幼少期(2)
何が何だかわからない超現象が起こって過去の自分(しかも赤ちゃん!)にタイムスリップした私は、過保護な使用人達に見守られながらすくすくと成長し、あれよあれよと5年の月日がたった。
***
「タエ、おなかすいた」
「待ってくださいね。今日の夕食は旦那様と奥様が戻っていらっしゃってからです」
どうやら普段別邸に住んでる両親が珍しく本邸に戻ってくることになったらしい。別にどうでもいいんだけど。
「え~!みちるまてないよぅ」
「…仕方ないですね。後で静香におやつを持って行かせますわ」
「わ~い!おやつ~!」
今ではもう、当然喋れるようになっているけど、悠長に喋りすぎて怪しまれるのを防ぐため、なるべく本物の5歳児っぽい口調を真似るようにしている。
5歳の子供ってこんな話し方でいいのかしら?
中身はとっくに成人してるからこれがけっこう大変なのよね。
無駄にだだっ広い子供部屋でタエと一緒におやつの到着を待っていると、トントンとドアをノックする音が聞こえた。
「静香かしら?お入りなさい」
「失礼します」
しかしそこに現れたのは使用人の静香ではなく、私と同い年くらいの小さな女の子だった。反応したのはタエだった。
「あら。あなたは確か、静香の子供の……」
「一条明日香です。はじめまして美散さま。母は忙しいので、私がおやつをお持ちしました」
その名前を聞いた瞬間、無くしたパズルのピースを拾い上げたような…不思議な既視感を覚えた。……私はこの少女を知っている?
――いちじょう あすかって、たしか……。
目の前の少女は両手で大事そうに、使用人の誰かが焼いたマドレーヌを持っている。年の割にはやけに落ち着いていて、真っ直ぐな長い黒髪と幼いながらも理知的な瞳が印象的な綺麗な少女だと思った。
「ありがとう」
「いえ。それでは私はこれで失礼します」
「あっ!ちょっとまって!」
「…はい?」
子供らしくない丁重な態度で部屋を出ていこうとする明日香を呼び止めると、こちらに背を向けていた少女が不思議そうな顔で振り向いた。
そのきょとんとした顔が年相応で可愛らしかったので、思わず笑ってしまう。
「あなたもいっしょに食べない?」
***
恐縮する明日香を圧力で黙らせ、テーブルの向かい側に座らせて一緒にマドレーヌを食べながら、私はこの大人びた少女のことを思い出そうとしていた。
「ねえ。あすかってよんでいい?」
「はい」
「この屋敷にくるのははじめて?」
「いえ。一回だけ…。保育所が休みで、しかたなく母のお仕事が終わるまで使用人の控え室で待っていたことがあります」
「へぇ。じゃあ今日はお母さんのおてつだいなの?」
「そうです」
「えらいね。まだ5歳なのに」
「……」
話をしていく内にどうやら彼女と私が同じ年齢らしいということがわかった。
それにしても5歳でこの落ち着きようってすごくない!?
前の人生で私が5歳だった頃なんかすでに暴れん坊将軍だったわ。屋敷のわざと見つからない場所に隠れて使用人総出で探させたり、節分でもないのに竹林の丹精こめて整えられた庭に大量の豆撒いたりとか滅茶苦茶してたわよ。
褒められて心なしか顔を赤くして俯いている少女の顔を見ながら過去の己の所業を恥じた。
……それにしても。
――やっぱりどこかで一度会ってる気がするのよね。
多分、タイムスリップする前だと思うんだけど。それもちょうど今と同じくらいの年齢の時に。あの頃での5歳って、正真正銘中身も子供だったから、記憶の隅に埋もれて忘れているのも無理はないかもしれないけど、どうにも奥歯に物が挟まったような感覚がしてむず痒いのよね。
二人がかりでマドレーヌを全て食べ終えた頃、途中で自分の仕事に戻っていたタエが私を呼びに来た。タエは私の世話係の他に使用人達を取りまとめる役目を担っているからいつも忙しそうだ。
若く見えるが、お祖父様が生きていた頃から桜庭家に仕えてくれた古株なので実はけっこうな年である。
「美散様。旦那様達が屋敷にいらっしゃったそうです」
「わかった」
「皿は私が下げておきます」
「ありがとう明日香」
にっこり笑って言うと、「いえ…」と小さく呟き、耳を赤くして俯いた。
なにこの子ちょー可愛いんですけど!!
これから私の遊び相手として屋敷に呼び寄せようかしら。
使用人の子供と遊ぶなんて!とか言われそうだけど、その時は泣いて暴れて我が儘を突き通してやるわ。
お父様もお母様も私が癇癪を起こすたびにいつも面倒くさそうな顔で、お前の好きなようにしなさいって匙投げていたし。
無意識に以前の自分の悪行を繰り返そうとしていることには気づかず、ぐふふふと笑いを噛み殺しながら広すぎる屋敷のこれまた広すぎる食卓に向かうと、すでに席に着いていた両親に適当に挨拶を済ませ、自分も席に座る。
「久しぶりだな美散。変わりはないか」
「はい。おとうさま」
「何か欲しい物があればすぐにタエに言うんですよ」
「はい。おかあさま」
形式的な会話は相変わらずだ。滅多に親子揃うことが少ない上、お父様は自分の会社のことで頭が一杯だし、お母様は多少は私のことを気にかけてるものの、私の顔を見るたび跡継ぎを産めなかった負い目を感じるのか、とりあえず好きな物でも買い与えておけば親としての義務は果たしていると思っている節がある。
(やばい。さっきマドレーヌなんか食べたからお腹いっぱいかも…)
次々と使用人の手で運ばれてくる料理を見て、ひきつった顔で自分のお腹を撫でながら後悔した。