鏡の向こう
「ねぇ、知ってる? 例の廃園遊園地――裏野ドリームランドのミラーハウス、ヤバいんだって」
美加がその話題を持ちかけてきたのは1学期の期末テスト最終日の放課後だった
6月の中旬に転校してきた美加は結構人あたりがよくひと月ちょっとで美加も結構増えたのだけれど本人曰く「ウマが合う」らしく気がつけば私のそばにいることが多い。
「ヤバいってなにがヤバいの?」
「知らない」
知らない、って……美加は私に何を求めているのだろうか。とりあえず話を併せてみる。
「それじゃよく分からないよ」
「え~~、こういう話にはよくあることでしょ?そのミラーハウスに探検に行った人がみんな揃って行く前と雰囲気が変わってる、って話があるんだって」
よく知ってるじゃない……と思ってもここはあえてツッコまないのが美加と付き合うときの基本だ。
「ねぇ、ちょっと私たちも探検してみない?」
「なんで誘うのが私なの?」
「だって一人で行って『○○がいました~~』なんて言っても信じてもらいないでしょ。ここは証人を連れて行かないと」
「だからなんでそれが私なの?」
「いいじゃない。トモダチでしょ?ト・モ・ダ・チ」
「トモダチって……ひょっとして……独りだと怖いとか」
「え……そ、そんなわけないじゃない。ね、行こうよ?」
なに? 微妙なこの間は……ひょっとして美加、本当に怖いのも。
廃園になった遊園地なんて私も怖いのだけれど頼られるとちょっと付き合ってあげようか、なんて気になってしまう」
「ま、いっか。いいよ」
「いいの? やっぱりトモダチっていいものよね」
私の返事にご満悦な様子の美加。さっきの不安げな表情はどこへいったのやら……私、もしかして乗せられた?
結局遊園地の探検は親には美加の家にお泊りということにして、1学期最終日の夜ということになった。夕方に駅で待ち合わせ。そこからご飯食べて遊園地の最寄り駅まで行って駅からは徒歩――着くのは結構遅くなりそう――あれ、遊園地探検が終わった後はどうするのだろう? まぁ何も考えてない、ってことはないだろうしそこはおまかせでいいか。
当日、夕方――と言っても7時前、待ち合わせの駅に現れた美加の出で立ちは白いワンピース。もう薄暗い感じもしてきたのに今からピクニックかなにかに行くかのような軽装だった。
「その格好で行くの?」
「うん。知らない場所じゃないしね。」
夕日に照らされる中でお気楽にそう答える美加は妙に現実味のない印象を受けた。
私と美加はそこから予定通りに軽めの夕食をとってから遊園地の最寄り駅まで移動、そこからちょっと……とは言えない距離を歩くこと小一時間。遊園地の正門が見えるところまでやってきた。
廃園となって随分経つ遊園地は当然ライトアップなどされてないし周囲の街灯も道路を申し訳なさそうに照らしているだけでだったけれど雲ひとつ無い空に浮かぶ月に照らされてその存在感をしっかりとアピールしている。
「ねぇ美加、それでどこから入るの? この柵をよじ登って、とか言わないよね?」
「まっさか~~ちゃんと下調べはしてるんだから」
閉園しているとはいえさすがに正門から堂々と園内に入れるようなことはないしこの柵やら壁やらを強引に越えるのもちょっと遠慮したいところなんだけど……
「そのあたりもバッチリ。こっちから中に入れるよ」
そう言いながらようやく見えてきた正門は目もくれずにどんどん裏手のほうに向かって進んでいく美加。
この用意周到って感じ、頼もしいのか単にお気楽なのがそう見えるだけなのか――なんにせよもやもやとした不安が付きまとっている私と違って美加は随分と楽しそうに見える。
月明かりに照らされた周囲は慣れてしまえば意外と明るくて遊園地の裏手に回る途中植え込み越しにミラーハウスの屋根がはっきり見えていた。
「今日の目的地はあそこなんだ……実際に見えてくるとちょっと怖い感じ。ねぇ美加、今更だけどやっぱり……」
「ねぇ、アレ、見える?」
やっぱり今日は止めよう、と言うのを遮るかのように美加は私に声を掛けて植え込みの奥を指差した。美加の指差すその先には大きな植え込みがある。確かに見た感じ壁も柵もないけれどこういうものはフェンスとか金網とかで通れなくなってるのでは?
