ウサギのようなキツネのような
「…………」
少し間をおいて、総一郎は今自分が置かれている状況を確認してみることにした。
まずは曲がりなりにも騒木の頼みを引き受けてしまったこの状況。好意的に見れば響と一対一で会話する機会が得られたといっていい。
自分はきっと知らなければならない。祓い人なる人々が一体なんなのかを。
自らが持つ見鬼のこともあるし、もしかしたらそれが父と離された原因に関係あることかもしれないから。
けれど、どうやって外へ誘う?腹をくくれ!とばかりに電話をかけてみたらこのありさまだ。
今朝元気に動き回っていたとはいえ、仮にもその場に倒れてしまうほど血を流した人間。じっとしていたほうがいいし、何より母が許してくれるかどうか。それにーー
「はあ……」
その朝のことを思い出し、総一郎は頭を抱えたくなった。
ああ、常識が通じないとはなんとも煩わしいことだろう。おかげで今から家へ帰るのが億劫で仕方ない。
それでもと寂しく袖を引くような木枯らしの中、総一郎は一人携帯を片手に家へと歩き出した。
ちょうど、そんな時だ。
「おい、おまえ」
不意に聞こえたそれに、総一郎は足を止めた。
コーラス隊のような澄んだ高さの少女の声が、やたらと威勢のある口調で聞こえてきた。呟いたような小ささであったのは確かなのに、こんな風の中でも不思議としっかり耳に入ってくる。
聞き覚えのないそんな声を聞いた総一郎はいつでも走れるように、警戒しながら顔だけをそちらに向けた。
なにせここはめったに人の来ない校舎裏。登校中のどこかで妖怪に目をつけられていて、一人になった今だとばかりに声をかけた、としてもおかしくない。
けれどそれは杞憂だった。
視線の先にいた声の主はしっかりとこの学校の制服を着た、どこもおかしなところは見受けられない普通の人間だった。
「そ、そうだおまえだ」
総一郎の肩幅に届かないか、といった小柄な背丈。腰のあたりまであるくせにさして気にしていないのか、ざんばらな茶髪で目つきは見えないが、たじろいだ声とスカートの制服で女だとわかる。そんな風体の少女が軽く息を切らしながらそこに立っていた。
「ああすまない、ちょっと気が立ってて」
覚えのない相手は異形と疑うべし。
総一郎が異形という存在を知ったころから実践し続けている心構えのようなものだ。相手にしているのは他者をだますことに長ける異形たちゆえに、注意しすぎて悪いことはないーーとはよく言ったものの、実際問題毎回毎回そんなに警戒していたらこうやっておびえる相手もいるだろうに。
変な癖をつけてしまったな、と心の中で反省しつつ総一郎は改めて体を向けた。けれど、
「ここらへんでウサギみたいなキツネみたいな猫を見なかったか?」
「……はい?」
こんな雑な質問をいきなりぶつけられたらだれであれ疑問符の一つも浮かぶというものである。
「う、ウサギみたいな、キツネみたいな……猫だ」
直情をそのまま漏らした総一郎を見て何を思ったのか、少女は数秒前とまるで同じセリフを訥々と繰り返す。
「いやごめん、それだけじゃイメージできない……何かもう少し、特徴みたいなのはないのか?」
「う? うーんと……ウサギみたいなキツネみたいな特徴をした猫だ!」
「違う、そうじゃない」
「なっ、ち、違うのか?」
「いや、あってることにはあってるよ? 猫なのにキツネやウサギに似ているのならそれは特徴なんだろうけど、でもなあ……」
「でっ、でも! ほんとにウサギみたいでキツネみたいなんだ! それで……その……」
動揺してわけがわからなくなってきたか。
少女は落ち着かなさそうにあたりを見回しながら、さながら壊れたレコードのように同じことをふるえる声で繰り返し、一歩、また一歩と後ずさる。
「……、……で、その……」
どんどん弱弱しくなっていく声を何とか聴きとろうと総一郎もそれに合わせて一歩ずつ寄っていくが、悲しいかな少女は後ずさるのをやめようとはしなかった。
「………………」
ああ、誰にも信じてもらえなかったのか。
ここまでのことを思うに、こいつはもともとあまり話すのが得意じゃない。そうじゃなくても「ウサギみたいでキツネみたいな猫」なんて珍妙なことを言われたら普通はこう返されるだろう。
何言ってんだ、そんな動物いるわけないだろう。
出くわした全員に勇気を振り絞って聞いてこんなことを返され続けたら、また否定されるんじゃないか、と自分に自信が持てなくなっても不思議ではない。
彼女は昔の自分みたいなものだ。
「や、やっぱり……聞かなかったことに」
「いやーー」
シャボン玉みたいな毛玉がいた、顔のついた柱としゃべってきたなどといっても誰も信じてくれなかったあの頃の自分と。
もし、その緊張を少しでもほぐせるなら。
「もう少し、話を聞かせてくれないか? 詳しく特徴を話してくれたら、知らないまでも手伝えるかもしれない」
もっと親身に話を聞いてやるべきだ。
「ほ、ほんとかっ!?」
よほどうれしかったか、この返しを聞いた少女の顔がぱっと明るくなったのが十数歩は離れたここからでもはっきりと見えた。
しかし、その直後「あっ……」とまたうつむいてしまう。
「で、でも特徴なんて言っても、ウサギみたいなキツネみたいな猫としか……」
「ウサギやキツネに似ているのは分かった、だから、何がどうウサギに似てて、キツネっぽいのか教えてくれよ。お前のペースでいいから」
「そ、そうか……なら少し考えさせてくれ」
言いながら腕を組み、ゆっくりと頭を揺らしながら考えることしばし。
突然思い出したかのように揺れるのをやめて少女はぴしっと指を立てた。
「まずびっくりするくらいもふもふだ、綿かってくらいもふもふだ。 耳も少し長かった」
うん。確かにそれはウサギっぽい。
「シッポも長めだな。こっちは筆みたいな形でもふもふだ」
うん? キツネ?
