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41 修学旅行⑥





 観光名所である参道は、人で溢れかえっていた。

 修学旅行生も、外国人観光客も、地元の参拝客も混じり合って、誰がどこから来たのか分からなくなるくらいの人の流れができている。けれど不思議と息苦しさはなく、ただ前へ進む空気だけが、境内全体をゆっくり押していた。


「見て見て、ここ絶対写真撮るとこじゃん」


 ルカが真っ先に足を止め、振り返る。背景を指差しながら、もうポーズまで決めている。


「はいはい、もう撮ってるから動かないで」


 沙耶香が慣れた手つきでスマホを構えた。ルカのテンションに驚く様子はなく、最初からこうなると分かっていたみたいだった。


「ちょ、ルカ。そこ段差ある」


 澪が即座に声をかける。言い方は淡々としているけれど、自然に一歩前に出て、位置を直してやる。


「ありがとー。さすが澪」


「はいはい。落ちたら集合時間どころじゃないから」


 軽いやり取りの間にも、由布は少し後ろで全体を見ていた。誰かの荷物が邪魔になっていないか、足元は大丈夫か。必要なときだけ、静かに声をかける。


「次、こっち混んでるから先行った方がいいかも」


 由布の一言で、五人は自然に進行方向を揃える。誰かが号令をかけるわけでもない。ただ、そうした方がいいと全員が思って、同じ方向へ歩き出す。


「人多いね。迷子出そう」


「ウチらは大丈夫でしょ。ルカが目立つし」


「ひどくない?」


 そんなやり取りが、途切れず続く。


 凛はその輪の中にいて、特別なことは何も感じていなかった。


 歩く。止まる。写真を撮る。人を避ける。


 修学旅行でよくある動きの連続だ。


「ねえ、これ見て。八つ橋の試食」


「また食べるの?」


「別腹!」


 ルカが即答し、澪が呆れた顔をする。


「昼ご飯あるんだからね?」


「それはそれ、これはこれ」


 笑い声が混じる。


 坂道は続いているが、苦になるほどではない。疲れよりも、賑やかさの方が勝っていた。


 凛は、自分が今どこに向かっているのかを、特に意識していない。


 ただ、決められた工程を、決められた仲間と一緒に消化している。


「ねえ凛、ここ景色やばくない?」


 ルカが隣に並び、遠くを指差した。


「……うん。すごいね」


 凛は素直にそう返した。言葉に嘘はなく、胸の奥から出た感想だった。


 人の声。シャッター音。売店から漂ってくる甘い匂い。どれも修学旅行らしくて、どれも当たり前だった。


 凛は笑い、返事をして、写真に写る。


 何も考えずに、ただその場にいる。


 今日は、そういう日だ。




 広い大通りを抜けると、人の流れは少しだけ細くなった。


「次どこ行くんだっけ?」


 沙耶香がしおりを取り出しながら言う。


「えーっと……集合場所はこの先だね」


 澪が即答する。紙を見るまでもない、という口ぶりだった。


「じゃ、先行こ。混む前に」


 ルカが言って、何のためらいもなく歩き出す。五人はその背中についていった。


 参道は緩やかに続いている。店が途切れたり、また現れたりを繰り返しながら、少し下って、また緩く登る。


 人の流れに逆らう必要はなかった。


 ……はずだった。


 凛は、一歩だけ足を止めそうになる。


 次は、左。


 理由は分からない。ただ、そう感じた。


 まだ案内板は見えていない。視界の先も、人で塞がれている。それなのに、身体のどこかが「次はこっちだ」と先に理解していた。


 凛は、その感覚をすぐに引っ込める。


 歩調を合わせ直し、前を行くルカの背中を見る。


「凛、置いてくよー」


「あ、うん」


 声をかけられて、すぐに追いつく。さっきの感覚は、会話に紛れて薄れていった。


 少し歩くと、分岐が現れる。


 左。


 さっき感じた通りの方向だった。


 凛は視線を逸らす。確認しない。考えない。


 看板を見た澪が言う。


「こっちだね」


 誰も不思議がらない。誰も気づかない。


 五人はそのまま左へ進む。


 段差。


 凛の足が、一瞬だけ早く上がりそうになる。


 転びはしない。つまずきもしない。ただ、身体が“先に準備していた”だけだった。


 凛は何事もなかったように歩き続ける。


 表情は変えない。足も止めない。


 ──まただ。


 そう思いかけて、思考を切る。


 理由を探せば、広がってしまう。


 今は、楽しい。


 それでいい。


 前を行くルカが、急に振り返る。


「ねえねえ、次の写真どこで撮る?」


「もう十分撮ってない?」


「いや、これは別枠!」


 軽口が飛び、笑い声が続く。


 凛も、その輪の中にいる。


 違和感は、消えない。


 けれど、それ以上に、日常が進んでいく。







 昼食場所は、修学旅行生の集団で埋まっていた。


 指定された席に案内され、五人は並んで腰を下ろす。料理の匂いと、人の声と、写真を撮るシャッター音。どこを見ても、ありふれた修学旅行の昼だった。


「多くない? これ」


 沙耶香がトレーを覗き込む。


「これが修学旅行仕様」


 澪が即答する。


