営業日誌別冊・後編 「魔王様と聖女様」
赤い髪を後ろで束ね、黄色いエプロンを身に着けた魔王様の目の前にことり、と白い皿置かれる。その上に乗っているのは、フワフワの――
「オムレツ……」
雲が掛かったように魔王様の表情に影が差す。
「黙って食え」
「なんでじゃ主様! ケーキケーキ! わしはフワフワで甘々な白いショートケーキが食べたいのじゃ!」
子供のように駄々をこねる魔王様。黒毛の人狼は困ったようにピンと立った耳の後ろを掻く。
「仕方が無ぇだろう。どれだけやっても生クリームは角が立たねぇし、スポンジは膨らまねぇし……。こんなに難しいだなんて思わなかったんだよ」
「ほんに不器用じゃのう。性格だけの話だと思っておったのに」
「お前なんて卵も割れないじゃねぇか。偉そうなことを言うなよ」
ふんと鼻を鳴らし、赤髪の魔王様は腰に手を当てて胸をそらす。
「わしは良いのじゃ。わしは完全無欠の消費者じゃからな」
「お前は提供する立場だからな!?」
「はて、わしが何を提供するというのかのう。この女神も羨む美しい笑顔かえ?」
「お前が客に提供できているのは、権力を利用した圧力と居心地の悪さだけだ」
わざとらしく微笑む魔王様の頭を、黒毛の人狼がこつん、と小突く。
「作れないものは仕方が無い。諦めてさっさと食えよ、冷めるぞ」
渋々といった様子で、魔王様はその小さい口に人狼特製のキノコオムレツを運ぶ。
「……んまい」
「そりゃ結構。お前が馬鹿みたいに買い込んだ材料が、まだ大量に残っているからな。頑張って消費に協力するように」
奔放すぎる不良従業員に、店主がぴしゃりと命令を下す。
「のう主様よ、いっそ食事をメインで提供したらどうじゃ? 魔界食堂じゃ」
ふむ、と人狼は太く逞しい首を捻る。
「それはやめておこう、色々と駄目な気がする」
「なんじゃ。よく解らんのぅ」
不意に店の出入り口から鐘の音が鳴る。あんまりにも久しぶりなので、二人ともそれが来客を告げる物だという事を思い出すまでに一瞬の間があった。
開け放たれた木製のドアから差し込む光の向こうから、人影が浮かび上がる。その陰の主を見て、魔王様の手からフォークが滑り落ちた。カツン、と金属音が店内に響き渡る。
「うむ。なかなか良い雰囲気ではないか」
叶うなら二度と聞きたくなかったその声。黒毛の人狼も開いた口を塞ぐことができなかった。
「せ……。聖女……」
思わず牙の隙間から声が零れた。月の光を閉じ込めたかの様な輝く金髪。静かな湖面のような蒼い瞳。紛れもなく、王都で出くわしたあの聖女に他ならなかった。唯一違いがあるとすれば、その身を包むのはあの豪奢な白銀に金の装飾が施された全身鎧ではなく、聖女の名にふさわしい白く清楚なドレスだという点だ。
「どうした、もてなさぬか。私は客だぞ?」
「……すまんね。人間のお客は初めてなもので勝手が解らない。ま、適当に掛けてくれ」
満足そうに微笑み、聖女がカウンター席へ腰掛ける。
食べかけのまま放置されたオムレツを見遣り、聖女が細い首を巡らせて辺りを見回す。
「魔王がおらぬな。人避けの術が掛かっていたので、てっきり店に居ると思っていたが」
言われてみれば、と魔王も辺りを見回す。居ない。あの小生意気な赤髪の魔王様の姿がどこにも見当たらない。
ふと、足元に気配を感じて視線を向ける。そこには小さく縮こまり肩を震わせて気配を必死に消そうとしている、魔軍八十二万を率いる魔王様の情けない姿があった。
「なんだ、そこにおったのか。貴様に用があって此処まで来たのだ、こっちに来ておくれ」
カウンターから身を乗り出し、聖女が顔に掛かる髪を指で押さえながら震える魔王様の背に優しく声をかける。
まるで姉が妹にかけるような、柔らかく優しい声音だった。
「ぬ、主様のせいでばれてしまったではないか……」
魔王様が恨みがましい目を向けてくる。黒毛の人狼としては「俺のせいじゃねぇよ」と肩を竦めるほかない。というか、逃げないんじゃなかったのか。
