営業日誌別冊・前篇 「ケーキを作ろう」
「主様よ。ケーキじゃ」
元気よく蒸気を噴き上げるヤカンの向こう側で、赤髪の不良ウェイトレスが突然そんな事を言い出す。
「けぇき? けぇきって、人間が食べる菓子のあのケーキか?」
「主様は阿呆か。ケーキと言えばそうに決まっておろう」
まぁ、こんな場所で〝ケーキ〟といえば、そりゃそうだよなぁ。と小さくも手入れが行き届いたとある喫茶店の主人である黒毛の人狼は、長い鼻頭を指の腹で撫でる。
「で? ケーキがどうした。そんな上等なものはウチにはねぇぞ」
「無いから問題なのであろう。主様は本当に阿呆じゃのう」
何度も阿呆と言われては流石に面白くない。しかしまともに相手にするのも大人げないような気がしたので、努めて冷静に言葉を返す。
「一体何が問題だというんだ」
黒毛の人狼がそういうと、赤髪の不良ウェイトレスが店内を見回す。
「お客、いないじゃろう?」
「あぁ、居ないな」
「主様は本当に商売をする気があるのか!?」
黒毛の人狼がその逞しい肩を竦める。
「どこかの魔王様が人避けの魔術を使わなければ、すぐに客でいっぱいになるさ」
「何をいう。二日にいっぺん程度しか使っておらぬぞ?」
「結構な頻度じゃねぇか! ふざけんなよ!?」
閑古鳥が鳴く店内に、人狼の悲痛な叫び声が響く。
戸惑いと驚きを隠せない店主に向かって、不良ウェイトレスはいつものように〝まぁまぁ〟となだめるように手のひらを向ける。
「それはともかくとしてもじゃ、主様よ。ウチにお客が来ないのはなぜじゃと思う?」
ふむ、と美しい黒毛の生えそろった、逞しい腕を組んで人狼が唸る。
「お前の接客態度が悪いからだろう」
「貴重な常連に変なあだ名をつける主様には言われたくないわ!」
お客からの注文に「この魔王に向かって命令とは、大した度胸じゃのう?」と脅しをかける従業員。数少ない常連に対して〝筋肉男爵〟などと言うあだ名をつける、性格お察しな主人。
つまり、どっちもどっちである。
「はぁ。まったく主様には困ったものじゃ。どれ、わしが正解を教えてつかわそう。ズバリ、メニューの数じゃ」
「メニュー、ねぇ」
人間と魔族の住む世界を分かつ大樹海。
その真ん中を貫く街道の只中にひっそりと佇む小さな喫茶店には、メニューが二つしかない。
コーヒーと、アイスコーヒー。これだけである。
もちろん客から乞われれば作れる範囲でリクエストには答える。カフェオレもエスプレッソもできるし、紅茶だって用意がある。
しかし、食事メニューは一つもなかった。
「わしは胸を痛めておった。わしの愛するこの店になぜこうもお客が来ないのかと。そして考えに考えた結果、甘―い〝すいーつ〟が足りないのじゃと気が付いた」
ワザとらしく胸に手を当てて、くるくると踊るように赤髪を揺らしながら回る不良魔王様に、人狼がため息交じりに言葉を向ける。
「本音は?」
「店が繁盛せんと、わしの懐事情がお寒いままじゃ」
「それと?」
「ケーキとやらを食べてみたい!」
「そんなこったろうと思ってたよ!」
しかし、この不良ウェイトレスのいう事にも一理ある。
飲食店たるもの、お客が居なければ成り立たない。このひっそりとした雰囲気も捨てがたいが、やはりそれでは商売にならない。
「しかしなぁ、ケーキったって作り方も解らねぇし……」
「それなら心配無用じゃ。ほれ」
艶めくカウンターの上に一冊の本がとさり、と置かれる。
「これは、レシピ本か……」
爪で裂いてしまわないように気を付けながら、ページを捲っていく。
「ふむ。読めん」
「ではなぜ開いたのじゃ!?」
高次元の阿呆じゃのう、という言葉を聞き流しながら不良ウェイトレスに本を突き返す。
「じゃあお前は読めるのかよ」
「当然じゃ。わしは八十二万の魔軍を従える魔王じゃぞ? あらゆる言語に通じていなくてどうする」
「今はただのウェイトレスだけどな」
「だから〝ただの〟と言うなと言っておろう!?」
目端に涙を貯めて抗議する魔王様を無視して、人狼の店主がコーヒーを二杯用意する。
いや、訂正しよう。一杯のコーヒーと、白くざらついた何か、を用意した。
「わぁい♪」
つい先ほどまで不機嫌顔をしていたのに、お気に入りのコーヒーもどき一つでころりと表情を変えてしまう。まったく、喜怒哀楽の激しい魔王様である。
