03 転校生イベント発生
霧ヶ丘高校の朝は、今日も平和だ。平和すぎて、日直の号令すら儀式になる。今日もいつも通り、教室は眠たげな空気で満たされて――そこへ担任が黒板を軽く叩いた。
「はい、席につけー。今日は転校生の紹介がある」
その一言で、空気が一気に起きる。
「マジで?」
「女子?」
「どこ中?」
机が鳴り、椅子が擦れ、教室のざわめきが波みたいに広がった。普段はスマホの画面に落ちてる目線が、一斉に廊下側の扉へ集まる。
転校生っていう単語には、どうしても“イベント”の匂いがある。日常の流れにいきなりぶっ込まれるやつだ。クラスの空気が勝手に盛り上がるのも含めて、そういうものだと思う。
廊下側の扉が開く。
入ってきたのは、黒髪の女子だった。
まず、綺麗だと思った。
いや、綺麗というか――整いすぎている。
髪は艶があって、余計な癖がない。制服の着こなしも、ただ正しい。背筋が真っ直ぐで、歩き方まで静かだった。視線だけが落ち着きすぎていて、教室という“人の密度”の中にいても、どこか遠い。
近寄りがたい。
言葉にするとそれだ。
教室のざわつきが、一瞬だけ大きくなる。
「え、かわい……」
「いや、レベチじゃん…」
「モデル?芸能人?」
「いや、俺らと空気ちがくね?」
声が重なって、密度が上がる。誰かが小さく口笛を吹いて、隣のやつが肘で止めた。
担任が軽く咳払いする。
「静かに。――東雲凛さん。今日からこのクラスだ」
黒板に書かれる名前が、やけに映える。
東雲凛。
本人はそれに反応せず、淡々と前へ出た。
「東雲です。よろしくお願いします」
短い。余計な愛想もない。
なのに声だけは妙に通って、教室の隅まで届いた。
拍手が起きる。遅れて、少しだけ大きくなる。
でも彼女の表情は変わらない。
笑わない。
かといって機嫌が悪いわけでもない。
ただ、“誰も寄せつけない”って感じの距離感が、最初からそこにある。
担任が続ける。
「席は……窓側の後ろ、空いてるところな」
席を指定され、彼女が歩き出した瞬間、教室の空気が一段だけ浮いた。
小声が、あちこちで弾ける。
「近くで見ると、ほんと綺麗だな」
「つーか、雰囲気やばくね?」
「まじでモデルって言われても信じるわ」
誰かが評価して、誰かが否定して、でも結論は出ない。
視線だけが、自然と彼女に集まっていく。
当の本人は、何も気にしていないようだった。
歩幅は一定。背筋は崩れない。カバンを置き、椅子を引き、座る。
それだけの動作なのに、やけに静かで、やけに綺麗だった。
チャイムが鳴る。
ざわめきは、いったん日常へ押し戻される。
けれど、完全には戻りきらない。
教室の端に、小さな“非日常”が置かれたまま、授業が始まった。
*
昼休みになると、その“非日常”は一気に加速した。
「東雲さん、前の学校ってどんなとこ?」
「引っ越し? それとも転校?」
「この辺、初めて?」
最初は女子だった。
けれど、会話の輪ができた瞬間、男子も混ざる。
「昼メシ、もう決めてる?」
「学食と購買、どっち派?」
「あ、コンビニも近いよ」
声が重なる。
笑い声が混じる。
机の周りに、人が増えていく。
クラスの昼休み特有の、少し浮ついた熱。
誰もが“転校生イベント”に参加している感覚。
東雲凛は、その中心にいた。
立ち上がらない。
身振りも大きくならない。
けれど、質問が途切れない。
「県外から来ました」
「引っ越しです」
「まだ、よく分かっていません」
返答は短い。
感情がないわけじゃない。
ただ、余計なものが一切ない。
それなのに、不思議と場は冷えない。
むしろ、好感を持たれていく。
「あー、そっか」
「じゃ、しばらくは迷うよね」
「分かんないことあったら何でも聞いてね!」
誰かが笑って、誰かが頷く。
距離は縮まらない。でも、拒絶もされない。
高嶺の花、という言葉が一瞬よぎる。
触れられないけど、見上げてしまうタイプの。
昼休み終了のチャイムが鳴る。
「あー、もう終わりかあ」
「続きはまただね」
「また話そうね、東雲さん!」
口々にそう言いながら、輪がほどけていく。
最後まで、彼女は大きく笑わなかった。
でも、場の中心から外れることもなかった。
教室には、日常のざわめきが戻る。
ただひとつだけ。
“転校生が来た日”という余韻を残したまま。
*
放課後。俺は図書室にいた。
いつもの場所。いつもの匂い。
ここだけ時間の流れが遅い。
返却台に本を積んでいると、司書の先生がカウンターから手招きした。
「佐倉くん、悪いんだけど――今日も旧校舎の書庫、少し整理してくれる? 段ボールが増えちゃって」
「了解です。昨日と同じ感じですね」
返事をしながら、俺は内心ちょっとだけテンションが上がった。
旧校舎。書庫。段ボール。
その単語の並びだけで、俺の中の妄想が勝手に走り出す。
そういう場所は、だいたい“何か”がある。
司書の先生は、カウンターの下から鍵束を取り出した。
「これ。書庫の鍵。終わったら、カウンターに置いといてね」
「了解です」
銀色の鍵を受け取り、ポケットに入れる。
それだけだ。
特別な意味は、ない。
……ない、はずだ。
返却台の本を抱え直したところで、入口が開いた。
東雲凛が図書室に入ってくる。
教室で見たときより、さらに“人を寄せつけない”感じが強い。歩き方が静かで、周囲の空気だけ一段冷えてるみたいな。
司書に用があるのかと思ったが、彼女はカウンターを素通りした。
奥の書庫側へ視線を流し、窓際の掲示板の前で立ち止まる。
(図書室に、掲示板?)
