表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/42

23 新しい日常

 駅前のざわめきは、いつも通りだった。

 人の流れ。信号の点滅。スピーカーから流れる案内放送。笑い声と足音が混ざって、街は「何も起きていない」顔をしている。


 ――それでも。


 凛は、歩きながら首元を意識していた。

 制服の襟の内側、喉元に沿う細い金属の輪。

 整合タグは沈黙している。


 熱も痛みもない。

 それなのに、存在だけがやけに重い。


 昨日みたいなことが、また起きる気配はない。

 なのに、身体のどこかが、ずっと「待っている」みたいだった。


 凛は駅前のロータリーを抜けて、商店街へ向かう道に足を向けた。


 その途中で。


「凛!」


 弾む声が、背後から飛んできた。


 振り向くより先に分かった。

 あの声は、軽い。明るい。迷いがない。

 近づく気配まで、真っ直ぐだ。


「……九条さん」


「ルカでいいって言ったじゃん!」


 距離ゼロのまま、ルカは凛の横に並ぶ。

 並ぶ、というより――最初から隣だったみたいに、自然に。


 金髪は相変わらず艶がある。

 光を拾ってきれいに流れて、傷んだ感じがまるでない。

 アイメイクは濃いめで、目元だけ少し大人びて見えるのに、笑い方は年相応に明るい。


 そして――手元のじゃらじゃら。


 ピンクのガラケーが揺れるたび、ストラップが小さく鳴った。

 凛は視線を向けて、すぐに逸らした。


 気になる。

 でも、言葉にしたくない。


 言葉にした瞬間、重くなる。

 今は――重くしたくなかった。


「どこ行くの?」


「……特に」


「それ、絶対ウソ!」


 ルカは笑いながら、凛の腕を軽く掴む。

 掴むのに躊躇がない。

 でも、乱暴じゃない。


「じゃ、カフェ行こ! 座ろ! 話そ!」


「……急に」


「急じゃないし! 会ったら話すの普通!」


 普通じゃない。

 でも、否定は出ない。


 凛はルカのテンポに少しだけ遅れて、歩幅を合わせた。






 商店街を抜けた先、路地寄りの小さなカフェにルカは迷いなく入った。

 木目のテーブル。甘い匂い。小さく流れる音楽。


 席に座ると、ルカはすぐにメニューを覗き込む。


「え、なにこれ。ケーキかわい!」


 声の調子が、軽く跳ねる。


「凛、甘いのいける?」


「……普通」


「普通って言う人、絶対好き」


 勝手に決めて、ルカは笑った。

 そのまま店員に注文を通してしまう。


 凛は止める暇もなく、言葉だけが遅れる。


「……勝手に決めないで」


「だって凛、決めるの遅いもん」


 悪びれない。


 ルカは頬杖をついて、凛をじっと見た。


「てかさ」


 急に、声が少しだけ落ち着く。


「こういうとこ、あんまり来ないタイプ?」


 凛は一拍、言葉を探した。


「……来ないわけじゃない」


「じゃあ、誰かと来ることは多い?」


 凛の返事は短い。


「……別に」


 ルカはその短さを責めない。

 むしろ、楽しそうに頷いた。


「いいじゃん。そういうの、落ち着く」


 凛は眉を動かす。


「……何が」


「話を深掘りしないやつ」


 ルカは笑った。


「ウチさ、深掘りされると飽きるんだよねー」

「だから凛、ちょうどいい」


 凛は言い返せない。

 「ちょうどいい」と言われて、嫌じゃなかったからだ。


 ほどなく、ケーキと飲み物が運ばれてくる。

 皿の上に小さく整えられたショートケーキ。

 白いクリームが、やけに眩しい。


「うわ、やば。テンション上がる」


 ルカはフォークを握ると、一口食べて目を細めた。


「うまっ……! これ、当たりだわ」


 凛もフォークを取って、一口。


 甘い。

 軽い。

 口の中で溶ける。


 ――日常の味だ。


 そのはずなのに、どこかで「安心してしまう自分」に、凛は少しだけ戸惑った。


 ルカが不意に顔を寄せる。


「凛」


「……なに」


 ルカの指が、凛の口元へ伸びた。


 凛は反射で身を引きかけて、止まる。


 指先が、ほんの少しだけ頬に触れる。

 柔らかい圧。


 ルカは、凛の口元についたクリームを――指で、すくった。


 そして。


 何事もなかったみたいに、その指を自分の口へ運ぶ。

 ぺろり、と。


 凛は、一瞬、動けなかった。


 ルカは、凛を見て。


 ウィンクした。


 あまりにも自然で、あまりにも軽い。

 冗談みたいに、でも冗談じゃない距離感で。


 凛の喉が、小さく鳴った。


「……」


「なにその顔」


 ルカは笑う。


