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31 空席の王⑤




 凛は、一度だけ、目を閉じた。


 ルカの声が、まだ背中に残っている。

 優しくて、逃げ場のない声だった。


 ――凛を助けたい。


 その言葉を、凛は否定しなかった。

 拒まなかった。

 ただ、受け取った。


 受け取ってしまった以上、立ち止まる理由はない。


 泣き崩れる暇もない。

 怒りに変える暇もない。


 ルカの覚悟を受け入れ、自分も前に進む。

 それだけでいい。


 凛は、目を開く。


 空席の王は、変わらず空中に在った。

 黒い文字列が体の周囲を這い、蠢き、輪郭を増幅している。

 その姿は人型に近いのに、人間の温度がない。

 上から見下ろす位置こそが定位置で、そこから一歩も降りてこない。


 その周囲には、王が組み上げた構造が浮かんでいた。

 巨大な腕。

 無数の槍。

 壁とも檻ともつかない塊。



 凛は涙を拭い、息を吸う。


「……終わらせる」


 声は小さかった。

 それでも、自分の耳にははっきり届いた。


 右手の鎌が、静かに軋む。


 刃の輪郭が、わずかに歪む。

 黒い文字が集まり、重なり、厚みを持つ。

 まるで刃が“拡張”されていくみたいに、存在の面積が増していく。


 鎌は大きくなる。

 ただ長く、重くなるのではない。

 切断できる範囲が、概念として膨らむ。

 刃は優に、凛よりも二回りほども長くなってく。


 同時に、左手から伸びる鎖が、一本ではなくなる。


 一本、二本、三本。

 黒い文字で編まれた鎖が、凛の意志に応じて身体全体から空間へ展開される。


 鎖の重みはない。

 引いた反動が、皮膚や関節に残らない。

 それでも確かに“繋がっている”と分かる感覚だけが、左腕の内側に張り付いている。


 凛は、跳んだ。


 最初の鎖が、空中に生成された腕へと絡みつく。

 引く。

 身体が持ち上がる。


 次の瞬間、別の鎖が別の構造体へ射出される。

 引き、蹴り、方向を変える。


 三本目が、さらに上へ。

 四本目が、横へ。


 凛の軌道は直線じゃない。

 “空間そのもの”を踏み台にしながら、速度と高度を同時に稼いでいく。

 足が地面を踏まない時間が長くなるほど、思考は澄む。


 王の構造が、即座に反応する。


 槍が一斉に向きを変える。

 腕が伸びる。

 壁が立ち上がる。


 ――塞ぐ。


 逃がさない。

 位置を決める。


 王の攻撃は、殴るためのものではない。

 囲い込み、動線を削り、選択肢を消すためのものだ。


 凛は、理解している。


 理解したうえで、それでも前に出る。


 鎖が張る。


 一本目が凛の腰を引く。

 二本目が肩を引く。

 三本目が足を引く。


 自分の身体を、強引に“固定”する。


 空中で足場がないなら、固定すればいい。

 自分で自分を支えるために鎖を使う。


 凛は、空中で鎌を振るった。


 一閃。


 迫ってきた槍の群れが、まとめて断ち切られる。

 黒い文字片が散り、音のない破片が空に舞う。


 続けて、もう一閃。


 壁が、まるで紙みたいに裂けた。

 存在していたはずの厚みが、刃の通過だけで“消える”。

 切れているというより、切られた瞬間に「最初から無かった」みたいに崩れる。


 凛は、そのまま前へ出る。


 王が新しい壁を立ち上げる前に。

 槍が再配置される前に。

 腕が伸び切る前に。


 先に、距離を詰める。


 鎖の一本が、別の腕に絡む。

 引く。

 凛は加速する。


 王の前に構築された“空間の罠”が、次々と変形していく。

 壁が檻に変わり、檻が腕に変わり、腕が槍に変わる。

 形は変わるが、目的は同じだ。


 ――止める。


 凛の呼吸が短くなる。

 肺の奥が痛い。

 けれど、目は逸れない。


 鎖をもう一本撃つ。


 今度は、槍の束の根元。

 引く。

 槍が一本、わずかにずれる。


 その“わずかなずれ”だけで、凛の通路が生まれる。


 凛はそこへ身体を滑り込ませる。


 槍の間を抜ける。

 壁の裂け目を踏む。

 腕の隙間をすり抜ける。


 鎌の刃先が、構造体を切るたび、文字片が飛ぶ。

 それが視界の端にちらつく。

 だが、気にしない。


 今見ているのは、王だけだ。


 王は、上から見下ろしている。


 驚きもない。

 焦りもない。


