蛇の目/IF
登場人物 :吉羽恵美 科警研第二課 主任捜査官
秋山慎一郎 :科警研第二課室長
片瀬梓: 科警研第二課主任技術員
渡辺直樹 :吉羽恵美とバディを組んでいる捜査官
蛇の目 :連続殺人犯の脳とリンクさせた人工AIで世界中のデータベースはおろか、日本の交通監視カメラともリンクした存在 殺人鬼の思考をもって独自の自立思考で犯罪を捜査し、科警研第二課の捜査に貢献している
そのコアユニットには秋山慎一郎の妻だった秋山和葉が接続されており、彼女もまた死の天使として多数の犠牲者を出した連続殺人犯であった 和葉を接続したコアユニットはKAZUHAコアと呼ばれており、他の繋がれた殺人犯の脳を制御している。
二課の面々は犯人プロファイルはしない。
何故なら通常のプロファイルを行うことは、犯人の心理に近づき犯人の心になる事だ。
それ故に捜査官に心理的負担がかかり、PTSDなどにより心が壊れていくからである。
そんな心理的負担を担うのは秋山慎一郎が開発した「蛇の目」システムだ。
ソレはサイコパスの連続殺人鬼達の独特の思考で犯罪をプロファイルする。これにより、数々の異常な事件を解決に導いてきた。
科警研第二課。表向きは存在しない彼等は異常犯罪を異常な思考でプロファイルしていく、彼等の捜査が実を結ぶのは異常犯罪を止めることができた時だけである。
蛇の目/IF
登場人物
吉羽恵美
科警研第二課主任捜査官。冷静で洞察力に優れ、過去のトラウマと向き合いながらも被害者に寄り添う捜査を行う。
秋山慎一郎
科警研第二課室長。犯罪者の思考を模倣するAI《蛇の目》の開発者であり、倫理的葛藤を抱えつつも《真実を知る為には手段を選ばない》という信念を持つ。
渡辺直樹
第二課の中堅捜査員。現場経験が豊富で、感情的な部分を排しながらも被害者への共感を忘れないバランス型。
片瀬梓
第二課所属の若手研究員。冷静沈着で論理的思考に長けているが、時に感情の機微には疎いところもある。《蛇の目》システムの運用データ解析を担当。
第一章
〈見えざる手〉
それは蝉の声の鳴り響く喧騒真っ只中の夏の日であった。
恵美がその件の捜査を指示されたのはその日の朝だった。
科警研第二課のオフィスがある千代田区から横浜市までの道のり、渡辺の運転する車中でファイルに目を通す……
「やはり連続犯ですか?」
そう聞かれた恵美だったが、ファイルに不審な点は無く、渡辺の問いに対する答えは持ち合わせてはいなかった。
「現時点では判らないわ、兎に角現場へ行きましょう」
平戸にある一軒のアパートに着いた二人が規制線の中に入ると、一人の男が建物から出てきた。
二人の姿を目にすると駆け寄ってくる。
「科警研の吉羽さんと渡辺さんですか?戸塚警察の近藤です。話は聞いてますこちらへ……」
「有難うございます、率直に聞きますが事件性は?」
「いやー!今の所、事件性は鑑識の報告でも上がってませんね。ご足労願ったにも関わらず無駄足だったかもしれませんねぇ」
近藤の受け答えを聞きながらアパートの一室へと入る。
そこは古ぼけたアパートの一室でこれまた古ぼけた照明器具が付いており、今どき珍しいスイッチの紐がぶら下がっていた。
「四人と聞いてますが……」
そう聞いた近藤が概要を話し始めた。
「被害者、便宜上そう呼びますが、四人の身元は照会中ですが、死因は、密閉された部屋で煉炭を炊いた事による一酸化炭素中毒によるものです。四人分の遺書もあり、部屋は内から入念にテープなどを使い密閉されてました。今の所自死の可能性が高いと思います」
鑑識の捜査が終わり、がらんとした部屋で、被害者の位置を型どった白線が際立つ。
「失礼ですが、吉羽さん達科警研ではこれを事件だと見立てているという事でしょうか?」
「いえ、まだです」
そう答えた恵美の胸中にあるのは徒労感であった。
渡辺が口を開く。
「今どき珍しいですね、こんなスイッチ」
スイッチの紐の先には五円玉が結び付けられていた。
恵美は苦笑しながら
「そうね!うちの祖母がこれと同じことやってたわ」
「この先に結び付けた五円玉ってなんか意味あるんですか?」
そう言われたものの、恵美も答えを持ち合わせてはいない。
「さぁ?」とだけ答えてスイッチを入れる。
テープで密閉された部屋に光が差す。
部屋をぐるりと見回すが特に不審な点もなく、部屋を出ようとした瞬間、目の前の襖に小さく何か書かれているのを見つけた。
〈9〉と書かれているようにも見える。
渡辺がスイッチを操作してライトを消した瞬間、それはハッキリと見えた。
〈夜行塗料?〉と思しきもので今度ははっきりと数字が読める。
「何かしら?」
恵美の胸に違和感が芽生える。
それは恵美の目の高さ、170センチ程の位置にある。
後ろに下がると、照明のスイッチのコインが背にあたる。
少し離れてみると襖の数字の高さとコインの高さが重なる。
他の壁も同じようにその高さを調べると、〈10〉〈8〉と書いてある。
密閉された窓にも〈7〉の文字、それらの数字は紐に結び付けられた五円玉の高さにあり、四方に〈7、8、9、10〉と書かれているのである。
その位置は五円玉を中心にして描かれており、何らかの意図を持つのは明らかだった。
「渡辺くん、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの出会いのエピソード聞いた事ある?」
と、突如言った。
「確か……オノ・ヨーコの個展で出会ったってやつですよね?」
「その時のエピソードにあるアート作品が、天井から吊るされた虫眼鏡を使って、天井にあるYESの文字を読むってモノだったのよ、コレ見て……」
恵美が指さす照明の紐の根元には小さなYESの文字があった。
「何ですかこれ?」
それを聞いた恵美の心には、疑念が巻き起こっていた。
「近藤さん、現場保全期間の延長お願いします。ここからは科警研で捜査します」
近藤へとそう伝え渡辺に声を掛ける。
「一度オフィスへ戻るわよ、車回して!」
恵美は四方にあった数字と照明のYESを写真に収め、電話をかける。
「室長〈目〉を使いたいのですが、今から写真を送ります。検索条件は、今回と同じく煉炭自殺として処理されてる事件で、検索期間は五年以内でお願いします」
「ああ、わかった」
短い返事を聞いた恵美は渡辺を待ち、車に乗り込んだ。
オフィスに戻りながら渡辺に言った。
「まだ仮説の段階だけど連続犯かもしれないわ、煉炭自殺を偽装して、あの数字が人数なら大変なことになるわよ」
「いくらなんでも10人なんてにわかには信じがたいんですが•••根拠は?」
「煉炭自殺するだけならあれ程部屋を密閉する必要ないでしょ?それと四人同時なら一人ぐらいは躊躇して失敗するものなのよ、人間の心理としても疑問が残る。今、室長に〈目〉を使って検索してもらってるわ」
「〈蛇の目〉使ってるんですか?」
「ええ、仮説が確かなら条件に一致する事件出てるはずよ」
「とにかく急いで戻りましょう」
車は首都高横羽線から羽田線を経由して加速していく、この調子なら40分程でオフィスに戻れるだろう。
〈蛇の目〉を運用し始めて半年以上、それなりの成果を上げ、いくつかの殺人事件を解決した二課のチームであったが、新たなサイコパスの確保には至っていなかった。
その事で秋山の苛立ちが顕著になっていたのは事実だった。
そんな最中に起きた〈蛇の目〉による提案を受けたのが今回の事件であった。恵美が違和感を感じたのと同じく、オペレーションルームにいる秋山にも〈蛇の目〉が現場の違和感を伝えていた。
〈世田谷、船橋、市ヶ谷、横須賀、相模原、春日部、類似件数6件〉〈手口の一致確率87%〉〈画像一致数0〉〈室内の状況と画像から連続殺人の確率23%〉
「この23%を高いと見るか低いと見るか……」
上階のオフィスに戻ってきた二人を直ぐに下階へとよぶ。
オペレーションルームへと入ってきた二人に検索結果を伝えると恵美が言う。
「同じような部屋の状況で絞り込むと何件ですか?」
〈検索結果2件〉と出た。
〈世田谷〉〈船橋〉
「6件の事件洗うぞ、先ずはその写真の数字から探そう、吉羽は2件を洗え、渡辺は残りの4件を念の為にあらってくれ」
「私と片瀬で、随時〈蛇の目〉を使ってサポートする」
「はい」
という二人は、言葉と共にエレベーターへと消えて行った。
秋山は〈蛇の目〉にいくつか指示を出し、その結果を待ちながら片瀬へと指示を出した。
「片瀬、鑑識にこれらの事件のデータをこちらに送って貰ってくれ。そのリストはこの6件、〈世田谷〉と〈船橋〉の2件は最優先だ。残りの件も情報を集めてくれ」
「わかりました」
と短く返事があった。
その頃恵美は世田谷区桜新町にある一軒のアパートへと来ていた。
資料によると、そのアパートは2年前に事件の現場となったまま、未だ借り手の付かない物件であった。
〈外観も横浜に似ている〉と思った恵美は、管理人に事情を話しその部屋の鍵を開けてもらった。
そこに足を踏み入れると、夏ということもあり〈むわっと〉した熱気が肌を叩く。
事件現場となった部屋の間取りを確認すると、その一室へと入る、照明のスイッチが紐なのも同じだ。
直ぐに根元を見る〈YES〉の文字を見つける。
「ビンゴ」と心でつぶやき、遺体の状況が書かれた資料と照らし合わせる。
被害者は2名……〈折原裕二27歳〉〈山崎千鶴19歳〉死因は煉炭による一酸化炭素中毒、二人の関係性はSNS上での知人関係で、自殺願望のある人間が集う自助グループに出入りしていたのが確認されていた。
壁の文字を探す…………
「あった!」
〈3〉〈4〉横浜と同じく淡い夜行塗料のようなもので書かれていた。
恵美は連続事件を確信し秋山に連絡した。事件が本当なら船橋の現場からも同じ文字が発見されるはずである。
現場を写真に収め、船橋へと車を走らせる恵美であったが、胸中には不安があった。
被害者と見えざる犯人との関係性と、自殺幇助か殺人かの境界線が曖昧なためである。
〈殺人〉として立証するためには明確な意図の立証をせねばならない、その為には壁に書かれた文字の意味の立証も必要な事が恵美の胸にはあった。
課題は山積みであった。
車は首都高都心環状線へと入り、このペースなら1時間以内には船橋へ着けそうであった。
恵美の見立てが確かならば、数字は人数で、被害者は10人に登るのは確かだ。
それらの被害者を何らかの方法で自殺へと誘っている者がいる。
「渡辺くんそっちはどう?」
と電話で聞きながら車を走らせる。
「今の所類似性は見られません、ただ、現場がアパートなどの一室じゃなく車中なんかも含まれているので、資料取りに春日部の警察署に向かってるところです。」
「今、船橋に向かってるけど、終わり次第合流するわ」
そう受け答えして電話を切った。
車は高速を下り、国道14号を進む。
夏の強い日差しが恵美の目を険しくする。
事前に連絡していた船橋の現場には一人の男が立っていた。
「船橋東警察の佐々木です、吉羽さんでしょうか?お待ちしてました」
「科警研の吉羽です、今日は御足労ありがとうございます、早速ですが現場は……」
「こちらです、管理人から鍵を預かってるので自由に捜査できます」
案内された部屋の前に立つ。佐々木が鍵を開け、恵美は足を踏み入れた。
「確か佐々木さんも現場に立ち会われたんですよね?」
「ええ、去年の事件で現場検証と鑑識作業にも立ち会ってますよ、被害者は〈山科明夫22歳〉〈園田敏郎32歳〉、死因は練炭による一酸化炭素中毒で遺書もありました」
「不審な点は?」
「二人とも経済的に困窮していたせいもあり、遺書も不審な点が無かったため自死として処理されました」
今回の部屋には照明にスイッチ紐はない。
「被害者の位置はこちらとそちらの壁に……」
恵美はその壁をくまなく探す。
そこには〈5〉〈6〉横浜や世田谷と同じく数字があった。
照明のカバーに目をこらすと〈YES〉の文字を見つける。
「事件の疑いがあるんですか?」
「いえ、まだそこまでは•••その時の検死報告と資料お借りしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、構いませんよ、署まで御足労願いますが」
恵美は数字と文字を写真に収め船橋東警察へと向かうべく車を走らせた。
一方、渡辺は資料を集めるべく奔走し、春日部警察へと来ていた。
春日部の事件は車中で練炭自殺を図り、2名が死亡していた。
「これで資料全部ですか?」
当時、担当刑事だった原西から資料を受け取り目を通す、現場写真にも目を通すが特に不審な点は無いと思われたその時、渡辺の手が止まった。
「これ、現場は廃車場か何かですか?」
「ええ、放置されていた廃車の中で二人が練炭自殺していたんですが、不審な点でも?」
その写真には廃車の外観が撮影されており、奇しくもフロントガラスにはYESの文字とドアには数字の〈1〉と〈2〉に見える落書きがスプレーで装飾されていた•••
すぐに恵美へ連絡を入れると渡辺は聞いた。
