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05 封印記録



 白い廊下は、静かすぎた。


 音が吸い込まれるというより、最初から余計なものが存在していないみたいに薄い。

 俺が息を吐く音だけが、やけに大きく聞こえる。


 管理者――金髪の女性が、俺の前に立つ。


 目が合った瞬間、虹彩の奥で薄い光が走った。

 視線を向けられただけで、“読み取られている”感じがする。


「《Owner:UNREGISTERED》を確認しました」


 淡々とした声。

 丁寧で、綺麗で、感情が薄い。


 俺は反射で笑って誤魔化した。


「え、オーナーって……俺? いや、俺、普通の高校生なんだけど」


 管理者は首を傾ける。

 その動きが、あまりにも正確だった。可愛いとかじゃなくて、怖い。


「旧Ownerは不在。暫定Ownerを適用します」


 俺の背中がぞわっとする。


 旧Owner。

 不在。


 言葉の響きが、妙に“物語っぽい”。


「旧Ownerって……前の持ち主? え、消えたの?」


「回答:該当情報は《SEALED》です」


「封印って、そういう意味かよ……」


 ノートの中なら最高のワードなのに、現実で出ると笑えない。

 俺が口元を引きつらせても、管理者は気にしない。


 視線だけを、俺のバッグへ落とす。

 いや、視線というより――照準だ。


「編集媒体を検知しています」


「……それ、俺のノートのこと?」


「肯定。編集媒体:携行を確認」


 まるで荷物検査だ。

 俺は笑って誤魔化す。


「妄想ノートっていうか、設定ノートっていうか……」


「妄想。定義:現実に影響しない想定」


 ……やっぱり言うんだ、それ。

 俺の口が止まる。


「訂正:影響を確認」


 空気が冷えた。

 この施設の空気は元から冷たいのに、さらに一段落ちた感じがする。


「影響って、え、何に?」


「現実」


 即答だった。

 あまりにも即答で、逆に冗談に聞こえる。


「……え、現実?」


「肯定。現実に影響」


 俺は笑ってしまう。


「いやいや、さすがにそれは――」


「否定要求:無効」


 俺の笑いが止まった。



「編集とは」


 管理者が続ける。


「世界に新しい要素を“追加”する行為ではありません」

「既存の構造を“書き換える”行為でもありません」


 淡々とした声。

 けれど、その内容だけはやけに重い。


「編集とは、参照関係の更新です」


 参照。

 聞き慣れない言葉じゃない。

 でも、ここで使われると意味が違う。


「世界は常に、何かを参照しています」

「法則。履歴。記録。整合性」


 壁の中を走る水色のラインが、脈打つ。


「それらは固定されているわけではありません」

「必要に応じて、優先度が変動します」


 管理者は、俺を見る。


 正確には、

 “俺という存在が、今どの程度参照されているか”を

 測っているような目だった。


「あなたのノートに記された内容は」

「現時点で、世界の一部から高い参照値を得ています」


「だから、反映される」

「実現する」


 説明なのに、感情がない。

 正しい処理手順を読み上げているだけだ。


「ただし」


 管理者が続ける。


「既に成立している参照を、無効化することはできません」


 俺は眉をひそめた。


「編集媒体は書き換え不能。削除不能。編集は追加によって実行されます」


 心臓が、一瞬だけ強く打った。


(なんで知ってんだよ)


