X01:結んだ約束
この本を読むにあたってたった一つ、これだけは忘れないで欲しい。
この本は事実であり、事実では無いということ。
そしてこれは新たなる思いでもある。
再び悲劇は起こる――――
その時には思い出してもらいたい。
次に止めるのは誰でもない、自分自身だと――――
シュードベルト・スカイ・クローウ
***
止めようもない力、思い。
そして星の意思。
本当に全てを星が決めたのだろうか。
誰かの意思……つまり何者かの陰謀ではないのか?
それは誰にも分からない。
分かるはずもない……
誰にも個人の行動など把握できるはずもないのだから。
そんな力は神でさえなければ――得るはずがないのだから――
***
《新訳》 神話‐忘却の彼方に‐
***
――蝉の声が脳内を駆け巡る。
川のせせらぎや木々のざわめき。
いわゆる癒しの音に分類されるBGMが聞こえてくるのであれば何も文句は無い。
だが蝉の鳴き声は別だ。
どうにもアイツらは俺をイライラとさせてくれる。
一週間の地上での人生を謳歌しやがって……
そんな猛暑な夏の季節、日本は変わる。
いや、日本人の思考が変わるのだ。
これは固定観念の話なので話半分で聞いてくれてもいい。
やはりこの夏の暑さの中、労働者、或いは学生の大半は外出をしようとは考えない。
特に休日なら尚更だ。
家で涼しく過ごしていたい。
だが何故なんだろう、外の世界には沢山の人がいる。
人付き合いのためなのか、新しい出会いを求めるためなのか、そんなこと俺には分からない。
そして何故なんだろう……何故そんな思考を持つ俺は外にいるのだろうか。
暑さのせいで意識が朦朧とする。
「暑さのせいでおかしくなっちまったかな……?」
外にいる理由をオーバーヒート状態な脳内で探りつつ、携帯を取り出しラインを確認する。
すると何故自分がこの蒸し暑い外にいるのか、理由が判明した。
いや、正確に言えば再認識したというべきなのか……
迂闊にも俺は翔太と約束を結んでいたのである。
翔太とは、同じクラスの大島 翔太というオタクで、今日は一緒に映画を見る約束をしていた。
あいつに弱みさえ握られていなかったら、こんな場所には来なかったんだ……絶対。
「こんな理不尽な世界なんか……大嫌いだ……」
俺は普段、世界に不満を持っている。
こんな平等の欠片もない世界に――
モンスターペアレントや小さな餓鬼の調子のよい言動。
意味も無く弱者をいじめる強者。
どれをとっても自己中心的な人間ばかり。
これでは大半の真面目な人間が損する仕組みが出来上がろうとしている。
それに、今の政治も国民の意思を反映しているとは思えない。
救いようが無いこの世界。
既に世界は腐っている。
そういう考えを抱くのが俺、漸芽 信、現役高校2年生。
この苗字は親が物好きで、結婚する時に記念に改名したらしい。
悩みは多々ある。
中学生の頃は一つだけだったんだけどな……
その一つというのは毎晩毎晩悪夢にうなされていることだった。
それがある日から一切見なくなった。
朝起きた時には全身から汗が噴出すほどの悪夢だったというのに、その悪夢を今では覚えてすらいない。
だから今では頭の奥底に、嫌な思い出としてしまっている。
本気で思い出そうとしてまた悪夢を見るのは勘弁だ。
それにしてもだ――!
「翔太の奴、遅いな……」
翔太から約束しといたくせに、予定時間を10分もの遅刻更新中。
「――ン!! シ――――ン!!!」
どこからともなく人ごみの中から俺を呼ぶ声が聞こえてくる。
この声は翔太だ、間違いない。
こんな所で見つかると周りの視線が一気にこちらに注がれてしまう。
そんな辱めは沢山だ!
だからそそくさと途中棄権することにした。
最初から待たずにこうしていれば良かったんだ。
「アホくさ……」
俺の弱み、どうとでもなれ!
スタスタと人を掻き分け歩いていく。
ただ数歩歩いたところで後ろから肩を掴まれた。
まさかと思いつつ後ろを振り向く。
「ココにいたのかよ……はぁはぁ……探したぜ……はぁはぁ…………はぁはぁ……」
酸素が少しばかり足りないのか、所々で肩で息継ぎをしながら話しかけてくる。
「……翔太」
しかし見つかってしまったのならしょうがない。
「悪いな――!」
走って逃げるしかない!