「この車ってまだありますか?」
「あーどうですかねぇ?配車場にあったのは一昨年のことですから、今は解体されてるかもしれませんね。確認しましょうか?」
「お願いします」
数十分後、廃車がまだ現存していることを確認した渡辺が廃車場の位置を恵美へメールで送る。
「では、現地で待ってます」
と短く言い、渡辺は署を後にして車を走らせた。
牛島古川公園近くにある廃車場に渡辺が着いたのは午後4時をすぎた頃だった、夏の夕日にはまだしばらくの時間があり、渡辺は廃車場の門を潜った。
作業員に声を掛けると事務所へと足を向けた。
「早速ですが、件の廃車どこにあるんでしょうか?」
と聞いた。
「あーあれね、ちょっと待ってくださいよ、ヤマから引っ張り出すんで、おい!山本、例の車引っ張り出してくれ」
社長の加賀美の声に山本が頷き事務所を出ていった。
「30分程待って貰えますか?」
「ええ」
「あんな事件で使われた車だって事で従業員が気味悪がっちゃってねぇ、それで今までスクラップになってないんですよ……事故車とかならすぐにスクラップにする連中が不思議だと思うでしょうが、一種の験担ぎみたいなものがあってねぇ……」
恵美から着信があり、事務所の場所を伝えると恵美がやってきた。
「モノはどこ?」
「今、廃車のヤマから出してもらってるとこです」
鏡の傍らの無線が鳴った
「用意出来ましたよ」
山本の声に三人は表に出た、廃車の山の方へ行くと一台の車が目の前に現れた。
「これでさぁ」
加賀美が言う。
「渡辺くんが言った通り他の件と酷似してるわね」
その車のフロントガラスにはYESの文字と運転席側に〈1〉助手席側には〈Z〉とも〈2〉とも取れる文字がスプレーで描かれていた。
「車内は放置されていたため当時の面影は無いが、外装にはハッキリと残っていた。
「写真撮ってオフィスへ戻りましょう」
そう告げた恵美の胸中にはもはや確信となった事件の影が見えてきていた
恵美たちがオペレーションルームへ戻る頃、秋山と片瀬の方でも〈蛇の目〉へのデータ追加が終わっていた。
「4件の自殺の関連性と数字の関連率を出してくれ」
〈手口の一致性98%〉〈数字の関連性1~10をナンバリングの可能性有り〉〈練炭を使った殺人の可能性50%〉
そこまで出たところで恵美たちが入室してきた。
「どう思う?」
秋山が二人に問いかける。
「自殺に偽装した連続殺人の可能性が高いと思われます」
渡辺も頷く。
「殺人だとしたら横浜で人数的なハードルを一気に上げたことになるな、しかし……」
「〈蛇の目〉の殺人判定率が気になる」
インカムをつけた秋山が問う。
「殺人の可能性50%というのはどういう理由だ?」
モニターの幾何学模様が点滅する
〈被害者10人が孤独を抱え、精神的に追い詰められていたのは明白である〉〈遺書の存在と手口から殺人か自殺幇助かの判断は現時点では不明〉
「もっともな理由だな、先ずは
殺人事件としての立証から始めねばならんな」
「二人は横浜の件をメインに洗い、世田谷の件で被害者が参加していた自助グループを洗ってくれ、もしかすると他の三件でも、自助グループが関係しているかもしれん」
「先ずは自助グループの線から洗うわよ」
翌日の朝、検索でたどり着いたその自助グループ〈光の道〉のオンラインフォーラムは、孤独や精神的、経済的な悩みを抱える人々の交流の場であった。
フォーラムの中心人物は〈救済者〉と名乗り、日々悩みを抱える人々の告白へのアドバイスを与えているのであった。
折原裕二と山崎千鶴の書き込みもそんなフォーラムの中にあり、履歴が残っていた。
「スレッド見ると結構過激な事書いてありますね」
「誹謗中傷の類のコメントも見られ、それに対して〈救済者〉の戒めのコメントも混在していますね、あーこれなんかもろ自殺幇助」
言われた箇所を見ると山崎と折原の悩みに対して練炭自殺を勧めるかの如くコメントが並んでいた。
「まずはオンラインフォーラムの開示請求と〈救済者〉の特定、横浜や他の二件の被害者がここに出入りしていたか調べましょう。開示請求は一ヶ月も待ってられないから上に室長に掛け合ってもらいましょう」
「これ、連続犯だとすれば人数的ハードルを越えたから犯行が加速する可能性あるわよ、急ぎましょう」
「了解です」
渡辺が短く答え、二人は〈戸塚警察〉の近藤の元へ車を走らせた。
「近藤さん、被害者の身元は判明しましたか?」
「ええ、被害者の身元は〈設楽賢人29〉〈西崎渚17〉〈咲夜愛17〉〈和久井武21〉でした。咲夜と西崎は同じ高校の同級生で友人関係だったようです。」
「スマホなどの解析情報は?」
「まだそっちは出てないですが、西崎渚の所持品にこんなチラシがありました」
〈光の道〉
「このフォーラム、同じね」
「やはり事件なんですか?」
「まだ仮説の段階ですが•••他の件でもこの〈光の道〉という所に被害者が出入りしてまして」
「どうしましょう、鑑識の結果がわかるのは数日先になると思いますが、結果が分かれば科警研にお送りしましょうか?」
「お願いします」
そう答えた恵美の胸中にはパズルのピースが埋まっていく感覚があった。
さしあたっては〈光の道〉と言うフォーラムの開催場所を探るのが急務となった。
まずは西崎渚と咲夜愛が通っていた女子校での聞き込みからである、二人がが通っていたのはキリスト教系の横浜にある学校で〈エリス女学院〉と言った。
教職員からの聞き込みではめぼしい情報も無く、生徒達から話を聞くことになったのだが、ここで〈光の道〉の話を聞くことになった。〈光の道〉は最近学校内でも小さな話題に登るフォーラムで学校の生徒の中にもちらほら参加していた生徒が居たらしい。
「渚と愛ならそのフォーラムに何回も参加してアタシ等にも一緒に行こうって声掛けてたよ」
「どういうフォーラムだったの?」
「誰かが悩みや相談をして、それを皆が聞いて〈救済者〉っていう人と答えを模索していくみたいな感じかな?ただ、その相談内容や悩みがすっごいヘビーだったみたいで、一緒に行った友達がドン引きしてたわ」
「っていうか渚も愛も、そんな自殺なんてする子じゃないわよ、そもそもうちキリスト教系の学校で、自殺なんて神への冒涜だもの、ありえないわ」
そう言われてみればそうである、伝統的なキリスト教系学校では自死を殺人と同じく神の秩序を乱す行為として考えられ禁忌されている。そんな学校に通う二人が自死を選ぶのは理不尽であった。
フォーラムに潜入する必要があるのは明白だった。
「このチラシどこで配られてるか分かる?」
「うーん……関内のカラオケボックスの前でウチらは貰ったけど、今でも配ってるかは判らないわ」
「ありがとう!何かほかに思い出したらココへ連絡を」
そう言いながら名刺を手渡した。
「チラシの住所に行ってみましょう」
それは横浜スタジアム近くのビルの住所であった。
〈常磐ビル〉そう書かれたビルに二人が入ったのは、午後5時になろうかという時間だった。ビルの入居プレートに〈NPO光の道〉の名を見つける。
入口のチャイムを鳴らし反応を待った。
「はい」
短く応答があり、警察である旨を伝えるとドアが開いた。
そこは何の変哲もない事務所で、複数の女性職員が働いており、チラシの作成などを行っている所だった。
「こちらのNPOはどういう活動されてらっしゃるのでしょうか?」
代表らしき男性が奥から出てきた。
「特段変わった活動はしてませんよ、代表の〈今野光一〉と言います」
「主に悩みを抱える方の相談を受けて、フォーラムの参加者でより良い答えを導き出す事を主としてます。その相談は人間関係から金銭面の問題や十代特有の学校での悩み等、多岐に渡ります」
「そのフォーラムに出てくる〈救済者〉と云うのは誰ですか?」
「ああ、それは誰と言うより〈何〉ですね、要はAIですよ」
「AI?」
「ええ、ウチのNPOでは相談者への回答を導き出すのにAIを活用してまして、人間が感情で答えを出すのに比べ、中立性を担保し、AIでアドバイスを導き出すんです」
「オンラインフォーラムの方でもチャット形式で運用してるのでそちらの方が分かりやすいかと思います」
「なるほど、多数の参加者の様々な意見を集約しAIで回答を得るという事ですか?」
「そうですね、ただ、人間相手なので毎回適正な回答を導き出せる訳ではありませんが、毎回よりベターな回答を導き出す努力はしています」
そこで恵美は写真を見せた。
「こちらのフォーラムに参加していたと思われる生徒達なのですが•••」
「ふむ、よく覚えてますよ、確か学校の交友関係で悩みを相談に来ていましたね。彼女達が何か?」
「現在捜査中の事件でちょっと……」
「そうですか……」
「オンラインフォーラムの運用はここで集中管理しているのですか?」
「いえ、オンラインフォーラムの方は委託業者にお任せしてるんです。こちらの事務所では主に定期的なフォーラム開催に関わる事務や開催に関わる会場確保を担っています」
「オンラインフォーラムの委託業者の住所頂けますか?」
〈㈲さんらいず〉東京・足立区……
一枚の名刺を貰い光の道の事務所を後にした二人はその足で〈さんらいず〉へと向かった。
その事務所の住所は一軒のマンションの一室であった。
表札の名前は〈㈲さんらいず〉になっている、チャイムを押すが、返事は無い。
「出直しましょう」
「今日は疲れましたね」
渡辺の言葉に恵美が頷く。
「とりあえずオフィスに戻りましょう」
「ええ」
と短く渡辺が呟いた。
今日の一連の報告は秋山に既に上げてある、後は〈蛇の目〉の判断がどうかである。それには急ぎ戻る必要があった。
オフィスにあるエレベーターに乗り込みBFを押すと、低い降下音と共に地下へと降りていくのが分かる。
数十秒の後、オペレーションルームのあるフロアに着くと真っ直ぐに足を運ぶ、既にそこには片瀬と秋山が待っていた。
「ご苦労だった、二人とも座りたまえ」
そう即された二人はソファに腰掛けた。
インカムをつけた秋山が言う。
「今日の一連の報告を受けた事件の詳細を出してくれ、類似性と連続犯の可能性もデータにしてくれ」
大型モニターの幾何学模様が点滅する。
〈四件の類似性97%〉〈連続犯の可能性87%〉〈オンラインフォーラム光の道を使い被害者を選別している可能性有り〉〈被害者10人の類似性55%〉〈手口の一致性100%〉
ここで画面の点滅が長くなる。
〈殺人事件の可能性63%〉
「事件の可能性が低い理由は何だ?」
〈被害者に類似性が見られるものの、手口である煉炭自殺を偽装しているのか、自殺幇助なのか教唆なのか、現時点では判別不能〉
恵美が口を開く、
「ここまで類似性あっても殺人と断定できないなんて……」
「〈目〉の判断は正確だ。現時点では幇助犯、教唆犯の可能性も捨てきれないのは事実だ。オンラインフォーラムに絞って被害者を選別している可能性と、殺人事件としての立証をするぞ」
秋山の強い言葉に三人は頷いた。
殺人の立証にはオンラインフォーラムでの被害者の選別方法と明確な殺人の意図を立証せねばならない。このハードルはかなり高いと言わざるを得なかった。
恵美たち二課の面々が、この事件にどう関わっていくのか、それは混沌の中にあると言わざるを得ない、それにより被害者を誘う〈見えざる手〉の存在を感じる恵美であった。
第二章
〈蜘蛛の糸〉
夏の日差しが頬を叩き、少し歩いただけで汗が吹き出る。
渡辺は〈神奈川県警科学捜査研究所〉科捜研に来ていた。
横浜の事件の科学的検証が終わったからである。受付を経て中へ通される。
「室長の柳田です」
「科警研の渡辺です」
「柳田さん早速ですが、検死結果で特異な点が出たそうですが、それは一体何でしょうか?」
「ええ、被害者全員からベルソムラという睡眠導入剤が出ました。それは通常の量と違い過剰投与されてました•••」
「自分で服用したということでしょうか?」
「その可能性は否定できないのですが、通常、この量を服用すれば意識混濁も疑われるレベルです、自死する恐怖心を薬で押さえ込んだとも言えなくはないのですが、明らかに通常の服用量ではありませんでした」
「入手方法はどうですか?」
「処方薬ですから通常ルートですと医師の診断が入りますね、ただこの手の薬は違法転売が後を絶たないので入手ルートからの特定は難しいですね」
「そのデータ科警研に送って貰ってもよろしいでしょうか?」
「ええ、構いませんよ!すぐにお送りします」
「ありがとうございます。ではよろしくお願いします」
渡辺は直ぐに恵美に連絡を入れる。
「吉羽さん、被害者から睡眠薬が出ました……ええ……ええ……では先に戻っています」
秋山にも連絡を入れると渡辺はオフィスに戻るべく車を走らせた。
その頃恵美は〈㈲さんらいず〉へと来ていた。
チャイムを鳴らすとガチャリとドアが開いた。
「こういうものですが、お話を聞かせて頂きたく」
手帳を見せて警戒心を解くと相手は答えた。
「どんな要件でしょうか?」
