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篠宮ライフ



 人付き合いっていうのは本当に疲れる。

 だって機嫌を損ねたら面倒くさいし。

 でも、機嫌を損ねないために気を遣うのも面倒くさい。

 つまり人付き合いというものは面倒くさいし、疲れるのだ。

 それでも、

 そんな私でも、いつかは一緒にいたいと思える人が現れるらしい。

 ふむ、心当たりがないわけでもない。

 割と一緒にいるし、あいつといるときは疲れを感じない。

 それに、一緒にいたいなって思わないこともないわけだし……。

 気がつくと足はあいつがいるであろう方向に向かっている。

 気がつくと私のすかすかの頭はあいつがいたらいいな、なんて期待している。

 気がつくと気を許している。

 別に、好きとかそんなんじゃない。

 ただ――。

 ただ、あいつも。

 私といると落ち着く、くらい思ってくれてたら良いなとは思う。かもしんない。






   ふっけっけー。



 二年生になった。

 始業式はとりあえずサボって、その翌日、つまり今日はちゃんと登校した。

 いやー、二年生になっちゃいましたよー。

 まさかこの私が二年生になれるとは思いませんでした。

「ふっふっふ」

 お母さんもビックリしてたぜ! まあ一番ビックリしたのは私自身だけど。だって二学期が終わった時点で赤点が三つあったんですもの。春休みも登校した甲斐があったってもんだぜ!

「誰かいませんかー?」

 なにを思ったのか私は人を捜して声をあげていた。いや、本当に何してんだ私。

 誰もいないはずの入り口に私の声が響く。周りにある下駄箱に声が反響するだけで、もちろん誰からの返事もないわけだけど。いやだって今授業中だもん。もしこの時間にこんな所にいたらこの篠宮さんが怒っちゃうぞー。こらーって。

「……こんなことして先生に見つかったらどうするんだろう」

 確実にお叱りを受けるだろうなぁと思って、自分の行為にたははーと苦笑いをして自分の下駄箱を開く。

「…………」

 もちろんラブレターなんて入ってなかった。別に期待してたとかそんなんじゃなくて、たまにはそういうイベント的なものがあっても良いんじゃないかと思うだけだ。

 ラブレターなんてあっても困るけど。

 なんとなく鼻歌を歌ってみる。何の歌でどんな歌詞か忘れたけど、メロディーだけは耳に残っていた。

「ふんふんふふーん♪」

 私の鼻歌が廊下にむなしく響く。

 でも、そんなことお構いなしに鼻歌を歌ったまま廊下を進む。

 しばらく中庭を眺めながら真っ直ぐ進んだ後、左に曲がって階段を登る。ぺったんぺったんと私の上靴が独特の音を鳴らしながら地面を蹴る。……別に私はぺったんこじゃない。ただ標準より小さめなだけだ。

 どうでもいい(いや、私にとっては死活問題なんだけど)ことを考えながら階段を登り続け、途中で私の所属する二年B組がある三階にたどり着いたけど教室に向かうことなくそのまま階段を登り続ける。

 最初から教室に向かう気はなかった。

 だって私フリョーだし。

 フリョーは何をしても怒られないのだー。フリョーってなんて便利。

 この校舎の最上階である四階までたどり着いた。四階は三年生の教室が集まっている。二年生がこの階に来る事はあんまりないけど私たちは違った。

 四階じゃない、このさらに上に用があるのだ。

 そう言うと屋上に行くみたいに聞こえるけど、広島の高校はほとんどの学校が屋上を閉鎖している。東京はどうなのか知らないけど。

 だから私は屋上に行くわけじゃない。屋上に続く扉の前に用がある。四階の階段の前は使わなくなった机や椅子でバリケードが作られてあって、人が立ち入ることはまずない。つまり、サボるには絶好の場所だったりする。

「んしょっと」

 ちょうど人が一人通れる隙間を見つけ、地面を這いながら進む。

「むぅ……」

 これ、きっとパンツとか見えてるよね。そう思うと頬が熱くなる。まあ、その、一応おんにゃのこだし。

「誰もいないだろうけどっと……」

 この恥じらいを忘れてしまったら女としての人生は終了したといっても良いと思う。まだオンナノコ人生まっしぐらだから大切にしよう、うん。

 小柄な私はこの隙間を簡単に通り抜けることが出来る。他とは違って、この通り道だけほこりがまったく溜まっていない。人がよく通っている証拠だ。

 隙間を通り抜けた私は立ち上がって膝についた汚れをはらう。この動作にも随分と手馴れたものだ。もはや達人といっても良い。やっぱり呼ばないで欲しい。なんかやだ。

 ぺったんぺったん靴を鳴らしながら階段を登る。いや、だから私はぺったんこじゃなくて標準より少し、ほんの少しだけちいさ以下略。きっとそうなのだと信じたい。いや、信じたいとかじゃなくて現実だし(現実逃避)。

 ようやく目的地に着く。そこは屋上に続く扉がある踊り場だ。個室的なつくりになっているのでけっこー広い。西側に面した窓から暖かい朝日が差し込んでいる。

「……ねてる?」

 その朝日を浴びながら男の子が一人、マットの上で安らかに寝息をたてていた。

 サボり仲間のひかげだ。苗字も、ひかげという漢字をどう書くのかも分からない。一年間近くも一緒にサボり続けたのに薄情だなぁとは思うけど、きっとひかげも私の名前を知らないだろうからお互い様だ。別に興味がないわけじゃなくて、なんとなく聞くタイミングを逃しているだけ。

「……ひかげ?」

 春といってもまだ寒い。風邪を引いたりしないだろうか。

 私はひかげの寝ているマットの端っこに腰を降ろした。

「……ひまだなぁ」

 なんとなく寂しくなったので、ポケットから携帯を取り出してぽちぽち操作する。私の携帯は世の流れに真っ向から立ち向かって、まだ日本独特の携帯だ。ガラパゴス携帯、通称ガラケー。独自の進化を遂げたからガラパゴス携帯と呼ばれているらしい。褒めているのかけなしているのかよく分からない。