 ただ、状況を更新し続ける視線だけがある。


 王の周囲で、黒い文字列の密度が増した。


 構造体の再構成速度が上がる。

 凛の動きに合わせて、即座に“正解の邪魔”が配置される。


 凛は、鎖を同時に複数本張った。


 一本は右斜め上へ。

 一本は左斜め上へ。

 一本は真横へ。

 一本は真下へ。


 引き合う力が発生し、凛の身体が空中で“点”として固定される。


 次の瞬間。


 王が構造体を一斉に押し潰す形へ切り替えた。


 壁が内側へ畳まれる。

 腕が上から降りてくる。

 槍が下から突き上がる。


 空間が、凛を押し潰す。


 逃げ場がない。


 普通なら、ここで終わる。


 だが凛は、固定したまま鎌を振るった。


 一閃。


 上から降りる腕が断ち切られ、落下する前に崩れる。


 もう一閃。


 下から突き上がる槍が消える。


 さらに、横の壁を切る。


 空間が、裂ける。


 凛は、裂けた空間の“向こう側”へ、鎖を撃った。

 そこに腕がある必要はない。

 そこに壁がある必要もない。


 凛は“繋げる”。


 鎖が絡む感触が、確かに返る。


 引く。


 凛の身体が、裂けた空間を飛び越えた。


 王の構造が、一瞬だけ遅れる。


 凛は、その一瞬を逃さなかった。


 鎌の輪郭が、さらに膨らむ。


 刃が、空を切る範囲が増す。

 鎌の“存在”が広がる。


 凛は、王へ向けて一直線に突っ込んだ。


 構造体が間に割り込む。

 凛は切る。

 割り込む。

 切る。

 割り込む。

 切る。


 切断は成立している。

 ずっと成立している。

 それでも王が削れないのは、王が“中心”だからだ。



 なら――中心ごと切る。



 凛は、鎖を同時に四本撃った。


 王の周囲の構造体へ、四方向から接続。

 一本は王の背後に浮く腕へ。

 一本は王の右側の壁へ。

 一本は王の左側の槍束へ。

 一本は王の足元を覆う檻へ。


 四本の鎖が、同時に張る。


 凛は、引いた。


 自分を引くのではない。

 王の周囲の構造体を“引き寄せ合う”。


 四つの構造が内側へ引かれる。

 王の周辺の空間が、圧縮される。


 王は逃げない。

 回避もしない。


 その代わり、そこに在る。


 凛は、最後に一度だけ息を吸った。


 鎌を握る指に、痛みが走る。

 刃の重さが増す。

 刃が“世界の境目”へ触れようとしているのが分かる。


「…っ!!」


 凛は、振り下ろした。

 その刹那、王と視線が交わった気がした。


 構造体ごと。

 王の本体ごと。


 空間が、断たれた。


 黒い文字列が、一斉にほどける。

 王の周囲を這っていた文字が、悲鳴のようにばらける。

 腕も、槍も、壁も、檻も、

 支えを失ったみたいに瓦解していく。


 斬撃の軌跡だけが、空中に一瞬残る。

 線ではない。

 裂け目だ。


 裂け目が閉じる前に、凛は理解する。


 ――切った。


 中心を、切った。


 空席の王は、崩れ落ちない。

 落下もしない。


 ただ、空中で静止したまま、分解が始まった。


 抵抗はない。

 拒絶もない。


 王は、動かない。


 まるでそれが、最初から決められていた結果であるかのように。

 まるでそれが、“保存”としての正しい在り方だと言うように。


 王の口が、わずかに動く。


 何かを言ったのかもしれない。

 けれど凛には、音として届かなかった。


 黒い文字が、光を失う。

 輪郭が薄れる。

 王の存在が、ゆっくりと“固定”から外れていく。


 凛は鎌を下ろした。


 呼吸が震えている。

 腕が痺れている。

 出血量も異常だ。いつ倒れてもおかしかない。


 それでも、目は逸らさない。


 王が消えるのを、最後まで見届けるために。


 そして――

 この空間が、終わりへ向かう気配が、確かに立ち上がる。


 何かが軋む。

 都市の音ではない。

 構造そのものの音だ。


 空席の王が、地に落ちる。


 凛は、そこで初めて、鎖の張りを緩めた。

 四本の鎖がほどけ、空中の固定が解除される。


 身体がわずかに沈む。

 無理やりに地面に降りる。


 そして、視線を動かす。

 考える前に走り出す。


 ルカのいるはずの位置へ。


 確かめるように。


 確かめなければならないように。


 凛の喉の奥で、息が詰まった。





 最初に変わったのは、音だった。