「ある事件のことでこちらで管理されてるオンラインフォーラムについてお話を聞かせて頂きたく」
「どうぞ中へ」
とぶっきらぼうに言われて中へ招き入れられる。
「赤坂です」
そう言いながら一枚の名刺を渡された〈赤坂俊樹〉
部屋の中は数台のパソコンとサーバー機器が並んだ空間であった。
「で、どういうご用件で?」
「こちらで管理されてるNPO光の道のオンラインフォーラムについていくつかご質問がありまして」
「どういった質問ですか?」
「こちらのフォーラムはチャット形式で書き込んだ事案に対してAIを介して回答を提供されるそうですが、基本システムはどういうものなんでしょうか?」
「専用フォーラムソフトウェアを使い、カスタマイズされた環境を提供してます。その為の〈管理者〉〈モデレーター〉〈ITサポート〉の全てを私が担っています」
「利用者が書き込んだ内容に関してはAIが判定を行い、適宜削除や荒らし行為の防止を行うのでモデレーターとしての作業は少ないですね」
「不適切な内容については削除と仰っておられますが、当方が見たところ自殺幇助や練炭の購入方法、各種薬物の入手方法等散見されるのですが……」
「そこはAIの難点な所ですが、法を逸脱した行為と合法の行為の境界でのみ判定しているものだと思われます。ですから、例えば大麻の入手方法を聞いた時に、他の利用者から入手方法が示されたとします。その会話は違法なので当然削除されますが、大麻の隠語である〈野菜〉売ります買いますだと削除されない為、私がモデレーター作業を行うことになります」
「つまりいたちごっこの側面はあると」
「そうなりますね」
「そういった削除前のログというのはこちらには残ってるんでしょうか?」
「ええ、2年分はサーバーに残ってますよ」
「そちらを提供して頂きたいのですが……」
「それに関しては構いませんが、正規の手続きを取ってもらわないとダメですね。個人情報が含まれるデータもありますので……」
「わかりました、ではこれで失礼します」
恵美は進めている開示請求の足を早める必要に迫られるのだった。
未だ見えない犯人の姿であったが、それぞれの現場に足を運び、数字と文字を書き込んでいるのは確実だ。
そこで恵美は横浜の現場へと足を向けた。既に現場検証は終わってはいたものの、現場保全されているため部屋の中は発見時のままだ。
窓に貼られたガムテープやダンボールが部屋への光の侵入を拒んでいる。その為、薄暗く空気が淀んだような部屋の中で恵美はある可能性に気付いた。
秋山に電話をかける。
「科警研の鑑識チームを横浜の現場に手配して欲しいのですが•••」
恵美の仮説は、被害者四人の他に容疑者Xが居るのであれば、窓や部屋の各所に貼られたガムテープ等から、謎のXの痕跡が発見される可能性があるのではないかというモノであった。
その可能性は大いにあった。
被害者に寄り添い、不審がられず自殺を偽装する事が出来る人物を立証出来れば、明確な意図を持った殺人の可能性が高まる。その為には現場全ての物を回収する必要があるのだ。
後は〈救済者〉を使いフォーラム上でどのように被害者を選別しているのか?それの解明には開示請求を待たねばならない。
そういう論理的ジレンマが恵美の胸中には湧いていた。
2時間ほど待った頃、鑑識の一団がやってきた。彼等に部屋の中の採取できるもの全ての回収と徹底的な指紋採取を命じ、オフィスへと車を走らせる恵美であった。
事態が動いたのは2日後であった。
鑑識が押収した物の中から被害者四人以外の毛髪が発見されたのである。
指紋の一部も発見されたのは大きな収穫であった。これで練炭自殺が明確な意図を持って仕組まれた証明となり、被害者以外の謎の人物が現場を立ち去っている事にも繋がる。
「これでIFケースの立証は終わりだ。連続殺人事件として捜査するぞ」
〈もしも〉連続殺人であればと仮定する為の〈IF〉の立証が完了し、まだ見ぬシリアルキラーの影を蜘蛛の糸のように掴んだ瞬間であった。
「〈㈲さんらいず〉に対する開示請求も終わっている、サーバーから全てのログファイルを回収して持ち帰ってくれ。それを使い〈蛇の目〉を動かすぞ」
秋山の宣言を持って事件は大きく動き出すのであった。
恵美と渡辺は〈㈲さんらいず〉へと向かった。
赤坂の苦虫を噛み潰したような表情は見ものであったが、問題なくSSDを回収する事となった。
その回収の時に赤坂が気になる事を言った。
「何度かハッキング被害にあいまして、その都度管理者のパスキーを抜かれてしまいました。大きな被害は無かったんですが、そのログも記録されてるので外部へ漏洩しないような取り扱いお願いします」
「顧客に知れたら廃業ですから」
「前回そんな事言ってなかったですよね?」
「まさか本当にログファイル回収されるとは思ってなかったもので•••」
「他に言ってないことは無いですよね?」
「実は……〈救済者〉に偽装して利用者とやり取りしていた形跡がありまして、そのアドバイス内容が不適切だったと記憶してます」
「具体的には?」
「利用者と直接コンタクトするために、テレグラム等の秘匿性の高いアプリに誘導していたんです」
「もちろん、そのやり取りは削除しましたが、利用者が誘導された可能性はあります」
「そうですか」
そう言った恵美の胸中にはテレグラムなら痕跡が追えない可能性を危惧していた。
オペレーションルームへと二人が戻り、SSDが片瀬に渡された。
後は〈蛇の目〉の出番である。
インカムをつけた秋山が〈蛇の目〉を起動するとモニターに幾何学模様が現れた。
「繋いだSSDからログを全て読み込んで横浜の被害者と一致しそうなやり取りを全て出してくれ」
モニターが点滅を始める。
途端に、警告音が鳴り響く〈マルウェア検出〉の文字列とともにフロアに緊張が走る。
しばしの警告音の後、モニターが正常に戻ると〈デリート〉と出た。
「問題ない、そのままログの解析を頼む」
とだけ秋山が言った。
「しばらく時間がかかりそうだな」
その声が象徴するようにモニターの点滅感覚が長くなっていく。
「横浜で亡くなった被害者四人からベルソムラが出た件も含めて考えると、他の三件でも使われていた可能性あるな」
秋山の指摘はもっともである。
「手口としてはベルソムラを服用させ、練炭自殺へと偽装した殺人を行っていることになりますね」
渡辺が言葉を挟む
「被害者とのコンタクトにテレグラム等使っていれば、ログファイルからの解析でも因果関係の証明難しいのでは?」
「まずは〈蛇の目〉の解析を待とう」
それは解析から20分程で出た。
〈西崎渚、咲夜愛の一致数16件〉〈設楽賢人、一致数4件〉〈和久井武、一致数12件〉〈四人との接点一致数5件〉〈四人への〈救済者〉からのコンタクト率91%〉〈チャットからテレグラムに誘導されている人数7件〉
「四人以外にテレグラムへ誘導されている利用者を出してくれ」
〈山科明夫〉〈園田敏郎〉〈相模陽子〉
「そのうち事件化した4件と関係ない名前は〈相模陽子〉だが情報を出してくれ」
〈相模陽子26歳〉〈横浜市仏向町……〉〈勤務先情報……〉
「この〈相模陽子〉が次のターゲットだとすると危ういな、直ぐに保護に移るべきだがどうするか•••」
「〈救済者〉が容疑者である確率はどの程度だ?」
〈ハッキングにより成りすまされた可能性92%〉〈容疑者である可能性83%〉
「先程のマルウェアの種類と動作を検証してくれ」
〈トロイの木馬とルートキットの複合型で主な機能は管理者として成りすまし、全ての操作を可能にします〉
「〈蛇の目〉お前が犯行を実行するならどうする?」
〈相模陽子以外の人物もコンタクトを取りテレグラムを使い計画を実行に移します〉
〈その際のアパートなどの選定や練炭の用意などに準備期間、最短10日〉
「NPO光の道が関与している可能性は?」
〈フォーラムの参加者の中に潜んでいる可能性80%〉〈運営側に潜んでいる可能性13%〉
「横浜の事件の被害者の行動を追えるだけ追ってくれ、交通監視カメラなど全て使え」
インカムを外した秋山が言う。
「渡辺は相模陽子の監視だ。吉羽は〈光の道〉のフォーラムに参加して探ってくれ」
「私と片瀬で横浜の件を洗えるだけ洗おう」
「片瀬はそれと同時にオンラインフォーラムの監視をチームを数人で組織して24時間体制で監視を行ってくれ」
「了解しました」
と三人が答え、事件が大きく動き出すのをチームは感じていた。
それはまだ見ぬ容疑者の特定へと向かう大きな一歩であった。
7月17日、恵美はフォーラムの開催地である横浜関内のビルに来ていた。
その会場は椅子が20程円形に並べられた空間で真ん中にテーブルがあり、そのテーブルには一台のPCが乗っていた。これが〈救済者〉であろうと思われた。
開始30分前にも関わらず参加者で椅子は埋まりつつあった。
「どちらから来られたんですか?」
不意に声を掛けられた方向を見ると、不安げな表情をした20代前半と思しき女であった。
「千葉です」
と短く答えると安心して堰を切ったようにように喋る。
「良かった!私、三条恵って言います。東京からなんですけどこんな会に参加するの初めてで……」
女はひとしきり喋り倒した後に、一人場違いな事に気付いて赤面した。
その時、今野光一が現れ会の開催を告げた。
「只今から〈光の道〉定期フォーラムを開催します」
その会は恵美の目から見ると、特異な場であった。
参加者それぞれが、経済的、人間関係、精神的に追い詰められていたのは明白である。
参加者が思いを吐露し、時には参加者がアドバイスを送り、今野が助言し、〈救済者〉が答えを導き出す。その答えに参加者は時には涙を流し祈るような仕草をするのだった。
恵美の目を引いたのは一人の女であった。
その女は幼少期に両親を自死で亡くしており、自身は児童養護施設で育ったという人物だった。
女の相談は夢に関するもので、悪夢から逃れるために自死を選ぶ夢を頻繁に見るというものだった。
それに対して今野や参加者がアドバイスを送り、〈救済者〉は心理カウンセリングを受けるように助言するのであった。
女はその夢を〈蜃の夢〉と呼んでいた。
〈蜃〉とは、中国や日本の伝説に登場する巨大なハマグリや竜の姿をした怪物で、その夢は蜃気楼の語源となっている。
女は自身の夢を、虚実と現実の狭間で見る夢だと表現しているのであった。
そんな女の話を聞いていた恵美の隣、先程の三条恵の番になった。
三条の悩みというのはこうだった。
三条恵は22歳であった。
事務の仕事をしながら、稼ぎの大半をホストへつぎ込み、カードもパンク状態で首が回らなくなっていた。
そんな恵の唯一の希望は推しのホスト亮との逢瀬であったのだが、その為には時には新大久保で立ち、女を売って稼ぐ事もあった。
そうする事で亮は、恵に払った対価の分だけ優しくしてくれるのであった。しかし、そんな逢瀬が長く続くはずなく、恵の精神は破綻寸前であった。
そんな最中、彼女は救いを求めて〈光の道〉の門を叩いた。自分の境遇を一気にまくし立てるように喋り、思いを吐露する、そうして気づいた時には彼女は涙を流していた。
それに対して参加者や今野は彼女に寄り添い、現実的な問題解決の手段に法テラスへの相談を勧めた。
それは〈救済者〉も同じ回答をし、彼女にとっては寓話〈蜘蛛の糸〉のような一筋の光であった。
これで彼女は金銭的な問題や、散財を繰り返したホストの問題にも終止符を打って人生をやり直せるはずだった。
そういう彼女を一匹の悪意のある蜘蛛が巣を広げて獲物がかかるのを待っていたとは知らずに……
恵美は恵の告白を聴きながら〈夢の女〉の事を考えていた。
女の目的が答えを求めていないのが気になったのである。女が話したことといえば自身の生い立ちと〈蜃の夢〉の事だけ、それに対してなんのアドバイスも求めずに、人を値踏みするかのごとく見つめている女に違和感を感じた。
フォーラムは終わりに近づき今野が、オンラインフォーラムの案内を始めた頃、その女は席を立ち姿を消していた。
「今回のフォーラムはここまでにしましょう、次回は一月後の予定ですが、オンラインフォーラムは随時開いてますので、宜しければ会員登録後の利用をお待ちしております」
今野の閉会の挨拶をもってフォーラムは終了するのであった。
三条恵はフォーラムの帰りに、その女に声を掛けられた。
先程のフォーラムで見た顔であり、奇妙な夢の話をしていた。
その女の話は恵にとって興味深いも のであり、法テラスへの相談より魅力的であった。
「三条恵さん、苦もなく大金を稼げるわよ」
と言われその気になった。
「どういう仕事なんですか?」
素直に聞くと女は
「興味あるならテレグラムというアプリで話しましょう」
「テレグラムってなんですか?」
恵には初めて聞く名のアプリであった。
「秘匿性の高いチャットアプリで、秘密の儲け話とかたくさんの情報が手に入れられるの」
「先ずはインストールして@IF6321で検索してアドレス登録して頂戴、後はメッセージのやり取りで話すわ」