「って、うおぉ~い!!」
翔太に肩を掴まれたままだったので逃走不可。
諦めてしぶしぶ映画を見に行くことに。
「時間がないんだから、勝手な行動はやめてくれ!」
お前が遅れるのがいけないんだろう、と言うのはやめとく。
さすがにこいつもそんな言葉を言われたら何をしでかすか分からない。
映画開演まであと少し、いや、違うな……確実に1分前に開演時間を過ぎている……
暴走しそうになる右手を押さえ、2人で走って映画館に向かう事になった。
***
到着した時には服全体が汗まみれになっていた。
「今何時だ?」
時間は開演時間を10分もオーバーしていた。
映画館の中に入り、目的の映画を公開している部屋のドアを開け放つ。
サッと観客の視線がこちらに注がれた。
ひとまず扉を閉め、空いている席に座ることに。
座ると同時に我が目を疑った。
まず第一に翔太がいつの間にかポップコーンとコーラを己の分だけ買い、更にそれを一人だけで飲み食いしていること。
そして第二に、今ココで上映されている映画がKON……つまり劇場版キング・オブ・ナイトというアニメだということだった。
映画館前で待ち合わせしない理由が今判った……
キング・オブ・ナイトとは今も尚、全世界で放送中の人気絶賛な番組、みんなは略してキーナイトって言う。
俺が言うKONというのは初期の頃からの視聴者が呼ぶ総称で、今ではそう呼ぶものは少ない。
噂では簡単に平均視聴率が68%を超えるらしく、今世紀最大の作品だと各分野から謳われている。
ストーリはいたって普通で、主人公の住む世界ではキーナイトという感覚を電子空間に接続することが可能なゲームが流行っている。
それはつまり言葉通りの意味で、五感全ての感覚がゲーム内で味わえる。
そんな高度な技術がその世界には存在している。
そんな近未来な世界でのある日、ある謎の組織によって他の世界に連れていかれる子供たち。
少年少女はピンチに陥る。
その最中に元の世界に戻る為、みんなを救う為に、主人公等が勇敢にも冒険していく! ってアニメなんだけど、全部話すと長くなるんでココで説明は終わろう。
昔は好きだったんだ、俺も。
でも、やっぱり世の中の事を理解していくにつれて、アホらしくなって嫌いになったんだと思う。
だからほとんどのことについては体が拒絶反応を起こす。
こんな自分は嫌だ。
けど、体が勝手に拒絶する。
それに伴い思考までもが拒絶反応を起こす。
負の循環がグルグルと起こるが止められない。
変われるなら変わりたい。
でもそうなるには世界が根本的に変わらなければ、自分は変われないんだ。
こんなことを考えるのはよそう……
こんなこと考えたって、結局は何も……変わらないのだから。
でも、翔太は俺のことを分かっていてくれているのか心配してくれているのか、KONを見なくなった今でも、ストーリーを教えてくれる。
嫌になるほどの言葉を浴びせてくれる。
だから俺はほんの少しだけ嬉しかったのかもしれない。
映画に誘ってくれたことを。
だから弱味とか関係なく、待ち合わせの時間にちゃんと行ったんだと、今思えばそうなるのかな?
それにしても、段々まぶたが重く……なってい……く…………――――
***
目が覚めると館内は騒がしくなっていた。
どうやら映画が終わり、皆席を立ち出口に向かいながら、映画の感想を語り合って帰っているようだ。
重たい顔を横に向けると、翔太は画面にまだ見入っている。
画面には暗いスクリーンにスタッフロールが流れるばかり。
ようやくスタッフロールが終わったと思ったら画面が白黒映像になり、文字が浮かび上がってきた。
≪シン実ヲ知リタクハナイカ?≫
チグハグな大きさで乱雑に並べられていた文字は一瞬で消えると館内は明るくなった。
「いやー劇場版、テレビ放送より金が掛かっているせいか、最高の出来だったよな~」
翔太は目をキラキラと光らせ、出口に向かう。
「なぁ、また続編でるのか?」
眠たい目をこすりながら訪ねる。
「そりゃ出るに決まってんじゃん。今世紀最大の作品の劇場版なんだから出さない訳がない!」
「でも真実を知りたくはないかって文字だけ表示させるのも焦らすよなー」
翔太は後ろを振り向き、俺の顔を睨み言い寄った。
「はぁ? んなモン出てねぇーよ! ってか、寝ぼけてんじゃないのか? って、寝ぼけてるなら……見てない――?! ちゃんと見てろよな!!!!」
その後は何故か翔太の説教を30分も聞かされた。
映画館を後にすると翔太が肩に軽々しく手を乗せてきた。
「さぁシン、俺はもう満足した。それはつまり……別れの時だ!! サラバ!!!!」
目にも止まらぬ速さで人ごみの中に消えていく。
声をかける暇さえなかった。
「ったく、一方的に誘っておきながら、コレだもんな……やっぱ俺、アイツ嫌いだ!」
自己中は許せねぇよなぁ、許せねぇよ……
「あぁ~あ、金と時間……無駄にしたな……」
心ではちょっとでも嬉しいと思っていても、やっばり拒絶反応のせいでこういうことを口にしてしまう。
でも今思えばこの時はまだ、幸せだったのかもしれない。
漸芽 信:(男)高校2年生
補足 :心・精神に問題あり。
大島 翔太:(男)高校2年生
補足 :”キング・オブ・ナイト”信者。オタク。中二病。自己中。
キング・オブ・ナイト:アニメ
補足:人気絶賛。アニメ内にて感覚接続型のゲームとして扱われている。初期視聴者からはKON。今ではキーナイトの呼び名で親しまれている。