「あの奥ね、金網があるんだけど一箇所破れているのよ」
私の考えていることなんてお見通しとでも言うように美加はそう言うと勝手知ったるという風に植え込みの中へ入って行く。
私を置いて進んでいく美加を慌てて追いかけ金網に近づいてみると、確かに見えにくいところになんとか人が通れる程度に大きい破れ目がある。
先日の雨のために最近がどうかは分からないけどそれなりに人が通った感じもある。
「なんだか、結構前からあるみたいなのよ。なんというか無用心よねぇ」
などと言いつつ美加は金網を抜けて先へ進んでいく美加。
「待ってよ。暗くてよく見えないんだから」
私は暗がりに消えそうな美加を見失なわないように追いかける。白いワンピースの美加は暗がりの中でもそれなりに目立つのだけれど、それでも急がないと簡単に見失ってしまいそうになる。
フェンスを潜り抜けた先はフェンス自体を視線から隠すために林のようになっていた。
敷地の外と打って変わってここに月明かりはほとんど届かないので目印は美加の懐中電灯と白いワンピースだけ。私の懐中電灯に照らされてふらふらと妖しく動く美加の姿を追いかけて、なんとか林を抜けた先はミラーハウスの目の前、今夜の目的地だ。
遊園地の外から見た印象と違ってミラーハウスは高さこそあれ思ったより大きくないようだったけれど、廃園になって何年も経つだけにそういう不気味さがある……のだけれど、美加はそんなことは露ほどにも感じていないようで無邪気に月明かりに照らされてながらミラーハウスの入り口を調べている。
老朽化しているミラーハウスはなかなかに妖しい感じでいかにも「出そう」な感じ――なんて思っていると、そんな私のことなどお構いなしというように美加が声をあげた。
「お、開いてるよ~~」
場違いなように明るい声をあげる美加。廃園なのだからろくな点検なんてないだろうし、以前、私たちと同じように探検に来た先客が壊していたのかも? そんなことを考えているうちにミラーハウスの扉は美加の手によって音も無く開いた。それはもう拍子抜けするほど簡単に……まぁ、私たちが最初ではないようだからそんなものかもしれない。
「よ~し。では廃園遊園地のミラーハウス探検に出発!」
やはり美加は周囲の不気味さなんてまるで気にしていない。私は「今から入るのは廃屋だよ?」なんて心の中でつぶやきながら美加を追いかけてミラーハウスに入りエントランスを抜けた。
「……あれ?」
エントランスを抜けて最初の部屋にはミラーハウスを名乗ってるにもかかわらず鏡は一枚も無い。その代わり、と言ってはいいのかは分からないのだれけど何もないながらもほどほどに広く、何も無いながらにクラシックな感じのする部屋にはただひとつ、大きな柱時計だけがあった。
撤去できないまま取り残されたのだろうか。その文字盤を懐中電灯で照らしてみると私の時計と同じ時間を指している。
「まだ動いてるの? こういうのって毎日ゼンマイみたいなのを巻かないといけないんじゃないの?」
「太陽電池がつながってる、とかじゃない? この部屋には何も無いようだしつぎ、行ってみよ」
あぁ、見た目はクラシックな感じだけどどこかから電源でも引いているのかもしれないな……などと思いつつ奥に進もうとする美加を追いかける。
部屋を抜けた通路の先には再び扉があった。どうやらここから先がミラーハウスの本番らしい。
美加が扉を開けようとしたとき、私達の後ろで柱時計が鳴り出した。時計を見ると22時。ゆっくりと一定間隔で鳴る柱時計の音はなんだか私達を送り出す合図のように感じた
扉の先はミラーハウスの定番、鏡張りの迷路になっている。
