04 ACCESS:GRANTED
地下は、白かった。
廊下は、やけに整っていた。
天井は高く、床は均一な白。
壁の中を、淡い水色のラインが走っている。
光は流れるように動き、一定のリズムを刻んでいる。
照明は明るい。
けれど、眩しくない。
必要な分だけを、正確に照らしている。
音が少ない。
完全な無音じゃない。
機械が“生きている音”だけが、遠くで一定に鳴っている。
学校の地下にあるものじゃない。
少なくとも、俺の知っている「学校」には存在しない。
床を踏むと、音が返ってくる。
軽い金属音。
コンクリートじゃない。
(……前も、これ聞いたな)
夢だと思ってた。
でも、同じ感触だ。
壁際に、端末が埋め込まれている。
角には排水溝。
天井の隅に、黒い点――カメラ。
どれも“必要だからある”配置だ。
飾りじゃない。
見せるための設備でもない。
ここは、
誰かが「使う」ための場所だ。
廊下の先で、微かに空気が動いた。
見えないはずの境界が、
“開いた”感じがする。
俺は、無意識に一歩踏み出していた。
怖さは、ない。
それより――
(……テンション、上がるなこれ)
現実が、
自分の書いた設定に追いついてきている。
そんな感覚が、背骨の奥でじわじわ広がっていた。
自分の興奮を他所に、ここは静かすぎる空間だった。
無音ではない。ただ、音が整理されすぎている。
反響も、余計な揺れもない。
空気が整いすぎていて、逆に落ち着かない。
「……これこれ」
俺は喉の奥で笑った。
前に来たときも、確かにこうだった。
夢だと思って、起きたあとに誤魔化した。
夢だった、ということにしておかないと、いろいろ辻褄が合わなかったからだ。
(でも、同じ匂いがする)
湿っていない。
埃っぽくもない。
学校の地下にあるはずの匂いじゃない。
金属と、電気と、どこか清潔な薬品が混ざった匂い。
鼻の奥に残る、変に記憶に残る匂い。
夢にしては、細かすぎる。
「……やっぱ現実じゃん」
肩にかけた鞄の中で、ノートが軽く揺れた。
俺の《設定ノート》。
廊下の奥で、カチ、と音が止まる。
代わりに、スッと何かが動く気配がした。
空気が、切り替わる。
白い光の向こうから、人影が現れた。
女性だ。
白金色の髪。
無駄のない白い衣装。
制服でもスーツでもない。用途が分からないのに、機能だけが見えてくる服。
歩き方が、人間じゃない。
音が小さい。
重心が揺れない。
一歩ごとの間隔が、一定すぎる。
近づくほど、違和感が濃くなる。
肌は人間みたいに滑らかなのに、光の反射が均一すぎる。
首元と指先に、極細の接合ライン。
一度見えると、目が離れない。
目が合った瞬間。
虹彩の奥で、薄い光が走った。
“読み込まれた”という表現が、一番近い。
「――侵入者を確認」
声は丁寧だった。
感情は薄い。
それなのに、拒絶の温度がない。
「《Owner:UNREGISTERED》」
俺は固まった。
(未登録……?)
管理者は俺の顔を見ていない。
視線は、鞄の中。
正確には、その奥――ノートの位置だ。
「旧Ownerは不在。暫定Ownerを適用します」
背中がぞわっとした。
旧Ownerって何だよ。
不在って、どこ行ったんだよ。
「《Session Authority:TEMP-ADMIN》を行使」
俺、何もしてないんだけど。
管理者は、ほんのわずかに首を傾けた。
それが人間的な仕草なのか、模倣なのか、判断がつかない。
「――ようこそ」
一拍。
「ようこそ、編集者」
俺の脳が、一瞬だけ止まった。
(……編集者?)
