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・2313―1

『睡眠学習装置の駆動限界です。起床してください』

 無機質な声が、

『朝だよ』

 有機質な声に。

『起きて、朝ごはんを早く食べて、学校に行きなさいー』

 ゆさゆさとした、優しい振動が体につたわる。

『起きなさいー!』

 母親に揺られるような幼い頃の記憶。ノスタルジーに満ちた、優しい揺らぎは、やがて激しい大波の様。

 少年田中は、それでも学習装置のアクセス権限を取り戻そうと――


 ――横殴りの衝撃が、少年田中の腹を打った。


「田中、朝だよー!」

 起きろー、と言う声と共に、少年田中の腹を勢い良く何かが蹴り飛ばした。

 ぐぇ、と胃を潰された声が喉元に引っかかり、田中の靄がかった脳を震わせ、夢の世界と柔らかい寝床から容赦なく叩き出す。

 覚醒した田中の目に入るのは、額に赤く光る硝子と、右頬にB2とプリントをされた、田中より、少し幼い感じも受ける十代中頃の少女。

 続けて頬に走る鋭い痛み。パチィーンと小気味良いビンタ・サウンドが添付された手が、べしべしと田中の頬を往復する。絶妙な加減で、鋭い痛みは与え、体にダメージを残さない十連起床コンボが田中の体に向けて炸裂した。

「起きてる! 起きてるから、止めろ!」

 田中のやめろという抗議も意味を成さず、きっちり五往復のビンタが叩き込まれた後、赤い硝子の少女は笑いながら言った。


「田中がそういって、朝のご飯の時間に間に合ったためしはありませーん」

「ビニが毎回叩き過ぎるからだ!」

「聞きませーん。とにかく起きて、着替えて、ちゃっちゃと食卓へGO!」

 朝から程よくボコボコにされた田中は、ビニと呼んだ少女を恨みがましく見る。屈託の無い笑いを浮かべながら、左手にもつのはお玉。ネットリとへばりつく緑色のペーストを見て、朝食は配合飼料のリゾットだろうと田中は推測し、ため息をついた。


 ここ最近は毎朝、配合飼料のリゾットで、田中はそろそろ食べ飽きた。


「……肉食べたい」

 田中の脳裏にあるのは、じゅうじゅうと肉汁を流すステーキだ。特別なお祝い(・・・・・・)として、誕生日に出された、肉。

 原始的な欲求を満たす、動物性蛋白質と、脂肪の塊だ。


「ダメでーす。配合飼料は、完全な栄養バランスを考慮されて製作されていまーす。飼料()部の皆の努力の結晶だよ。それを無駄にするつもり?」

 飼料部の皆というフレーズを出されると田中は弱い。

 顔の見えない誰かが、汗水たらして作り上げたと言われると――目の前の少女にあたるのは、酷く子供っぽく感じるのだ。

「それに、夕飯はMフレーバーのペーストフライだから、楽しみにしててよ」

 田中の部屋の扉を閉める直前に、くるっと振り返り、ビニは心から楽しそうな表情を見せる。田中はこんなビニの顔が大好きだ。

「え、本当、そりゃ楽しみだね」

「楽しみにしててねー。腕によりをかけて、完璧な栄養バランスを達成して見せるよー」


 パタン、と閉じられる白い扉。とたとたと軽い足音を響かせる存在が遠ざかった後、田中は白いパジャマから、黒い詰襟に着替える。

 清潔感あふれる白一色で染められた部屋で、田中は色を持つ異物だ。部屋から出た異物は食卓へと続く廊下でも異物。しみ一つ無く磨き上げられた、窓の無い白いリノリウムの廊下にともる発光ダイオードもまた、異物。


 今日も田中の朝食は緑ペーストの雑炊だった。


 少年が姓で、名前が田中。

 田中はビニのように、額に赤い硝子(アクセス・レンズ)を持っていない。

 人間なら誰でも持っている、アクセス・レンズを持っていない。だが、それをもって田中を人間でないと評するのは正確ではない。

 人間は機体識別記号と、製造ナンバリングを持つ。田中も機体識別記号と、製造ナンバリングを持つ。


 だから、田中は人間だ。

 正式にはM-S-2295-10001だ。2295年に生まれた、機体性別記号がMで、機体カテゴリがSの、10001機目に製作されたから10001という、ジュウキネットワークお墨付きの人間だ。

 旧態然としたニックネームのニーズが無くなった訳ではない。が、これは非公式なもので、個々人が勝手に名乗ったり名づけられたりする。例えばビニならF-B-2277-2で、ビニだ。

 田中はそんなビニからニックネームを与えられた。

 10、0、0、1を組み合わせたら田中になるから――と、幼い田中に向かい、ビニは神妙に言った。確かに、と田中も思った。「中口中とどっちがいい?」と続けてビニは聞いたが、田中は田中で満足した。中口中ではゴロが悪い。

 田中の世界は基本的に、教師であり姉であり、恋人であるビニと、自分の二人で完結する。

 田中はアクセス・レンズを持っていない。けれど、なんら問題を感じない。


「田中ー、おべんとー、ちゃんと持って行きなさい!」

 田中は額に偽装硝子(ダミーレンズ)をはめてから靴を履き、かばんを持って走りだす。遅刻寸前のいつもの時間。田中はかばんの中にオレンジ・ペーストが入っていない事に気がついたが、ビニがどうせ届けてくれる。





 人口二百万人の、メトロポリス。ニッポンの首都、ナゴヤ。A技術の集積で、世界の中心地であるナゴヤのサカエ。その中心部から少々外れ、白亜の壁に守られた、チクサのフロー。朝七時三十一分、田中は環状地下鉄(メトロ)にのって登校する。