どうやら建物の構造上か何かの都合で大半の鏡は取り外せないらしく、割れた鏡やひびの入った鏡があることを除けば大雑把に言って元のままという感じで、窓も無く閉め切っていた状態だったからか思ったよりも埃っぽくも無い。ミラーハウスというアトラクションと的には廃園前のままのようで複雑に配置された鏡は正直に私の真正面を捉えたものばかりではなく私の前にあるにもかかわらず私の左右、なかには私の背中を捉えた鏡まである。
床には順路の矢印が示されているので、最悪迷ってもこれを頼りに出口に向かうことはできるし適度に狭い順路は変な勢いで鏡にぶつかる事もないようになっている。アトラクションなんだから当たり前といえば当たり前なのだけれど、人工的な人の作った物らしさが感じられて少し安心していた。
それにしても薄暗い中至る所に私の姿が移っている、と言うのはなかなか違和感のあるもので。今歩いているのは廃園となった遊園地の中、ということを意識すると「これはミラーハウスではなくホラーハウスでは」という雰囲気にもなる。
「ねぇ、いきなり変な雰囲気あるんだけど……」
そう声をかけてみると美加は思ったより先に進んでいる。通路は見た目のイメージより狭いのだけれど、鏡に映る美加の影はそんなことは知ったことではないという感じで、ふわふわと飛んでいる白い蝶のような感じがする。なんというか場違いな感じというかお気楽な感じが美加らしい。
そんなことを思っていたそのとき、少し離れたところで大きな音がした。何かが重たいものが落ちたような音。破棄された施設なんだから何かが壊れた、とかそういうことなのかもしれないけれど、間が悪いとかよりにもよってこんなときに――などと思っていると、
「今、変な音がしたのあっちだよね。行ってみよ?」
と言って美加は音のした方に向かったって歩き出してしまい、余計なことを気にしていた私は美加を追いかけ損ねてしまった。
美加は順路の矢印とは関係ない方向に向かっていった上にその姿は目に留まりやすいものの目に入ってくる姿の大半は鏡に映ったものなわけで、見えてはいても当の本人はどこにいるのか全く分からない――などとしているうちに周囲の鏡から美加の姿が消えてしまって私はあっさりと取り残されてしまった。
もう美加の足音どころか物音ひとつ聞こえなくなってしまった――追いかけようにもどこにいるかわからないしこうなったら仕方がない、先に出口に行ってそこで美加を待つのが一番なんだろうな――私は自分に言い訳をするようにそう言い聞かせて足元の順路に沿って歩を進める。
右、左、右……順路の通り進んでいるのになんというか先に進んでいる感じがしない。、同じところを回ってはいないのだろうけど、なんと言うか手応えを感じない。
あれ? 私、順路に沿って進んでいるのにどうして? 外から見たときはこんなに広いとは思わなかったんだけど――こんな状況なんだから、不安になってるとか焦っているとか……そんな感じの気のせいだろう。
そう自分に言い聞かせながらミラーハウスを進む。回りの壁に目を向けると当然私が映っているわけでなんとなく美加と来た筈なのに鏡に映った自分とミラーハウスの探検をしているような気がしてくる。
そんな妙な気分の中で私は外の印象の何倍もの距離を歩いて、ようやく床に示された順路の最後にたどり着いた。
順路の最後には最初に通ったのと同じような扉があった。扉は見た目に反して思いのほか軽い。
この先が出口なのかな。もう美加は先に行って扉の向こうで待ってるのかな。
せっかく二人で来たんだから二人で出るのが普通じゃないの?