 都市の奥で鳴っていた、構造が擦れるような低い響き。

 それが、徐々に間延びし、輪郭を失っていく。


 地面は、まだ“在る”。

 だが、確かだった感触が薄れ始めている。

 硬さが曖昧になり、質量が抜け落ちていく。


 空席の王が消えた場所から、

 黒い文字の残骸が、霧のように散っていた。


 文字は落ちない。

 浮かび上がり、ほどけ、空間に溶けていく。


 ――収束が、始まっている。


「……ルカ」


 声が、震える。


 視線の先。

 少し離れた場所に、ルカは立っていた。


 さっきまでと同じ姿。

 同じ制服。

 同じ距離感。


 けれど。


 違う。


 凛は、はっきりと分かってしまう。


 輪郭が、揺れている。


 ルカの姿は、

 まるで映像のノイズみたいに、わずかにぶれていた。

 一定のリズムで、存在が“途切れかけている”。


 凛は、走った。


 鎖も使わない。

 鎌も握らない。


 ただ、地面を蹴る。


 崩れかけた舗装を踏み抜きながら、

 距離を詰める。


「ルカ……!」


 呼びかけに、ルカは振り返った。


 笑う。


 いつもの、距離の近い笑顔。


 その一言で、

 凛の胸の奥が、ぐしゃりと潰れた。


 凛は、思わずルカに抱きつく。


「……あなた、全部わかって…!」


 息が乱れている。

 言葉が荒れる。


「どうして…あんな…!」


 想いがいくつも溢れ出してきて、

 何一つ上手く言葉にならない。


 ルカは、凛の様子を見て、

 少しだけ困ったように眉を下げた。


「凛さ」


 声は、穏やかだった。


「ちゃんと、終わったよ」


 凛は、首を振る。


「終わってない、こんな終わり方…!」


 視線が、ルカの肩越しへ流れる。

 背景の街が、溶けている。


 建物の輪郭が薄れ、

 空が、膜の向こう側へ引き剥がされていく。


 世界が、閉じ始めている。


「……嫌だ」


 言葉が、零れた。


 凛は、ルカの前に立つ。

 逃がさない距離まで、踏み込む。


「嫌だよ…ルカ…!」


 声が、掠れる。


 ルカは、何も言わずに凛を見ていた。


 逃げない。

 視線を逸らさない。


 そして、ゆっくりと――

 凛の手を取った。


 温度がある。


 確かに、ある。


 凛は、それが余計につらかった。


「……凛」


 名前を呼ばれる。


 それだけで、

 胸の奥に溜まっていたものが、溢れそうになる。


「ありがとね」


 凛は、強く首を振った。


「そんなの、いらない…!」


「これから…!もっと二人で…!」


 声が、上ずる。


「ルカが困ってるなら、力になりたかった…!」


「もっと、方法があったかもしれない…!」


「……なのに、どうして…」


 ――凛を助けたい。


 あの言葉が、頭から離れない。


 ルカは、少しだけ困ったように笑った。


「だってさ」


「凛が止まる顔してたから」


 凛は、息を呑む。


「凛って、そういう時、分かりやすいんだよ?」


「最初に会った時と同じ、迷ってるときの顔」


 ルカは、凛の手を握ったまま続ける。


「ウチさ」


「凛が止まるの、嫌だった」


「凛が、凛じゃなくなるの、嫌だった」


 凛の視界が、滲む。


「……だからって」


「それであなたが消えてしまったら…!」


 言いかけて、言葉が詰まる。


 “消える”。


 その単語を、口にするのが怖かった。


 ルカは微笑みながら、首を横に振った。


「消えるっていうか」


「戻るだけ、だよ」


 凛は、理解できない。


 理解したくない。


「ウチほんとは、外にいちゃいけなかったみたい」


 けれど、ルカの姿は、

 確実に、薄くなっていた。


 肩の輪郭が揺れ、

 髪の先が、背景に溶け込んでいく。


 ノイズが走る。


 ルカの声が、

 一瞬だけ、二重に聞こえた。


「……っ」


 凛は、思わず、両手でルカの手を掴んだ。


 逃がさない。

 離さない。


 縋るように、強く。


「ダメ、行かないで、ルカ……!」


 声が、壊れる。


「お願いだから……!」


 涙が、止まらない。


 ルカは、凛の手を、ぎゅっと握り返した。


「凛」


 静かな声。


「ちゃんと、ここにいるよ」


「ウチは、あなたと一緒にいる。

 凛なら、ちゃんと覚えてる、でしょ?」


 ルカは、凛の手を一度、両手で包む。


「凛の選択は、間違ってないよ」

 

