居を合わすが居合なり
「オン・アビラウンケン・キシャラクタンーー」
女の動きにはためらいというものがなかった。
鞘へ納めた刀を抱えるように構え、何か言葉を並べながら橋の上から次々と飛び降りてくる異形どもへ猛然と突っ込んでいく。
『莫迦め!』
一番手の毛玉はその言葉と共に顔を歪ませて笑っていた。
その足は少々、それどころかずいぶんと速く感じられる。このままペースを緩めなければ、得物を抜く間もないほどの密着状態になるのは必至。
そうなればこちらが圧倒的に有利。その華奢な体を組み伏せて終わりだ。
『その小さい頭、叩き落としてやるよ!』
だが、脳天から思い切り潰してやろうと腕を組んで振り上げたその時だった。
そいつは足をさらに踏み込んで加速し、飛びつくように肉薄してきたのである。
『なっ!?』
本当に何を考えてのことなのか。敵自らが目と鼻の先にまで距離を詰めてきたではないか。
いいのか? こっちの間合いの内に入ったところで後ろにまだ4匹もいるんだぞ? 焼け石に水だぞ?
そう思っていると目前に迫った女との間に何か細いものが下から割り込んできて――。
「間を詰めること、これ肝要につき」
目にもとまらぬとはまさにこのこと。
逆手でつかんだ刀をそのまま抜刀。押し当てるようにして一体目を切り裂き、そのまま通過したのである。
『なっ、えっ』
すぐ後ろの二体目は戸惑っていた。先に出た仲間が開きにされ、そこから抜け出るように女が現れるという光景に面食らったのだろう。
その隙に、女は上半身をかがめるように納刀した後、全身のバネを使って前へ一気に飛び出し、
「以て後の先を奪うべし!」
『がっはあ!?』
真一文字に刀を振りぬいた。
『キェェェエ!!』
斬りつけたものの生死を確認する間もなく、奇声とともに3匹目が今度は上から降って来た。
けれどそんな状態においても女は眉一つさえ動かさない。抜いた勢いで迫ってくる怪腕を独楽のように回転してかわし、
振り下ろされた腕で舞い上がった水しぶきの中で切り裂いた。
『おお、やったか!?』
そのすぐ後に着水した4匹目は、飛び散る鮮血混じりの飛沫で、どうやら邪魔者を叩き潰したと思ったらしい。それに安堵して警戒を解いた結果、水しぶきから現れた女によって川の面からすくいあげられるように真っ二つと相成った。
「さて、これで残るは貴方のみですが」
『あ、えっ……?』
そして最後の一体。
柄に何度目かの手をかけて、ゆっくりと近づいてくる女に合わせ、最後に残ったずぶ濡れの毛玉妖怪はおびえながらどんどん後退していく。
『ひ、く、来るな……』
「戦意を失くしたなら今すぐ退きなさい、そして2度と人を襲わぬと誓えば――」
『キ、キェェエァウィィィイ!!』
敵をおもんばかったのだろう女の言葉はここで遮られた。
最後の妖怪、さっきまで総一郎の上で勝ち誇っていたそいつは、半狂乱的に女に飛び掛かる。
半ば不意打ち気味のこの一撃に、彼女の反応は一瞬だけ遅れてしまったように見えた。
「あ、危ない!」
ここで初めて総一郎は声を大きく上げた。
電灯の下にきらめく鋭い爪が響の喉元へ伸びていく……が。
「……居を合わすが居合なり」
ずぶぬれの妖怪が伸ばした爪は、彼女に届くことはなかった。
目の前まで来た腕を彼女はつかみ取り、そのまま、
「てやっ!」
柔道よろしく担ぐように背負い、川へ叩き付けた。
『げはぁっ!』
叩き付けられた腕団子はまるでゴムボールのようにバウンドした。
「オン・アビラウンケン・コソソワカ!」
そして見ることになる。
「急々、如律令!」
自らに迫る、銀色の剣閃を。
ついで、聞くに堪えない悲鳴があたりに響き渡った。
*
数度あたりを見まわした女はここでふう、と息をつき、刀を鞘へ戻した。時間にして数分もない鏖殺劇はこれにて終了と相成ったらしい。
「……………」
図らずもその観客となった総一郎は、その有様をただ見ることしかできなかった。
言葉をはさむ余地もない。まるでこれは舞だ。戦の舞台となったという事実をもってしても止むことのないこの清流のように。むしろ、こうある事こそが自然だ。と思える程に滑らかで見事な一息の流れ。
しかし、それ以上に気になったのはその最中彼女が口にした言葉。
おぼろけに覚えている小さい頃、父がこぼした言葉とどことなく似た物を感じたのだ。
そして総一郎は、改めて先ほど真っ二つにされた腕団子の残骸を見る。
刀というのは創作などで言われる通り切れ味が非常に良いものだが、その実、薄く、細く、それ故に脆い。
ものに深く切り込めばそれだけで刃が毀れ、力任せに振り抜こうとしたら折れることもありうる、扱いの難しい代物でもある。
しかし、激しい動きの最中にあって刀は折れないどころか刃もこぼれず、歪みさえ見当たらない。
それはつまり、響が一切の迷いなく的確に狙った場所へ切り込み、すべて成功させているという事。
こんな創作知識ばかりで実際の技術などかけらもなくても、一連の所作を、その結果を見れば素直に思える。
「これが、祓い人……」
まるで語り掛けるように紡がれる言葉と、共に繰り出される卓越した剣術。
なるほど、納得した。
これならあの化け物たちが敵わないのも仕方ない。
しかし、これほどの技術、彼女はいったいどこで学んだのだろうか。この見鬼という力を持ってから、妖怪がらみの面倒ごとはいろいろと経験したが、祓い人などという言葉は聞いたことがない。
だが、その祓い人の術と思しき言葉の羅列は、幼いころに一度聞いたことがあるときた。これは、一体どういうことだろうか。
「ご無事ですか?」
「は、はいぃ?」
突然挟まれた言葉に、総一郎は素っ頓狂な声を上げる。それもさっき聞かれたばかりの言葉だのに。
「けが等はありませんか? 骨とか、おかしなところはありませんか?」
「ああ、ちょっと濡れたくらいでケガはしてないよ」
正直、迫真の目で迫ってきているのが怖いけれど。それでも彼女が守ってくれたのは、紛れもない事実だ。
ならば、お礼くらいははっきりというべきだと総一郎は思った。
「ありが――」
「そうですか、よかった――」
しかし、総一郎の口から出た感謝の念は、目の前の恩人に届くことはなかった。
「最後に貴方を守れて、本当によかった――」
「――え?」
それだけを言いきり、小さな川のせせらぎの中に彼女は倒れたのだ。
07/31
タイトルを変更いたしました。