語部響は無知である
「ほーん、それで?」
「そのあとは質問の嵐だったよ、ドアの開け方とか窓の使い方とか。 そしたら今度は蛇口のひねり方とかトイレの使い方とか聞いてきて――」
「で、キリがなくなってきて逃げてきたと?」
遮るように返された騒木の言葉に、総一郎は力なくうなずき、うなだれて伏せてしまう。
「仕方ないだろ……間髪入れずにぐいぐい来るんだから」
その時のことは脳裏にありありと刻まれている。
結論から言ってしまうと語部響、という女はあまりにも何も知らなさ過ぎた。昨日の夜にあれほどの大立ち回りを異形どもに演じた女は幻かと思えるほどに。
こちらは何ですかどういう物ですかそちらは何というのでしょう使い方を教えてくださいと、とかく何か行動を起こすたびに総一郎に詰め寄ってくるのだ。
逃げる時もそうだった。学校があるから後にしてくれと家の入口の方まで後ずさりながら話すと、彼女はお構いなしに近づきながら言うのだ。
――学校? 学校とは何ですか? どのようなところですか、お答えを――
だから、ついついカッとなって返してしまった。
――ああもうっ! 後で教えるから少しおとなしくしててくれ!――
……何も知らないのにもほどがある。このご時世に一体どんな状況で育ったのか、と考えてしまうほどには。
しかも傷が癒えるまでの間、そんな彼女と暮らしていかなければならない、となれば総一郎でなくとも心中は複雑になろうという物だ。ようは、
「どう付き合ってけばいいか、わからないんだ……」
どこの誰かもわからない段階から、がんがん強い口調で質問され続ける息苦しさは、いわゆるコミュ力、ましてや異性とのコミュ力が0に等しい総一郎には恐怖以外の何物でもないのだ。
そんなことをため息交じりにのたまうと、騒木は情けないと言わんばかりに肩をすくめた。
「お前なあ、そういう時はもっと親密になるよう手取り足取り教えとこうぜ? 普段から人付き合いがうっすいツケが回ってんのよ」
追い討ちのように騒木はうつぶせた総一郎の頭をつんつんと指でいじくりながらなじり始める。
「今時の少女マンガばりの顔してんだからもっとフレンドリーにすりゃあ今頃モテモテだろーに、花の高校生にもなってツルむ知り合いが一人二人とかコミュ障全開過ぎて悲しくねえ? ましてや相手は和服の超絶美人だろ?」
そこから始まったのは、マシンガントーク……いや、彼特有の悪人のような顔立ちによる圧力がかけ合わさったそれはもうワンランク上のガトリングトークと呼んで差し支えない物だ。
「物知らずなのがアレだけど刀で和服ってことは次に来るのはハイカラなデカいリボンとポニテだろ? ギャルゲーばりのシチュエーションじゃねえか、大正桜で浪漫の嵐じゃねえかちきしょう、なんか腹立ってきたぞ、俺なんかこの顔でぜーんぜんモテねえのに!」
「まてまて騒木、まだそこまで言ってないから! 話を戻してくれ!」
響の容姿を好き勝手に想像し始めた騒木に総一郎が彼を見上げるような形で焦点を移し、この壮絶な独り相撲へ待ったをかけてやる。
「え、美人じゃねえのか?」
すると先ほどの熱はどこへやら。ぎらついていた眼光も一瞬にして消え失せ、死を待つばかりの絶望顔になり果てた。
「マジかよ……んな絶好のシチュで大前提の美人が欠けてるとかアリかよ……やっぱこの世の中ってクソだわ……」
「戻すのはそこじゃない!」
さながら苦悶の声を漏らすかのような騒木に、さすがの総一郎も声を荒げた。これ以上話を脱線させてやるものかと、強く意思を込めた結果である。
一度話の主導権を握らせたが最期。さっきのようなガトリングが炸裂し、向こう三十分は脱線した話のまま一人で盛り上がってしまう。
先ほどモテない事を嘆いていたが、顔なんかよりもそっちを直した方が少しは話しかけられやすくなるだろうに、といつも思う。
「じゃあ、美人なんだな?」
「綺麗な人だったさ! とっても!」
それに、いまだわからないことがおおいが、それだけははっきりとわかることだった。
端正な顔立ちに何時もまっすぐで絶えることの無い凛としたまなざし。意思が強いせいなのか表面上はとても固い鋼鉄のように見えるが、ときおり垣間見えるもろさや危うさがむしろ彼女という人間を別の儚い何かにさえ感じさせる。
それは例えば、磨き抜かれた刀のように。
とにかくそんな人を惹き付ける何かを持った女性が美人と表現されなければ、一体彼女を何と定義すればふさわしくなるのか、総一郎には分からなかった。
「おお、そーかそーか! まだまだこの国も捨てたもんじゃねえな!」
総一郎の迷いない返事を受けた騒木は満足したようにうなずき、騒木は総一郎の前の椅子にどっかりと座った。そして、
「まず語部さんがどこの誰かってことだが、んなこた些末な話さ。 こんなとこで考えててもラチがあかねえ。 その語部さんってヤツがなんとも言わねえ限りな。 だから――」
「だから?」
「――お前に一つ、作戦をくれてやろう」
にやり、とどこか悪だくみしてそうな顔で、騒木は笑いかけたのである。
「名付けて、総一郎くんコミュ障脱却大作戦、ってな!」