 俺が誰にも言ってない設定だ。

 このノート、消しゴムで消えない。俺だけが知ってる仕様。


「……待って。なんでそれ知ってんの?」


「仕様です」


「仕様って何だよ。俺のノートだぞ?」


「訂正:所有物ではありません」


 俺が固まる。


「……え?」


「旧Ownerの所有物です。現在は暫定Ownerを適用」


 背中が冷える。


 つまり、このノートは――元々、誰かの物だった。


 俺は思わず、バッグの中のノートを確かめるみたいに触れた。

 革表紙の感触が、いつもより冷たい気がする。


 そこで、管理者は言葉を選ぶように、一拍置いた。


「そのため、編集は“追記”によって行われます」


「既に存在する記述に、新しい解釈を重ねる行為です」


 解釈。


 その言葉が、妙に耳に残る。

 管理者は、“会話のルール”というものに頓着がないみたいに淡々と続ける。


「新しい内容を書き足すことで」

「過去から、そうであったかのように参照を更新します」


「これを――追加解釈と呼びます」


 俺は、その言葉を反芻した。


 消せない。

 直せない。

 けれど、後から意味を重ねることはできる。


 今まで自分がやってきたことに、

 名前が付いただけの気がした。



「……それで、旧Ownerって、何者?」


 管理者は一拍置く。

 沈黙は、迷いじゃない。処理の間合いだ。


「旧Ownerは、過去に最も強く参照されていた存在です」


「参照……?」


「世界は、常に何かを参照しています」

「法則。履歴。記録。整合性」


 壁の中を走る水色のラインが、ゆっくり脈を打つみたいに流れる。


「参照は固定ではありません。優先度は変動します」

「旧Ownerは、変動の中心にあった」


 中心。

 その言葉が、俺の胸の奥に妙に引っかかる。


「じゃあ、その人がいなくなったら……」


 言いかけて、止まる。

 続きを言うのが、怖かった。


 管理者は淡々と続けた。


「参照は継続します」

「ただし、強い参照先を失えば散ります」

「散れば、決め手がなくなる」


「決め手……?」


「同じ状況で、どの参照が優先されるべきか」

「それが定まりにくくなる」


 俺は喉を鳴らした。


「それって、つまり……あちこちで、変なズレが増えるってこと?」


「概ね正しい」


(え、概ねって言った)