カウンターからテーブル席に移り、赤髪の魔王様と金髪の聖女様が向き合う。窓から斜めに差し込む陽光に照らされて、二人の姿が後光が差したかのように浮かび上がる。まるで一枚の絵画のようだな、などと柄にもないことを黒毛の人狼が考えてしまうほどに美しい光景であった。
二人の前にコーヒーを差し出す。一つはこれでもかと砂糖とミルクを加えたもの、もう一つはブラックだ。ミルクと砂糖は? と聖女に人狼が問うと、余計なものは要らぬと首を振った。意外と気が合いそうだ、と人狼は思った。
よくよく考えてみれば、これはとんでもない状況だ。
方や魔界を統べる大総帥、魔王。それに向き合うは魔族を打ち滅ぼすためだけに組織された聖騎士団の団長、聖女。
三百年の時を経てもなおいがみ合う二つの巨大組織のトップが、辺境の小さな喫茶店で一緒にコーヒーを飲んでいるのだ。
よもや歴史的な場面に立ち会っているのでは、と黒毛の人狼は緊張に肩を震わせる。
「約束を違える気か聖女よ。この店に手は出さぬと言ったではないか」
口火を切ったのは赤髪の魔王様だった。肩をこわばらせ、それでもまっすぐに聖女を見つめている。
前髪が焦げそうなほどの視線を受けて、しかし聖女はそよ風が頬を撫でるような微笑みを崩さない。
「約束は守るとも。見よ、今日は完全なプライベートだ。帯剣もしておらぬぞ。護衛は……まぁ店の外に一人控えておるが、私も立場がある身だ。それくらいは許しておくれ」
ふん、と魔王様が不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「して、用があると言ったな。聞くだけは聞いてやるからさっさと申せ。そして帰れ。ついでに二度と来るな」
嫌われたものだ、と聖女が肩を竦める。
「魔王よ、貴様は人間をどう思っておる」
魔王様が目を細める。なぜそのような事を聞くのか、その真意を計るように聖女の蒼い瞳を見つめている。
「……人間は愚かで浅ましい。目先の欲ばかりに囚われ、平和を謳いながら剣を取る、まったく度し難い連中じゃ。手先の器用さだけは認めるが、それも元をただせば戦いの為に開発されたもの。負の遺産に覆いをかぶせて利用しているだけにすぎぬ」
辛辣な言葉を受けて、しかし予想通りだというように聖女は小動もしない。
「多くの人間は魔族をこう思っている。魔族は力でしか物事を計れぬ、獣のような連中だと。暴力的で、理性に欠け、知性は淡く、文明を築けない」
何を、と魔王様が腰を浮かしかける。
「だが私はそうは思わない。魔族には歴史があり、文明を持ち、武装をし、徒党を組み、国家を築き上げ、力強く、しかし理性的で、同族争いはほぼ起こらない」
「……聖女よ、何が言いたい」
「確かに人間は愚かだ。同族での争いをやめることは、もはや不可能であろう。しかし人類は戦いを通して日々進化している。魔族の理解も及ばぬほどに、な。魔王よ、我々は……、魔族と人間は、あまりにもお互いを知らなすぎるとは思わぬか」
カウンターの中で話を聞いていた黒毛の人狼は、心の中で頷いた。
三百年前の人魔大戦は、人間側が魔族領の鉱物資源を求めて一方的に攻め入ったのが原因と伝わっている。しかし人間側では、魔族が人間界の肥沃な大地を我が物にしようと侵攻を始めたのが切っ掛けと言われている。
結局の所、原因は解らない。しかして魔族と人間は互いの存亡をかけて争い、そして互いに傷ついた。互いが互いを悪と決めつけている。交流などできようはずもない。
しかし、本当にこのままで良いのか。そういった声があるのも事実だ。
魔族一人一人の戦力は強大だ。しかし数は少ない。一方、人間一人の力は実に弱い。だが途方もなく数が多く、組織としての力は侮れない。おそらく、このまま何千年と争っても勝敗はつかないだろう。ならば、いっそ手を組むべきだという声は双方の中にある。
「交流をしようというのか。魔族と、人間で」
聖女は静かに頷く。赤髪の魔王は席に座り直し、考え込むように腕を組む。
「……ありえんな。貴様の狙いは解っているぞ、聖女よ。魔界の大地に眠る豊富な鉱物資源であろう」
「無論、ただとは言わんよ。人類が連綿と築き上げてきた様々な技術、そして肥沃な大地。どちらも魔族としては必要なものであろう」
