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35 新しい日常




 朝の空気は、秋にしてはやわらかかった。

 寒いわけじゃないのに、息を吸うと胸の奥が少しだけ澄む。そんな季節。


 東雲凛は、いつもの通学路を歩いている。

 ――隣に、九条ルカがいる。


「ねむ」


 ルカが遠慮もなくあくびをする。

 凛は横目で一瞬だけ見て、前を向いた。


「凛、朝つよいよね。なんで?」


「強くない」


「でも起きてるじゃん」


「歩いてるだけ」


「それが強いんだって」


 勝手に納得したように、ルカは凛の歩幅に合わせる。

 距離は近いが、触れ合うほどでもない。意識しなければ、ただ並んでいるだけの距離。


 凛は、ふとルカの胸元に視線を落とした。


 ブレザー。

 見慣れた色。

 胸元の校章。


 霧ヶ丘高校の制服。


 視線が止まる。

 呼吸が、一拍だけ遅れた。


 昨日までは――違ったはずだ。

 確かに、昨日まで、ルカは違う制服を着ていた。違う学校のはずだった。


 足は止めない。

 歩きながら、凛は短く口にする。


「……その制服」


 ルカが首を傾げる。


「ん? 制服?」


 凛は言葉を続けられなかった。

 問いにするには、あまりにも現実が滑らかすぎる。


 ルカは凛の顔を覗き込むようにして、少しだけ困った顔をする。


「凛、なんか変。いつもと同じだよ?」


 ――いつもと同じ。


 その言い方に、嘘はない。

 本気でそう思っている声音だった。


 凛は視線を前に戻す。


「……そう」


「でしょ。なに、急に。制服フェチ?」


「なんでもない」


「ふーん。ふふ、もっと見てもいいよ?」


 納得したのかしていないのか分からないまま、ルカはそれ以上追及しなかった。

 代わりに、凛に全身を見せるようにくるりと回る。


 通学路を、他の生徒たちが通り過ぎていく。


「おはよー」

「今日ちょっと寒くない?」

「修学旅行、そろそろだね」


 誰も、ルカに立ち止まらない。

 二度見もしない。

 最初からそこにいたみたいに、自然に声をかける。


「おはよ〜」


 ルカもいつもの調子で手を振る。


「ねえ凛、修学旅行さ、京都と奈良なんだって」

「鹿いるかな!絶対いるよね!」


「……いると思う」


 凛の返事は短い。

 けれど、以前よりも会話が途切れないことに、本人は気づいていなかった。


 校門が見える。

 いつもと同じ坂。

 いつもと同じ校舎。


 世界は、何も変わっていない顔をしている。


 教室に入ると、朝のざわめきが広がっていた。


「おはー」

「眠っ」

「今日、絶対しおり配られるよね」


 ルカは迷いなく自分の席へ向かう。

 ここが自分の場所だと疑っていない歩き方。


 凛は自分の席に座った。

 当然のように隣にルカが座る。


 机の距離は、昨日までと同じ。

 けれど、凛の感覚だけが、昨日に引っかかっている。


 ――昨日まで、そこには別のクラスメイトが座っていた。

 ――でも今は、ルカが隣にいる。


 どちらが正しいのか。

 その問い自体が、この教室では浮いてしまう。


 チャイムが鳴る。


 世界は、何事もなかったように進んでいく。




 担任はしおりを数枚まとめて持ったまま教室に入ってきて、

 教卓にそれを置いた。


「はい、静かにー。お前らお待ちかねの、修学旅行の話な」


 教室のざわめきが広がる。


「京都だっけ」

「奈良も行くんじゃね」

「自由行動あるらしいよ」


 浮き足だった生徒たちが口々に話す。


「工程は二泊三日。

 一日目は移動して奈良。前半は文化遺産を巡り、後半は自由行動。

 二日目、京都へ移動して、その後の工程は同じ。

 三日目は15時まで自由行動で、そのあと帰る、って流れ」


 しおりを一枚めくりながら続ける。


「移動は基本バス。

 現地は班行動。

 自由行動も班単位だから、勝手に一人で動くなよ」


 ルカが身を乗り出す。


「食べ歩きあるよね?」


「……多分ある」


「ふふ、絶対一緒に回ろうね、凛」


 担任は気にせず説明を続ける。


「時間と集合場所は特に重要。

 遅れたら全体止まるからな。

 それだけは本気で困る」


 少しだけ視線を教室全体に巡らせる。


「細かいルールは、今言わない。

 しおり読め。

 ちゃんと書いてある」


 そう言って、しおりを軽く叩いた。


「じゃあ、班割りな。

 五、六人くらいで決めとけー。

 男子だけでも女子だけでも何でもいい。

 あとで名簿出してもらうからなー」


 その一言で、空気が一気に緩む。

 担任の静止が入るまで、ざわめきは続いた。







 ――休み時間。


 椅子を引く音。

 机を寄せる音。

 名前を呼び合う声。


「誰と組む?」

「どうする?」


 そんな会話が教室中に広がる。


 ルカは迷いなく凛の机の横に来た。


「凛、一緒でいいよね」


 確認するような口調。

 凛は一瞬だけ視線を上げて、頷く。


「うん」


「よし」


 前の席では水瀬沙耶香と篠原由布が楽しそうに話している。

 後ろの方で、早川澪が椅子にもたれてスマホを眺めている。


 凛にとっては、いつもの光景だった。


 そのままルカは顔を上げる。


「ねね!由布も一緒でしょ?」


「うん、いいよ」


 由布は当たり前のように答え、机を寄せる。


 沙耶香も少し遅れて声をかけた。


「私も入っていい?」


「もちろん!大歓迎」


 最後に、ルカが澪の方を見る。


「澪、どうする?」


「え、私?」


 澪は一瞬だけ周囲を見回し、それから肩をすくめた。


「まあ、空いてるし」


「じゃあ決まり!」


「決まり早くない?」


「今さら変える理由ある?」


 誰も否定しない。


 特別な話し合いもなく、

 自然に五人が机を寄せていた。


「奈良どうする?」


 由布がスマホを出す。


「東大寺は外せないよね」

「鹿見る」


「歩きすぎると死ぬから注意」


 澪の一言に、沙耶香が笑う。


「午前は学習系で、

 午後は奈良公園あたりかな」


「移動は電車?」

「タクシーもありじゃない?」


「割り勘なら現実的」


 会話は途切れない。


 凛は、その輪の中に座っている。


 前に出るわけでもなく、

 置いていかれるわけでもない。


「それでいいと思う」

「無理はしない方がいい」


 短い言葉だけを添える。


 隣でルカが、しおりのページをめくりながら笑う。


「楽しみだね、凛」


 凛は、その声を聞いて、少しだけ呼吸が楽になる。


「……うん」


 理由は分からない。

 自覚もない。


 ただ、ルカがいる現実が、凛にとっての基準になりつつある。


 世界は、何事もなかったように進んでいく。




 ――気づけば。


 自分の席が、

 少しだけ居心地のいい場所になっていた。


 凛は、その理由を考えなかった。


 今は、ただ。


 楽しい、でいい。

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