ありし日を振り返れば
それは、いつも見えるものだ。
ふと見やればそれらは、いつもいつもふよふよと取り留めなく漂っていたのだが、いったい何なのかはずっとわからないままだった。
だからその時、たまたま隣にいた父に疑問をぶつけてみた。
「ねえ、あれなあに?」
「あれ?」
聞かれた父は軽く眉をひそめて、あたりを探していた。
「ほら、そこにいるでしょ? しろくて、まるくてへんなの。まるでシャボンだまみたい」
彼の指さした先を目で追った父は、目を大きく開いた。
「総一郎……お前、見えるのか?」
あのひどく不愛想な父が、珍しく驚いた表情を見せた瞬間だった。
「本当に、見えるんだな?」
しかしそのあと父はなぜか黙ってしまう。
そうして、不必要なくらいきょろきょろとあたりを見まわすものだから、彼にとってはとても不思議なことに思えた。
あれは誰にでも見えるもの……例えばそこいらにいるノラ猫のようなもので、それ以上何もない。だからこそ、誰も何も言わずにあれを放っておいているのではないのか。
幼い彼は本当にそう思っていた。
「……そうか」
小首をかしげ、そう返すと父は深刻そうにうなずいた。そして自らのまえで指を揃えて立て、呟いた。
「凪は嵐に立つ影につき――」
紡がれるその言葉に反応しているのか。
白いものはさあっとその場を離れて行ってしまった。
まるで恐ろしいものを見て逃げ出すように、振り返ることなく飛んで行ったのだ。
「これでいい」
「お父さん? しろいの、とんでいっちゃったよ?」
「……これでいいんだ」
父はそう返すと、彼の頭をくしゃりと軽く撫でた。
「まだこちらに来させる訳には、いかないからな」
「???」
続け様に出た父の言葉に、総一郎はまた首をかしげる。
その言葉がいったい何を指したものなのかは、当時の彼にはまだ、理解できなかったのだ。
父の言葉の意味を読み取るのはとても難しい。
もちろん、本人はしっかりと答えているつもりなのだろうが、その意図するところを理解するというのは齢いくばくの子供にはいささか酷というものである。
そんなものだから、
「……お父さんの傍にいられないの?」
このような勘違いが生まれるのは、日常茶飯事であった。
先ほどまでの困惑から一変して、泣き出しそうな顔に早変わりした彼を見て、父はいいや、と首を振り、穏やかに返した。
「そうではない、ただお前にはまだ早いというだけだ。 必要な物がそろえばお前もきっと、こちら側にいるだろう」
「必要なものって? お父さんみたいになぎがなんたらーっていうもの?」
「……あるいはそうなるかもしれんな」
うろ覚えな彼の言葉に、父は苦笑しながら答えた。
「お前がこうありたい、と思えるようなお話が、私とおんなじものだったなら、な」
そう聞かされた彼は、早速とばかりに書斎に入って本をあさるようになった。
冒険の本や活劇、父が言っていたことが載っていそうな本を手当たり次第に探していった。そんな日々を送り始めて、しばらく経ったころ。この世にはおよそ人とは呼べないものたちがいる、ということを彼は知ることになる。
そして、そんな日々も過去のものとなった今。
『さあ、まずはどこから切り裂いてやろうか、ぎゃあぎゃあと五月蠅いその喉笛か、それともいまだに我らから逃れようとするこの足か!』
「放せ、放――ぐっ、あぐっ!」
このように両腕を掴まれ、身動きの取れない状況にされるといつも思う。
『決めた――おい誰か、こいつの喉笛を切り裂いてやれ!』
『よし来た!』
この人ならざる連中を見ることができる、見鬼という力はそれらから非常に疎まれやすいのだと。
07/31
改稿いたしました。