ふ、と嘲るように魔王様が口角を上げる。
「使い古しの時代遅れな技術と、管理しきれぬ手付かずの土地か? そんなもので誇り高き魔族が尻尾を振ると思うたか。なめるな聖女よ」
微笑を湛えたまま、ぐ、と聖女が顎を引く。
「人間界の情報収集はかかしておらぬ。今まで様々な都市に出向いたが、どこも閑散として酷い有様だったな。華やかのは王都だけよ。素直に言ったらどうだ、果てのない同族争いで困窮しておるのだろう? 鉄や銅が足りぬのだろう。石炭や瀝青が喉から手が出るほど欲しいのであろう。ならば人間は我々に何を差し出せる。言っておくが、いつでも奪える代物などに興味はないぞ」
聖女は静かに目を伏せた。まだ相当に熱いはずのコーヒーカップを、まるでそうしないと凍えてしまうというかのようにしっかと掌で包んでいる。
終わったな、と人狼が低く唸る。
人魔大戦を終えて三百年。魔族は平和のうちに過ごしてきたが、人類はそうではない。戦後復興に伴う権力闘争があちこちで勃発し、三百年の時を経た現在でも様々に姿形を変えて継続している。
もう限界なのだ。人類の仇敵である魔族を頼らざるを得ないほどに。何も差し出せるものなど残されてはいないだろう。
かすかに唇を震わせながら魔王様が細く息を吐く。やはり相当に緊張をしていたようだ。
話は終わった、と魔王様はコーヒーもどきを口元に近づける。
「……未来だ」
不意に、聖女の口からそんな言葉が零れ落ちる。
「未来? なんだ突然」
訝しげに眉を顰める魔王様。聖女の顔からは笑みが消え、その瞳には強い覚悟の光が灯っていた。
「戦後三百年、人類は進化を続けてきた。知識を蓄え、技術を磨き、種族としての力を増し続けている。だが魔族はどうだ? 魔族は戦後三百年で何を成した。ただ平和を享受し、魔王の言うことに唯々諾々と従い、少しも個としての意思がない。まるで生きるためだけに生きているようだ。夢見る化石となんら変わらぬ」
かちゃりと音を立てて、魔王様がカップを戻す。その表情には明らかな嫌悪と殺気が込められていた。
「よう言うわ人間。戦火は英雄を生み、平和の水は凡夫を育む、か? 確かにその通りだろうよ。しかし、英雄は何を生み出す? それは新たな争いだ。交流? 冗談ではない。人間の欲深さはよく知っておる。餌を一口でも与えれば、もっと、もっとと魔族を食らいつくそうとするに決まっておる」
「魔王よ、貴方は人間を知らな過ぎる。人間は学ぶことを知っている。三百年前の過ちを再び繰り返しはしない」
呆れた、と言うかのように魔王様がゆっくりと首を振る。
「学ぶだと? ならばなぜ未だに争いが収まらぬ。仮に同じ過ちを繰り返さぬとしても、また別の過ちを犯すだけだ。かくも人間の業は深い。勝手に同族で争って滅ぶがよい」
「その保守的な考えが魔族を腐らせるのだ。魔王よ、本当は気が付いているのだろう」
赤髪の魔王様は何も言わず、ただ聖女の蒼い瞳を見つめている。
「魔王として、魔族の主としてその進化を、成長を望まぬはずはない。リスクが無いとは言わないが、しかし得られるものは確かにあるはずだ」
まるで空気に鉄が流し込まれたかのようだった。赤髪の魔王と、蒼い瞳の聖女は小動もせずに互いを睨み合っている。
一際強く風が吹いた。
窓枠はガタガタと揺れ、穏やかな陽光が差し込むガラスの向こうでざぁ、と木立が歌う。その音で、やっと人狼は自らが呼吸も忘れていたことに気が付き、大きく息をついた。
「……くっ。く、ふふふ。あはははは! 」
それはどちらの声だったろうか。いや、どちらとも、か。
突然湧き出た笑い声は絡み合って立ち上り、やがて大きなうねりとなって小さな喫茶店の中に満ちる。
肩を震わせて笑いあう魔王と聖女。黒毛の人狼はただ戸惑うしかなかった。
「き、緊張しすぎじゃ聖女よ。くふふふ。心臓の音が耳元で聞こえるようだったわ」
「魔王こそ膝が笑っておるではないか。あまりに揺れるので最初は地震かと思うほどであったぞ」