「――編集を確認」
「え、いや、妄想ノートっていうか……」
「妄想。定義:現実に影響しない想定」
一拍。
「訂正。影響を確認」
空気が冷えた。
「編集とは」
管理者が続ける。
「世界に新しい要素を“追加”する行為ではありません」
「既存の構造を“書き換える”行為でもありません」
淡々とした声。
けれど、その内容だけはやけに重い。
「編集とは、参照関係の更新です」
参照。
聞き慣れない言葉じゃない。
でも、ここで使われると意味が違う。
「世界は常に、何かを参照しています」
「法則。履歴。記録。整合性」
水色のラインが、壁の中で脈打つ。
「それらは固定されているわけではありません。
必要に応じて、優先度が変動します」
管理者は、俺を見る。
正確には、
“俺という存在が、今どの程度参照されているか”を
測っているような目だった。
「あなたのノートに記された内容は」
「現時点で、世界の一部から高い参照値を得ています」
「だから、反映される」
「実現する」
説明なのに、感情がない。
正しい処理手順を読み上げているだけだ。
「え……待って」
「じゃあ、俺が書いたから現実になった、ってこと?」
俺がそう言うと、管理者は首を振った。
「因果は逆です」
即答だった。
「世界が、あなたの記述を“必要とした”」
「その結果、参照が集中した」
余計に分からない。
「必要って……何に?」
管理者は一拍置く。
その沈黙は、
「答えがない」のではなく、
「答えを提示しない」間だった。
「それは、現時点では開示不可です」
言い切りだった。
「ただ一つ確かなのは」
「あなたの記述が、世界の挙動に影響を与えているという事実です」
空気が、また一段冷える。
俺は乾いた笑いを漏らした。
「……なにそれ」
「めっちゃ面白いじゃん」
完全に本音だった。
普通なら引くところだ。
怖がるところだ。
でも――
俺の厨二センサーが、ここは乗れと言っている。
管理者は、俺の反応を咎めない。
肯定もしない。
ただ、静かに告げる。
「反応を確認」
「編集者は、正常に稼働しています」
その言葉が、
歓迎なのか、
ただの状態ログなのか、
俺にはまだ分からなかった。
*
凛は、旧書庫の外で数秒だけ待った。
扉の向こうから聞こえてくる音に、耳を澄ます。
足音が、書庫の奥へ遠ざかる。
段ボールを踏む音が消え、床板が軋む気配もなくなる。
呼吸の気配が、なくなる。
それを確認してから、静かに扉の前へ戻った。
隙間から覗いても、人影は見えない。
薄暗い室内。
積まれた段ボール。古い棚。机。紙束。
凛は扉の端に指先を添え、音を立てないように押した。
中へ入る。
空気が切り替わる。
廊下の乾いた匂いが、紙と埃の匂いに塗り替えられる。
扉は閉めない。
閉めれば音が出る。
音が出れば、気づかれる。
代わりに、扉の陰へ体を寄せたまま、書庫の奥を見た。
――下から、金属音が響いている。
規則的ではない。
短く、硬い音。
何かが動き、何かが開く音。
床。
棚の最奥。
そこだけ、空気が冷たい。
凛は一歩だけ進み、止まった。
不用意に近づくな。
その判断は、思考より先に身体が出す。
床板が擦れる音。
続いて、冷気が上がってくる。
息を吸う。
次の行動を決めるなら、早い方がいい。
遅れれば、状況が変わる。
凛は書庫の奥へ進んだ。
棚の最奥。
浮いた床板。
その下にある、金属製のハッチ。
黄色と黒の縞模様。
取っ手。鍵穴。小さな表示。
冷気が、上がってくる。
湿った地下の匂いではない。
電気と金属と、どこか清潔な薬品の匂い。
凛は取っ手に指をかけ、止めた。
――接触は、まずい。
だが、今ここにあるのは命令ではない。
事実だ。
扉は開いた。
人が降りた。
冷気が上がってくる。
凛は、取っ手を引いた。
金属が軋む音。
床のハッチが、呼吸するように持ち上がる。
暗い穴の奥に、薄い光が見えた。
*
階段は、やけに整っていた。
一段降りるごとに、足音が均一になる。
途中から床材が変わる。コンクリートから金属へ。
白い廊下を進んだ、そのとき。
声が聞こえた。
凛は即座に身を寄せ、ラックの影で息を殺す。
姿は見えない。
見えるのは、白い廊下の光の反射だけだ。
声だけが届く。
一つは、若い男の声。
息が軽い。
言葉の端に、抑えきれない昂りが混じっている。
もう一つは、女性の声。
感情の輪郭が薄く、滑らかすぎる。
人に話しているというより、淡々と応答している音に近い。
凛は、呼吸を止めたまま聞いた。
交わされている言葉は、異質だった。
普段の生活では使わない単語。
それでいて、説明を必要としない前提で進む会話。
まるで、
ここがそういう場所であることを、
互いに疑っていないみたいな話し方。
――ここは、高校の地下だ。
その事実と、今聞いている会話が、どうしても噛み合わない。
若い声は、初めてこの場所に来た人間のものじゃない。
試すような調子も、戸惑いもない。
最初から知っている。
ここが、こういう場所だと。
凛は、そこでようやく気づく。
異変の中心は、この高校だ。
推測ではない。
ここまで現実が噛み合ってしまっている以上、否定できない。
そして――
この場に立っている当事者は、
少なくとも一人は、生徒だ。
声が若すぎる。
言葉の選び方も、間の取り方も、
大人のそれとは決定的に違う。
高校に通う人間。
この場所に属している側。
世界が、個人の存在を前提に動いている。
しかもそれは、この高校の中だ。
誰なのかは分からない。
姿も、名前も、まだ何ひとつ掴めていない。
それでも。
この高校の中に、
世界の中心が生まれている。
凛は、
息を吸うのも忘れたまま、
声のする方向から目を離さなかった。
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