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06 追加解釈

 旧校舎に戻った瞬間、空気が薄くなった気がした。


 さっきまでの白い廊下。冷たい光。

 金髪の管理者。黒いケース。封印の文字列。


 全部が、嘘みたいに遠い。


 なのに――


 掌の奥に残る感触だけは消えない。


 革表紙の硬さ。

 ペンの重み。

 バッグの底で鳴る、紙の擦れる音。


(やっぱ夢じゃなかった)


 俺は笑いそうになる。


 いや、笑っていい。

 こんなの、最高だろ。


 廊下の端に立入禁止の札が見える。

 そこを越えたら戻れない、って感じのやつ。


 でも、さっきまで俺はその先にいた。


 校舎は何も変わっていない。

 古い窓。埃の匂い。足音の反響。


 なのに俺の世界だけ、さっきから少しだけズレている。


 気づいてしまったからだ。

 「ある」と知った。


 だから今、旧校舎が“ただの旧校舎”に戻らない。


 俺はバッグの紐を握り直し、足を早めた。


 図書室へ戻る。


 理由は簡単だ。

 落ち着ける場所がそこしかない。




 夕方の図書室は静かだった。


 窓際に赤い光が差して、本の背表紙が淡く照らされている。

 司書の先生はカウンターで何かを書いていて、俺の足音に気づくと顔を上げた。


「あら、佐倉くん。戻ってきたのね」


 いつもの声。

 いつもの温度。


 それだけで、胸の奥の冷たさが少しだけ溶ける。


「お疲れさま。旧校舎の整理、無事できた?」


 俺は反射で笑った。


「はい。昨日と同じ感じですね」


「助かるわ。埃っぽかったでしょ。無理しないでね」


「大丈夫です。……まぁ、ちょっと変な場所でしたけど」


 口から漏れて、俺はしまったと思った。


 司書の先生は首を傾ける。


「変な場所?」


「いや、その……床がちょっと軋むっていうか。古い建物って感じで」


 俺は笑って誤魔化した。


(床が軋むどころじゃねぇよ)


 ハッチが開いて、地下があって、扉があって、管理者がいて、封印があって。

 現実だ。


 でも俺は普通の高校生で、相手は司書の先生で、ここは図書室だ。


 全部を言えるわけがない。


 先生は深追いせずに頷いた。


「そうね。危ないところは入らないようにね。約束」


「はい」


 俺は即答した。

 嘘をつくのが上手くなった気がする。


 司書の先生はまた書類に視線を落としながら、さらっと付け足す。


「それと、明日もお願いできる? 今日の分、少し進んだなら続きも片付けてしまいたくて」


 俺の心臓が、妙に跳ねた。


「……明日も、ですか」


「無理なら他の子に頼むけど」


 俺は即答してしまう。


「やります。大丈夫です」


 先生は少し笑った。


「頼りにしてるわ」


 その言葉が、やけに重く聞こえた。


 頼りにされている。

 何も知らないまま。


(……俺も、何も知らないんだけどな)


 俺はカウンターから離れ、いつもの席へ向かった。




 椅子に座った瞬間、自分の呼吸が速いことに気づいた。


(落ち着け)


 俺はバッグからノートを取り出す。


 革表紙。黒。

 厨二心をくすぐる、ちょうどいい重さ。


 前は“拾った時点で最高”だった。

 でも今は違う。


 このノートは、ただの趣味じゃない。


 管理者は言った。


『書き換えは不可能。削除も不可能。編集は追加によって行われます』


 俺はページを開く。


 見慣れた自分の字が並んでいる。

 大袈裟な単語、勢いだけの設定、思いつきの矛盾。


 笑えるはずなのに、今日は笑えない。


(旧Ownerの所有物)


 管理者はさらっと言った。

 怖いくらい自然に。


 旧Owner。

 オリジナル・エディター。


 封印された記録。


 俺の脳内の厨二が、最高の物語を組み立て始める。

 でも現実は、もっと冷たい。


 俺はペンを握った。


(……書くの、やめた方がいい?)


 そう思った瞬間。

 今度は逆の声が出る。


(でも、“追加解釈は可能”って言ったよな)


 管理者は俺に選択肢を渡した。

 いや、渡したというより――渡されてしまった。


 俺の指先が、ページの余白をなぞる。


 書けば変わる。

 書かなければ変わらない。


 いや、違う。


 書かなくても、もう変わっている。


 だって地下施設はもう“ある”。

 俺が一度入った時点で、世界はもう戻らない。


 俺はペン先を浮かせた。


「……一行だけ」


 口に出すと、少しだけ落ち着く。


 大きい改変はしない。

 危ないことはしない。


 封印解除とか、世界の根幹とか、そういうのは後回し。


 俺はページの端に、慎重に文字を書く。


『封印記録は、暫定Ownerには直接閲覧できない』


 ……書いた。設定というよりも、さっきの体験のただの言語化。それだけだった。


 でも書いた瞬間、何かが“繋がった”気がした。


 音じゃない。光でもない。

 ただ、世界のどこかが静かに頷いた感じ。


 俺はペンを止めたまま、息をした。


「……え、今の、俺……」


 自分がやったことなのに、実感が薄い。

 なのに、背中が冷たい。


 俺は咄嗟にノートを閉じた。


(やば、これ普通に……)