 ルカが、優しく告げる。


「…だって、凛が前に進めたんだから」


 凛は、首を振り続ける。


 納得できない。

 受け入れられない。


 でも。


 ルカの表情には、

 恐怖も、後悔も、なかった。


 満足そうに、いつものように微笑むだけ。


 背景の街が、

 音もなく崩れていく。


 建物が、記憶の粒子になり、

 空へ吸い込まれていく。


 地面が、透け始める。


 ルカの輪郭が、

 さらに曖昧になる。


「……凛」


 ルカの声が、少し遠くなる。


「泣かないで?最後は一緒に笑おうよ、いつもみたいに」


 凛は、嗚咽を噛み殺す。


「……無理、最後なんて言わないで…!」


 ルカは、最後に、いつもの笑顔を作った。


 距離の近い、あの笑顔。


「またね、凛」


 凛は、思考より先に、身体が動いた。


 ルカの手を、さらに強く握る。


 離さない。


 離したくない。


 ――それでも。


 指先から、

 感触が、抜けていく。


 温度が、消えていく。


 ルカの姿が、

 光の粒子みたいにほどけ始める。


「ルカ……!」


 名前を呼ぶ声が、空間に溶ける。


 ルカは、最後まで、凛を見ていた。


 そして。


 世界が、一段階、静かになった。


 領域は、完全に収束へ向かっている。


 凛の手の中には、

 もう、何も残っていなかった。


 凛は、その場に立ち尽くす。


 涙だけが、落ち続ける。


 それでも。


 胸の奥に残った感覚だけは、

 消えなかった。


 ルカと、確かに繋がっていたという事実。


 それだけが、

 この崩れゆく空間の中で、

 唯一、確かなものだった。





 領域は、崩れかけていた。


 建物の輪郭が薄れ、

 街だったはずのものが、

 “役目を終えた背景”として剥がれていく。


 正しい収束。

 妥当な終わり。


 ――のはずだった。


 少し離れた位置で、

 佐倉悠斗はその光景を眺めていた。


 視界の端。

 誰かが、消えかけている。


 金髪。

 制服。

 輪郭にノイズが走り、

 世界との接続が途切れ始めている人影。


「あー……」


 間の抜けた声が漏れる。


「あの金髪ギャル、名前なんだっけ?」


 一瞬だけ考える。


 さっき誰かが呼んでいた。

 泣きそうな声で。


「……ルカ?」


 思い出したように頷く。


「ルカね。オッケー」


 深く考えない。

 確認はそれで十分だった。


 視線をずらすと、

 少し離れた場所で、

 東雲が崩れ落ちそうになっているのが見える。


 泣いている。

 必死に、何かを掴もうとしている。


 悠斗は、それを見て眉をひそめた。


「金髪ギャルの強キャラが、

 ここで消えるとか――」


 軽く首を振る。


「ありえないんだよね」


 怒ってはいない。

 正義感でもない。


 ただ、

 物語として納得がいかない。


「しかも東雲、あんな顔してるし」


 ノートを開く。

 黒いページ。

 消せない媒体。


 ペンを持つ手に、迷いはなかった。


「こんなのさ」


 独り言みたいに呟く。


「全然、面白くない」


 そして、追記する。



 ――九条ルカは、

 世界に存在する人間である。


 ――九条ルカは、

 世界の現在に接続された存在である。


 ――九条ルカは、

 消失対象ではない。



 書いたのは、それだけだった。


 理由も、

 救済の言葉も、

 感情的な意味づけもない。


 ただ、

 「消える流れ」を否定した。


 ペンを離した瞬間。


 世界が、一拍遅れて軋む。


 崩れかけていた輪郭が止まり、

 ノイズが引き、

 人影が“そこにあるもの”として固定される。


「……よし」


 悠斗は満足そうに頷いた。


「強キャラは、

 途中退場しないんだよ」


 その一言が、

 どれほど重い編集かも知らずに。