そう言われて名刺を渡された。
〈@IF6321〉
「テレグラム、テレグラム、あった」
呟きながら言われるがままアプリをインストールした。
「えーっと自分の電話番号を入れて!SMS認証をしてと•••」
「連絡先の追加で@IFろくさん……にーいち」
「これでいいのかしら?はじめまして……」
すぐに返信があった。
〈三条恵さん?〉
〈はい〉
〈7月21日10時下記のマップ画像の場所に来て下さい〉
「え?これだけ?」
手間の割には短いメッセージのやり取りだけだった事に憤慨したが、とりあえず指定の日に地図の場所〈横浜公園〉に行く事にした恵だった。
渡辺が〈相模陽子〉の監視を始めて5日が経った。
今の所周囲に不審な点もなく、唯一気になる点はスマホを四六時中いじっている事で、その行動が渡辺の気を引いた。
監視を始めた渡辺を悩ませたのは、相模の行動ではなく、夏のうだるような陽気であった。日中はもとより、夜になっても汗が滲む気温は渡辺の緊張感をじわじわと削り取って行く。
〈相模陽子〉という女は孤独であった。職場での昼食も一人で摂り、帰りに決まったコンビニで弁当を買い、決まった公園の決まったベンチで弁当を食べる。
張り込みする対象としては極めて退屈な人間であった。
「今日も動きは無さそうだな」
夜の21時になり、そう呟いた渡辺であった。
秋山へ定期連絡を入れると休憩の為に自販機で飲み物を買い、現場へ戻った。
相模のマンションから一人の女が出てくるのが見えた。油断していた渡辺が見取りを怠る。
「まずい」
と思ったのもつかの間、半信半疑で後をつける、コンビニへと入っていく姿は相模のものだった。
ほっとしたのも束の間、コンビニから駅の方へと歩いていく……
桜木町を過ぎ、関内の方へと歩いていく姿を付かず離れずでついて行くと伊勢佐木町の日ノ出川公園へと着いた。
「誰かと待ち合わせか?」
しばらくするとタクシーがやって来て一人の女を降ろす。
女は相模の方へと歩いていくと何事か相談しているようであった。
30分後、女と別れた相楽は、自宅へと戻って行った。
その女の姿を、写真に収めていなかった事を渡辺は悔いたが後の祭りであった。
それは7月20日の23時の事であった。
第三章
〈蜃の夢〉
その日、恵美はオンラインフォーラムを監視していた片瀬からの電話で起きた。
「吉羽、動きがあったからそのまま現直してくれる?」
「どこですか?」
「横浜公園よ!」
「渡辺が相模を追ってそこへ向かってるから合流してちょうだい」
「室長には私から連絡入れとくわ」
そこまで一気に聞いて飛び起きた。
恵美の家から〈横浜公園〉までは40分はかかる、首都高2号目黒線へと入りアクセルを踏み込む。
静かな加速音とともに車は加速していく、夏の日差しが恵美の顔を叩き、表情が険しくなる。
横浜スタジアムに隣接された横浜公園は、日本で最も古い西洋式公園の一つである。
道すがら渡辺に連絡を入れる。
「今どこ?」
「もう着いてますよ、今、日本庭園エリアに居ます」
「了解、あと20分程かかるから動いたら連絡お願い」
「ええ、わかりました……了解です」
車は首都高1号横羽線へと入り、ますます加速していく。
渡辺は相模を見張りながら周囲へ目を配った。
夏の日差しが眩しい。
その日、相模は仕事を休み、朝から電車を使い横浜公園へと足を運んだ。
相楽が連日と違う行動をとったのは張り込みを始めてから6日が経った今日、初めて見せた行動で、明らかに誰かと待ち合わせしているようであった。
昨夜、日ノ出川公園で謎の女と密談していた相模が待ち合わせしているのが、一連の事件の容疑者であれば、願ってもない展開である。
渡辺の緊張感が高まる。
「お疲れ様、どう?」
不意に声を掛けられた渡辺が振り向くと、そこには恵美の姿があった。
「今のところは新たな動きは無いですね」
「動くわよ」
そう言った恵美の声の先には相模がスマホを操作しながら誰かを探している風であった。
「来た」
二人同時につぶやく。
相模に一人の女が声を掛ける、その女は恵美には見覚えのある顔だった。
〈三条恵〉だ。
「あの子、〈光の道〉のフォーラムに出てた子よ」
「昨夜、相模が会っていた女とは違いますね」
「そうなの?」
「ええ」
相模と恵がベンチを立ち動いた。
連れ立って歩いていく•••
北門通りを経て横浜中華街へとたどり着いた二人は一軒のビルへと姿を消した。
「ビルの入居リスト欲しいわね」
「片瀬さんに連絡しましょう」
渡辺が連絡を入れビルの名を伝えると、すぐに二人にメールが届いた。
「リストが来たわ」
「中華街らしく、中国系の企業の名が並んでますね」
1時間後、二人が出てきた。
どうやらここで分かれるようだ。相模は渡辺が追い、三条恵は恵美が張り込むことになった。
「じゃあ、随時何かあればお互い連絡しましょう。気をつけてね」
「わかりました。そちらも同じく」
お互い声を掛け恵美と渡辺は分かれた。
恵はフォーラムでの話通りならこのまま東京の自宅へ戻るはずだ。
みなとみらい線の日本大通り駅から横浜駅をへて、東急東横線へと乗った。
恵の乗った車両の隣の車両から様子を伺う。
フォーラムでの相談に対し〈救済者〉からのアドバイスで、借金問題をクリアするべく弁護士へ相談するはずだった恵が、相模と会っていたのは偶然とは思えない。
旧知の仲でもない彼女達は、恵美たちがまだ見ぬ容疑者と接触して指示を受けていると思うのは自然であった。
そうなるとすれば二人の身には危険が迫っており、一刻も早く保護の形を取るのが最善かと思われた。
恵はその日、例の女から指示された通り、横浜公園へと来ていた。
テレグラムで時々指示が入り、日本庭園エリアへと足を運ぶ•••
〈黒のワンピースを着た女性に声を掛けて、名前は相模陽子〉テレグラムでメッセージが来た。
「さがらようこさん、くろのわんぴーすは……えーっと」
それらしき女性を見つけて歩み寄る。
「相模陽子さんですか?」
「ええ、そちらは三条恵さん?」
「はい!」
「付いて来て」
そう言われて陽子の後に続く。
〈横浜中華街〉と書かれた一角へと足を踏み入れた二人は、陽子に導かれるがまま進んでいく。
〈東福ビル〉と書かれた建物に入っていくと、エレベーターに乗り7階に着いた。
〈福田企画〉と書かれたドアの鍵を陽子が開けた。
「どうぞ、入って」
「あ•••は、はい」
そこはがらんとした空間で2Kぐらいの広さの部屋だった。
「ここは……なんなんですか?」
「説明するわね、まず私の話を聞いてから、貴方がどうするかを決めてちょうだい」
「私達は〈彼女〉、声を掛けてきた女性の自殺の手伝いをするの、報酬は一人50万円」
「え……どういう事?」
「正確には彼女が自殺志願者の自殺をプロデュースしてるのよ。そのアシスタントとして雇いたいと私達に声を掛けて来たの」
恵は困惑していた。
他人の自殺の手伝いをして、報酬を得ている人間がいる事と、その報酬の高額さに驚いた。
「具体的には何をするんですか?」
「そこから先は契約してからよ」
「や……やりますぅ」
事の重大さを認識せずに恵は返事をしてしまっていた。
「私達がやるのは会場のセッティングと自殺志願者達の遺書の作成よ」
「場所はここ、それまでの作業なんかはテレグラムで指示が来るわ、貴方にまずして欲しいのは通販サイトどこでもいいから練炭コンロを6台購入してここへ運び込んで欲しいの」
「私は練炭燃料を用意するわ、期限は2週間後よ」
「できるわよね?」
「は、はい」
「じゃあこれ渡しておくわ」
一本の鍵と封筒を渡された。
「ここの鍵と当面の経費よ、なくさないでね」
そこまで話した陽子は部屋を出る。
恵も後に続き部屋を出ると扉が閉められた。
ビルを出てから陽子と分れた後に恵は急激に後悔が襲ってくるのを感じた。
〈人の自殺の手伝いをする〉その事で報酬を得るという事が恐ろしく感じた。
人間の倫理観を超えた事を自分が行おうとしている事へ、あっさりと同意した自分への嫌悪感が生まれたが、それを50万円という報酬で抑え込んだ恵の胸中には〈命を終わらせる救い〉もあるのだろうと無理やり思い込んだ。
陽子は孤独な女であった。
26歳になり、結婚の約束をしていた男と別れてから半年が過ぎた頃、会社内で些細なことから同僚の誤解を招き会社内でも居場所を無くした。
そんな陽子が〈光の道〉に救いの道を求めたのは当然のことかも知れなかった。
〈光の道〉のフォーラムに通ううちに、陽子の精神は安定を見せていたのだが、ここでとある事件が起こる。
それは同じフォーラムに参加していた〈設楽賢人〉〈和久井武〉〈咲夜愛〉〈西崎渚〉の四人が自殺したというニュースであった。
面識のある彼らの自殺のニュースは陽子の心を波立たせた。
フォーラムに参加して〈救済者〉や今野、参加者のアドバイスを受けていなければ、自分も彼らと同じ運命になっていたかもしれないという事が陽子には重くのしかかった。
そんな折、オンラインフォーラムで参加者とチャットをしていた陽子に対してある参加者がコンタクトを取ってきた。
ハンドルネームは〈IF〉
「貴方の事を知っている」
「孤独を癒したいなら相談に乗る」
と言われた。
興味本位で〈IF〉とチャットを始めた。
〈IF〉は自分を〈いふ〉と呼ぶように言った。
〈IF〉は陽子のフォーラムでの相談内容を詳しく知っており、チャットを重ねる毎に的確なアドバイスを齎せた。
〈IF〉が言うには人は〈蜃の夢〉の中にいて虚実と現実の狭間を行き来する動物だと語るのだった。
そんな〈IF〉は自身の夢は現実世界では自死を持って解脱すると力説した。
二人は具体的な自死の方法について語り合うようになった。それをきっかけに、陽子は自分の孤独を癒してくれる存在である〈IF〉に心酔していった。
その中で〈咲夜愛〉達四人も自分とのチャットで自死についての相談に乗っていた事を明かした。
彼らもまた現実世界から解脱するために自死を選び、本当の意味での〈救済〉へと旅立ったという事を力説した。
〈IF〉自身も時が来れば〈救済〉へと旅立つつもりだと告白するのであった。
ある日、〈救済者〉がチャット内容が不適切だと介入してきた。
その件があり〈IF〉は陽子を二人だけの秘密の場所として、テレグラムでのやり取りを提案してきた。
陽子にとっては〈IF〉とのチャットだけが現実世界の拠り所になっていた為、テレグラムという世界は魅力的な提案であった。
テレグラムでの会話は、フォーラムと違い、より過激に先鋭的になっていった。
〈IF〉は自分の仕事は、咲夜愛達に自死を提案してそれをプロデュースした〈アーティスト〉の仕事だと言った。
この〈IF〉の告白により陽子は、自分も〈IF〉のプロデュースを受け現実社会よりの解脱に身を任せる決意をした。
その決意を聞いた〈IF〉は陽子に具体的な支持を出し、陽子とおなじ〈救済〉を希望する人々を導くためのプロデュースを始める。
陽子は〈救済〉のその時まで孤独になることを非常に恐れ、自分と同じく〈救済〉を求める人々の繋がりを求めた。
それは新たなる犠牲者を生む狡猾な蜘蛛の巣にかかった蝶のようであった。
恵美達、科警研第二課の面々は苦しい立場に置かれていた。
〈相模陽子〉と〈三条恵〉を保護するか否か、秋山と恵美たちで意見が分かれたのである。
〈保護〉を提言した恵美に対して、秋山は〈おとり〉として彼女達を泳がせることに固執した。
「テレグラムを使っているのが解っている以上、彼女達は泳がせるべきだ」
それに対して恵美が、
「だからこそ早く保護しないと犠牲者が増えるばかりです」
と言った。
しばらく押し問答が続き、険悪なムードの中、渡辺が口を開いた。
「では、フォーラムに参加している吉羽さんが、おとりになるというのは?」
この妥協案に秋山と恵美が折れることになった。
片瀬がオンラインフォーラムの監視をしている中で、まだ見ぬ容疑者の好みの人物を〈蛇の目〉で成りすます案が採用された。
「片瀬は〈蛇の目〉を使ってチャットボットを作成してオンラインフォーラムに参加してくれ」
「それと同時に吉羽は次のフォーラムに参加する準備をしながら〈三条恵〉の張り込みを頼む」
「渡辺は引き続き〈相模陽子〉の張り込みだ」
秋山がインカムを付けると指示を出した。
「〈咲夜愛〉達四人の足取りを追った映像を見せてくれ」
大画面モニターの幾何学模様が点滅を始める。
〈映像一致数86〉
「見てくれ、ここ数日の成果がこれだ」
一本の荒い映像が流れる。
その映像には四人がそれぞれ現場となったアパートへ来る映像が映っている。
「ここだ」
「ズームを頼む」
そこには四人以外の人物が映っていた。
「解像度はこれが精一杯ですか?」
「何度か試したがこれが限界だ」
男か女かわからない人物がそこには映っていた。
「この後は映像で追えなかった」
「最低限この容疑者Xの顔写真がないと〈蛇の目〉でもどうにもならん」
「プロファイルの方ではどうなんですか?」
「現時点で容疑者Xとする人物のプロファイルを出してくれ」