「……むぅ」

 私の携帯にはあまりメールとか電話はかかってこない。つまりやる事がない。やる事がないのに携帯を弄ってしまうところが現代っ子と言われる所以かもしれない。そんな私とは違って、ひかげが携帯を弄っているところなんて数えるほどしか見たことない。

「……ひま」

 結局すぐに携帯をポケットに収める。

 隣ではひかげが気持ちよさそうに眠っている。ほっぺをつんつんつついてみるけど一向に起きる気配はない。

 どうしようかなーと悩んでいると、マットの上にちょうど私が入れるくらいの隙間があるのを見つけた。

「……私も寝よ」

 女の子がこんな所で、しかも年頃の男の子の隣で寝るのは無用心かもしれないけど、まぁひかげならいいやと思って寄り添うように寝転ぶ。

「……ひかげはそんなことしないよね」

 それくらいにはひかげのことを信用してるんだなぁとまるで他人事のように思った。私はそういうことが多い。自分のことなのにまるで他人事のようにどうでもよく感じるときがある。良いのか悪いのかは置いといて。

 今だってそうだ。相手がひかげなら、襲われたら襲われたでどうにかすれば良いと思ってる私もいるし、そんなことしないと信じている私もいる。どっちを望んでいるかなんて考える必要もないけど。

 別に貞操観念がないわけじゃない。いちおう、その……未経験だし。ひかげならって思うだけ。他の人はやだ。絶対やだ。

「…………」

 目の前にひかげの顔がある。

 女の子みたいに綺麗な肌。眠っていてもわかるほど整った顔立ち。男の子にしては細すぎる華奢な体。

 モテるんだろうなぁと思う。何回か聞いたことはあるけど、いつもはぐらかされてしまう。ひかげはあんまり自分のことを話そうとしない。

 私もあんまり自分のことは話さないけど。

 そんな距離感が心地良いはずなのに、私はひかげに特別な人だと思って欲しいって思ってる。かもしれない。

 乙女心ってムズカシー。

「……ね」

 ひかげの制服を少しだけ摘んで、起こさないように小さな声で話しかける。

「ひかげにとって、私ってどんな存在?」

 逆もまた然り。

 私にとってひかげはどんな存在なんだろう。

 自問自答。自問自答の意味は自分で質問して自分で答えることらしい。だから答えを探す。探していたら眠気が襲ってくると思って。

「…………」

 考える事数十秒。

 予想通り眠気が私を襲ってきた。

 意識が暗闇に飲み込まれる直前、私の中でひとつの答えが生まれた。

『わかんないや』

 それもまたひとつの答えなんじゃないかなぁって思う。私だったらこの答えに百点満点をつけてあげたい。

 ……他の人だったら赤点だろうけど。

 そんなところも私の魅力のひとつなのだ。と信じたい。



 ひかげに初めて会ったのは一年生の五月だった。

 持病の五月病が症状を表し始めたのでなんとなく今日の授業はサボろうと思ったのだ。高校は少しだけ頑張ろうとか思ってたわりに早い挫折だった。

 だって授業が難しいんだもーん。

 もし私が男の子だったら『やってられるかっ!』とか言って教師に殴りかかっていたかもしれない。ゆとり世代って怖いね。

 サボる場所を探してなんとなく四階まで上がって階段を封鎖しているバリケードを見つけた。中学校は一応立ち入り禁止になってたけど屋上が開いていたので、屋上に行ってみようと思ったからだ。

「がびょーん」

 封鎖されてるじゃん。

 私はその場に崩れ落ちそうになるのを堪えて(←ごめん嘘)踵を返そうとしたとき、人が一人だけ入れそうな穴を見つけたのだ。

「おややぁ?」

 周りは綺麗に整頓されているのにそこだけ穴が開いているから異常に目立つ。それにその、……携帯が落ちていた。

 広島の公立高校は全ての学校で携帯の持込を禁止している。その携帯を落とすなんてもはや自殺行為といっても良いだろう。もし先生に見つかったらどうするんだ。

 優しい私はその携帯(時代の先端を行くスマートフォンでした)を優しく拾い上げ、なんとなく電源を入れた。

「……わーお」

 なんとロックがかかってなかった。中身見放題じゃないか。それで良いのかこの携帯くんの持ち主さん。

 流石に中身を見るのは忍びないので、その携帯の電源を切ってポケットに入れた。

「……ふむ」

 行ってみよう。

 なんとなくそう決めた。

 私の行動理念はいつもなんとなくだ。つまり、自分の気分で行動を決める。行きたくなかったら行かないし、行きたかったらなにが何でも行くのだ。こういう行き方はラクで良い。人にあわせるのが苦手な私には、そういう生き方がちょうど良い。

 私は地面に膝を着き、その穴に潜った。背負っていた鞄が引っ掛かってしまいそうなので、鞄だけ先に出口に押し込んだ。

「…………」

 通り抜けた後に立ち上がって膝についた汚れをはらって一呼吸。

 案外簡単に通ることが出来てしまったぜ……。こんな所で自分の身体的コンプレックスをひしひしと感じてしまうとは……。やんなっちゃうぜ! とりあえずポケットに入っている知らない人の携帯を地面にたたきつけた。

 カシャッとかバキッとか音をたてた気がするけど気にしない。

 そして叩きつけた携帯を拾って汚れをはらう。とりあえず画面にヒビとかないから大丈夫だろう。きっと。

「うーむ」

 一応電源のスイッチを押してみる。

 ……あ、ついた。ならきっと大丈夫だ。もし壊れていたらしらを切ろう。そう決めた。

 鞄を背負って、どうやってしらを切ろうかなぁとか考えながら、バリケードの後ろに隠れていた階段を登る。抜け道とは違って、ここの階段は随分とほこりを被っている。手すりを掴んだ手にほこりが引っ付いてなんとなくテンションが下がった。私は意外と綺麗好きなのだ。

 ……こんな事をしてまで私は誰に会いに行ってるんだろう。

 人付き合いが苦手とか自称してるくせに人に会いに行くなんておかしい。とは思うけどもう私の中で会いに行くと決まってしまったからには会いに行くのだ。決めた事は最後までやる。これって長所じゃない?

