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25 崩れ去る日常



 昼休みの教室は、とにかくうるさい。


 誰かが笑っていて、誰かがスマホを覗いていて、窓の外では部活の準備か何かで声が飛んでいる。

 昨日も今日も、たぶん明日も変わらない風景だ。


 佐倉悠斗は、机に肘をつきながら、その真ん中でぼんやりと弁当をつついていた。


 ――あの路地裏。


 不意に、思い出す。


 思い出さないようにしていたわけじゃない。

 ただ、優先順位が低かっただけだ。


 あの日。

 学校帰りに拾った、古いガラケー。

 圏外のはずなのに鳴って、意味の分からない場所に迷い込んで。

 黒い影みたいなものが出てきて。


 そして――逃げた。


 正直に言えば、めちゃくちゃ怖かった。

 でも同時に、ちょっと楽しかった。


「……」


 箸が止まる。


 あの感覚は、夢じゃない。

 そう思わせるだけの“手応え”が、確かにあった。


 なのに。


 それ以降、何も起きていない。


 街は無事だし、ニュースにもなっていない。

 校舎が消えたとか、人が行方不明になったとか、そういう派手な後日談もない。


 まるで、世界が何事もなかったみたいな顔をしている。


「……いや、逆におかしくない?」


 小さく呟く。


 普通、あんなことがあったら、何かしら続きがあるだろ。

 第二波とか、余波とか、後遺症とか。


 でも、何もない。


 平和すぎる。


 それが、引っかかる。


 悠斗は視線を落とし、机の隅を見つめた。


 思い出す。

 逃げる途中で、手から滑り落ちた感触。


「……あ」


 ガラケー。


 落としたままだ。


 ピンク色で、やたらデコレーションが盛られていて、ストラップがじゃらじゃら付いた、時代遅れの携帯電話。


 持ち主は分からない。

 名前も、連絡先も知らない。


 なのに、なぜか印象だけはやたら強い。


「……まあ、今さらだけど」


 取りに行けるわけがない。

 あそこが今どうなっているのかも分からない。


 そもそも、もう繋がらないかもしれない。


 ――でも。


 悠斗は、机の中に入れてあるノートの存在を意識した。


 黒い表紙。

 誰に見せる予定もない、自分用のメモ帳。


 世界設定を書き散らかすための、完全な趣味。


 霧ヶ丘市の裏設定。

 ありえない前提。

 誰にも影響しないはずの、ただの妄想。


「……どうせなら」


 小さく呟いて、笑う。


「設定として書いとくか」


 深い意味はない。

 責任感も、使命感もない。


 ただ、気になったから。

 それだけだ。


 放課後。

 人のいない教室で、悠斗はノートを開いた。


 ページは、前回書いたところで止まっている。

 霧ヶ丘市の地下に、説明不能な施設がある、という設定の続き。


 ペンを持つ。


 一瞬だけ、あの路地裏の空気を思い出して――

 気楽な調子で、書き足した。


 『霧ヶ丘市の裏には、

  持ち主不明の古いガラケーが関わる怪異がある』


 『ピンク色で、やたらデコが派手。

  なぜか圏外のはずなのに鳴ることがある』


 『それを手にした者は、

  路地裏で妙な空間に迷い込む』


 『ただし、深入りしなければ

  大抵は逃げられる』


「……こんなもんか」


 ペンを止める。


 設定としては雑だ。

 伏線もなければ、オチもない。


 でも、別にいい。

 どうせ、使う予定もない。


 悠斗はノートを閉じて、立ち上がった。


 何かが起きる気配は、ない。

 空気も、光も、何も変わっていない。


 ――この時点では。


 悠斗は知らない。


 この一行が、

 「持ち主不明のガラケー」を

 霧ヶ丘市の裏設定として

 “固定”してしまったことを。


 そしてそれが、

 誰かを、再びあの路地裏へ

 招き寄せることになるのを。





 夕方の街は、少しだけ騒がしい。


 学校帰りの学生が駅へ流れ、

 商店街では閉店準備の音が混じり始める。

 スピーカーから流れる安っぽい音楽と、

 信号の電子音が、一定のリズムで重なっていた。


 九条ルカは、その中を歩いていた。


「んー、今日も平和!」


 特に意味もなく、伸びをする。

 誰かと待ち合わせているわけでもない。

 急いで帰る理由もない。


 ただ歩いているだけなのに、

 こういう時間は嫌いじゃなかった。


 手元で、じゃらじゃらと音が鳴る。


 ピンク色のガラケー。

 盛り盛りのデコレーション。

 無駄に多いストラップ。