「だけどこんなにもふもふしてるのに鳴き声はみゃあ、だ。だから猫だ」
うーん? キメラ?
「それとひんやりしたところが好きでな、日陰とか、池の近くとかが好きな変わり者だ」
えー?
「足にけがをしてて、何か怖い目にあったみたいでぶるぶる震えてた……きっとどこかから逃げてきたんだって思ってちょっと前から世話してたんだ、そしたら昨日、まだ治ってないのにいなくなって……」
「ダメだ、見覚えがないや……」
「むう……そうか」
けれどそんな珍妙な生き物、いるわけがないだろうとは絶対に言わない。常日頃から珍妙な生き物を見ている身の上、そんなことを言ってしまったらあの頃自分を嘘つきと言ってきた連中と何ら変わりないからだ。
「先生には言ったのか? 迷い猫なら、相談したほうがーー」
「それはダメだ」
これまでよりも強い否定で、総一郎の提案は遮られた。
「あれは多分ノラだ、毛はしっちゃかめっちゃかだったし、ノミとかがびっしりだった。もし見つかっても、保健所だとかに連れていかれるだけだ。それに――」
あれだけたどたどしい様子だった先ほどとは打って変わって、少女は神妙な面持ちで続ける。
「大事にしたら怖がりのあいつは近寄れないだろうし、あんまり人のにおいをつけるわけにはいかない。そうなったら、あいつの為にならないからな」
すらすらと続けざまに出たそれは、配慮の言葉だった。
獣は自分たち以外のにおいを強く嫌う。もしも件の猫に群れやグループがいたら、見知らぬにおいをさせていたら、それまで家族や仲間だった連中に排斥されてしまうだろう。
彼女はそこまで知っていて、なおも何かできないか、とこうして奔走しているんだ。
「……すごいな」
そこまで気づいた時、総一郎は素直に思ったことを言っていた。
「うん? どういう意味だ?」
「いや、ノラ猫なのによくそこまで大切に考えられるなって思ってさ。俺だったら、いなくなったときにすぐ元気になったんだなってほっとくかもしれないから」
「そ、そうか? そこまですごい事でもないぞ――」
総一郎の称賛に少女は照れながらそう返し、こそばゆそうに人指し指で頬をかいてから続けた。
「こうしてほしいって言ったことを、そのままやっているだけだからな」
「……え?」
不意に強く吹いた木枯らしが、裏山の木々を大きく揺らした。
さすがにもう冬だ。冷気をはらんだ風が制服の隙間から入り込み二人はそろって体を震わせる。
「とっと、そ、それじゃなっ、おまえのタレコミをわたしはまってるからな!」
そんな中先に動いたのは少女の方だ。今すぐ寒さから逃れようとさながらばねのように一気に飛び出し、校舎裏の曲がり角に踏み入っていった。
「あ、ちょっと!」
一瞬前の言葉の意味が解らなかった総一郎が後を追うように動き始めたのは、そのすぐ後のこと。
一瞬だけ物事を考えてしまって出遅れてしまった。
急に走り出した彼女はもう止まらないだろう、猫のことも先ほど言ったことの真意もこうなってしまっては聞き直すことはできない。
ならせめて、これだけでもはっきりとさせておく必要があった。今後連絡を取り合うのに必須であるし、なおかつかける言葉も短くて済む。
「君、名前はなんて言うんだー!?」
彼がそう叫んだあと数瞬してから、返事が返ってきた。
「鳳ー! 鳳 美鈴だー! 忘れててすまーん!」
最後の部分、某国民人気映画とは関係ありません。
念のため。