〈年齢20代前半から30代前半〉〈犯人の安全圏、相模原市、鎌倉市、横須賀市、川崎市〉〈職業的プロファイル、無し〉〈署名行為の有無、有り〉〈男性容疑者の確率12%〉〈女性容疑者の確率73%〉
「女性ですか……」
「そうだ、こういう被害者を〈救済〉してやっているという意図を持った犯人の場合、女性容疑者の確率は高い」
「〈死の天使〉や〈毒殺〉といった力を誇示しない犯罪は海外でも実例が多い」
「渡辺が目撃した相模と会っていた女が第一容疑者かもしれんな」
「すみません」
渡辺が思わず謝る。
「とりあえず先程言った体制で捜査を遂行する。二人に接触して来る人物全てを容疑者として扱うぞ」
「了解です」
三人がそれぞれの任務に着く、新たな捜査が始まったことを告げる日であった。
片瀬は早速〈蛇の目〉を使い、チャットボットの作成に取り掛かった。
上手く行けば、容疑者からコンタクトがあり、テレグラムに誘導され、そこを足がかりにテレグラムアカウント割り出しまで行く流れである。
テレグラムの性質上、メッセージ閲覧後の自動削除タイマー設定でログを残さずに会話出来るため、証拠能力を担保するために〈蛇の目〉を使いリアルタイム録画するつもりであった。
それもこれもまずはオンラインフォーラムのチャットで容疑者を〈釣る〉事が不可欠である。
片瀬は、そういう作業のプロを自認していた。
「よし、できた!これをフォーラムに走らせて一本釣りを狙うか」
「まずは女性であることをアピールしてと……」
フォーラム上では女性がチャットルーム入ってきた事により、明らかに雰囲気が変わった。
「後は〈目〉に任せるか」
チャットボットがまずは悩みを吐露する。
それに対して男性参加者と思しきアカウントが送っていると思われるアドバイスの羅列が並ぶ。
チャットボットの活動は2日に及んだ。
女性に成りすました〈蛇の目〉はそのチャットの波を乗りこなし、自死について〈救済〉を求めて返信していく
……その過程で数多の参加者が自死について否定的な返事をする中、一人の参加者が肯定的な返事をした。
「んー!釣れたかも」
片瀬の呟きが合図となってその参加者が自死の方法に言及し始める。
参加者のアカウント名〈IF〉それは片瀬の理解を越えたアドバイスをする。
〈救済〉を目的として自死を推奨するそのアカウントは、美しい自死を片瀬の前で語り出した。
そのやり取りは数日に及んだ。
〈救済者〉に介入されないように巧妙に隠語を使い、語りかけてくる。
〈秘密の部屋〉で語りましょう。
〈IF6321〉TELg
「ビンゴ!」
「テレグラムアカウントゲット!」
すぐさま秋山に報告をあげるとスマホと〈蛇の目〉を繋いだ。
テレグラムの検索機能を使いアカウントを探す。
「見つけた!」
〈蛇の目〉を使いチャットを開始する。
すぐにチャットグループに誘われる。
そのグループには〈IF〉と〈YOKO〉の二つのアカウントが居た。
その二人との会話はフォーラムとは違い具体的な自死の方法と、死によって〈救済〉され、現実社会から解脱するという一種の宗教観の・ようなものを語った。
死のみが精神の現実社会からの解脱を意味し、真の救済であると説く。
その方法論も、肉体からの解脱する為には魂を傷つけない、穏やかな死をもってのみ救済されるという〈IF〉と、それに同調する〈YOKO〉の関係性も異常であった。
〈IF〉の〈YOKO〉への支配欲と執着心は異常で、それはチャットの会話節々に表れていた。
ここからが片瀬の腕の見せどころであった。
恐らく容疑者Xである〈IF〉と何とか逢う約束が必要不可欠であった。
その為にはもっと親密になる必要があったのだが、〈YOKO〉の存在がそれを許さなかった。
ここから先の〈IF〉への接触にはチャットではなく、現実に逢う必要が出てきた。
そこで片瀬は恵美をその捜査につかせる事を進言した。
それを受けての秋山の判断は早く、すぐさま恵美に〈YOKO〉への接触を命じると同時に、三条恵への接触も同時進行ですることとなった。
未だ正体不明の〈IF〉と〈YOKO〉の存在に対して恵美は精神的に不安を感じる女性として接する必要があり、そういう人間を演じなければいけなくなったのは大きなリスクとして伸し掛ることとなった。
「吉羽、難しい捜査になるがいけるか?」
と秋山に言われたものの自分でも自信が無い。
「精神的に不安定で、三条恵とも仲良くなり〈YOKO〉とも接触しつつ、Xをおびき出すわけですよね」
「正直、自身はありません」
「〈YOKO〉を名乗るアカウントが相模陽子であれば渡辺の手が空くが、現時点では不明だ。全く別の第三者として扱うしかない」
秋山の言葉にも不安が滲む。
「まずは〈YOKO〉と接触してくれ」
「人物像は片瀬の話を参考に〈蛇の目〉からも提案させよう。後の段取りは片瀬がおこなってくれ」
先ずはテレグラムで〈YOKO〉と接触を図る、その後、光の道のフォーラムで三条恵と親密になるという流れになる事が決まった。
恵美の課題は山積みであった。
渡辺が張り込みしている相模陽子の動向も気になる。
片瀬がテレグラムで〈YOKO〉へのアプローチを開始すると、すぐに相手が乗ってきた。明後日の夜、横浜市内での約束を取り付けるとチャットは切れた。
テレグラムのやり取り全てのログファイルをもらい、精神的に不安定な女性〈吉羽恵美〉としてのレクチャーを受ける。
その人物像に恵美がなりきるには時間が足りるとは思えなかった。
8月6日
〈YOKO〉との約束の日、相模陽子が動いた。
その日、相模陽子は会社を休み横浜中華街へと足を運んだ。キャリーカートには練炭コンロの燃料が乗っている。
その荷を〈福田企画〉へと運び込み、テレグラムの画面を開いた。
チャット相手は〈EMI〉つまり吉羽恵美という女である。彼女を三条恵と同じく、自分の救済の為の同志にすべく陽子は接触を図った。
待ち合わせ場所は横浜公園、中華街から程ない場所にある公園のベンチで〈EMI〉を待つ。
指定時間に間もなくなろうと言う時に女が現れた。
顔にマスクを着けており、表情は解らない、軽く挨拶を交わしてベンチに座った二人。
「なんて呼べばいいのかしら?」
「よ、吉羽恵美です」
「私は相模陽子」
「恵美さん、貴方、救済についてどう思う?」
「私は自死についてはよくわかりません。でも、それが自分の救済になるのであれば受け入れたいと思います」
「わ、私の人生はもう終了しているようなモノなんです、親から疎遠され、友達も恋人もいない、なのにただ食事をし、睡眠をとり生きているだけの存在。そんな人生に意味なんてありますか?」
「その事で今の自分の苦しみが解放されるなら、それは正しい道だと思います」
「よ、陽子さんはその道標になってくれるのでしょうか?」
陽子が答える。
「私が道標じゃないの、私もあなたと同じく救済を求める者よ」
「その道は〈IF〉が示してくれるわ」
「その為には貴女を知る必要があるの」
「明日以降、秘密の部屋で〈IF〉の試験を受けてもらうわ」
そこまで言った陽子は先に席を立った。
「私や〈IF〉とまた会えるかは、あなたの覚悟次第よ、お待ちしてるわ」
そう言い残し、陽子は闇に消えた。
しばらくして
「吉羽さん!大丈夫ですか?」
陽子を張り込んでいた渡辺が駆け付ける。
「ええ、ひとまずは大丈夫よ。明日以降テレグラムで〈IF〉の試験を受けることになったわ」
「試験?」
「私が救済される為にはその試験に合格してからになるようね」
「果たして何を指示されることになるやら……」
「オフィスに戻りましょう」
渡辺に声をかけ歩き出した恵美の足取りは重く、今後の展開を暗いものにするかのようであった。
次の日から〈IF〉の恵美への詰問が始まった。
先ずは生い立ちから求められ、疎遠になっている両親や友人恋人だった人物のことまで事細かに聞かれた。
その端々で、救済を求める意味や決意を求められ、まるで自死が崇高な祭事のように語られた。
自死の方法について、自らの肉体を傷つけることなく魂のみを救済するという概念を説かれる。
一種の洗脳のような〈IF〉の言葉は恵美の心を削り取るかのようであった。
それでも恵美は根気よく丹念に、精神的に不安定な女性を演じ続けた。
その甲斐もあり、〈IF〉まで後一歩と言うところまで迫っているのは確かだった。
一連の捜査を見守っていた秋山は、恵美の精神的疲弊を心配した。
サイコパス的思考に晒され続けるのは危険だと考えていた秋山は、恵美に二日間の休養を命じた。
その間のテレグラムでのチャットはチャットボットで担うつもりであったが、人間的な回答に拘った恵美が秋山の厳命を却下したのである。
それが今後の捜査における判断を見誤らせる事になるのは、この時点で予想出来た者は居なかった。
8月10日
三条恵はキャリーカートに練炭コンロを積んで中華街に向かっていた。
相模陽子の指示通りにモノを用意して届ける。それは50万円という金を手にする上で必要な作業だった。
陽子の指示では、後は遺書の用意と会場のセッテイングが残る作業のはずだ。
それさえ終われば、また亮との逢瀬が待っていると思い足取りは軽かった。
福田企画の扉を開けた。
そこには陽子が待っていた。
「待っていたわ」
「どういう事ですか?」
陽子が言葉を続ける。
「会場のセッティングとリハーサルするわよ」
と言われた。
「リハーサル?」
「ええ、当日の流れを把握しておく必要があるでしょ?」
「は、はい」
「当日の参加者は二人、それとあなたと私、〈IF〉の三人の五名よ。それと、貴女には今から遺書を書いてもらうわ」
「内容はこの紙の通りに清書してくれればいいわ」
そう言って一枚の紙を渡された。
紙には悩みを吐露すると共に自死を選ぶに至った経緯が綴られていた。
「先に会場のセッティングからやりましょう。練炭コンロを並べましょう」
その声を聞きキャリーカートにあるコンロを床に並べていく。
「この練炭を中に入れて頂戴」
「そこのテーブルを使って遺書を書くのよ」
言われるがままに従う。
「で、できました」
「当日は、志願者が旅立つまで立ち会うから覚悟してね」
「た、た、立ち会う?」
「ええ、貴女が依頼者ならサービスに対して対価を支払うのだから当然と思うでしょう?」
「ここまで来て怖気付くんじゃないわよ!覚悟を決めなさいな」
「…………」
「本番は三日後よ」
「は、は、はいぃ」
「じゃあ当日20時に会いましょう、それじゃあね」
恵は一人残された部屋の中で大きな後悔をする事となった。
三日後の本番、人の死に立ち会うということが自分には耐えれるのか?その事を考えて憂鬱になった。
自死のお手伝いをするだけでお金が貰えるはずだった。それが、依頼人が旅立つまで立ち会うと言うのだ。
恵にとっては完全に理解の範疇外である。
今更ながらに逃げ出したい気持ちを抑え、恵は部屋を後にした。
恵美が〈IF〉との対話を始めてから四日が経った。
〈IF〉の言葉に変化が現れたのはこの時が初めてだった。
〈蜃の夢〉について語り出したのだ。
この時に初めて恵美は、以前フォーラムで出会った女の事を思い出した。
自分があの時に感じた違和感の正体が〈IF〉という存在になって具現化した事実と、特徴的な夢の話。それら全てが繋がった瞬間であった。
恵美は〈IF〉の正体を確信し、モンタージュが作成された。
その女の顔立ちは暗い闇の中から現れた一人の怪物のように恵美たちに印象づけられるのであった。
このモンタージュをもって〈蛇の目〉で人物特定を試みたが、モニターの画面から返答は未だになかった。
そんな折、ついに〈IF〉が動いた。
〈救済〉の時を8月13日と指定してきたのである。
待ち合わせ場所は横浜公園、日本庭園エリア20時と指定してきた。
千載一遇のチャンスであるのは確かで、恵美たちチームは謎の女〈IF〉確保に動くべく作戦をねった。
当日の時間帯を考えて、県警の応援で人海戦術は頼めない。多数の人間が園内に集まることで警戒される事を危惧した為だ。
もうひとつの懸念は、相模陽子と三条恵の存在である。
彼女達の動向が予測できないのである。この為、二課のチームの面々と県警の応援数人の精鋭チームで〈IF〉の確保に動くことになった。
この機を逃したら〈IF〉の確保が難しくなるのは確かで、慎重に動かざるを得なかった。
全ては明後日13日、横浜公園での作戦にかかっているのであった。
第四章
〈ダークトライアド〉
秋山はオペレーションルームで待機しなが横浜公園周辺カメラと〈蛇の目〉をリンクさせた。
予定通りなら、恵美と渡辺、県警の応援五人の七人での作戦となる。
時間は19時半を回っていた。
恵美は既にベンチに座った状態で待機している。
間もなく20時
〈IF〉はまだ現れる気配は無い。その事で渡辺を含め捜査員達に一抹の不安がよぎる。
「吉羽さん聞こえますか?」
「ええ、聞こえてるわ」
インカムでの会話で周囲の様子を確認する。