 世界は、

 静かに更新された。





 白い空間は、静止している。


 床を流れる水色のラインだけが、

 一定の速度で脈動していた。


 管理者は、その中央に立っている。


 視線の先には、もはや矛盾領域はない。

 空席の王も、構造体も、存在しない。


 だが――

 結果だけは、確かに残っている。


《PARADOX FIELD:TERMINATED》

《IDENTIFIER:VACANT THRONE》

《STATUS:ARCHIVED》


 白い空間に、次のログが割り込む。


《ANCHOR STATUS:CHECKING》


 管理者は、ほんの一瞬だけ視線を向けた。

 本来なら、確認するまでもない工程だ。


 矛盾領域が収束すれば、

 そこから生まれた副産物は、同時に消失する。


 ――それが、管理の前提。


 だが。


《ANCHOR:EXTERNAL TYPE》

《DESIGNATION:LUKA KUJO》


 表示が、一拍遅れて更新される。


《ANCHOR STATUS:STABLE》

《WORLD REFERENCE:CONFIRMED》

《PARADOX DEPENDENCY:NULL》


 管理者の指が、わずかに止まった。


「……ほう」


 消えていない。


 保持されている。

 しかも、矛盾領域への依存が、完全に断たれている。


 ログは続く。


《ANCHOR FIXATION:SUCCESS》

《FIXED TO WORLD LAYER》

《CLASSIFICATION:HUMAN EQUIVALENT》


 人間相当。


 管理者は、ゆっくりとその文字列を追う。


 九条ルカは、

 もはや「領域の副産物」ではない。


 世界側に明確な参照を持つ存在として、

 固定されている。


「……強行しましたね、暫定Owner」


 管理者は、評価を更新する。


《EDITOR ACTION:OVERRIDE》

《PARADOX PRESERVATION:FORCED》

《MANAGEMENT INTERVENTION:BYPASSED》


 保存が実行された。


 三つの鍵が揃った局面で、

 編集者が選んだ結論。


 管理者は、それを否定しない。


「矛盾は、確かに保存された」


「形を変えて、ですが」


 ログの最後に、

 一行だけ、静かに追加される。


《RESULT:ACCEPTED》


 白い空間は、再び沈黙する。


《TRIAD CONDITION:FULFILLED》

《PARADOX PRESERVATION:EXECUTED》


 矛盾の保管は、実行された。


 判断の遅延もなく、

 介入もなく。


 世界は、自らの構造に従って更新されている。


 管理者は、その結果を否定しない。

 むしろ――


「正しい処理です」


 淡々と、結論を述べる。


「矛盾は排除されていない」

「修正もされていない」


「世界に保存された」

「それだけです」


 管理者の視線が、空間の一点に留まる。


 そこには、もはや“王”はいない。

 保存を司る存在は、役目を終えた。


「保存判断は、

 三点が揃った時点で回避不能」


 それは世界の仕様であり、

 例外は存在しない。


「編集者は、

 再び完全な形に近づいています」


 評価。

 ただそれだけの言葉。


 管理者は、次のログを確定させる。


《WORLD STATE:STABLE》

《PARADOX:PRESERVED》

《EDITOR STATUS:ACTIVE》


 白い空間は、何事もなかったかのように静かだ。


 だが、管理者は理解している。


 この結末が、

 管理者にとって、

 最も正しい帰結であることを。


 ――矛盾は、ここに保存された。


 

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