声に、私はただただ胸が躍った。
「……それをなんて云うか知ってるか、大王?」
「もちろん! それは!」
『世界征服!』
親子よりも恋人よりも、同じ夢を見る男同士の声は揃う。
「……ワクワクするな、バカをやろう。ギルガメッシュ」
「あるのは必然だけだがな! エンキドゥ!」
史実の上では、ウルクは、そう遠くない未来に滅びます。
その滅びた原因を書き残すことができないほどの荒廃だったらしく、
近代の学者は、“文明を発展させた火の使いすぎで環境悪化”など多くの案を提示し、有力視されています。
女神イシュタルの繁栄は、腐敗の悪魔であるアスタロトと表裏一体だったのでしょうか。。
シュメール文明は滅びることになるが、エンキドゥとギルガメッシュのふたりの命は、それよりも先に尽きることとなと石碑は伝えています。