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58 《矛盾領域:記憶の回廊》⑯





 凛は、呆然とする頭の中で、まとまらない思考を続けていた。

 今目の前にいる両親は、もちろんこの世にはもういてはいけない存在だ。それは、頭では理解している。

 でも、心がそれを否定し続ける。

 「存在したはずの日常」が、凛を狂わせている。


(…こんな。こんなことは、許されてはいけない)


 自らの記憶を、思い出を徒らに弄ぶ目の前の存在を、到底許すことなどできない。それが怒りだったのか、憎しみだったのか、軽蔑だったのか。そんなことは誰にもわからない。

 しかし確実に、何かを火種として凛の心に明確な拒絶が生まれる。自らを、この空間を「終わらせない」ために、自分の一番大切なものを弄ばれた。それが何よりも許せなかった。


「…もう、いい」


 凛の身体に、わずかばかりの力が込められる。

 立ち上がることを、身体が拒んでいる。それを無視して、よろめく身体を無理やり立たせる。

 右手に意識を集中する。力なく落とした鎌を拾い上げる。


「…もういいよ、お前」


 はっきりとした敵意。眼前の黒い人型を、これ以上ない殺意を持って睨みつける。

 凛の思考は、冷え切っていた。ただ一つ、明確な目的だけが痛いほどにはっきりとしている。



ーー終わらせる。何もかも、ここで。



 この悪趣味な連鎖だけは、ここで断たなければならない。

 凛はその思考だけを支えにして、人型の前に対峙する。

 両親の姿をした「何か」の、困惑と不安の表情が目に入る。それでも、凛は目線を逸らさない。


「私の思い出を、これ以上踏み躙ることは許さない」


 右手の鎌を構える。切先を、人型へと向ける。

 これは宣言だ。この空間を終わらせる、最後の宣言。

 迷いはある。今でも心の奥で「この夢に溺れていたい」と願う自分がいる。

 それならば、その自分ごと断ち切ってみせる。凛が生きているのは、この歪んだ夢の世界ではない。自らが選び、切り捨てたものの上に立つ、この現実だ。


 この悪辣な夢の全てを、凛は否定する。

 






 凛は、自らの身体を奮い立たせて踏み込む。

 同時に、視線の先に黒い壁が出現。鎖を繋ぎ、一直線に飛び出す。両親の姿をしたものの間を抜ける。


 瞬間。母親と思しきものと目が合う。

 凛の目から、最後の涙が伝う。それでも、もう戻らない。

 あれは凛をここに縛っても、背中を押すものではない。

 本当に大切なものは、この胸にある。この誘惑に屈することは、今まで大切にしまってきたもの全てを裏切る行為だ。

 まとわりつく未練を振り払うかのように、凛はさらに加速する。眼前に、人型の姿を明確に捉える。


 一閃。


 煮えたぎる心に任せ、鎌を振るう。

 人型は、さっきまでと同じように、的確に対処する。鎌を弾き、刃を受け止め、それでも変わらずに立っている。

 

 関係ない。今はただ、このぐちゃぐちゃな感情をぶつける存在がいることに感謝すらするように、ただひたすらに鎌を薙ぐ。


 凛は、笑っていた。だがその裏側にあるのは喜びでも、愉悦でもない。いまにも壊れそうな心が、自らを守るための笑み。それでも目の前の存在を許さないために破壊を誓った、獰猛な笑み。


 さっきまでの静寂が嘘のように、剣戟が響き渡る。

 黒い軌跡が流れ、弾かれ、混ざり合う。


 凛の周りに、切断の意思が具現化する。

 浮遊する刀身が三振り。凛の背後に位置取る。

 目の前の不条理を打ち倒すべく、その切断の意思が向く。

 瞬間、目にも留まらぬ速さで刀身が走り、人型の脚を、腕を、順番に穿つ。


 物言わぬ人型は、それでも譫言のように、一言を発した。

 散々教え込まれた、あの禁句を。



「…矛盾は、保存される」



 その時だった。人型の右手に、見覚えのある現象が起きる。

 周囲の黒い文字が右手に集まり、形を変え、明確な意味が与えられる。それは凛の持つ鎌と同質なようで、まるで違った。


 その手にあるのは、人間大ほどの大きさの「大剣」だった。

 それはもはや、斬るためのものではない。制圧し、押し潰し、圧倒するための武器。


 人型は、凛を真っ直ぐに見ていた。

 否、その真っ黒な顔では、見ていたかどうかは判別できない。

 ただ凛だけが、その人型に繋がれた感覚が拭えなかった。


(…また、見られた。奪われた)


 これは、学習などと呼べるような物ではない。

 明らかな簒奪。

 凛の大切な思い出を弄んだように、次は凛の武器すらもまるで自分のもののように扱う。

 それならば、その在り方すら否定してやる。全身全霊を以て、その全てを、上から捻じ伏せる。

 

 人型は、生み出した大剣を肩越しに構える。

 明確に、凛の存在を否定する構えだった。

 凛はそれに呼応するように、鎌を前に構える。この悪辣な世界を、終わらせるために。


 この時、この空間が、一人と一体だけのために存在していた。

 お互いの否定をぶつけ合うための、最終戦が幕を開ける。

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