 ふと、階段をゆっくりと登っていた私の足が止まる。

 着いた。

 六畳くらいのけっこー広いスペースにそいつはいた。

 どこから持ってきたのか、体育倉庫とかにあるマットを横に二枚、縦に五枚くらい重ねた簡易ベットの上で寝ている男の子が一人。

 開いた窓か心地よい風が吹き、その窓から差し込む光が暖かく心地よい。なるほど、これは一人だと寝ちゃうだろうなと思った。

 でも今は違う。せっかくここまで来たのだ。せめて話くらいして帰りたい。

「ねぇ」

 簡易ベットの側に座り込む。鞄を床に置いて男の子の肩を掴んで軽くゆすった。

 五秒くらいゆすってみたけど起きる気配がない。

「むぅ」

 どうしよう。起きないよこの人。

「ふわぁ……」

 無意識にあくびを零す。なんだかこの人が気持ちよさそうに寝てるから私も眠くなってしまった。

 いつしか、私の意識は夢の彼方へと飛び立っていった。



 チャイムの音が聞こえる。

 頭の上に何かの感触を感じる。

 手……かな。

 私の頭を撫でている。

 ゆっくり、優しく撫でてくれる手が気持ちよくって――。

「マ……」

「あ、起きた?」

 頭の上から声をかけられる。

 ……え、声?

 意識が少しだけ覚醒した私は顔をばっと上げた。

「うわっ」

 私が急に頭を上げたことに驚いて、私の頭を撫でていた手が素っ頓狂な声と一緒に離れてしまった。……べ、別に残念なわけじゃないから!

 目が合った。

「へ!?」

 私は起き上がって反対側の壁まで後退する。状況が把握できない。何で私こんな所で寝てるんだっけ。

「あ……寝ちゃったんだっけ」

 うわー。まさか男の子の隣で寝ちゃうなんて! 私としたことが!

 私は熱くなった顔を隠すために腕で覆う。

「はっ!」

 も、もしかして、その……えっちぃことされてないよね!? 私は器用に顔を隠しながら服が乱れていないか確認した後に、目の前にいる男の子を睨みつけた。

「……別に何もやってないから」

 男の子は苦笑いを浮かべて右手をひらひらと振る。まるでそんなことに興味がないって言っているみたいだ。……それはそれで悔しい。

「……私の体じゃ興奮しないってこと」

 少し言い方がぶっきらぼうになってしまった。

「そういうわけじゃないよ」

 男の子は目を伏せてそう言った。なんとなくその仕草が大人っぽくてドキリとした。

「む……」

「なにかな」

 よく見たら意外と整った顔立ちをしてらっしゃる。少し長めの黒髪に、女の子の様に白い肌。線も細く、いわゆる美少年というやつだろう。

「……おはよう」

 美少年ですねなんて言えるわけもないので、無難に挨拶をした。

「もうお昼だけどね」

 そう言って男の子は左手に嵌めている腕時計を私に見せた。一本のチェーンを何重にも巻いたようなデザイン。なんとなく意外だった。

 その時計は十一時四十七分を示している。さっき聞いた予鈴はきっと三時間目の授業の終わりを告げるものだ。

 三時間目は何だったかな。とか、どうでも良いことが一瞬頭の中をめぐった。

「えっとぉ……」

 何を話したものか。私からここに来たんだからな何か話題を振らないといけないと思っていると、男の子の方から話しかけてきた。

「なんでこんな所で寝てたの?」

 それはこっちのセリフだ。なんであんたもこんな所で寝てたのか。だが、質問に質問で返すのはよくないとママりんに教えられていたので答えてあげることにした。

「なんとなく」

「そうなんだ」

 何かしらの追及が来ると思っていたので拍子抜けした。

「こんな理由で良いの?」

 私は質問に答えてあげたので質問を返した。

「いいんじゃない?」

 男の子は私の質問にどうでもよさそうに答える。

 随分と適当な人のようだ。

「何でここで寝てたの?」

 私はさらに質問をすることにした。

「ふっけっけー」

「ふ、け、け……?」

 何だそれは。新種の生き物か何かだろうか。私的には、それは環境の破壊を止める事が出来る不思議物質という線も捨て切れないと思う。

「ふける、つまりサボりだよ」

「……なるほど」

 それならそうと早く言ってほしい。地球を救う物質が出来たのだからエコなんてしなくて良いと思ってしまったじゃないか。

 そのことを伝えると男の子は、

「それは悪かった」

 と肩をすくめて言った。

「……名前聞いて良い?」

「僕の名前?」

「うん」

 なんとなく名前が聞きたくなった。それだけ。

「うーん、そうだな。ひかげだよ」

 少し考えるそぶりを見せて男の子はそう言った。いや、何で考えるの? もしかしたら偽名かもしれない。

「ひかげってなんか嫌じゃない?」

「なんで?」

「だってひかげだよ?」

 日陰者なんて言葉があるからか、私はひかげと言う言葉に良いイメージを持つことは出来なかった。ちょっとだけ失礼だったかもしれない。

「んー、そっちのひかげじゃないから」

「どゆこと?」

「ま、自分で考えなさいな」

 はっはっはとひかげが笑う。そっちのひかげじゃないってどういうことだろうか。あとなんかその態度むかつく。

「そっちは?」

 そう言ってひかげが私を指差す。

「人を指差しちゃいけないって先生に教えてもらわなかった?」

「……こいつは失礼」

 私に指摘されてひかげが指を引っ込める。素直でよろしいと思います。でも、人差指と名前が付けられてるんだから別に良いと思わない?