「固まってる。かわい」


「……かわいくない」


「かわいいって言われて否定するやつ、かわいい」


 凛は、何も言えなくなる。


 ルカは、次の一口をフォークに刺す。

 迷いなく、凛の口元へ差し出した。


 笑顔で。


「はい、あーん!」


 凛の眉が跳ねる。


「……」


「はい、あ・あ・ん!」


 もう一回。

 引かない。


 凛は視線を泳がせた。

 店内に他の客はいる。こっちを見ているかどうか分からない。

 でも――気になった。


 それでも。

 拒絶は出ない。


 凛は、口を開いた。


 フォークが唇に触れて、ケーキの甘さが広がる。


 ルカは満足そうに頷いた。


「よし」


「……よし、って何」


「凛、ちゃんと食べた。偉い」


「意味分からない」


 凛の声は低い。

 けれど、怒ってはいない。

 怒りの形を取れないまま、受け入れている。


 そのことに凛自身が一番戸惑っていた。


 凛が自分のケーキを切る。

 フォークに一口分を刺して、少しだけ迷う。


 差し出すべきなのか。

 いや、そんなことをする理由は――。


 考えた、その瞬間。


 ルカが身を乗り出して、凛のフォークの先を勝手に食べた。


 凛は目を見開く。


 ルカは涼しい顔で、にっと笑う。


「はい、おあいこ」


 凛は、言葉を失った。


 反論はある。

 けれど、それを言ったら負けだ。

 何に負けるのかは分からないのに、確かにそう思った。


 ルカは楽しそうに肩を揺らす。


「凛ってさ、真面目だよね」


「……普通」


「普通って言う人、だいたい普通じゃない」


 ルカはストローを噛んで、ぼんやりと天井を見上げた。


「ウチ、真面目な人好き」

「ちゃんとしてるって、かっこいいじゃん」


 凛は視線を落とす。


「……別に、かっこよくない」


「かっこいいよ」

「だって凛、嫌なこと嫌って顔するのに、言わないもん」


 凛の指が、皿の縁をなぞった。


「……言っても、意味ない時がある」


 言葉が、すっと出た。

 自分でも驚くほど自然に。


 ルカは顔を向ける。

 でも、踏み込まない。


「そっか」

「じゃ、意味あるときだけ言えばいいじゃん」


 凛はルカを見る。


「……意味ある時って、いつ」


 ルカは、迷わず言う。


「今」


 凛は固まる。


 ルカは笑って、すぐに軽く戻す。


「って言ったら凛、困るでしょ!」


 凛は息を吐く。

 助かったような、悔しいような。


 ルカはケーキの最後の一口を食べて、指でクリームを拭う。

 その指先を、当たり前のように口に入れる。


 今の仕草も。

 距離も。

 言葉の運びも。


 初対面から二日目。

 それなのに、この子は最初から「知ってる人」みたいに振る舞う。


 凛は首元を意識した。


 整合タグは沈黙している。

 熱も痛みもない。


 だから、これはただの気のせいだ。

 そう思おうとして――思えない。


 けれど、凛は言葉にしない。


 言葉にした瞬間、壊れそうだった。

 何が壊れるのか分からないのに。


 カフェを出る頃には、外は夕方の色になっていた。

 空が少しだけ赤く、街灯が点き始める。


 ルカは歩きながら、凛の横にぴったり並ぶ。


 肩が触れるか触れないかの距離。

 でも、触れていない。


 それが、逆に近い。


「ねえ凛」


 ルカが言う。


「明日も会える?」


 凛は一拍、迷って――短く答えた。


「……知らない」


「知らないって言う人、会うやつだ」


 ルカは笑った。


 


 


 駅前に戻ると、ルカは足を止めた。


「じゃ、ここで!」


 あっさりした声。

 迷いも、名残惜しさも、特別な意味も込めない調子。


 凛は一拍だけ遅れて、頷いた。


「……うん」


「またね、凛!」


 そう言って、ルカは手を振る。

 そのまま人の流れに紛れていく背中は、さっきまで隣にいたのが嘘みたいに軽い。


 凛は、少しだけ立ち止まった。


 胸の奥を確かめる。


 驚きはない。

 違和感も、今はない。


 ただ――


(……またね、って)


 言うことも、言われることも、

 もう“特別”じゃなくなりかけている。


 それに気づいて、凛は小さく息を吐いた。


 困るでもなく、

 不安になるでもなく。


 むしろ。


 口元が、ほんのわずかに緩む。


 それが自然になってきていることを、

 自分が受け入れ始めていることを――

 凛は、静かに自覚していた。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