 俺は思わず笑いそうになって、飲み込んだ。

 この機械っぽい管理者が“曖昧”を使うのが、妙に気持ち悪い。




 管理者は、そこで踵を返す。


「案内します」


 歩き出す。

 俺も反射でついていく。


「お願いします!」


 足音が、白い床に小さく返る。

 一定の距離を保つように、管理者は先を行く。


 歩きながら、俺は聞く。


「じゃあさ。俺って、なんでここに入れたの?」


 管理者は振り返らない。


「手順は、あなたがすでに理解しています」


「いや、してないって!」


 俺が言った瞬間だけ、管理者の肩がほんの僅かに揺れた。

 ――揺れたように見えただけかもしれない。


「理解とは、言語化を指しません」


 淡々と、当たり前のように言う。


「あなたは、この場所に辿り着きました」

「辿り着いた、という事実が手順です」


 俺は口を開けて、閉じた。

 意味は分かんないのに、否定しきれないのが腹立つ。


 そのとき。


 管理者の視線が、ほんの一瞬だけ横へ流れた。


 廊下の端。

 機材棚の陰。


 誰もいない。

 ――はずなのに。


 管理者は何事もなかったように歩き続ける。


「……え、今、誰かいた?」


 管理者は答えない。

 ただ、次の言葉だけを落とす。


「編集の延期を推奨します」


「は? いきなり?」


「推奨します」


 二回言うの、怖いな。


 俺は笑って誤魔化した。


「延期って便利だな」


 管理者は、その言葉に反応しないまま、廊下の最奥で足を止めた。


 そこに、黒いケースがひとつ置かれていた。

 小さいのに、やけに存在感がある。

 黒いのに、光を吸う黒じゃなくて、光を拒む黒だ。


 管理者はケースの前で告げる。


「《SEALED》を保持しています」


 封印。


 俺の中の厨二が勝手に盛り上がるのに、背中は冷たい。


「え、封印って……何が?」


 管理者は一拍置く。


「旧Ownerに関連する記録です」


「旧Owner、引っ張るね」


「重要です」


「そういうこと言われると余計気になるんだけど」


 ケースの表面に淡い光が走り、文字が浮かび上がる。


《PROPERTY:ORIGINAL EDITOR》

《Record:SEALED》

《View:RESTRICTED》


 俺は思わず笑った。


「やば。テンプレすぎるだろ」


「テンプレート:定義不明」


「こっちの話!!」


 俺はケースを覗き込む。

 中身は見えない。


 触れたらヤバい。

 触れたくなる。


 指を伸ばしかけて、止めた。


「これ、触ったらどうなる?」


「閲覧権限不足。拒否します」


「拒否されるんだ……」


「拒否します」


 二回言うの、やっぱ怖い。


 俺は笑って誤魔化しながら、バッグからノートを取り出した。

 革表紙の感触が掌に馴染む。こういうの、ほんとテンション上がる。


「じゃあさ。追加解釈ってやつで、閲覧できるようにできる?」


 管理者の目が薄く光る。


「可能」


 即答。


 俺は嬉しくなる。


「マジで?」


「可能。ただし、結果は保存されます」


 保存。

 その言い方が、やけに冷たい。


 俺の手が止まる。


「結果って……」


「あなたが追加した解釈に伴い、世界は参照を更新します」

「更新の結果は、残ります」


 説明は、長いのに説明っぽくない。

 手順書を読み上げてるだけの温度だ。


 俺はペン先を浮かせる。


「じゃあ、条件を書けばいいんだろ」


 封印解除の条件。

 鍵。契約。認証。

 それっぽい単語が頭の中を走る。


 ――そのとき。


 背中に、ひやりとしたものが張り付く。


 見られている。


 確かに。


 俺は振り返る。

 ――誰もいない。


 なのに、いる。


 管理者が淡々と告げる。


「監視:有効」


 喉が鳴った。


「……監視って、誰が?」


 管理者は答えない。

 代わりに、同じ言葉をもう一度落とす。


「編集の延期を推奨します」


 俺は、ペン先を止めた。


 ここで書けば、何かが確実に起きる。

 それは分かる。

 分かるのに、面白そうなのが最悪だ。


「……うん。今日は見学で」


 ノートを閉じ、バッグに戻す。

 ペン先をしまう。


 管理者の目が薄く光る。


「編集の延期を確認」


「延期、便利だなほんと」


 俺はケースをもう一度見た。


 封印。

 旧Owner。

 オリジナル・エディター。


 分からない。

 分からないけど。


 これだけは確信できる。


 夢じゃなかった。


 この世界は――俺のノートに、似すぎている。


 そして多分。


 俺が思ってるより、ずっとヤバい。




 彼女は、廊下の角から一歩ずつ距離を詰めていた。


 床の白。

 流れる水色のライン。

 機械が生きている音。


 全部が、現実の学校の下にあるには整いすぎている。


 管理者と少年は、歩きながら言葉を交わす。

 言葉は軽い。笑いも混じる。

 なのに、内容は日常から外れている。


 そのズレが、彼女の喉の奥を冷やした。


 金属の輪――首元の整合タグが、じんわり熱を持つ。

 熱は警告だ。理由を教えてくれるわけじゃない。


 彼女は棚の陰に身を寄せ、息を殺す。


 管理者が一瞬、こちらを見た。


 目が合った気がした。


 ――見えているのか。


 分からない。

 分からないのに、管理者は何も言わない。


 だから余計に怖い。


 彼女は、さらに奥へ。


 黒いケースが見えた。

 小さいのに、あそこだけ空気が重い。


 少年がノートを出し、ペン先を浮かせる。


 書けば、更新が走る。


 それが、分かる。


 管理者が「延期」を口にしたとき、彼女の背中に冷たい汗が走った。


 止めたい。

 止められない。


 今この場で彼に触れれば、それは介入になる。

 介入した瞬間に、現実は“そうだったこと”として別の形を選ぶかもしれない。


 彼女は、そこで止まった。


 動かない。

 触れない。


 ただ、逃がさない。


 整合タグの熱が、脈みたいに続いている。


 彼女は影の中で、静かに息を吐いた。


 次に何が起きても、見失わないために。

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