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33 大切なもの

空席の王編、ラストです。




 夕方の街は、やけに優しかった。


 風は冷たくない。

 空は高くて、薄い雲がゆっくり流れている。

 駅前のロータリーでは、車のライトが点き始め、人の流れが一日の終わりに向かってほどけていく。


 凛はその中を歩いていた。


 帰宅のためじゃない。

 任務のためとも言い切れない。


 ただ――ここにいるしかなかった。


 世界が何事もなかった顔をするほど、

 自分の中の空白が輪郭を持ってしまう。


 街を歩けば歩くほど、分かる。


 ルカがいない。


 それは「探して見つからない」という種類の不在じゃない。

 もっと厄介な、最初から居場所が用意されていない不在。


 凛は、胸の奥を押さえるように息を吐いた。


(……いるはずがない)


 自分に言い聞かせる。

 何度も。


 あの場所は、収束した。

 あの空間は、終わった。

 王は切断し、領域は沈み、記録は引き剥がされ――


 ルカは、最後まで明るかった。


 だからこそ痛い。

 あの笑い方が、まだ耳に残っている。


 凛は前を向く。


 駅前から少し外れた、商店街へ続く道。

 アーケードの照明が、早い点灯で白く浮いている。

 惣菜屋の揚げ油の匂い。

 小学生が走り抜ける足音。

 スマホの通知音が遠くで鳴る。


 日常。


 日常のはず。


 凛は、その“当たり前”の中にひとつだけ混ざっている異物を探すように、視線を滑らせる。


 見つかるわけがないのに。


 ――だから。


 視界の端に、金色が走った瞬間。


 凛は、反射で呼吸を止めた。


 商店街の入口。

 人の流れがいちばん厚い場所。

 その向こう側を横切った、短い光。


 金髪。


 ただの金髪なら、いくらでもいる。

 街には染めた髪も、明るい色も、珍しくない。


 なのに、凛の身体が先に反応した。


 胸の奥が、音を立てた。


「……」


 口が開く。


 声にならない。


 凛は一歩を踏み出し、次の瞬間には走っていた。


 人混みを割る。

 肩がぶつかる。

 小さな「すみません」が飛ぶ。


 それでも、止まれない。


 息が白くなりかけるほど、肺が痛い。


(違う)


(そんな馬鹿な)


(いるはずが――)