「私は……篠宮」

 少し考えた末、苗字だけ名乗る事にした。ママりんとパパりんから頂戴した名前はあんまり好きじゃないのだ。理由は割愛。

「……篠宮さんか」

「別に篠宮で良いよ」

「じゃあ僕はひかげ様で良いよ」

「なにそれ」

「冗談」

 はっはっはーと二人で乾いた笑いを浮かべる。なんともまぁ心のこもっていない笑い声だった。

 もう一度予鈴が鳴る。今度は四時間目の始まりを告げる予鈴だろう。

 なんとなく予鈴が鳴り終わるまで待った後、意を決してひかげが座っているすぐ横に腰を下ろした。

「サボちゃっていいの?」

 すぐ隣からひかげの声が聞こえる。何でこんな近くに座ってしまったんだろうと少しどころではないほど後悔した。近すぎるでしょうよ。

 私は緊張している事をひかげに悟られないように声を少し明るい感じにした。(これはあくまで感じなので詳細には語れないのだー。)

「持病の五月病こじらせちゃってー」

 たははーなんて言ったりしてみた。

「緊張してるんだ」

「なゃっ!?」

 なぜバレたし!

 ひかげの顔が厭らしく歪んでいる。どうやらこの少年は、外見と中身に大きな差があるようだ。外見に惹かれて近づくとその毒でやられてしまうのか。

「緊張なんかしてないもん」

「そうなんだ」

 ひかげはあっさりと引いた。これまた拍子抜けだ。

「……何でそんな簡単に納得しちゃうの?」

「その人のことはその人にしかわからないから、かな」

 その人のことはその人にしかわからない。はて、どういうことだろうか。

「例えば篠宮が僕のことを嫌いって言ったら周りの人に嘘だって言われたとする。でも、周りの人は嘘だと思っているだけで、真実がどうなのかなんてわからない。予想は出来ても本当のことなんて本人しかわからないってこと」

「……へ、へー」

 なんだか難しい。私の頭では到底理解できないようだ。予想? 真実? 推理小説でも読めば良いのだろうか。

「わからないか」

「うん」

 私は素直に頷いた。聞くは一時、聞かぬは一生の恥って言うもんね。

「ま、いいんだけど」

 すぐに引き下がって、それ以上干渉してこない感じがなんとなく心地良い。そう思うのは私だけだろうか。

「諦めるの早くない?」

「人間は知的生物だからね。焦って騒いでも見っとも無い」

「お、おー」

 なんかかっこいい。

「って、本に書いてあった」

「……なにそれ」

 一瞬でも尊敬して損した。

 そんな気持ちを込めて隣にいるひかげの肩をぽんぽん叩いた。軽く叩いたのだ。痛くないに決まっている。なのにひかげが余計な一言を発した。

「小さいからそんなに弱々しいんだよ」

「な、なんだとぉ!」

 私の身体的コンプレックスを馬鹿にするなんて! 身内でさえも気にして口には出さないというのに!

「誰がちっちゃいだばかーっ!」

 私は床に転がっていた私の鞄をひかげの顔めがけて思い切り振り回した。

「いや、お――あぶなっ!」

 ぎりぎりの所で背中を逸らしてかわされる。マトリックス。

「ちっちゃくないし!」

 私が息を荒げてそういうと、ひかげは言いにくそうな顔をしていった。

「……現実見ような」

「知ってるよばかっ!」

 悔しいほど知ってるよ! 毎朝身長大きくなってないかなとか、胸が大きくなってたりしてないかなとか思ってるよ! そして変わってないよ!

 私はもう一度鞄を振る。

「げふっ!」

 私の一撃を受け、マットに倒れこむひかげ。

 今度は見事クリティカルヒット。

 篠宮 の かばんスラッシュ! 

 ひかげ は しんだ! 

「人が嫌がること言ったら駄目なんだから」

「…………………………申し訳ない」

「……わかればいい」

 ひかげは紅くなった顔を押さえながらむくりと起き上がった。

「でも、それってコンプレックスなの?」

 ひかげがそんなことを聞いてきた。私は間髪いれずに答えた。

「コンプレックスだよ!」

「ふーん」

「何か意見がある?」

「いや、小さい子って結構需要があるから」

「……それって一般ピーポーの意見?」

「……少し特殊かな」

 たぶん私はケンカを売られているんだろう。でもそんなところが心地よく感じる。思ったことを言ってくれるというのは良い。

「まぁ、どうでもいいんだけどね」

 どうでもいいと言われることに少しだけむっとした。何でかわからないけどむっとしたのだから仕方ない。

「どうでもいいってどういうこと」

「……僕が考えても仕方がないってことだよ」

 ひかげの言う事は正しい。

 確かに私の身体的特徴のことをひかげがたらたらと話したところで私の身体は何一つ変わらない。ひかげはそう言いたいのだ。

「でも――」

 と、言いかけたところで、ゴンッ! と、窓が大きな音を立てた。私とひかげは驚いて窓を見る。なにか赤い液体がついている。さっきまではなかったはずだ。

「な、なに?」

「さぁ?」

 ひかげが立ち上がって様子を見に行く。私はなんとなく待機する事にした。嫌な予感がしたからだ。

 様子を見に行ったひかげが、

「あ」

 っと声を漏らす。

「……どうしたの?」

 私が聞くと、日影が窓から身を乗り出した。ってえぇ!?

