斬鬼、帰還せり
「ところで、これからどうするつもりなんだ?」
母がお茶を並べている隙に、仕切り直しとばかりに総一郎は響に問う。
「そうよね……こんな怪我じゃあ、しばらくここにとどまった方がいいわよ? 2週間くらい」
そうだ。命にかかわるものでないにしろ傷は深い。また傷が開かないように療養しておくのは必須と言っていい。
「に、2週間! そんな、そこまで甘えるわけには……」
「大丈夫よ! 総ちゃんを助けてもらったんだもの、そのくらいお礼できないんじゃあ物部の名が廃るというもの! だから――」
物部。
その言葉を聞いた瞬間響は目を見開いた。
「……物部? お二人は物部の家の者なのですか?」
「? ええ、そうよ? 私は物部 遥、この子は物部 総一郎っていうの」
絞り出すように問うた響に、どうしたんだろう、と小首をかしげながら遥が応えた。
すると、
「今すぐ家長の方に伝えてください、『語部 響、帰還セリ』と!」
ベッドの柵から飛び出さんとばかりに身を乗り出し、遥に押し迫ったのである。
「え、え、何!? どうしたの?」
先ほどのつぶやくような声からは想像もできない力強さと焦りに、遥はギョッとした。
「大丈夫です! それだけ言えばおそらく伝わるはずです……っつ……!」
物部家。それは自らが姓として名乗る語部の家に属する家の名。
二つの家は古くから縁が深く、共に術の腕を競い合う間柄。
ああ、なんの因果だろう。こんなところで物部の家の者に出会えるとは。
これならばきっとすぐに会いに行ける。
家に、戻ることができる。
「ああ、私は本当に運がいい……これで、これでまた会える……」
痛みをこらえ、なおも絞り出され続けるその声はまるで、それに縋っていなければ生きていけないと、狂乱しているようにも感じられて。
「響……さん!? 落ち着いてよ!」
このままではきっと、よくないことが起こる。
そう予感した総一郎は遥と響の間に割って入っていた。
「俺たちは多分、響さんの言っている物部家の人じゃない! だって家長が誰なんて知らないし、もし知っていたら事情を聞いてすぐに引き渡してる! そうだろう!?」
「……!」
丁寧に、諭されるようにその台詞を聞かされた響は、はっと我に帰ったようだった。
「だからしばらく休んで、元気になってから捜そう? 俺もできる限り手伝うから、さ」
「……すみません」
自分はなんと愚かだろうか。
語部とともに異形を狩る物部の者であるならば、祓い屋をしらないはずはないし、異形に襲われても自分でなんとかできたはずだろうに。
安直な行動でよその人間に迷惑をかけるなど、言語道断だというに。
「……すみません……」
自らの行いにようやっと気づいた響は、ただ、その言葉を繰り返すのだった。
*
深夜。
あれほど騒がしかった響も、総一郎も眠りにつき、家は静寂に包まれていた。
「それで?」
「ええ、そのまま眠ってしまったわ……相当疲れてたみたい」
受話器を片手に、遥は電話をかけていた。
「けれど、悪い子じゃあないのよ? 総ちゃんも助けてくれたし、ちょっと危なっかしいけど」
「……そうか」
苦笑まじりに話し続ける遥に対し、電話の相手は低い声で淡々と短く返していく。
きっと、器用な人間ではないのだろう。
「ええ、だからありがとうね」
「どういうことだ?」
「あら、シラをきっちゃって、知ってるのよ、あの響ちゃんって子もあなたの部下なんでしょう? けどダメよ、大けがさせるまで放置なんて……全員守ってこその家長でしょう? それにしても最初は驚いちゃったわ……総ちゃんの前で言うもんだからどきりとしちゃって、声も出せなかったーー」
「……待て、その女、苗字は何と言った?」
急に剣呑な雰囲気を含んだ声にも気にせず、ほけほけと遥は返した。
「語部……って言ってたかしら、確か―――」
「……すまない、用事ができた、失礼する」
ブツリ、とここで電話が途切れた。
「語部……響……」
今では珍しい黒い受話器の電話の前に男が立っていた。
総一郎のそれと同じ、薄いベージュ色の髪を肩付近まで伸ばし、精悍な顔つきは外国人と見まごうばかり。それゆえに着こなす薄緑の着物が絶望的なほどあっていない。
そして男が小さくつぶやいた瞬間、ガラガラと騒がしい音が響いてきた。
「ウイーーッス、貴文さーん! たっだいまーっ!」
そのような風体をしている男の姿を見たそいつは大きく手を振りながら駆け寄ってくる。
電気もついていない家の中ゆえに顔こそはよく見えないが、ピョンピョン跳ねるさなか明るい金色のボブが不規則に揺れるのだけはよくわかる。
「打都宮、ちょうどいいところに来たな」
「うーん? なになに討伐依頼ー?」
「似たようなものだ……今からそのための緊急会議を開く、家長たちを呼ぶのを手伝え」
「えー、うちの爺さまもう寝てるよ! 明日にしようぜー?」
「今すぐだ。寝ている奴は叩き起こせ」
有無を言わせずその男、物部 貴文は娘に告げた。
「なに、こういえば飛び上がるだろうさ、『斬鬼、帰還セリ』と―――」
第一幕・完
第二幕・朧に咲く徒花を散らせに続くーー
第一幕の読了、ありがとうございました。
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最新話ページの下部にありますので、どしどしと!