 凛は曲がり角を飛び込む。


 路地ではない。

 商店街の一本裏。

 車が入れないほど狭い道。

 古い看板が壁に張り付いている。


 そこに――


 金色が、いた。


 凛の足が止まる。



 距離は十数メートル。

 その背中は、見覚えがある。


 歩幅が大きい。

 迷いがなくて、軽い。

 この街を知っているように、自然に進む。


 肩から揺れるストラップの音。


 じゃらじゃら。


 凛の喉が鳴った。


 耳の奥に残っていた音が、現実に戻ってきた。


 凛は、呼吸を忘れたまま、一歩ずつ近づく。


 追いかけたいのに、怖い。


 追いついた瞬間に、

 それが幻だと分かったら――


 凛は耐えられない。


「……ルカ」


 声は掠れた。

 自分の声じゃないみたいに。


 その背中が、ぴたりと止まる。


 一拍。


 まるで、振り返るタイミングを選んでいるみたいに。


 それから、ゆっくりと振り返った。


 夕方の光が、金髪に引っかかって揺れる。

 目元のメイクが濃いのに、表情は軽い。

 笑うと年相応の明るさが戻る。


 凛が知っている、顔。


 ――九条ルカ。


「ん?」


 ルカが首を傾げる。


「……なに、その顔」


 凛は返事ができない。


 声を出したら、崩れる。


 この距離まで来てしまったのに、まだ信じられない。


 ルカは、凛の沈黙を勝手に解釈するみたいに目を細めた。


「凛、さ」


「疲れてる?」


 そう言って、笑う。


 その瞬間。


 凛の胸の奥で、何かが切れた。


 抑えていたものが、一気に押し寄せた。


 寂しさ。

 悔しさ。

 恐怖。

 安堵。


 全部が重なって、凛の視界を滲ませる。


 凛は一歩踏み出す。


 次の一歩で、ルカの目の前まで詰める。


 ルカは驚かない。

 避けもしない。


 ただ、少しだけ目を丸くした。


「え、ちょ!」


 言い終わる前に。


 凛は、ルカに抱きついた。


 腕を回して、力いっぱい引き寄せる。

 制服の布が擦れて、ルカの香水が近くなる。

 胸の位置が重なって、温度が伝わる。


 生きている。

 熱がある。

 触れられる。


 凛の喉が震えた。


「……っ」


 息が、うまく吸えない。


 ルカは一瞬だけ固まって――すぐに、笑った。


「なにそれ、急に」


 軽い声。

 でも、突き放さない。


 ルカの手が、凛の背中に触れる。


 ぽん、と。

 叩くみたいに。


 その動作が、あまりに自然で、

 凛はまた泣きそうになった。


「凛、ほんとどしたの」


 凛は顔を上げられない。

 上げたら、泣いているのが見える。


 泣いていることを見られるのが嫌なんじゃない。

 泣いている理由を説明できないのが嫌だ。


 説明したら、世界が壊れる。


 ルカは、“そういう空気”を読まないふりをするのが上手かった。


「……でさ」


 ルカは、いつも通りのテンションに寄せて言う。


「今日、どこ行く?」


 凛の胸が痛む。


 今日、どこ行く。


 ずっと聞きたかった言葉を、

 当たり前みたいに言う。


 それはもう、当たり前じゃないはずなのに。


 凛は、やっと顔を上げた。


 目が合う。


「ふふ。凛、今日はほんとに変」


「……」


「……なんかさ」


 ルカは笑いながら、凛の目元を指で軽く触れた。


 涙の跡をなぞるみたいに。


「泣いてんじゃん」


 凛は反射で目を逸らす。


「……別に」


「別に、って言う人、絶対別にじゃない」


 いつもと同じ、あの口癖。


 一番会いたかった人が、事実として、目の前にいた。





 夕暮れの街を並んで歩く。


 ルカの歩幅は相変わらず大きくて、

 凛は半歩遅れてついていく。

 何度も一緒に歩いた距離感。


 ルカが振り返る。


「ね、凛」


「なに?」


「さっきからさ、凛ちょっと静かじゃない?」


 凛は一瞬だけ言葉に詰まり、

 それから小さく息を吐いた。


「……そう?」


「うん。なんか、考え事してる顔」


 図星だった。


 でも、今は説明したくない。

 説明しなくてもいい時間が、ここにはある。


 凛は肩をすくめる。


「……ちょっと疲れてるだけ」


「なにそれ、珍し」


 ルカは笑って、凛の袖を軽く引いた。


「じゃあさ」


「今日は、凛の行きたいとこ行こ」


 凛は驚いてルカを見る。


「……私の?」


「そ。いつもウチが決めてるし」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。


 凛は、ほんの少し考えてから言った。


「……カフェ」


「お、いいじゃん」


「前に、行こうって言ってたところ」


「覚えてたんだ?」


「一応」


 ルカは嬉しそうに笑った。


「じゃ、決まり!」


 歩き出す。

 自然に、並ぶ。


 ルカのガラケーが揺れる。

 ストラップがじゃらじゃら鳴る。


 その音が、

 ちゃんと「今」に属していることが、

 凛にははっきり分かる。


 凛は、横目でルカを見る。


 生きている。

 笑っている。

 隣にいる。


 それだけで、十分だと思えた。


 少なくとも――今は。


 凛は、そっとルカの手を握る。


 今度は、確かめるためじゃない。

 離れないようにするためでもない。


 ただ、

 一緒に歩くのが当たり前だと思えたから。


 ルカは一瞬きょとんとして、

 すぐに笑った。


「なに、今日どうしたの凛」


「……別に」


「別に、って言う人は――」


「うるさい、分かってる」


 凛は先に言って、

 自分でも少し笑ってしまった。


 二人は、そのまま歩く。


 夕方の街は、

 何事もなかった顔で続いている。


 そして今だけは、

 凛もその中にいられた。


 助かった。

 取り戻した。

 ここにいる。


 理由はまだ分からない。

 違和感も、消えてはいない。


 それでも。


 この時間は、確かに本物だ。


 凛は空を見上げ、

 少しだけ肩の力を抜いた。


「……ね、ルカ」


「ん?」


「今日は、楽しくしよ」


 ルカは笑って即答する。


「ふふ、何それ。最初からそのつもりだけど?」


 その返事に、凛はちゃんと笑った。


 世界は、何事もなかった顔をする。


 だからこそ。


 歪でもいい。たとえ夢でもいい。


 今この瞬間だけは、

 このひと時を、疑わずに受け取ることにした。



 

空席の王編、ここまでお読みいただきありがとうございました。!一旦プロットの推敲作業に入るので、数日更新をおやすみします。

引き続き高評価・ブックマークしていただけると大変励みになります、よろしくお願いします!!

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