腹に手を当て、目端を光らせながら二人が笑い合う。つい先ほどまでの身を切るような空気がまるで嘘のようだ。
「まったく、茶飲み話でして良い話題ではないわ。意外と面白いやつではないか、聖女よ」
「本当に大切なことは、往々にしてこのような場所で決まるものだ。して、どうだ魔王よ」
そうさな、と赤髪の魔王様は居住まいを正す。
「夢見る化石とまで言われてはの。乗るしかなかろうて」
「おい、正気か!?」
思わずといった様子で、黒毛の人狼の口からそんな声が飛び出した。
「主様よ、いつかわしは言ったな? 平穏は害であると。平和は確かに尊い、しかしそれは優しい毒に過ぎぬ。人魔大戦が終結してからの三百年、魔族が新しく始めた事と言えば、主様のこの喫茶店とわしのアルバイトくらいじゃ」
しかし、という人狼の言葉を魔王様は首を振って制する。
「わしは、この店と主様のコーヒーがあればそれで構わぬ。魔族などどうでも良い。しかし、だ。このままでは、魔族の誇りは安寧のうちに壊死するであろう」
「……それがお前の答か」
赤髪を陽光に透かして、魔王様がにっ、と牙をむく。
「安心せい主様よ。わしは魔王ぞ?」
黒毛の人狼と赤髪の魔王。ちくはぐな二人の間に、ふわりとコーヒーの香りが舞う。
「あーやばい。超不安だわー」
「台無しじゃ! そこは微笑んでわしに全てを委ねる場面じゃろうが!?」
いつものようにかしましい二人。その様子を見て聖女がくすくすと肩を揺らす。
「絶対王政の魔族とは思えぬ、微笑ましい光景だな」
あまりにも率直な意見に、気恥ずかしくなった二人は半目で互いを睨みあう。
「そうじゃ聖女よ。なぜわしが魔王と解ったのだ」
す、と聖女が細くしなやかな指を人狼に向ける。
「そこの人狼が着ていた燕尾服の襟元に、魔族王家を示す紋章を刻んだピンが付いていたろう。初めは使いの使用人かとも思ったが、魔王は赤髪の少女の姿をしていると聞いていたものでな。カマをかけてみた」
「……まんまと乗せられたと言うわけか」
「私だって驚いたのだぞ? 慌てて城に帰るので精いっぱいだった。まかり間違って事を構えてしまえば、王都が炭になる」
予想外の遭遇だったのはお互い様だった、というわけである。まったく、どちらも強情で強がりな性格であるようだ。根っこの所では似た者同士なんじゃないか? と人狼は思った。
「ともあれ、いきなり互いの世を混ぜこぜにする訳にはいかぬよな」
「それはその通りだ。民が混乱するであろうよ。少しずつ進めていこう。一歩ずつ、互いの三百年を埋めていこうではないか」
「こうやって、魔族と人間が同じテーブルでコーヒーを傾け合うような関係を目指そう……というわけだな」
「そうだ。ここから始めよう。この、小さな喫茶店から」
変われば変わるものである。赤髪の魔王と蒼い瞳の聖女は今や姉妹のように笑いあっている。
人間と魔族の世を分かつ大樹海。その只中にある小さな喫茶店。
ここから始まる。人間と魔族が一つのテーブルで、同じコーヒーの香りに包まれて笑い合う世界を目指す物語が。
「って、ちょっとまて。店主であるこの俺を差し置いて何勝手に決めてんの? 俺の意見は――」
「「聞かぬ」」
「……ですよねー」
おそらく、初めて人間と魔族の発言が重なった瞬間であった。
「さて、折角のめでたい席でコーヒーだけというのも華やかさに欠けるな。しばし待たれよ」
そういうと聖女が店を出ていき、そしてすぐに戻って来た。その腕には、見慣れぬ白い箱のようなものが抱え込まれていた。どのような材質なのか、表面が艶めいているのが解る。
「よっ……と」
聖女がその白い箱をテーブルに置く。
「なんじゃそれは。巨大な角砂糖にしか見えぬな」
「これは〝保存〟の魔法を込めた魔具、保存庫だ。魔族も通信の魔法を込めた魔具を使っておるだろう」
「ああ、あれじゃな」
そう言って魔王様が人の顔のように見えるデザインの電話機を見遣る。
「……その、なんだ。凄いデザインだな」
「俺は嫌だって言ったんだぞ?」
「なんじゃ二人して! とってもラブリーではないか!」
頬を膨らまして魔王様が抗議する。
……ラブリー……?