待っててくれてもよかったのに……
などと思いつつ扉を開けた先は――私の期待を裏切って扉の先は前後左右全ての壁が鏡張りの小部屋だった――残念ながらそこは出口ではない。
ドアが閉まるとドアの音に併せてバネ仕掛けの音がした。あわてて後ろのドアノブを回すと重い手ごたえがする。この扉は一方通行でこちらからは開けられない仕掛けらしい。
しかし、よく見ると向かいの壁にも鏡のドアがある――もしかしてこの部屋は前の迷路状の部分とこの先を繋ぐためのクッション的な部屋なの?――そうするとこの先も結構あるのかもしれない。
もう沢山、と少しうんざりしながら部屋を見渡すとこの部屋はさっきまでの複雑さとは対照的に4つの壁全てが鏡のシンプルな部屋だった。合わせ鏡になっているので前にも横にも無限に私が映っている。
床は柔らかい絨毯のようで歩いても私の足音は聞こえず、物音ひとつしない静けさが部屋を包み、空調なんて動いていないはずなのに効きすぎた冷房のような冷えた空気がこの部屋を覆い私を包んでいる。
「ちょっと寒いかも……」
そうつぶやいてみるけどもちろん部屋には私しかいない。しかし鏡に映っているのも私だけなのが逆にこの部屋には私一人ではなく私が沢山いるような変な感じがする。そんななんとも言えない妙な感じを振り払おうとしたそのとき、時計の鐘の音が静寂を破った。
エントランスにあった柱時計の鐘だろうか。ひとつ、ふたつ、みっつ……じゅういち、じゅうに……
時計が零時を告げたその時、急に部屋の空気が更に冷え込んだように感じる。そんなはずはない、と思っている一方で部屋の温度は下がり続けている気がする。いくらなんでも気味が悪過ぎる。さっさとここから出よう……
私は扉を開けて合わせ鏡の小部屋を出る。しかし扉の先は先程と同じような、いやどう見ても小さな違いも感じさせない同じ小部屋。扉は先程の部屋と同じで入ってきた扉とその向かいにひとつあるだけで入ってきた扉はさっきの部屋同様ノブが回らなく一方通行なのも同じ。
私は慌てて目の前の扉に駆け寄り乱暴に扉を開けてこの部屋を抜ける――しかしこの扉の先も寸分違わず同じ部屋だった。もう一度目の前の扉を抜ける、同じ部屋に出る、何度も繰り返す、何度も同じ部屋に出る……どの部屋も見た目はまったく同じな上に部屋自体が合わせ鏡になっている。永遠にこの部屋の中を堂々巡りしているような気にさえなってきている。
ふと私は目の前の「扉」では無く「鏡」に意識を合わせると合わせ鏡に映った無数の私の私を見ていた。
すでに何度も何度も扉を抜けてる。しかし扉の向こうは毎回同じ部屋。やっぱり……同じ部屋なの? そんな不安だけが雪だるま式に膨れ上がる。もしかしてここから出られないのかもしれない――そんなことが頭を過ぎったそのとき
「もう、先には行かないの?」
この部屋のどこからか声が聞こえた。その声は微かで、それでいてはっきり聞こえる。
美加? いや、ここにいるのは私だけ。でも外から声が聞こえてきたようには思えなかった
その声はこの部屋のどこからか……合わせ鏡に映った無数の私のうちの一人が語りかけてきたような、そんな感じがした。いや、そんなことはない、あるはずない――と思いつつ私は目の前の鏡に目をやる。写っているのは私の顔――
そのとき鏡に映った私の顔が動いた。信じられない光景に声も出せずに私は鏡に映った私を見た。
鏡に映った私は涼しい顔をしながら私に話しかける。
「ここは合わせ鏡に挟まれた終わりなく続く部屋。中心がホンモノ、って決まってるわけじゃないの。ここから先は私が行くね。お疲れ様」
どういうこと? 目の前の私は鏡に映った私じゃないの……? 映し鏡に映った私はそう言うと鏡に映った扉をあけて……開いた扉の先に何か見える。扉の先に誰かがいる。暗くて顔は見えない。扉の先に見えたのは白いワンピース。
「美加……?」
弱々しく美加の名を呼ぼうとした私の声が口から出る前に、映し鏡に映った私はその扉を抜け、その扉は閉まった。扉の鍵がかかる音がした。
扉が閉まる直前、扉の向こうの人影がが私の方を見た気がしたのは気のせいなのだろうか。
そして扉が閉まったのと同時に灯が消えて部屋は闇に包まれた。
暗闇の中私は扉を探して手を伸ばしたけれど急に今まで小さかった部屋が無限の広さになったかのように、扉どころか壁にも手が届かない 。
あの鏡に映っていた私がどこへ行ったのか――
美加はどこへいったのか――
あの人影は、誰だったのか――