ちょっと渋いチョイスだ。
転校初日でそこ行くの、だいぶ強キャラ。
俺が勝手に感心していると、彼女がこちらを見た。
視線が合う。
距離のある目。
感情が見えないわけじゃない。むしろ“見せる気がない”感じがする。
俺は反射で口を開いた。
「……えっと。東雲さん、だよね」
「そうです」
短い。
俺は余計なことを言いたくなる。
「図書室、好き?」
「……普通です」
普通。
それは好きでも嫌いでもない、最強の返しだ。
(強いな……)
俺が変な汗をかく前に、彼女は視線を切った。
掲示板の紙を一枚ずつ眺め、何かを確認するみたいに指先を浮かせている。
その動きが、妙に“調査っぽい”。
指先が紙の端に近づいては止まる。触れる直前でやめる。
触れたくないというより、触れた瞬間に“何かが起きる”のを知ってるみたいな、間合いだった。
その中で一枚だけ、紙質が違うものがあった。
『旧校舎 地下設備点検のお知らせ』
印刷が妙に新しい。
なのに四隅の折り目だけが古い。
彼女の眉が、ほんの一瞬だけ動く。
紙の端をわずかに持ち上げると、裏に何もないはずの場所に薄い糊の筋が残っていた。貼り替えた形跡ではない。貼り替え“させられた”みたいな不自然さ。
彼女は何事もなかったように紙を戻し、掲示板から離れる。
カウンターへは向かわない。
貸出も返却もせず、まっすぐ出口へ向かった。
扉の前で一度だけ足を止め、窓の外を見る。旧校舎の方角。
それから、静かに歩き出す。
まるで最初から決めていたみたいに。
(……え、なにそれ)
ただの転校生が、ただの図書室で、ただの掲示板を見た。
それだけで終わるはずがない――と俺の脳が勝手に言ってくる。
(……やっぱ転校生って、イベントだ!)
俺は段ボール用の軍手を棚から引っ張り出した。
旧校舎の整理は頼まれてる。行く理由は最初からある。
だから、旧校舎へ向かうのは当然だ。
そう言い聞かせながら、図書室を出た。
*
旧校舎に入った瞬間、凛の認識よりも先に、感覚が引っかかった。
確実に、ズレている
最初から、ここにズレがある。
けれど、場所が分からない。
廊下を進む。
教室の前を通り、使われていない扉を確かめる。
近づいても、離れても、感覚は変わらない。
強くもならないし、弱くもならない。
(……でも、確実にこの旧校舎の中)
それだけは、はっきりしている。
そのとき、遠くで足音がした。
校舎の入口側。
人の気配。靴底が床を打つ音。
凛は反射的に棚の影に身を寄せた。
視線を向けた先で、誰かが立ち止まる気配がする。
次の瞬間。
――カチ。
金属音。
はっきりした、鍵の音。
その音がした位置と、
自分の感覚が、初めて重なった。
(……旧書庫)
凛は、息を止めた。
*
旧校舎に入ると、空気が少し軽くなる。
人の気配が減るせいだ。
それだけのはずなのに、妙に落ち着く。
書庫へ向かう廊下を歩きながら、ポケットの中で鍵を指で転がす。
金属の感触が、やけに現実的だった。
書庫の前で立ち止まる。
鍵を差し込み、回す。
古い金属音。
扉は、昨日と同じく抵抗なく開いた。
中は薄暗い。
段ボールの山。
昨日と変わらない……いや、違う。
俺は迷わず奥へ進んだ。
棚の最奥。
床板が、わずかに浮いている。
あるのは分かっていた。
なのに、胸の奥が少しだけ跳ねた。
(確認、っと)
床板を持ち上げる。
金属製のハッチ。
白と水色の縞模様。
前と同じだ。
取っ手を引くと、冷たい空気が流れ出した。
湿った匂いじゃない。機械の匂い。
「……よし」
独り言が自然に出る。
もう一度、来ただけだ。
それだけのこと。
俺は躊躇なく、ハッチの向こうへ足を踏み出した。
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