 いや、違う。大丈夫。


 俺が書いたのは“閲覧できない”ってことだ。

 封印を解くんじゃなくて、むしろ縛った。


 守った。

 安全寄り。


 だから――問題ない。


 俺はそう思い込んで、バッグにノートをしまった。


 そのとき。


 地下の白い廊下、誰もいないはずの場所で。

 黒いケースの表面に、薄い光が走った。


《Record:SEALED》

《View:RESTRICTED》


 その表示が一度だけ揺らぐ。


《View:RESTRICTED》

《View:— — —》


 空白が挟まった。

 次の文字列が出る前に、塗り潰されるように戻る。


《View:RESTRICTED》


 ケースの前に立つ金髪の管理者は、微かに首を傾けた。


 瞳の奥に光が走る。

 瞬きにも似た、機械的な更新。


「……編集を確認」


 声は誰にも届かない。


 施設だけが、静かに息をした。




 その後で、図書室の奥から小さな音がした。


 紙が一枚だけ“ぱらり”と落ちたような音。


 誰も気づかないレベル。

 俺だけが、なぜか気づいた。


 視線を向けると、落ちたのは古い蔵書カードだった。

 今どき使わない、手書きの貸出記録。


(まだ残ってたんだ)


 俺は立ち上がり、拾い上げる。


 そこには、薄い鉛筆の字が残っていた。


『——閲覧不可』


 俺の手が止まる。


 ……さっき、俺が書いた言葉と似ている。


 似ているだけ。

 偶然だ。偶然に決まってる。


 決まってるのに、指先が冷えた。


 俺はカードを元の場所に戻し、何もなかったふりをして席へ戻った。


(……落ち着け。偶然だ)


 偶然。偶然。偶然。


 そう繰り返している時点で、落ち着いていない。





  凛は、階段を駆け上がった。


 白い光が途切れる。

 背後で、空気の質が切り替わる。


 金属と薬品の匂いが消え、

 代わりに、埃と古木の匂いが肺に入った。


 ――地上だ。


 旧書庫の床を踏み抜くように抜け、凛は勢いのまま扉を押し開けた。

 廊下に出た瞬間、反射的に身を翻し、近くの壁際へ滑り込む。


 息が荒い。


 追われてはいない。

 誰かの足音が迫ってくるわけでもない。


 それでも、

 “あそこ”に長く留まってはいけない感覚だけが、はっきり残っていた。


 凛は廊下を見渡し、物陰を選ぶ。


 使われなくなった掲示板。

 積まれた清掃用具。

 死角。


 そこへ身を寄せて、ようやく足を止めた。


 旧校舎は、夕方の音をしている。

 遠くの部活の声。

 風に鳴る窓。

 床を踏む誰かの足音。


 全部、日常だ。


 さっきまでの白い廊下が、

 嘘みたいに切り離されている。


(……地上)


 凛は息を整えながら、首元に指を当てた。


 整合タグが、じんわりと熱を持っている。

 焼けるほどじゃない。

 けれど、無視できない。


 ――警告。


 理由は教えてくれない。

 ただ、「今、何かが起きた」とだけ伝えてくる。


 その直後だった。


 タグの内側で、遅延するように情報が走る。


《WSPO INTERNAL NOTICE》

《Edit Log:UPDATED》

《Edit Scope:MINOR》

《Owner:UNREGISTERED》


 凛の喉が、かすかに鳴った。


(……更新)


 地下じゃない。

 今、この校舎のどこか。


 しかも規模は小さい。

 それなのに、タグの熱が引かない。


 続けて、別の表示が重なる。


《REFERENCE DRIFT:DETECTED》

《SEALED Record:OBSERVED》


 封印。

 その単語だけで、胃の奥が冷える。


 凛は、無意識に視線を走らせた。


 図書室の方向。


 距離はある。

 けれど、感覚としては――近い。


(……同じ階だ)


 偶然じゃない。

 地下で聞いた会話。

 ノート。

 “追記”。


 点が、線になりかけている。


 凛は息を吸い、壁に背を預けた。


 動くな。

 今は、まだ。


 その判断を裏付けるように、次の指示が落ちてくる。


《Directive:MAINTAIN DISTANCE》

《Directive:NO CONTACT》

《Directive:WAIT RETRIEVER》


 距離を保て。

 接触するな。

 回収班を待て。


 凛は一瞬、奥歯を噛み締めた。


(……遅い)


 小さな追記でも、

 世界は確実に“繋ぎ直される”。


 それを、凛は知っている。

 過去の経験として。


 整合タグの熱が、わずかに質を変えた。

 警告が、確信に近づく。


 それでも――


 凛は、動かなかった。


 今ここで彼に触れれば、

 それは観測じゃなく、介入になる。


 介入した瞬間、

 現実は「そうだったこと」として、別の形を選ぶ。


 それだけは、避けなければならない。


 凛は、旧校舎の影の中で、静かに呼吸を整えた。


(……追跡は、維持)


 逃がさない。

 けれど、触れない。


 次に何が起きても、

 見失わないために。





 俺は図書室の窓の外を見ていた。


 夕焼けで、校舎の影が長い。

 何も変わっていない。平和だ。


 なのに、俺の中だけが落ち着かない。


(……一行だけだし、大丈夫だろ)


 それを「大したことない」と思えてしまう自分が、

 少しだけ怖かった。


 そんな思いも、一瞬のうちに消え去った。

 それ以上に、この状況が――正直、面白すぎたからだ。


 封印記録は、暫定Ownerには直接閲覧できない。


 安全だ。

 守りだ。


 そういうことにしておかないと、怖い。


 俺は小さく笑って、机に突っ伏した。


「……明日も、旧校舎整理あるよな」


 自分に言い聞かせるみたいに呟く。


 また行く。

 また確かめる。


 夢じゃないって。


 この世界が、俺のノートと繋がってるって。


 そして――


 その“続き”があるって。



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