一人の女らしき姿が恵美の方へ歩いてくる。〈IF〉か?と全員が色めき経つ。
しかし、女は相模陽子であった。
「お待たせ」
「さぁ、行きましょう」
と即された。どうやら〈IF〉とは別の場所で合流するようだ。
連れ立って横浜中華街の方へと歩いていく、以前、三条と陽子が入っていった〈東福ビル〉であった。
この時点で渡辺と県警の人間は目視での追跡が出来なくなった。
後は恵美のインカムだけが頼りだ。
二人はエレベーターに乗り7階の〈福田企画〉の前に来ていた。
扉を開けると熱気と炭のやける匂いが頬を叩く。
背後で扉の閉められる音がする。眼前には倒れている一人の女の姿と、陽子の声。
「さぁ、救済の時よ」
「貴女もそこに座って身を任せるの」
既に興奮状態の陽子がドア前に立つ。
そこは既に練炭が炊かれ、一酸化炭素濃度がかなりの物になっていると思われる。頭痛がする。
恵美は意識を保つことに集中して陽子をドア前から跳ね除ける。
ドアを開け、倒れている女性を連れ出そうとするが、意識が無い。
めまいとふらつきを感じながら、目の前の椅子を窓に放り投げた。
〈ガシャーン〉という音とともに空気が一気に流れ込んでくる。
窓際まで走り、大きく呼吸をする。
刹那、背後から陽子が襲いかかってくる。それを躱し、陽子を手錠で拘束した。
窓から落ちてきた椅子で、異変を察した渡辺たちが部屋の中へ入ってくる。
渡辺が倒れている女性に駆け寄るが、頬はピンク色に染まり脈は既に無い。
「吉羽さん!」
渡辺の叫ぶ声が恵美を現実に引き戻す。
「救急車!」
それだけを叫んだが、恵美の意識の保持はここまでであった。
恵美の意識が戻ったのは病院のベッドの上であった。
そこで今回の顛末を知ることとなった。相模陽子は傷害致死で現行犯逮捕され、倒れていた女性〈三条恵〉は一酸化炭素中毒で死亡、〈IF〉は目下のところ目撃情報は無いとの事だった。
三条恵を救えなかった事実は、チームにとって暗い影を落とした。
そしてこの後の相模陽子への尋問が重要である事を物語っていた。
陽子の取り調べは秋山と恵美で行われる事となり、科警研に陽子が移送されてくる明日、行われる見込みとなった。
秋山は中華街周辺カメラ映像から〈IF〉を〈蛇の目〉で追ったが、モンタージュだけでは容疑者が五十人以上となり絞り込めずに居た。
今回の事件は表面上〈三条恵〉〈相模陽子〉〈吉羽恵美〉三名の自死として報道される事となり、〈IF〉の警戒心を解くような配慮がなされた。
病院から戻った恵美を囲み、チームとしての今後が話し合われた。
「昨晩の失敗は全て私の判断ミスだ」
そう呟いた秋山に対して、渡辺が
「三条恵のマークを外したのは僕の失策です、もっと彼女に注意を向けていれば•••」
「それを言うなら相模陽子と三条恵の両者の行動を、もっと早くから把握してなければならなかったのは確かだ。それを指示しなかった私の責任は重い」
秋山の表情は固い。
「そもそも〈IF〉が公園に来なかった時点で作戦の失敗は決まっていたんだ。今後の捜査方針も大幅に見直さなければならん」
「明日の相模陽子への取り調べで〈IF〉の特定をするのが一定の目標だ」
「吉羽もこの中に居ると思われる〈IF〉を確認できるかどうか見取りしてくれ」
モニターには五十数名の画像が並ぶが、荒い画像も多く、恵美がフォーラムで見た女を現認出来るほどのものでは無かった。
「片瀬と渡辺は三条恵と相模陽子の足取りを〈蛇の目〉を使い再現してみてくれ。その過程で〈IF〉と接触していた可能性が高い」
「全員で面取りと見取りをやるぞ」
「了解です」
チームは再び動き出すのであった。
〈東福ビル〉の現場でも数字と〈YES〉の文字が発見され、明らかに〈IF〉が現場に居た事が立証されたが、顔を確認できる程の映像は、まだ見つからなかった。
「うーん……東福ビルに監視カメラ無かったのがネックですね」
渡辺がそう言いながら頭を抱える。
「そうねぇ……あそこにカメラがあれば〈IF〉の特定早かったのにね」
「相模と三条の足取りはある程度解ってきてるんですが、東福ビル周辺で手詰まりになるんですよね」
「あそこの場所意図的に選んでるわよ。他の4件の事件現場も極端に防犯カメラが無いのが解ってるわ」
片瀬がそう答えた。
「とりあえず二人の足取りを〈蛇の目〉使って出来るだけ動画にしましょう。
一方の秋山と恵美の相模陽子への取り調べは困難を極めた。
陽子自身が人生への希望を失っており、破滅型の思考をしていた事が原因だった。
「三条恵をあの部屋で殺害したのは貴女なの?それとも〈IF〉なの?」
「…………」
「いい加減にしなさい!」
「わ、私は本当ならあの場で救済への道へ旅立っていたはずなのに……貴女が邪魔さえしなければ……」
黙っていた秋山が口を開く。
「ダークトライアドという言葉を知っているかね?」
「……いいえ」
「心理学で社会的に問題のある三つの性格特性を表す言葉で、マキャベリズム〈冷酷で策略的な性格特性〉、ナルシシズム〈自己愛が強く特別扱いを求める性格特性〉、サイコパシー〈他者への共感が極端に欠如した性格特性〉を言うんだが……」
「君の信奉している〈IF〉は非常に高いレベルでダークトライアドの要素を全て持っているんだ」
少し間を置いて秋山が言う。
「彼女にとって君の存在は取るに足りない足元の石ころのような存在と言っていいだろう」
「だから君と三条恵を操り、欺き、自分の欲望の糧にした。そんな人物を庇って何になる?君の魂の救済はそんな軽いものなのか?」
陽子が重い口を開いた。
「……私じゃないわ」
「何が?」
「さ、三条恵さんは、私もあの場で初めて居ることに気付いたのよ……」
「じゃあ、貴女がしたのは何?」
そこからは陽子の告白となった。
「私は貴女と待ち合わせる少し前、19時頃に〈IF〉と待ち合わせ練炭コンロに火を入れただけよ……」
「その後、彼女があの部屋で倒れて居たのは事故か〈IF〉がやったのかは解らないわ……」
「テレグラムで指示を受けていたから証拠は無いけどね……」
「〈IF〉と会ったのも数度しかないわ。彼女からの指示はテレグラムだけよ」
「…………私を救済すると言ったのに……」
「あなたを救済するのはあなた自身よ、他の誰でもないわ。今から見せる写真の中に〈IF〉が居たら教えて……」
数十枚の写真をめくった後、陽子は一枚の写真を指さした。
そこには、チームが探し求めていた〈IF〉の鮮明な画像があった。
「ありがとう」
と恵美が言い、陽子は泣き崩れた。
彼女の本当の救いの道はこれから始まるのだった。
そこからは〈蛇の目〉の真価が問われることとなった。
〈画像一致数13〉〈動画一致数3〉
「横浜中華街周辺の動画を見せてくれ」
インカムを付けた秋山が言った。
その女は中華街から日本大通り駅へと向かい、足取りは消えた。
「公的書類やSNSで画像一致する物は無いか?」
〈画像一致数0〉
「地理的プロファイルから安全圏と、みなとみらい線の駅をクロス検索して足取りを追ってくれ」
いつもの事ならこれで情報が出るはずだった。
はずだったと言うのも、実際には空振りに終わったのだ。犯人の安全圏の最寄り駅では、画像や映像の一致数が出なかった。
こうなると検索範囲は一気に広がり、〈蛇の目〉を持ってしても数日、数週間かかるかもしれないと秋山が言った。
「一体どういう人物なんでしょう?」
「犯人プロファイルは既に終わっている事から、最悪のシリアルキラーである事は間違いない。問題はそれだけじゃなく、徹底的に痕跡を消す術を身に付けているのが最大の問題だ」
秋山の口からそう言う言葉が出てくるのも致し方ないと思われた。
「問題はもう一つある。人数的ハードルをクリアした上にクーリングオフ〈冷却期間〉がほとんど無い。スプリーキラー化するかも知れんぞ」
「また犯行を行うと?」
「女の行動は執拗かつ徹底している。〈光の道〉関連から狩場を変えられたらお手上げになる可能性もあるぞ」
そうならない為には〈蛇の目〉の解析手腕にかかっているのは明らかだった。
恵美たちチームの面々の顔にも焦りの色がにじみでる。
「片瀬はオンラインフォーラムにチャットボット走らせてフィッシングしてくれ」
「私は〈蛇の目〉の解析を急がせる為に出来るだけ条件追加を試みよう」
「渡辺は〈光の道〉のフォーラムに参加して様子をさぐってくれ」
「そして……吉羽は相模陽子の取り調べで小さな情報でもいいから聞き出してくれ」
「取り調べですか……」
「表面上死亡していることになっているからな、理解してくれ。代わりに〈蛇の目〉の解析待ちで真っ先に動いてもらうぞ」
恵美は再び相模陽子に対峙した。
「どんな些細なことでもいいから思い出したら教えてちょうだい」
「…………些細なことかどうか解らないけど」
「〈蜃の夢〉について繰り返し話してたわ」
それは恵美も目にしていた事だった。
「なんでも中国の古代書に出てくるハマグリの怪物が吐く気楼を、吸い込むと幻を見せられて、それが自分を現実世界から救済へ誘うとか何とか言ってたわ」
「中国…………」
「自分の存在そのものが蜃の夢だとも言ってたわ」
そこで恵美はある可能性が頭によぎった。秋山の元へと走る。
「室長!」
オペレーションルームに飛び込んだ恵美が言う。
「〈IF〉は無戸籍児かも知れません。中国の黒孩子〈ヘイハイツ〉のような存在で、日本への不法入国や無戸籍児なら、公的書類の情報が無いのにも納得できます」
秋山も唸った。
「その可能性は高いかもしれんな。無戸籍児なら本人の写真以外では存在証明が出来ん」
「そうなって来ると〈蛇の目〉以外では探せないな」
「黒孩子は中国の一人っ子政策のおかげで二人目以降の子に罰金が課せられ、払えないと戸籍登録が認められなかった。そういう経緯を経た人物だ。日本でも親のDV等で出生届を出されず育てられた人が推定7千人はいると言われているな」
「そういう特殊な状況下で育てられた子がダークトライアドを持っているのかも知れないです」
恵美がそう言った。
「後天的な影響でソシオパスと呼ばれる事は少なくない」
「持って産まれるということですか?」
「先天性の場合はもっと厄介な場合が多い。表面上、人格者を気取ることに長けカリスマ性もある。〈IF〉はこのタイプかもしれんな」
「それも含めて全ては〈蛇の目〉に任せる。以前も言ったが、プロファイルはするな」
「はい……」
恵美が二課に来てから唯一不満があるとすればこの〈プロファイルはするな〉という厳命であった。
恵美が幼少期から培って来た見取りや面取りと言った能力は人物プロファイルからなるもので、それをサイコパス相手にするなと言う秋山の厳命は、理解するものの恵美のストレスにはなっていた。
蛇の目は核〈コア〉である秋山和葉が、他のサイコパスから送られてくる電気信号を、人工ニューロンに伝達し、事件を、サイコパスの目線でプロファイルするシステムである。
それは、一般人には解らないサイコパス特有の行動パターンや思考を導き出す。
今回の事件にその特殊な思考が当てはまっていない部分があるのは仕方がないことかもしれないが、〈蛇の目〉の監視システムは一枚の写真からありとあらゆる情報を導き出す。今はそのシステムを信頼するしか無い状況であった。
〈無戸籍児〉の可能性はオンラインフォーラムで捜査をしている片瀬と渡辺にも直ぐに伝えられた。
ここで彼らはチャットボットに新たな指示を与える。〈黒孩子〉と〈無戸籍児〉といった悩みを相談するキャラクター〈YOJI〉を作ったのである。
それは一種の賭けであったが、チャットルームの話題はそれ一色となった。様々なアドバイスが飛び交い、みなYOJIへと寄り添う。
広げた網の中に〈IF〉がかかるのを待った。それは突然だった。
ハンドルネーム〈IF〉がYOJIに返信した
「私も黒孩子」
「無戸籍児のあなたの事理解出来るわ」
〈蛇の目〉が返信する。
「本当ですか?」
「よくわかるわ」
「黒孩子の事は黒孩子にしか判らない。私達は蜃の夢の産物なの」
「蜃の夢?」
「興味があるならリンクを踏んで」
「https……」
片瀬が言う。
「テレグラムのリンクよ」
「踏みましょう」
興奮気味に渡辺が言う。
「ええ」
リンクを踏むと例のアカウント〈IF〉に繋がった。
「あなたはどこの出身?」
「山東省」
「私は四川省よ」
〈IF〉が自分の事を初めて語り出した。
「農村部で育った私は兄弟二人と育ったの」
「一番上の兄だけ戸籍があるわ」
「けれど私は17歳まで無戸籍だったの、その後日本へ密入国したわ」
「日本での生活は楽ではなかったけど、本国に比べたら随分とマシだったわ。私は〈水上京子〉という偽名を使って身分を手に入れたの。」
「そうする事で生活に必要な仕事を得、ネットカフェで寝泊まりする毎日でも不自由は無かったわ。貴方が生活に窮しているなら方法を教えてあげる」
渡辺が口を開く。
「これって……いつもの手口と違いますよね?」
「いつもなら救済がどうとかそういう話をしてるけど、今回は明らかに違うわね」