「ひかげ!?」

 私は驚いてその場から動く事が出来なかった。足が動かないかわりに、手は忙しなく動いている。今なら『なにしてんのこいつ』と思われても仕方がないかもしれない。

「あわわわわ……」

 どうしよう。どうすればいいのだろうと悩んでいるうちに、ひかげが手に何かを持って戻ってきた。

「あ……とり?」

「うん、スズメ。窓にぶつかったみたいだ」

「……窓に」

 なんともアホなスズメだ。窓だと気付かずにそのまま突っ込むだなんて。

「血、でてる」

 ひかげが手の上に乗せているスズメの羽は、少しだけ赤く滲んでいた。窓にぶつかった衝撃で、どこか怪我をしたのかもしれない。

「……持ってみる?」

 ひかげが笑顔で私にスズメを差し出す。

「ううん、だいじょうぶ」

 私は首を横に振った。

 嫌な予感が的中していたからだ。実は私、動物とか虫が苦手だった。少し力を入れたら死んでしまう気がして、手に持つなんてとんでもない。私が泣いてしまう。

「そう? 遠慮しなくても」

「ううん、本当にいいから!」

 私は首と手をこれでもかと言うほど横に振った。少し疲れた。

「えっと、この子どうするの?」

「逃がすよ」

「え? 治療しないの?」

「しない」

 拾っただけで治療はしないとはおかしくないだろうか。

「なんで?」

「人が手を貸したら駄目なんだよ」

「そう、なんだ」

 ひかげの真面目な顔に、私はそれ以上何も言えなかった。

「一緒に逃がしに行こう」

「うん……」

 スズメを持って、階段を下りていくひかげの後ろを、私は黙って着いて行った。

「…………」

「…………」

 なんとなく沈黙が重い。一人だとなんでもないのに、二人になるととてつもなく気まずい。どうしよう。それになんだか軽口を叩けるような雰囲気じゃないし。急用が出来たとか言って帰ってしまおうか。とは思うものの、私の足は静かにひかげの後ろを追いかけていくだけだった。

 結局、私とひかげはスズメを中庭に置いただけで、そのまま屋上の扉の前のサボり部屋まで戻ってきた。その間私達は一言も話さなかった。

「ね、ひかげ」

 さっきまでと同じようにマットに隣り合って座った。

「なに?」

 もしかしたら返事をしてくれないかもしれないと思っていたので安心して息を吐く。それと同時に張り詰めていた空気が緩んだ気がした。

「メアド教えてよ」

 なんとなく、少しの時間だけど一緒にいて、ひかげとは仲良くなれるかもしれない思ったのだ。さっぱりさぱさぱしてて良い感じだと思う。

「メアド? いいよ」

 そう言ってひかげが制服のポケットをごそごそと探る。

「あれ、携帯がない」

「あ」

 そういえばそうだと思い出した。もしかしてひかげの携帯って私が拾ったやつじゃないだろうか。私は微かに震える手で、ポケットに入っている謎の携帯を取り出して、ひかげに見せた。

「これ、だったりする?」

「あ、そうそう。拾ってくれたんだ」

「あ、はい。いちおう」

 なぜか敬語になる私。いや、本当、なんでだろー。ふっしぎー。

「ありがとう」

 笑顔でお礼を言われてしまった。胸の辺りがちくちくと痛んだけど気にしない。気にしたら負けなのだ。

「ど、ドウイタシマシテー。あっはっはー」

 まぁ、済んでしまった事は仕方がない。大切なのはその失敗を次に生かすことなのだと誰か偉い人が言っていた気がする。

「赤外線できる?」

「あ、うん」

 私も自分の携帯をポケットから取り出して、赤外線の機能を開く。

「スマホじゃないんだね」

「だめ?」

 自分の道を行くのです。いえすガラパゴス。

「いや別に」

 そういえば、私から誰かにメアドの交換を申し込んだのは初めてかもしれない。きっとこれは良いことなんだろう。

「届いた?」

「うん、届いたけど……」

 ひかげのメアドは初期状態から変えていないようで、数字と英語が乱雑に羅列してあるだけのものだった。

「じゃ、よろしくね」

「うん」

 予想通り、仲良くなれたら良いなと思って、私は心からの笑顔を浮かべた。

 



「ぅ、ん……?」

 眩しい。それと重い。あんだよー。なにがあったんだよー。(寝ぼけてます。)

 私はゆっくりと目を開いた。

「…………」

 目の前にひかげの顔があった。

 目を瞑る。

 そしてもう一度開く。

 うん、あった。隣で寝たんだから当たり前といえば当たり前だけど。でも、さっきより随分と近く感じる。気持ちの問題だろうか。自分から近づいたときと、いつのまにか近づいてたとき、みたいな。

「――っ! ――っ!」

 声にならない叫びをあげる。だ、だって、ちちちちっちちっち、近すぎる! す、少し動かしたらちゅっちゅちゅ、ちゅーしちゃいそうな距離だもん! やめてください私は心に決めた人が――いないわけだけど。

 あわわわわわ。

 顔が熱い顔が熱い。な、何でこんなに顔が熱いの!? 今は四月だよね!? 

 もしかしてこれは夢? もしかしなくてもこれは夢? 夢じゃないことを祈る。

 おちつけ! 落ち着け私! こういうときはあれだ。あれだよえーっと、とにかくあれだ! わかってよ!

「――――――」

 ……ひかげは気持ちよさそうに寝息を立てている。ひかげの香りが鼻腔をくすぐる。少し甘いのに爽やかな匂い。

 私の気持ちも知らないで、こんなに気持ちよさそうに寝ちゃって……。

「うぅ……」

 私だけこんなに悩んで。

 こいつはそんなことお構いなしにすやすや寝ている。

「……不公平だ」

 ということで、ひかげのほっぺをぷにぷに引っ張ってやった。思いっきり。そしてパンの生地のように捏ね繰り回す。おっとっと力入れすぎたら千切れちゃうぜ?