「ま、まぁよい。魔王よ、取っ手を引いて扉を開けてみよ。きっと喜んでもらえると思うぞ」
さぁ、と聖女に促されて魔王様が恐る恐る扉を開く。薄く開いた隙間から中身を覗き込むと目を見開き、弾かれたように扉を開け放った。
「お……おぉ!? これは!」
保存庫の中に収められていたのは、ショートケーキを初めとする様々なケーキだった。
白い雪を思わせるショートケーキ、王冠のミニチュアのような小さなシャルロット、黄色の鮮やかなモンブラン、薄焼きのクレープと生クリームを丁寧に重ね合わせたミルクレープ、艶めくフォンダンでコーティングされたザッハトルテ。
ケーキを口にしたことのない人狼にも解る。どれをとっても一流の代物だ。
「凄いぞ主様! まるで宝石箱の様じゃ!」
興奮して声を上げる魔王様。まるで子供ようなはしゃぎようであった。
「見てばかりではなく、手に取ってみよ」
赤髪の魔王様は言われるままにケーキに手を伸ばす。そして赤子を抱くような慎重な手つきで保存庫からショートケーキを取り出した。
「おぉ、フワッフワじゃ……。それに、ほんのり冷たいのぅ」
感動に身を震わせる魔王様を見て、聖女が満足そうに頷く。
「これが人間の技術力だ。どうだ、良いものだろう」
「んむ。聖女よ、人間とは素晴らしいな!」
「あっさり懐柔されてんじゃねぇ!」
ころりと意見を変える頼りない魔王様に人狼が突っ込みを入れる。
「のう聖女よ、た、食べても良いのか?」
「うむ、好きなものを好きなように食すと良い」
笑顔を弾けさせて魔王様が飛び跳ねる。これほど嬉しそうな顔の魔王様を見るのは初めてだ、と人狼は思った。
「おい聖女。あんまりうちの従業員を餌付けしないでくれるかな」
「なに、これはただの土産だ。他意はないよ。店主殿もおひとつどうだ?」
黒毛の人狼は宝物を見るような眼でケーキを物色する魔王様を見遣る。
「……いや、遠慮しておく。拗ねられたら面倒だからな」
さようか、と聖女は苦笑いを浮かべて肩を竦める。
ふと、魔王様が「むぅ?」と首を捻り、くるりと聖女に向き直った。
「のぅ聖女よ。ロングケーキはどれかえ?」
きょとん、と聖女が呆けた表情を見せる。やがて、くつくつと笑いだした。
「魔王よ。ロングケーキなんてものは存在せぬぞ」
「な……。な、なんとー!?」
ここは人と魔族の世界の間。
深い樹海の只中にひっそりと構える人狼と魔王の喫茶店は、今日も街道にコーヒーの香りを流し続ける。
ひとまず、このお話はここまでです。また機会があれば続きを書かせて頂きたいと考えております。
このお話を書かせて頂いて、やっぱキャラって大切だなと思いました。とても書きやすかったです。勝手に魔王様が喋る喋る。予定よりずっと長くなってしまいました。次があれば、もっとサラッと読めるような作品にしたい所です。