片瀬がオペレーションルームと繋いでモニターにやり取りを出す。
「この苦しみから解放されるならなんでもやる」
「貴女に会いたい」
と返した。
長い沈黙が流れた…………
「高尾山、8月25日8時」
それは短いながら大きな成果であった。
オペレーションルームでそれを見ていた秋山と恵美にもその成果の大きさは一目瞭然だった。
8月25日、高尾山で何が起こるのか?その期待と不安は誰の胸にも等しく訪れるのだった。
第五章
〈プロファイル〉
東京都八王子市にある高尾山は標高599メートルの山で初心者から上級者まで楽しめるハイキングコースのある観光地だ。
そんな場所を〈IF〉が指定してきた。今回は前回と違いカメラこそ無いものの、張り込みには適している場所だと思われた。
問題はYOJI役の渡辺の身の安全と〈IF〉の目的が不明な事であった。
これに伴い二課のメンバーは、〈IF〉を〈水上京子〉として呼ぶことに決定した。
それは今まで正体不明だった存在を現実世界に引きずり出したことを証明した出来事であった。
「今回、水上の目的って何なんでしょう?」
渡辺が聞くと。
「サイコパスが他人に共感するとは考えにくい、当日まで考えうる限りのシュミレーションをするぞ」
と秋山が言った。
水上京子の名が判ってから〈蛇の目〉の検索条件に追加してみたものの、相変わらず画像や動画の類は追えなかったが、今回は移動手段が限られる為、水上京子の姿を追える確率は高い。
「JR中央線か京王線で水上京子の姿を捕らえられればいいんだが、可能性としては車も考えねばならん」
「免許証の類いが無くてもですか?」
「タクシーはもちろん、観光バスも考えねばならん」
「防犯カメラを考えれば、後者の可能性の方がむしろ高いぞ」
秋山の言葉に皆頷く。
「当日は何人体制で?」
「本庁から十五人程回してもらうつもりだ」
「それより厄介なのは当日テレグラムで待ち合わせ場所を変えられることだって考えられる。周辺にはいくつか候補もある事だしな」
「水上のここまでの行動パターンだと〈蛇の目〉を使ってシュミレーションしたが、相模湖近辺のエリアも考慮している」
恵美が聞く。
「相模湖に変えられたら場合のバックアップはどうしますか?」
「流石に応援まで引き連れて捜査は出来んから二課だけで追う事になる。その場合のバックアップは私と……片瀬!現場に出てもらうぞ」
「了解です」
と片瀬が短く答えた。
全ては当日の水上京子次第で選択肢が千差万別になるのは避けられなかった。
水上京子は孤独だった。四川省の両親の元で三女として生まれた彼女は、戸籍こそないものの、両親の愛情を持って育てられた。
そんな彼女だったが、それは戸籍が無い故、幼稚園に入学できないことに始まり、小学、初級中学、高級中学と全ての教育機関から弾き出された。両親はそんな京子を不憫に思ったが、一人っ子政策の罰金など払う術がなく、黒孩子として京子を育てるしか無かった。
昼は農作業の手伝いに明け暮れる毎日だったが、暮らしぶりは苦しく、一家五人が食べるのに窮した。
その環境が劇的に変わった年、17歳になっていた京子は両親に黙って日本への密航船へと乗り込んだ。
日本に入国した京子は、ホームレスとして生活していたが、自分の名をホームレス仲間の〈水上京子〉と書けるように練習した。言葉も覚え、簡単な読み書きだけは出来るようになったのは、京子の才能であった。
そんな彼らを支援する団体の援助もあり、戸籍を持たない京子でもアルバイトなら生活収入を稼げることが解った。住まいもネットカフェならば厳しい個人証明が無くても会員証が作れ、そんな場所を点々とするという放浪者として生活ができるようになった。
ホームレス支援団体の繋がりで〈光の道〉というNPOのフォーラムに出て参加者の悩みを聞いている内に、ある疑問が生まれた。
借金や人間関係といった悩みを吐露する参加者の多くが京子にとってはぬるま湯に浸かるが如くの存在に見えたのである。
自分のように、強制的に戸籍も持たされずに育った環境からすると、なんという軽い悩みなんだと思い始めていた。
そんな彼らの悩みを数多く聞いた京子は、その感情が怒りだと知るのは当然の事だったかもしれない。
独学でPCスキルを学び、ダークウェブからマルウェアを手に入れた京子は、光の道のオンラインフォーラムを狩場にして〈救済者〉に成り済ましたりもした。
最初は救済者に成りすますことを目的にした京子だったが、その内に目的が変質していく……
テレグラムを介して魂の救済を渇望する者に彼女は救済を与える事で自分の魂の救済を求めた。その為には死を持って魂を浄化する必要がある事を学んだ。
彼女が与える死に直面した被害者の紅潮した表情は、救済への旅立ちへの感謝の証だと思い込んだ。
実際は一酸化炭素中毒特有の症状だったのだが、京子には確かな自信のようなものがあり、彼女の中のメシアとしての意識は揺らぐことが無かった。
そんな自分がYOJIに同情したとは思えない。
何故、YOJIと会うことを決めたのか自分でも考えたが、答えが出ることは無かった……
作戦当日の朝7時半……
高尾山口の駅で渡辺はそのメッセージを受け取った。
〈相模湖行きのバスに乗れ〉
既に高尾山で待機していた恵美や本庁の人間には、最悪の指示であった。この時点で作戦はプランB、つまり二課だけでの捜査になる事を余儀なくされた。
出遅れた恵美を除いてバスへ乗った渡辺に帯同できるのは、秋山と片瀬だけになった。
バスに乗ってからもテレグラムでメッセージが入ってくる。
〈相模湖MORIMORIへ向かえ〉
新たな指示に従う。
〈相模湖駅前〉のバス停から〈三ケ木行き〉へ乗り換える。
この時点で秋山と片瀬は一旦離脱を余儀なくされた。後は車の恵美の追跡頼みだ。
秋山から指示が入る。
「張り込み対象は渡辺だ」
「水上京子の確保は今回はしない」
恵美が応える
「そんな!どうしてですか?」
「水上京子を現認して〈蛇の目〉に追跡させるだけで良い」
「渡辺の安全が優先だ」
「でも!」
「行先の相模湖MORIMORIが問題なんだ!家族連れが多数いる可能性がある」
確かに水上京子の挙動が読めない以上は、仕方がない判断だった。
〈ドッグラエリアからメイズエリアへ〉
またしても渡辺に指示が入る。
ここで恵美が施設に着く。
メイズエリアまではまだしばらくかかる。焦る恵美だったが、渡辺は落ち着いた声で応答する。
「吉羽さん大丈夫です。現認だけなら僕だけでいけますよ」
「今どこ?」
「もうすぐメイズエリアです」
「すぐに追いつくわ」
そうは言ったものの、走って行く訳には行かずもどかしい。
メイズエリアに来た渡辺が躊躇しているとメッセージが来る。
〈入って〉
指示に従って入る。
メイズ〈迷路〉は入り組んでいる為、まだ水上京子の姿は見えない。
渡辺は迷路攻略のセオリー通り、右手で壁を触りながら進んで行く。
途中何組もの子供達や家族連れとすれ違う。
その女は突然現れた。
「YOJIね」
「は、はい!IFさんですか?」
「ええ」
「貴方も救いが必要なの?」
「……救いですか?」
「黒孩子として生まれて悩んでるんでしょ?」
「は、はい」
「私がその悩み救済してあげるわ……貴方にとって真の魂の救済を与えてあげる」
そう言って一枚のメモを渡された。
「それじゃあ、また会いましょう」
女の姿は迷路に消えた。
しばらくして恵美が追いついて来た。
「大丈夫?渡辺くん」
「ええ大丈夫です、これ見てください」
そう言ってメモを見せられる。
そこには〈荒川区・南千住27日19時〉と書かれていた。
オフィスに戻った二人を片瀬と秋山が迎えた。
四人はオペレーションルームに入り水上京子の足取りを追った。〈蛇の目〉は相模湖から鶯谷までの映像を捕らえていた。だが、〈蛇の目〉をもってしても上野公園で水上京子の姿を失った。
「鶯谷近辺は、交通カメラのない路地が混在している。ラブホテル街に溶け込まれれば特定までは不可能だ」
「手詰まりですか?」
そう言った恵美を遮る秋山。
「いいや、明後日、南千住で捕らえるぞ」
「……南千住」
「ああ、東日本有数のドヤ街の山谷がある。あそこに現れる確率が高いぞ。」
「〈蛇の目〉の死角になるから吉羽、君の出番だ。見取りになるぞ」
「了解しました」
秋山がインカムを着けると〈蛇の目〉に指示を出した。
「台東区と荒川区に絞って交通カメラのリアルタイム監視だ」
モニターに〈了解〉の文字が浮かぶ。
「それと水上京子の鮮明な画像をピックアップしてくれ」
モニターが点滅して一枚の画像を映す。
その姿は、一見モデルと見間違うほどの美貌をした女の鮮明な画像だった。
「渡辺、間違いないか?」
「ええ、水上京子です」
「水上京子の現状のプロファイルを出してくれ」
モニターの点滅が長くなる。
〈水上京子:本名不明〉〈年齢:20代後半〉〈署名的行動:有り〉〈手口の計画性:有り〉〈被害者プロファイル:無し〉〈職業的プロファイル:無し〉〈行動的プロファイル:交通カメラから身を隠し、隠密行動に長ける〉〈地理的プロファイルからの安全圏:台東区、荒川区、渋谷区、新宿区〉〈犯罪者プロファイリング:知能が高く、手口から集中力、持続性に優れ先天的サイコパスだと思われる〉
文字の羅列が並び、そこで止まった。
恵美にとっては、見取り捜査の材料として十分な情報量だった。
「中国人だとしたら、外事が管轄を主張してきませんか?」
秋山がしばらく考えこう言った。
「黒孩子なら、そもそも中国大使館が存在を認めないだろう。それも含めて他所には口を出させん。二課だけの事件として扱う」
「捕らえるというのはやはり今回も〈蛇の目〉に……」
「そうだ」
「サイコパスには人権など無い、捕らえて有意義ならば〈蛇の目〉に活用する。所謂カオスコントロールだ」
「善悪の天秤という事ですか?」
その問いに秋山の返答は無かった。
「全ては明後日、水上京子を捕らえるという目標に向かって各自動くことになる。私と片瀬でバックアップはする」
「渡辺と吉羽は現場で見取りだ。最悪の場合、渡辺には囮になってもらう。テレグラムも蛇の目を使って各自のスマホに転送させるプログラムを、片瀬が組んだ」
「これでイヤモニ無しでもリアルタイムに状況把握ができる。頼んだぞ」
「了解です」
恵美は短く返事をした。
東京の夏は暑く、ぬめつくような熱気溢れる夜は更けてゆくのであった。
第六章
〈善悪の天秤〉
荒川区、南千住北側に渡辺は居た。
山谷まで10分とはいえ、近年の再開発の波は、南千住北側の景色を近代的にしていた。
タワーマンションが並び建ち、現在も三河島駅前北地区の工事の音が、夏の夜の暑さを一層厳しいものとしていた。
「吉羽さん聞こえますか?」
「ええ!」
イヤモニのテストをする恵美の姿が数十メートルの間隔で見え隠れする。
ここから山谷までは南出口を出て10分の距離だ。水上京子の姿は北側には無い。
テレグラムのメッセージを確認するが、未だ連絡もなく時は19時前になった。二人の表情に焦りの色が見える。
「〈蛇の目〉でも水上京子の姿は現認出来ていない。南口に移動してくれ」
二人に指示が飛ぶ。
山谷付近も再開発の波が押し寄せており、ゲストハウスが立ち並び観光地化している。そんな深部にある山谷は、かって宿場町として栄え、昭和初期は労働者の街として簡易宿泊所が立ち並び、ドヤ街として名を馳せた。玉姫公園を中心としたその辺は今でも名残りがあり、簡易宿泊所が残っていた。
そんな街を二人は捜査していた。
その時、テレグラムからメッセージが入る。
〈玉姫公園近くの宿泊所で待つ〉地図が添付されている。
「台東区よ」
「吉羽さん了解です。今から向かいます」
「気をつけて、中華街の時みたいに練炭で罠を張ってるかもしれないわ」
「了解です」
「罠が張られていた場合注意しろ、一瞬で意識を持って行かれるぞ」
秋山が警告する。
「解ってます」
恵美は中華街で経験済みの為、恐ろしさが身に染みていた。
その頃渡辺は玉姫公園に辿り着いていた。宿泊所は目と鼻の先だ。
恵美が周囲に目を見張る。
〈居た〉宿泊所を見張る女の姿を見つける。
「水上京子と思しき人物を現認しました。追跡します。」
「渡辺くん中に入らないで!水上が居た!」
恵美が水上に向かって走り出す。
〈気付かれた!〉
「水上京子!」
恵美が叫ぶと同時に、水上が走り出す。玉姫公園を横切りドヤ街の方へ抜けていく。
土地勘があるのかぐんぐんと離されていく、渡辺も合流して追跡が始まる。
「渡辺くんそのまま行って」
路地裏を抜け駅方面へと走る水上を渡辺に任せ、駅への最短距離を恵美は走った。
駅南側の歩道橋から恵美が回り込む。
「水上京子!」
行き場を失った水上が欄干に登ろうとするのをタックルで止めた。
手首を取って手錠をはめる。
「捕まえたわよ!」
意外にも水上は凛とした表情を崩すことなく拘束された。
その時にすっと笑った顔を恵美は確かに見た。
「確保したか?」
「確保しました!」