魔族を束ねる魔王様がこんな小さな喫茶店でこのような事をしていられるのも、世界が平和だからに他ならない。ビバ平和。
「ケーキと言っても、色々な種類があるぞ。何を作る気なんだ」
「それはもちろん、ほれ。これじゃ」
細く美しい指が、とあるレシピを指し示す。比較的単純な単語だ。これなら人類言語に疎い人狼にも辛うじて読める。
「ショート……ケーキ? か」
「そうじゃ!」
赤髪の魔王が宝石のような瞳を輝かせる。
「やはりケーキと言えばこれじゃろう! ショートケーキ! 新雪のように白く美しい生クリームに真っ赤なイチゴ。フワフワでほんのりとした甘さのスポンジ……。あぁ、想像しただけで夢のようじゃ」
まるで夢見る少女のようにうっとりする魔軍八十二万を率いる大総帥、魔王。そんなに美味いもんかね、と人狼がため息をつく。
「トリップしているところ悪いが、無理だぞ」
「な、なぜじゃ主様! まさか作ってくれぬと申すか!?」
この世の終わりを告げられたような表情をする魔王様。作りたいのはやまやまだがな、と黒毛人狼の店主が呻く。
「道具はパンツ伯爵辺りに言えば何とかなるだろうが、材料がどうしようもない。ミルクと卵は筋肉男爵の農場で手に入るが、イチゴやバターがなぁ。あれは人間にしか作れない」
人間の住まう地域と魔族の住む世界では、まるで気候が違う。ゆえに育つ植物も大きく異なる。
動物はある程度適応するので、量は少ないながらもミルクや卵は手に入る。しかしイチゴに関しては人間界から仕入れるほかない。
またバターを作る技術を魔族は持ち合わせていなかったため、これも人間界から仕入れをするほかなかった。
「ふぅむ、あとは小麦もそうじゃな。少し湿気るとすぐに虫が湧きおる。人間の扱う〝保存〟の魔術があれば簡単な話じゃろうが」
人間と魔族では、得意とする魔法にも大きな違いがある。
人間は保存や回復、活性の魔法を得意とするのに対し、魔族は破壊や通信と言った、戦闘に特化した魔法を得意としていた。特に〝あるがままに保つ〟保存の魔法に関しては、人間の真似事すらできないほどであった。
「まぁそういうわけだ、残念だが諦めるんだな。しかしメニューの件は俺もうかつだった。卵料理の練習でもしてみるかなぁ……」
話は終わりとばかりに、香ばしいコーヒーを一口すする。
だが、赤髪の不良魔王様は落胆するどころか、その瞳をぎろりと輝かせた。
「ふっふふふふ。主様は甘いのぅ。このわしがその程度、考えていなかったと思うのかえ?」
「……嫌な予感しかしねぇが、言ってみろ」
よかろう! と魔王様が威張るように胸をそらす。
「人間どもの王都。その近くにあるストラ砦の中に、先代様がこしらえたゲートがある。そこからワイバーンの背に乗って行けば、一刻ほどで辿り着けよう」
「んなっ!? 大戦時代の強襲用ゲートがまだ生きてるってのか」
「んむ。わしが復活させた」
「何してんのお前っ!? 思いっきり協定違反だぞ!?」
しかし魔王様は意にも介さず、からからと笑うだけだ。
「まぁ良いではないか。何も悪しきことに使おうというのではないのだから」
それはそうだが、と。しかし黒毛の人狼は不安に顔を顰める。
「さて、本題はここからじゃ。主様よ」
「……なんだ。コーヒー代ならきちんと頂くぞ」
「なんじゃと! あの流れでサービスじゃないじゃと!? ってそうじゃなくてじゃな」
悪戯に成功した子供のような、未知の世界に足を踏み入れる冒険者のような。期待と興奮ではち切れそうな笑顔で赤髪の不良ウェイトレス兼魔王様が言い放つ。
「主様よ。わしとショッピングじゃ!」
ぐっ、と黒毛の人狼は顎を引く。人間界でお買い物、だと? 冗談じゃない。冗談ではない、が……。
「はぁ。わーったよ。どうせ俺に拒否権は無ぇんだろ?」
牙の間からため息を漏らしながらそう言うと、今度こそ魔王様は子供のようにはしゃぎ、飛び跳ねた。
「ところで主様よ。ショートケーキがあるなら、ロングケーキもあるのかえ?」
「俺に聞くなよ。まぁあるんじゃねぇの? ってあれ。ショートケーキって丸いよな……」
「じゃろう? 一体何がショートなんじゃろうなぁ……」