「でも普通においしそう」


 由布が箸を取るより早く、ルカは一口目にいっていた。


「うん、当たり!」


 親指を立てるルカに、沙耶香が笑う。


「まだ誰も食べてないんだけど」


「冷める前が一番じゃん?」


 軽口が飛び交う。


 凛も箸を進めた。味は特別ではない。でも悪くもない。だから、会話の流れに自然に乗れる。


「午後、このまま清水寺?」


「甘味系あるかな」


「お土産見る時間ほしいな」


 話題は途切れず、少しずつ移ろっていく。


 その合間に、凛の中で、あの感覚が薄く残っていた。


 次は、こう。


 そう身体が先に知っているような瞬間が、時折ある。


 今は座っている。歩いていない。だから、その感覚は前に出てこない。ただ、静かに留まっているだけだった。


 凛は視線を上げる。


 ルカは楽しそうに次の写真の話をしている。笑って、食べて、周囲と同じ時間を過ごしている。


 そこには、何の引っかかりもない。


 凛はそれを見て、自然に肩の力を抜いた。


 理由を探さず、言葉にもせず、そのまま流す。


 食事が終わり、立ち上がる。


 次の工程へ向かう準備が、当たり前のように始まる。


 違和感は消えない。


 けれど、それは日常の歩幅から外れることもなかった。









 午後の工程に入る頃には、班の移動ルートがはっきりしてきていた。


 坂は続いているが、朝ほど雑多ではない。

 土産物屋の並び方も、観光客の立ち止まり方も、どこか「目的地が近い」配置に変わってきている。


「この先、あれだよね。清水の方」


 誰かが言って、全員が特に否定もせず頷いた。


 地図を確認する必要はない。

 誘導も、案内板も、先生の声も、今はまだ必要なかった。


 ただ、流れがそうなっている。


 五人は、その流れに乗ったまま歩き続けていた。


 ふと、人の流れが見えたその瞬間。


 ――右。


 理由はない。ただ、そう来る。


 凛の足が一歩だけ、そちらへ出かける。すぐに止める。次の瞬間、前方の人の流れが同じ方向へ切り替わった。


 誰も気にしない。


 誘導の声が聞こえる前に、列は右へ折れる。


 会話はそのまま流れている。


「重くない?それ」


「大丈夫、最悪持つし」


 凛は何も言わず、列に合わせる。


 少し進んで、段差。


 視線を落とす前に、足首に力が入る。直後、足元の高さが変わった。小さな段差だった。


 躓く人はいない。


 だから、誰も立ち止まらない。


 凛の中で、短く、同じ感覚が続く。


 次は詰まる。


 そう思った瞬間、前が止まる。写真を撮る人がいて、列が一拍だけ遅れる。


 わかる。見覚えがある。

 道の先がどうなっているか、体が覚えているような感覚。


 凛は歩幅を揃え直す。顔には出さない。呼吸も変えない。


 掴みにいかない。


 会話に戻る。


「集合場所、こっちだよね」


 澪の声で、全員が同じ方向を見る。


 その瞬間、さっきまであった感覚が薄れる。輪郭が溶けるように、手応えだけが残る。


 違和感は、増えない。


 同じ形のまま、静かに続いているだけだった。







 昼食を終えたあと、次の集合場所へ向かうまでの短い空白。


 クラス全体はまだばらけていて、完全に再点呼がかかる前の時間だった。

 悠斗は建物の縁に寄り、観光客の流れから半歩だけ外れた場所に立っている。


 周囲は修学旅行生と観光客が入り混じり、騒がしい。

 それでも、この距離なら一人になれる。


 悠斗は、なんとなくカバンに手を入れた。


 ノートの感触が、指先に触れた。


 (――あ、いいね。この感じ)


 今なら、いい設定が書けそうな気がした。


 理由は分からない。ただ、いつもの「思いついたから」より、少しだけ輪郭がはっきりしている感覚だった。


 悠斗は一歩だけ輪から外れて、ノートを開く。白いページを前に、ペン先を浮かせる。


 言葉が、並びかける。


 まだ文章になる前の、設定の手触りだけが先に来る。

 そこで、悠斗の手が止まる。


 (――うわ、これ。このまま進むやつだ)


 頭に浮かんだのは、結論ではない。何が起きるか、どうなるか、そこまでは見えていない。そんなものは見えない。

 ただ、悠斗の知らない何かが、先に話を進めようとしている、そんな気配だけがあった。


 ここで書いたら。


 多分、満足する。


 でも同時に、つまらなくなる。


 どうせ起きる展開を、先に自分の手で確定させる。それは設定を書くというより、オチを先に言うのと同じだった。


 珍しく、どこか不機嫌な表情。


「……なんだよそれ」


 誰にも聞かれない声で、悠斗は小さく呟く。


「ネタバレじゃん」


 そう言って、ペンを戻す。ノートを閉じる。


 理由は深掘りしない。


 でも多分、今じゃない。


 ただ、それだけで十分だった。


「悠斗ー、こっち!」


 呼ばれて、すぐに顔を上げる。


「はいはい」


 軽く手を振って、何事もなかったように輪の中へ戻る。


 修学旅行の空気は、そのままだった。

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