「ぅいって!」

 もー。相変わらずさらさらな肌だなー。私もちゃんと手入れしないと。ひかげよりは綺麗でいたいと思う。

「痛い痛い痛い! なにやってんの篠宮!?」

「起きたぁ?」

 ニッコリ笑顔で私はひかげの目覚めを喜んだ。さながら白雪姫が目覚めるのを心待ちにしていた六人、いや七人だったかな? まぁいいや。その小人のように。

「起きたけど痛い」

 痛いから起きたの間違いじゃないだろうか。

「なにしてるの」

 ひかげが少しだけ不機嫌そうに目を細める。ひかげは寝起きが悪い。たぶん私だけが知っているひかげの弱点だと思う。そう思うとなんだか優越感を感じる。

「ひまだー」

「……いま何時」

 私は左手につけているひかげと色違いの腕時計を見せた。私の誕生日にひかげがプレゼントしてくれたものだ。

「……まだ十二時時三十分じゃないか」

 正確には十二時二十一分である。ひかげは時間の認識がかなり大雑把だ。例えば時計が十二時を示していたら、ひかげは十二時三十分だと言う。ちなみに十二時三十分だと一時だという。

「まだって、もうお昼だよ?」

「……うぅん、そっか。お昼か」

「うんっ! ご飯食べよ?」

 私は起き上がってひかげに提案した。

「……ちょっと早くない?」

 そう言って目をこするひかげに変わって、ひかげの鞄からひかげのお弁当を取り出す。袋から取り出してひかげの前に置いてあげた。

「はい」

「ん」

 眠そうなひかげを見てると癒される。あぁ可愛い。

 私は目を細めながら自分の鞄からお弁当を取り出した。一応手作り。朝起きて頑張って作っているのだ。授業も受けないのに何してんだよと思ったそこのあなた、そのままのきみでいて欲しい。

「……ねっむ」

「もぉ、ひかげ?」

「んー?」

 私はひかげの肩をゆする。相変わらず男の子にしては細い肩だった。

「食べないの?」

「……いや、眠い」

 会話が続いてない。うーむ、どうしたらいいんだろう。

 ……良いこと思いついた。

「ね、ひかげ」

「なに?」

「私が食べさせたげよっか?」

 私はひかげの返事を聞かずに日影のお弁当を開いて中に入っていた玉子焼きを手で掴んだ。お箸を使ったほうが良かったかもしれないと思った。後悔先に立たず。私はいつも後悔ばかりだ。でもそれを生かすことが出来ない。

 それでも行動に移してしまったのだから仕方がない。もうこのまま突き進むしかなくなるのだ。

 いつも私に選択肢なんてない。ただ、自分の気分のままに突き進むだけ。それで周りから人が消えたとしたら、それはそれで仕方がないと私は諦めるだろう。

 というわけで、玉子焼きを掴んだ右手をひかげの口元に持っていく。

「え、いや……」

 ひかげが両手をぶんぶん振ってうろたえている。

「はい、あーん」

 多分食べてくれないだろうなぁ。やっぱりちゃんとお箸で掴めばよかった。まぁ、食べてくれなかったら自分で食べたら良いか。

「……食べない?」

 少し残念な気もするけど、ひかげがそう決めたのなら仕方がない。

「ぅ、わ、わかったよ……」 

「え?」

「あ、あー」

 あーと言って、ひかげが口をあける。なんか小鳥の雛のようで可愛い。

「じゃ、じゃあ、いきますっ! あ、あーん」

「あー」

 私はぷるぷると震える右手をひかげの口元に持っていくんだけど……ほ、本当に食べちゃうのかな? このまま食べたら私の指も食べられちゃうかもだよね。

 私から提案したんだから引くにも引けない。

「ん」

 そしてとうとう食べられた。

 私の指が。

 玉子焼きと一緒に。

「はむはむはむはむ」

 あわわわわわわわっ……。

 うねうねくねくねひかげの舌が私の指に絡まって変な気分になってしまう。

 ちゅるちゅるちゅるちゅ。れろれろれろれろー。

 うきゃー。むきゃー。ふにゃー。

 何か名状しがたい暖かいものから私の指が解放される。謎の液体とともに。いや、正体はわかってるけどね? なんとなく謎と言う事にしたのだ。

「くんかくんか」

 匂いを嗅いでみた。特ににおいはしなかったけど。なんとなく変態っぽいなぁと思った。今ならあの有名な変態王子にも勝てるかもしれない。勝てるかもしれないと思っただけで、もし本当に勝ってしまったらまずい。乙女としての人生が終わってしまう。

 匂いを嗅いだ時点で終わりかけてるのかもしれない。

「なにしてんの?」

「なにもしてない」

 たははーと笑ってポケットから取り出したハンカチで手を拭いた。ハンカチの柄は黒と白のチェック。私は黒が好きなのだ。前にひかげにそう言ったら「そうなんだ」と興味がまったくないような口調で言われた。殴った。

「……もういっかいやる?」

 なんとなく聞いてみると、

「いや、もう大丈夫だから」

 思ったより強い口調で拒絶されてしまった。

 うーむ残念。だけど少しだけ安心した。

 私も自分のお弁当を開いて見覚えのあるおかずを食べる。日影のお弁当と比べて私のお弁当は小さい。見た目は細くても、こういうところで性別の違いを感じる。

 私は無言でご飯を食べ続ける。だってお口に物を入れたまま話すと行儀が悪いから。それはひかげも同じなようで、いつもご飯を食べるときは口数が一気に少なくなる。

「もぐもぐ」

 ありえない咀嚼音を口に出してみる。

「…………」

 無視された。少し泣きそうになった。嘘だけど。

 無視されたので食事を続行する。なんとなくひかげとの無言は苦にならない。ひかげが何も考えてないからだ。お互いに気まずいなぁと思ってなかったらまったく気まずくないのだー。たぶん。おそらく。予想。