 今どき見かけない形なのに、

 ルカにとっては「いつものもの」だった。


 親指で軽く触れる。

 画面は暗い。


「……また圏外かあ」


 最近、ずっとそうだ。

 電波が入らない。

 でも、不便は感じていなかった。


 誰かに電話をかける予定もないし、

 連絡が来るとも思っていない。


 それなのに。


 ガラケーが、わずかに震えた。


「……え?」


 一瞬。

 本当に、一瞬だけ。


 着信音は鳴らない。

 バイブの表示も出ない。


 ただ、

 手のひらに伝わる、微かな振動。


「気のせい?」


 そう思った直後、

 今度ははっきりと分かった。


 温かい。


 さっきまで冷たかった本体が、

 ゆっくりと熱を持ち始めている。


「ちょ、なにこれ」


 思わず立ち止まる。


 画面を開く。

 依然として圏外表示。


 なのに、

 内部で何かが“動いている”。


 機械が起動する音でもない。

 電子音でもない。


 もっと、感覚的なもの。


 ガラケーが、

 方向を探している。


 そんな錯覚。


 ルカは周囲を見回した。


 駅前。

 人混み。

 いつもの景色。


 ――でも。


 どこか、薄い。


 音が、少しだけ遅れて届く。

 人の動きが、わずかにズレて見える。


「……あれ?」


 ガラケーが、もう一度震えた。


 今度は短く、確かに。


 同時に、

 「進め」と言われた気がした。


 音でも、声でもない。

 でも、拒否できない確信。


 足が、自然に動く。


 商店街の端。

 人の流れが途切れる場所。


 通りは細くなり、

 空気が一段、軽くなる。


 そこに――路地があった。


 昼間なのに暗い。

 奥が見えない。


 普通なら、避ける。


 でも、

 ルカの足は止まらなかった。


「……なんか、呼ばれてない?」


 冗談みたいに呟きながら、

 一歩、路地に入る。


 音が、減った。


 背後の街の気配が、

 布を被せたみたいに遠のく。


 二歩。

 三歩。


 ガラケーの熱が、強くなる。


 画面が勝手に点灯し、

 ノイズのような文字列が一瞬だけ走った。


 読めない。

 意味も分からない。


 それでも、

 見てはいけないものに触れた、

 そんな感覚だけが残る。


「……なに、これ……」


 足元を見る。


 路地の幅が、微妙に広い。


 さっきまでより、

 壁が遠い。


 数メートルしかないはずの距離が、

 妙に伸びている。


 進めば進むほど、

 奥が遠ざかる。


 それでも、

 怖くない。


 むしろ、

 「正しい場所に来ている」感覚だけが強まる。


 さらに数歩、踏み込んだところで――


 ガラケーが、はっきりと鳴った。


 ――カチリ。


 内部で、

 何かが“確定”する音。


 画面に、一行だけ表示が出る。


《LINK ESTABLISHED》


 その瞬間。


 空気が、落ちた。


 路地の奥から、

 冷たく、重たい流れが溢れ出す。


 背後の街が、

 紙みたいに剥がれていく。


 光が、音が、人の気配が、

 一斉に遠ざかる。


 代わりに、

 路地が“広がった”。


 物理的じゃない。

 感覚でもない。


 世界そのものが、

 この場所を中心に折り畳まれていく。


 十メートルの路地が、

 何十メートルにも感じられる。


 出口は見えているのに、

 戻るという発想が浮かばない。


 ルカは、無意識に息を止めていた。


 ガラケーは、もう熱い。

 手放そうとしても、指が離れない。


 世界が、

 こちらを見ている。


 そんな気配。


 ここが、

 “呼ばれて来るための場所”だと、

 身体が理解している。


 ルカは、一度だけ足を止めた。


 胸の奥が、ざわつく。


 でもそれは、恐怖じゃない。

 期待に近い。


「……まあいっか!」


 軽く笑う。

 いつもの調子で。


 ルカは、

 何も知らないまま、

 さらに奥へ踏み出した。


 ルカが奥へ進んだことで、

 路地は静かに性質を変え始めた。


 完全に閉じられたわけじゃない。

 遮断されたわけでもない。


 ただ、この場所が――

 「通り抜けるための道」ではなく、

 「繋がるための一点」として振る舞い始めただけだ。


 戻ろうと思えば、戻れる。

 足を止めることも、引き返すこともできる。


 けれど、

 一度奥へ進んだ存在だけが触れてしまう、

 別の流れが、そこに生まれている。


 ルカはまだ気づかない。