「二課に連行してくれ」
そう言った秋山の安堵の声に恵美は、「了解です」と短く返答した。
それはシリアルキラー〈IF〉の全容解明に近付いた大きな一歩であった。
二課に連行された水上は拘束されてから20時間が経っていたが、秋山や恵美の言葉に反応を示さず、黙秘を貫いていた。
「取調べの材料集めから始めよう、本人も立証できないとタカをくくってる節がある」
「殺人か自殺幇助かをですか?」
「……おそらくな」
「書名的行動があっても無理なんですか?」
「本人達が希望して幇助したと言われれば、遺書の存在を無視は出来ん」
「そんな……」
「必ず自白させるぞ」
「…………」
「一度証拠を洗おう」
そう言った秋山でさえ手詰まり感は拭えなかった。
「睡眠導入剤を服用させてるという線からはダメですか?」
と渡辺が聞く。
「それさえも弱い」
「明らかに死ぬつもりが無かった被害者を、意図的に殺した証拠が無いと駄目だ」
「鍵は春日部の事件かも知れんな」
「一件目の事件ですか?」
「うむ」
「一件目の事件は、車が現場になっている事から掘り下げるとなにか出るかもしれん」
「被害者プロファイルから始めよう」
秋山がインカムを着ける。
「一件目の被害者プロファイルを出してくれ。」
モニターの点滅が始まる。
〈篠原清美21歳〉〈松本乃々華21歳〉〈光の道フォーラムに参加〉〈オンラインフォーラム未参加〉〈相談内容は、両者とも金銭面での悩み〉〈歌舞伎町スターダスト勤務〉〈地理的プロファイル:渋谷区と新宿区在住〉〈廃車の名義:松本乃々華〉〈署名的行動:有り〉〈被害者の身体的類似性:無し〉〈睡眠導入剤の服用:不明〉〈遺書:無し〉
文字の羅列が続くが、めぼしい情報はない。
そこで恵美が、
「被害者は春日部まで自分で運転して行ってるんですよね?交通カメラの記録ってどこまで遡れますか?」
「その線は無理だ、通常は数週間から1ヶ月程度だ」
秋山がそう答える。
「オービスはどうですか?」
「オービスで一致する画像はあるか?」
点滅が始まる。
〈一致件数:一件〉
「画像の解像度あげて出してくれ」
そこには運転席と助手席に映る二名の鮮明な画像があった。
「後部座席にも一人いますが、助手席のこれって……」
「水上京子だ」
四人同時に呟く。
それは大きな手掛かりを得た瞬間だった。
「プリントアウトしてくれ」
印刷された写真を持って水上京子の元へと走る。
取調室に入った時、水上は歌を歌っていた。
机の上に写真を出すと歌が止まった。
「貴女、春日部で篠原清美と松本乃々華に何をしたの?」
「…………」
「言いなさい!」
「……何も」
秋山が口を開いた。
「ここからは推測だが、君は二人に睡眠導入剤を与え練炭を炊いた後、立ち去る前に署名をしたな」
「私は殺してないわ」
「嘘おっしゃい!」
恵美が激高する。
「君の署名的なあの数字と文字の意味はなんだ?」
「…………よ」
「??」
「救済よ」
「救済とは?」
「彼女たちは同意によって、私に救済を求めたの」
「それはどういう意味だ?」
「自死によって魂の救済が成されたのよ」
水上はくすくすと笑い出す。
「彼女達の表情は見た?紅潮して幸せそうだったでしょ?それこそが救済の証よ!」
秋山が断じる。
「それは一酸化炭素中毒の症状であって、断じて救済などでは無い」
「ブーシーウォーシャーダ!〈私は殺してない!〉」
「では聞こう」
「彼女たちは睡眠導入剤を飲んだあとどうなった?」
「……眠ったわ」
「眠ったのを確認してから練炭に火を入れたんだな?もう一度聞く、あの数字と文字の意味は何だ?」
「私が看取った人数と同意したという意味のYESよ」
恵美が口を挟む。
「貴女が黒孩子だということは分かってるの、そんなあなたの境遇に同情こそすれど、他人の命を弄んでいいわけじゃないの!」
「ブーヤオジャオウォーヘイガイズ!〈黒孩子と呼ぶな!〉」
ここで初めて水上が激高した。机を叩いた手に血が滲む。
「では、なんと呼べばいい?」
「雪梅〈シュエメイ〉」
秋山が続ける。
「シュエメイ、君が行った行為は不同意の連続殺人だ」
「睡眠導入剤を服用させ、同意の有無を得ずに練炭に火を入れた!それは立派な殺人なんだ」
項垂れたシュエメイは小さく歌を歌い出す。
その歌は秋山と恵美が立ち去ったあとも途切れることなく続いていた。
その日からシュエメイの告白は始まった。
「日本に来てからの私は3年ほどホームレスだったの、そこで水上京子という偽名を覚えたわ。黒孩子として育った私の新天地での名前よ」
「そうしてある日、ホームレス支援団体の紹介でねぐらを手に入れた。あの人たちは私を、水上京子として扱ってくれたわ!最初はビッグイシューという雑誌を購入して販売する仕事をくれた。そうやって日銭を稼ぎ、ネットカフェで寝泊まりすることを覚えたわ」
恵美が優しく声をかける。
「シュエメイ、何故真っ当になろうとしなかったの?」
「不法入国した私にどうしろと?」
「私はネットカフェで日本語を覚え、PCスキルを磨いたわ!そうやって覚えた中にダークウェブがあって黒孩子が集まるコミュニティもあったのよ」
「そこでの会話は私を打ちのめすには十分だったわ。中国で無戸籍児として育った彼らの苦悩は、私にとっては蜃の夢だったの、自分の存在は蜃気楼みたいなもので、現実世界に引き戻されると水上京子でもなくシュエメイでもなく〈無〉だったのよ。貴女にはそんな私の気持ち理解出来る?」
シュエメイの表情が曇る。
「貴女はそうやってPCスキルを学び、マルウェアを使って〈救済者〉に成りすまして被害者を選んだの?」
「それは随分後よ」
「最初は〈光の道〉のフォーラムに出たのが始まりよ。その中で私にとってはくだらない相談をする面々を見て悟ったの」
机に爪を立てたシュエメイが言う。
「そのくだらない相談に悩む面々には〈救済〉が必要だってね」
「それが松本乃々華と篠原清美だったのね?」
「そうよ」
「彼女達は私に言ったの!今の生活から生まれ変われるなら、悪魔にだって魂を売る!ってね」
「あの日、春日部まで行って、睡眠導入剤をエクスタシーだと言ったら喜んで飲んだわ」
「そんな彼女達を救済する為に練炭を炊いたの!そうしたら……」
「あぁ……そうしたら顔が紅潮して彼女達は真の光の道へ旅立ったのよ」
その顔は愉悦の表情になり、常軌を逸していた。
「山崎千鶴と折原裕二、山科明夫、園田敏郎たちも同じなの?」
「名前は覚えてないわ」
「…………」
「彼らも同じよ!私がアマルナの天秤にかけて正しい道へ送り出したの」
「アマルナの天秤?」
「古代エジプト神話に出てくる死者の魂を量る天秤よ!死者の魂と真実の羽を乗せて、均衡が保たれれば魂は救済の道へと旅立つの」
「だから私のハンドルネームは畏怖〈IF〉なのよ」
「彼らは畏れるべきだったの」
そこまで一気に喋ってシュエメイは例の歌を歌い出した。
その日の取り調べの終わりを告げる鐘のように、彼女は謳い続けるのであった。
第七章
〈救済〉
次の日の取り調べでは横浜の事件の詳細から始まった。
「横浜で起こした相良賢人、和久井武、西崎渚、咲夜愛の事を教えてちょうだい」
「……ぁぁ、あれは大変だったわ」
「女二人に睡眠導入剤飲ませるのに苦労したからね」
「何があったの?」
「オンラインフォーラムで出会った彼らの悩みも本当にくだらない理由だったわ。男達はギャンブルの借金があるとかで、私にまで金を借りようとしたのよ。」
「だから殺したの?」
「いいえ……救済よ」
「女達もそう、学校での友達との関係でどうとか、進学のことでどうとか、私の中では凄くどうでもいい事よ。そんな彼女達に『他人の自死を手伝えばお金をあげる』と言ったのよ。そうしたらあの子達、喜んで手伝うと言ったわ」
「そんな彼女達に睡眠導入剤を服用させる為に薬を粉末状にして飲み物に混ぜたのよ」
「あれは苦労したわ」
「無理やり飲ませたのね?」
「無理やりじゃないわ」
「言い方を変えましょう、偽装したのね」
「…………」
「その後に練炭に火を入れた私は、しばらくの間部屋で様子を見てたわ」
「どうやって?あなたも中毒症状出るじゃない?」
「酸素吸入器よ」
「そうしたら四人ともみるみる顔が紅潮していって救済への道に旅立ったわ」
恵美が机を叩く。
「貴女は異常よ」
「いいえ、私はアマルナの天秤に彼等の魂の重さを量る手伝いをしただけ。道を決めたのは彼らの魂自身よ」
「断じて違うわ」
「三條恵さんはどうなの?」
「あの子は……」
「あの子はちょっと違ってたわ」
「私が酸素吸入器を使って部屋で待ってたら、あの子が部屋に入ってきたのよ。そうしたらあの子ったらびっくりしてたわ。けれど1分もしないうちに昏倒して動かなくなったのよ」
「あれは私にとっては新しい発見だったわ」
〈異常すぎる〉と恵美が思ったのも仕方なかった。
そこまで黙っていた秋山が口を開く。
「アマルナの天秤というのは死者の魂の重さを量る秤だと言ったね。君の行為は死者を作り出す死神じゃないのかい?」
「いいえ、全ては救済のためよ」
「いいや、君の行為は死者への冒涜だ」
「ブートン〈違う〉」
「違う違う違う」
「天秤の片方には真実の羽根が載せられる。それをもって、今の君の魂の重さを量ったらどういう結果になるんだね?」
「私の魂もきっと救済されるわ」
「だって人間が畏れる存在である神の魂を、アマルナの天秤にかける事なんて許されない」
「それが出来るのは同じ神だけよ」
杖をトンと床につく。
「では私の考えを聞いてもらう」
「今の君の魂を救済する方法があるとすれば君は同意するかね?」
くすくすとシュエメイが笑い出す。
「そんなの無理よ!私は蜃の夢のような存在なの。そんな私をどうやってアマルナの天秤にかけるというの?」
「方法はある」
「私の研究は君と似ている所があってね。罪人の魂を救済への道へと導くのが仕事だ。君は、このまま強制送還され裁判で死刑になると思っているようだが、私なら違う道を提案できる」
シュエメイが身を乗り出す。
「どうやって?」
「君達サイコパスを永遠の愉悦に導く方法だ」
「その為には君に同意をしてもらわねばならん」
「君達サイコパスは社会通念上、害悪でしかないが、それをもってして他者を裁く方法があるとすればどうかね?」
「言ってる意味が判らないわ」
「永遠に夢を見続けるんだ。その中で君が誰を救済の道に導こうが、誰にも干渉されず、裁かれることもない。そんな環境に身を置くことで私が君の魂を救済しよう」
「何をしてもいいってこと?」
「そうだ」
「黒孩子として生きなくてもいいなら、今後の人生において魅力的な提案ね」
「だからこそ君のその〈救済者〉としての力を借りたい」
「ただし、痛みも苦しみもなく愉悦の時をすごしたいなら、君には眠ってもらう必要がある」
「永遠に夢を見続けろと?」
「そうだ」
シュエメイが高らかに笑い出す。
「トンイー〈同意するわ〉」
「すごくいい!私は真の神になれる」
「では話はこれまでだ。」
秋山がそう言いつつ部屋を後にする。
恵美はシュエメイの今後の人生が分かっているだけに複雑な思いであった。
彼女のこれからの人生は永遠に蜃の夢を見続けなければいけないのだから。
そんなシュエメイはあの歌を謳い続けていた。
「室長」
オペレーションルームに戻った恵美は秋山に声をかけた。
「シュエメイにとってこれが最善の選択なのでしょうか?」
「どういう意味だ?」
「彼女にとって〈蛇の目〉の中で永遠に夢を見続ける。それが彼女にとっての救済だとは思えません」
「私の提案に彼女は同意した。その事実は揺るぎがない。君はサイコパスである彼女にとって裁判を受ける権利や死刑になる権利を主張するのか?それこそナンセンスだ」
「黒孩子として生まれた彼女にとって、今までの人生が意味あるものではないのは明らかだ。ならば苦しみもない世界で解放してシュエメイを一人の人間として扱うことにならんかね?」
「判りません」
「それは永遠の善悪のジレンマだ」
「私は科学者であって哲学者では無い。彼女を個としての最大の譲歩をもって接するだけだ」
「この話は終わりだ。君も今日はゆっくり休むがいい」
そう言われた恵美は言葉が無かった。
翌日、恵美たちは〈蛇の目〉がある部屋に居た。
秋山一葉というコアから接続されたカプセルの中にいるサイコパス達は、今後も夢を見続けるのであろう。
その中にシュエメイが組み込まれる。
重厚なドアが開き、部屋の中にシュエメイが搬送されてくる。
彼女は歌を謳っていた。
そのメロディーは何度となく聞いたあのメロディーであった。
ひとつのカプセルが開き、彼女に機器が接続されていく、そんな状況でさえシュエメイは笑みを浮かべ歌を謳っていた。
彼女にとってこれから見る夢がどんな夢であろうと、ただの電気信号へと変換され〈蛇の目〉を動かす一個の思考へとなる。
恵美の目はシュエメイの最後の瞬間を見て涙が溢れるのを堪えた。
それは暗く重い事件の顛末を告げる瞬間であった。
〈~完~〉