「……こんなに早く食べてどうするの?」

 めずらしくひかげが食事中に話しかけてきた。

「お昼休みが終わったら授業受けに行こうよ」

 去年の二の舞を踏みたくない私は少しだけ頑張ろうと思っていた。思っているだけでたぶんそう長続きはしないだろうけど。気分だ。

「えー、めんどい」

 一瞬で拒否された。ひかげはフリョーにしては頭が良いのでそんなことが言えるんだと思う。定期テストとかあるけど、ひかげはいつも上から三番目くらいにいる。ちなみに私は上から数えたら大変なので数えてない。下から数えると楽かもしれないけど。

「いーじゃん。私達同じクラスになったんだよ?」

 今年が始まって一番嬉しい事だった。お家のベットで悶えてぐるぐるごろごろするほど嬉しかった。

「あ、そうなの?」

 なのにひかげの反応はこんなもんだ。一人で盛り上がった私が馬鹿みたい。

「嬉しくないの?」

「……嬉しいよ」

 ひかげが少し私から視線を逸らしてそういった。ひかげのこの仕草は照れているときのものだ。それを見て私は少し嬉しくなった。

「照れてるんだー」

 私はそう言いながらひかげのほっぺをつんつんつつく。

「ほれほれー。可愛いやつめー」

 つついってるひかげのほっぺが少しずつ紅くなっていく。あぁ可愛いなぁ……。食べちゃいたい。

「じゅるる」

 おっとよだれが。

「……何でにやにやしてるの?」

 そろそろつつく指が疲れてきたので中断した。これから授業受けるんだからスタミナは温存しとかないとね。

「乙女のひみちゅ」

「……そうなんだ」

 ひかげは「どうでもいいけど」と呟いて壁のほうを向いて食事を続けた。どうやら拗ねちゃったみたいだ。そんなところも可愛い。ツンデレですなぁ。

「…………」

「…………」

 私たちは無言で食べ続ける。

 もぐもぐもぐもぐ。うーん、自分で作っておいてなんだけど、結構おいしいなぁ。私もしっかりと成長をしているわけですね。

 十五分後、残すことなくお弁当を平らげた。ひかげは私の三分くらい前に食べ終わって再び眠りに落ちようとしていた。

「ひかげ」

 私はひかげが眠ってしまわないように声をかける。

「ん……なに?」

「寝ないでよ。授業受けに行こ?」

「……篠宮がそこまで言うなら」

「えへへ……やったっ」

 私は喜びを隠すことなくあらわす。喜びは素直に出した方が良いというのが私の考えだ。笑顔が嫌いなんて人はいないだろうし。

「じゃあ行こうよ」

 ひかげの手を掴む。私が急に引っ張ったものだから「おっと」とか言いながらひかげがつんのめっている。私はそんなこと気にせず足を動かした。

 お昼休みの始まりを告げるチャイムはとっくの昔に鳴っていた。ほんの数分前にだけど。

「むっふっふ」

 私たちが一緒に行って、みんながどんな顔をするのか楽しみだ。



 がらがらがらーと扉が開く。あぁ、なんだか久しぶりの感触。春休みも来てたから一週間ぶりかな? 全然久しぶりじゃなかった。

「がらがらがらー」

 なんとなく口に出してみた。テンション上がるかなーと思って。

 私とひかげが一緒に教室に入るとクラス中の視線を集めた。頭が良いけど教室に来ないひかげと、ひかげよりは教室に来るけどお馬鹿ちゃんなわたしが一緒に来たということも理由に含まれているだろう。まぁ、どっちもフリョーって言われてるし。

 ひかげが私の肩をちょんちょんとつつく。ひかげが私に何か言いたそうな目でじっと見つめてくる。『なに?』と目で訴える。私の思いが通じたのか、ひかげが口を動かした。なになに? 『せきがわからない』かな? ……あぁ、席の場所がわからないんだ。ふっふっふ、聞いて驚け、私もわからないのだー。私も口の動きだけでそう伝えるとほっぺをつねられた。痛いじゃないか。

 二年生になって初めての授業なんだから仕方ないと思わない?

 いくら考えてもわからないので、入り口の傍の席で本を読んでいるメガネの女の子に聞くことにした。

「あの、ちょといい?」

「はい?」

 私が声をかけるとメガネの女の子は素直に話を聞いてくれた。えっと、たしか……。

「明智さん、だよね?」

 なぜか名前を憶えていた。他の人の名前は曖昧なのに。

「え? はい、そうですけど……」

 名前を呼ぶと明智さんは驚いたように顔を上げた。なになに? 私が名前を憶えてた事がそんなに意外? シツレイダナー。

「なんでそんなに驚いてるの?」

「私の名前を憶えている事に驚いてしまって……」

 む、やっぱりか。まったく……。

「失礼だー」

 がおーっと、私はライオンを見習って威嚇する。ライオンのオスって実は毎日グータラしてるらしい。ふむ、羨ましい。

「あ、ご、ごめんなさい……」

 なにやら本気で謝っているご様子。私は冗談で言ったつもりだからうろたえてしまった。両手をブンブンと横に振る。

「本気で言ってるわけじゃないから! だからそんなに謝らないで?」

 たははーと私は苦笑いを浮かべる。その顔を見て、明智さんが安心したような表情を浮かべる。

「安心です」

「あーそうだ。許してあげる代わりに私達の席教えて?」

 いやー私って頭良いー。ほれちゃうー。

「それなら……」

 そういって明智さんは教室の右隅。窓に面した二つの席を指差した。

「どうせ二人はあまり来ないだろうからと、先生があそこに決めてしまいました」

「わぁ、そうなんだー」

 その先生って誰だろー。気になるなー。失礼なこと言っちゃってぇ。私は笑顔を引きつらせる。ひかげもこめかみがぴくぴくしている。私達はお怒りだぞ! 言ってる事は間違いじゃないけど。

「ありがと明智さん」

「いえ、これくらい」

 そう言うと明智さんは手に持っている本に視線を落とす。少しだけ何を読んでいるのか気になってしまったので見てみた。

 ふーむ、なになに? 太宰治の人間失格……。渋いぜ。

 心の中で明智さんに別れを告げ、私とひかげは愛しい自分の席に向かった。その間、クラスの人たちが黙って私たちを目で追っている。そろそろセクシャルハラスメントで訴えてもいいだろうか。