 この路地が、

 もう“元のままではいられない場所”になったことに。


 世界と、

 過去と、

 矛盾が――

 静かに重なり始めていた。





 その日は、妙に静かだった。


 放課後。

 いつもと同じ時間帯。

 同じ駅前、同じ商店街。


 人の流れも、音も、匂いも、

 目に入る景色は何一つ変わっていない。


 なのに――


 凛は、足を止めた。


 理由は、すぐには分からなかった。

 ただ、立ち止まってしまった。


 通りの向こう。

 ルカが、いない。


 それに気づいた瞬間、

 胸の奥が、きゅっと縮んだ。


「……」


 昨日までは、いた。

 特に待ち合わせをしたわけでもない。

 約束もしていない。


 それでも、

 この時間、この場所に来れば、

 いつの間にか隣に並んでいた。


 そういう存在だった。


 凛は、周囲を見回す。


 駅前のロータリー。

 改札から流れ出る人波。

 ベンチに座る学生たち。


 金髪の姿はない。

 聞き慣れた、少し高めの声も聞こえない。


 胸の奥が、じわりと冷える。


 ――これは…もしかして、私寂しいの?


 そう言葉にしてしまうのは、少し怖かった。

 知り合ってから、まだ時間は短い。

 たった一、二週間。


 それなのに。


 この感覚は、

 凛にとって初めてのものだった。


 誰かと一緒にいるのが当たり前になって、

 その「当たり前」が崩れた瞬間に、

 ぽっかりと空く感じ。


「……たまたま、だよね」


 小さく呟く。


 理由はいくらでも考えられる。

 用事があるのかもしれない。

 今日は来ないだけかもしれない。


 全部、自然だ。


 それでも――

 凛の足は、勝手に動いていた。


 商店街の中へ。

 いつもルカと歩いていた道。


 惣菜屋の前。

 クレープ屋。

 ゲームセンターの入り口。


 どれも、二人で通った場所だ。


 今日は、一人だった。


 凛は、喉元に指を添えた。


 整合タグ。


 冷たい。

 いつも通りだ。


 なのに、

 胸の奥のざわつきだけが消えない。


 凛は思い出す。


 最初に、ここを通った日のこと。

 商店街の端。

 あの、細い路地。


 整合タグが、初めて反応した場所。

 そして――

 ルカと、初めて出会った場所。


 偶然だと思っていた。

 そう片付けていた。


 けれど、

 今になって、その二つが重なって見える。


 凛は、無意識のうちに歩調を速めた。


 商店街を抜ける。

 人の流れが途切れ、

 音が少しだけ遠くなる。


 路地の入口が見えた。


 狭く、暗く、

 昼間でも影が濃い場所。


 ここだ。


 胸が、静かに高鳴る。


 理由はない。

 理屈もない。


 それでも、

 この先に何かがあることだけは、

 はっきりと分かった。


 凛は、一歩、路地へ踏み出す。


 空気が変わる。


 音が、薄くなる。

 遠くの街の気配が、

 一枚の膜の向こうへ押しやられる。


 数歩、進んだところで――


 喉元が、焼けるように熱を帯びた。


「……っ」


 整合タグ。


 短い警告じゃない。

 じわじわと、

 内側から締めつけるような熱。


 凛は、歯を食いしばる。


 怖さより先に、

 焦りが込み上げてきた。


 視界の奥。

 路地の先が、妙に歪んで見える。


 距離が、正しく測れない。


 ――ここは、もう普通じゃない。


 それでも。


 足は止まらなかった。


 むしろ、

 一歩進むごとに、

 確信だけが強くなる。


 根拠はない。

 説明もできない。


 でも――


「……ルカ……?」


 声が、自然と零れた。


 この先にいる。

 何が起きているかは分からない。


 それでも、

 ルカがこの奥にいる。


 凛は、そう信じて疑わなかった。


「ルカ……!」


 今度は、はっきりと名前を呼ぶ。


 胸の奥が、ぎゅっと痛む。


 不安。

 焦り。

 そして、確かな心配。


 凛は、路地の奥を見据えた。


 整合タグの熱が、

 さらに強くなる。


 呼吸が浅くなる。


 それでも、

 引き返すという選択肢は、

 最初から存在しなかった。


 凛は、迷わず前へ進む。


 たとえこの先が、

 もう元の街に戻れない場所だとしても。


 今はただ、

 ルカの無事を確かめたい。


 その想いだけが、

 凛の身体を動かしていた。

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