 乗車時にはぱらぱらとしか居ない乗客は、数駅過ぎるとミッチリとトウモロコシの様に詰めこまれ、朝の通勤ラッシュ。

 約五十一分後、田中は乗車した駅から降りる。

 この駅で乗る客は、年寄りが多いが、降りる客は殆どが若者だ。田中は六年間の観察期間を経て、こう結論付けた。

 この駅は若者のエキスを吸って、年寄りにするのだと。

 真面目くさってビニに報告したら、ビニは笑いながらメモを取った後、こういった。

『田中はきっと、詩人の才能があるんじゃないかな』

 田中の通う学校は、若さを吸う駅のすぐ傍にある。超人口密集都市にぽっかりと開いた非日常空間。特殊養護学校が田中の通う学校である。


 田中はそこの、唯一の生徒であり、ビニは、唯一の教師である。


 チャイム・サウンドが響く。古典的な鐘の音を模した電子音が、スピーカーから流れ出す。広い教室の中に、ぽつりと一組存在するレトロな机と、パイプ椅子。

 家での続きは、このままごとのような空間で繰り広げられるのだ。

「きりーつ」「れい」「ちゃくせき」

 教壇にビニが立ったのを確認して、田中はいつも通りのやる気の無い号令をかけて、一人席からたち上がり、礼をし、また、椅子に座る。

 田中のやる事は、午前八時三十分から午後十五時までの間に六単位、ビニの講義を受け、昼食をとり、帰宅する事だ。


「今日は田中に、新しい友達を紹介します」

 ビニが良くわからない事を言い始めた。

「つれて来て」

 ビニの声に反応して、教室の扉が開く。田中が見たことの無いほど屈強な、白衣を着た男性が二名と、両脇を固められた、艶やかな黒髪を持った小柄な、スカイブルーの病人服を着せられた――

 多分、雌の猿だろうか?

 猿には頭部のアクセス・コアが無い。だから教卓の前に乱暴に引きずられて来たのは、雌の猿である。そんな単純な結論を、田中は導き出すのにたっぷり十秒は要した。


「博士、この猿は相当乱暴ですから気をつけてくださ……」

 引きずられてきた猿は、地面を蹴った。

 男性に掴まれた自分の両肩を支点に、体を縦にぐるりと回す。ごりゅ、と肩関節が外れる音が、離れた田中にも聞こえた。逆上がりの要領で、天地が逆になった猿は自由な両足を勢い良く左右に振りぬく。そうなると、丁度白衣の男性二人の頭部を、狙ったように脛が弾き飛ばす。

 どたん、と大の大人二人の意識が刈り取られ、床に転がる。

「ッ!?」

 思わず立ち上がった田中を、ビニは手で制する。

「アァアアアアア!」

 猿は吼える。痛みか、それとも気合を入れる為か。吼えた後、ビニの喉元めがけて黒毛の雌猿は、牙を剥き飛び掛った。

「ビニ、危ない!」

 田中はビニの静止を無視して――このままだと、白いビニの喉に、てらてらと光る八重歯が食い込むように思えたので――猿に向かって、肩からぶちかまそうと飛び込んだ。

「はい、おしまい」

 ビニの手も素早く動く。腰に備えたピンクの缶をさっと構えて、オレオレジン・カプシカムガスを噴霧した。猛烈に噴霧されるエアロゾルを、さしもの猿も避ける事は適わず、顔面に――ついでに、猿に向かってぶちかましを入れようとした、田中の顔面も巻き込んで。

 二人分の灼熱の涙と涎と、咳の山が、三十分ほど続く羽目になるのであった。

 田中の机の隣に、もう一組レトロな机と椅子が追加されたのは、二時間後の事だ。



 猿は雌で、その上乱暴ものだ。

 ビニが「佐藤」と呼んだ猿は人間のように椅子に腰掛け、人間のように教科書を広げ――驚いた事に、外れた肩の関節は自分で入れたらしい。ビニの授業を受ける。ノートは取っていない。


「田中、ねぇ、田中」

 休み時間。田中が未だにひりつく顔面をさすりながら、今日の授業のレポートに取り掛かろうとしている最中の事である。

 佐藤と言う名の猿が、なれなれしく田中の肩に手を回し、話しかけてきた。


「あんたさ、田中って言うんだって?」

「そうだ」

「で、あんたも猿らしいじゃない」

 くんくん、と佐藤は田中の額に小さな鼻を寄せて、ひくつかせた。臭いを嗅いでいるらしい。うっとおしい。田中は佐藤の行動が逐一腹立たしく感じる。


「なんで人間の振りなんてしてるのよ、こんなガラス玉を額にへっつけてさ」

 佐藤は田中のダミー・レンズに手を伸ばす。田中はその手を跳ね除ける。また伸ばされる。跳ね除ける。

「やめろ、佐藤。僕は人間だ」

「ウソだね。じゃあなんで、あたしと同じ部屋で、同じ"授業"を受けてるのさ?」

「僕にはちゃんと、機体識別記号と、製造ナンバリングがある!」

「……アタシにだってあるよ、そんなクソったれた記号は」

 佐藤の手が、田中のダミー・レンズを捉えた。引っぺがした。


「ほら、やっぱり偽物だ」

 残念そうに、佐藤は自分の手の平に収まるレンズを転がす。



「知ってる? 本物のアクセス・レンズって、もっと――赤くて、血の臭いがするんだよ?」





 佐藤は猿である。

 霊長類保護センターの、生き残りである。

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