 人々の熱い視線に見守られつつ私達は席に座った。お昼休みだと言うのに席に座ってどうするんだと思ったけど、まぁいいかと無理やり納得。

「……ひまだ」

 私が言いそうになってもギリギリのところで我慢していた言葉を、ひかげがさらりと言い切った。

「……それを言っちゃあお終いですぜ」

 なんとなく面白いかなと思って言ってみたけど何も面白くなかった。

「……まぁいいけど」

「ひかげは何でも『まぁいいけど』だよね」

 ひかげの口調を真似て言ったらさっきとは逆のほっぺをつねられた。私が某アンパン紳士のようになっちゃたらどうするつもりだ。恐らくどうもしないだろうけど。

「似てない」

「え、うそ。似てるよ」

「えー、どこが?」

「なんだかこう……ダルそうな感じが!」

 今度は両方つねられた。かなり痛い。女の子に手を上げるなんて男の子として最低だと思います! 万国共通の意見を力強く訴えるとつねる力が強くなった。なんで?

「うぅ……私のほっぺちゃんが」

 私の愛すべきほっぺちゃんをよーしよしよしと言いながら撫でてあげる。アンパン紳士みたいにはならないでおくれよ。

「次の授業って何だっけ」

 そう言われて、私も次の授業が難なのか知らないということに気づいた。周りの人の様子を伺い、机の上に置いてある教科書が現国だった。

「現国だよ?」

「教科書持ってない」

「受け取っても無いから」

 そう言えば教科書代は支払ってるのに教科書は貰ってない。それにつられて、苦い春休みの思い出を思い出した。

 進級しないと支払った教科書代が無駄になるんだぞーって脅されながら頑張った時期もありました……。

「机の中に入ってるのかな?」

 入ってなかったら詐欺です。

 そう思いながら机の中を覗き込むと、たくさんの教科書がこれでもかと言うほど詰め込まれていた。

 ひかげも隣で同じ事をしている。

 ふと、ひかげが声を洩らした。

「あ、ラブレターが入ってる」

「…………」

「…………」

「えーすごーい」

「だよねー」

 あっはっはーと二人で笑う。やっだー、ひかげくんってばおもしろーい。

「とうっ!」

「ふんっ!」

 ひかげのほっぺを掴もうとしていた私の手が払い落とされる。まさか私の行動を予測していたとは……。この男、やるな。

 私たちがキャッキャウフフと遊んでいると、程なくして予鈴が鳴り、現国の担当である若い女の先生が入ってきた。「おっはー」と気楽に手を振っているのを見て、この人は生徒達に人気があるんだなと悟った。

 教卓の前に立って先生が教室を見渡す。たぶん欠席者がいないか確認しているんだろう。私が見たところ教室に空席はない。みんな真面目なんだなぁ。私が不真面目なだけかもしれないけど。

 先生が出欠表に何かを書き込もうとしたとき、急に顔を上げて私たちの方を向く。多分私たちを見ているんだろう。目が合ったので笑顔で小さく手を振ると、先生も引きつった笑顔で振り返してくれた。確か一年生のときもあの先生だったような気がする。だから私たちがいることにビックリしたんだろう。

 そして何事もなかったかのように授業を進めていく。

 授業は一年生の最後のほうの授業でやった続きらしく、前にやったからわかってるよね? 的なスタンスなので私にはまったくわからない。それを知ってか、先生が「篠原さんたちは、わからないかもしれないけどこういうことがあったのよ」とフォローを入れながら授業を進めてくれるので良い先生だなぁと思った。

 ひかげはどうしてるんだろうと思って隣に視線を向けると、

「あ」

 目が合った。私は『どうしたの?』と声を出さないで聞く。するとひかげは眠たそうな目をこすりながら『ひま』と口を動かした。そりゃ、ひまだろう。私だってひまだ。今このクラスにいるみんながそう思っているだろう。授業なんてそんなもんだ。五十分の耐久レース。音を上げた人が私たちみたいにフリョーと言われ、差別される。

 『わたしもひま』と返すと、同じ気持ちを持っている人を見つけて嬉しいのか、ひかげが明るい笑顔を浮かべた。それにつられて私の顔も自然と綻ぶ。ひかげがいてくれれば退屈な授業も一変する。同じクラスになれてよかったなと心の底から思った。

 その後、私は真面目に黒板に書いてある文字をノートにそっくりそのまま写した。ひかげはそんなこと一切しないで、ノートの端っこをちぎって鶴を折っていた。これでテストの点が良いのだから腹が立つ。本気で怒ってるわけじゃないけど。

「…………」

 一番後ろの席から、必死にノートを取り続けているみんなを見て思った。

 みんなは何でこんなに頑張っているのかなって。

 毎日同じことを繰り返して、常識にとらわれて、その先に何を見据えているのかな。明るい未来? 幸せな自分? 

 わからない。

 でも一つだけ分かることがあった。

 これからも私は自分の気分に従って生きていくんだろうなってこと。

 今日みたいにサボりたいときはサボって、なんとなく授業を受けて。その生き方に後悔はない。でも、その生き方の中で後悔する事はたくさんあるだろう。

 誰でも後悔して泣いて楽しくて笑って、それでも生きていくのだ。

 みんなとは少し違うけど、私も私なりに頑張っていきたい。みんなが頑張っている間、私は頑張ってはいなかった。

 そのツケがいつか自分に回ってくると思う。

 その時まで、今を大切にしたい。

 ひかげと目が合った。

 私は自分が出来る精一杯の笑顔を返した。





この作品は私がはじめて書いたものを少し修正したものです。 呼んで頂きましてありがとうございます。これからも学校生活とバイトと両立して書いていこうと思っています。

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