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20 収束、その後

 翌朝。


 目が覚めた瞬間、まず思ったのは――

 いつも通りだな、だった。


 天井。

 カーテンの隙間から差し込む光。

 スマホのアラームが、いつもの音で鳴っている。


「……普通すぎない?」


 独り言が出る。


 昨日あんなことがあって、

 空気が変わる感覚を確かに味わって、

 それで――この朝。


 体を起こすと、少しだけ筋肉痛みたいな違和感があった。

 でも、それだけだ。


 顔を洗って、歯を磨いて、

 キッチンでパンをかじる。


 テレビでは、朝のニュース。

 天気予報と、どうでもいい芸能ネタ。


 画面の中の世界は、

 何事もなかったみたいな顔をしている。


「……まあ、そうだよな」


 誰に言うでもなく、呟いた。


 ノートは、机の上に置いたままだ。

 開いていない。

 でも、視界に入るたびに、昨日の感覚が蘇る。


 あの空気。

 あの歪み。

 そして――東雲。


 先生のことも、

 東雲のことも、

 今どうなっているのかは分からない。


 聞く手段も、

 確かめる方法もない。


 それが不安かといえば、

 そうでもなかった。


「……そのうち、また会うでしょ」


 自分でも驚くくらい、軽い考えだった。


 学校へ向かう道は、いつもと同じだ。

 制服の群れ。

 コンビニの前でたむろする生徒。

 交差点の信号。


 全部、見慣れた景色。


 なのに。


 どこかで、あの空間にいた感覚が、まだ身体の奥に残っている。


 紙の広告が風に揺れるのを見て、

 一瞬だけ、文字が集まるイメージが頭をよぎる。


「……いやいや」


 首を振る。


 さすがに、引きずりすぎだ。


 教室に入ると、いつもの騒がしさが戻ってくる。

 くだらない会話。

 テストの愚痴。

 部活の話。


「佐倉、昨日の宿題やった?」


「……あ、忘れてた」


 嘘じゃない。

 本当に、すっぽり抜けていた。


 笑われて、軽く小突かれて、

 それで終わり。


 ――平和だ。


 席に座って、窓の外を見る。


 青空。

 雲。

 校庭。


 昨日、あの場所のすぐそばで、

 おかしなことが起きていたとは思えないくらい。


 でも。


 胸の奥に、確かに残っている。


 怖さも、

 楽しさも,

 あの瞬間の高揚も。


 そして、

 まだ続いているという感覚。


 ノートに、そっと指を置く。


 今日は、書かない。


 でも――

 いつでも書ける。


 その事実だけで、

 なぜか少し、笑ってしまった。


 束の間の休息。

 そんな言葉が、頭に浮かぶ。


 嵐の前か、

 嵐の後かは分からない。


 ただ今は、

 この静けさを受け取っておくことにした。









 白い廊下に、変化はない。


 均一な光。

 影のない壁。

 時間の感覚だけが、希薄なまま漂っている。


 管理者は、黒いケースの前に立っていた。


《FIELD STATUS:STABLE》

《PARADOX FLOW:SETTLED》

《RESIDUAL DISTORTION:MINIMAL》


 すべて、想定の範囲内。


 管理者はログから視線を離し、静かに告げた。


「結果は良好です」


 失敗の報告ではない。

 成功の宣言でもない。


 ただ、淡々とした事実確認。


《SUBJECT RIN-SHINONOME:EVALUATION》

《TRAIT:INTERFERER CANDIDATE》

《RESPONSE:CONFIRMED》


 干渉者の素質を持つ者の出現。

 それも、編集媒体を介さずに。


 管理者は、次の項目へ視線を移す。


《PROXY READER STATUS:NEAR-COMPLETE》

《BINDING STATE:RELEASED》

《COGNITIVE TRACE:REMAINING》


「読み手は、ほぼ完成」


 声に感慨はない。

 だが、否定の余地もなかった。


 鍵は、揃いつつある。


 編集者。

 読み手。

 干渉者。


 まだ完全ではない。

 それでも――欠けてはいない。


 管理者は、黒いケースに向けて続けた。


「次の段階へ移行します」


《NEXT OBJECTIVE:FIELD MANIFESTATION》

《CONDITION:PENDING》

《PREREQUISITE:KEY ALIGNMENT》


 次の矛盾領域を、顕現させる準備。


 偶然ではなく。

 事故でもなく。


 条件が整った場所へ、

 自然な“発生”として。


「事態の起点は、常にあなたです、暫定Owner」


《EDITOR STATUS:ACTIVE》

《EDIT REQUEST:STANDBY》


「編集を、待っています」


 急かす声ではない。

 命令でもない。


 ただ、

 “準備が整っている”という通知だった。


 白い廊下の奥で、

 黒いケースは沈黙したまま、

 次の入力を待っている。









 WSPOの監視室は、前日の慌ただしさを失っていた。


 怒号もない。

 緊急警報も鳴っていない。


 だが、机上に並ぶ資料の厚みが、

 事態の重さを物語っている。


 上位職員が、ログの束に目を通す。


「……介入ログが残っている」


 低い声。


 担当職員が頷いた。


「回収班の端末からです。

 ただし、発生源は特定できていません」


 指示系統にも該当しない。

 現場判断とも言い切れない。


 上位職員は、ゆっくりと息を吐いた。


「失態だな」


 否定の余地はない。


 担当職員が、別の表示を呼び出す。


「保護対象の現在状況です」


 モニターに、数値が並ぶ。


「司書――意識なし。

 脳波は安定域、外傷なし。

 長時間の拘束による疲労と、

 認知負荷の影響が見られます」


 続けて、別の項目。


「候補生――意識レベル回復傾向。

 全身打撲と神経系の過負荷、

 過剰な認識負荷。

 生命反応は安定していますが、

 しばらくは安静が必要です」


 上位職員は、視線を画面から外さなかった。


「……説明はつくか」


 担当職員は、静かに首を横に振る。


「現時点では」


 沈黙。


 この場にいる全員が理解している。


 今回の件は、

 既存の運用や前例では測れない。


 だが、それでも。


「監視は継続だ」


 上位職員は、短く告げた。


「同時に、

 “次”が起きる前提で動く」


 誰も異論を挟まない。


 世界は、表向き平穏を取り戻した。


 それは確かに、

 事態の収束を示していた。


 ――少なくとも、

 観測可能な範囲では。








 放課後の校舎は、昼間よりも静かだった。


 人の気配が薄くなると、

 逆に、残っている音がよく聞こえる。


 廊下を歩く自分の足音。

 遠くで鳴るドアの開閉。

 換気扇の低い唸り。


 それだけだ。


 昨日のことが、嘘みたいだった。


 でも――

 忘れられるほど、遠くもない。


 どこかで、まだ引っかかっている。


 あの空間にいた感覚。

 息が詰まるほど濃かった感情。

 手を伸ばせば触れられそうだった歪み。


 全部、夢だったと言われたら、

 たぶん、否定はできない。


 けれど。


 完全に無かったことには、できない。


 俺は、そのまま地下へ向かった。


 特別な理由があったわけじゃない。

 ただ――

 なんとなく、だった。


 扉を抜ける。


 白い廊下はいつも通り無音だった。

 冷たい光。影のない壁。足音だけが遅れて届く。


 黒いケースの前に、管理者が立っている。


 金髪。

 人間にしか見えない顔。

 けれど、瞬きの間にだけ“機械”が覗く。


 俺は、ためらいもなく近づいた。


「よ。今日もいるじゃん」


 管理者は振り返ることもなく、淡々と言う。


「常駐しています」


「それそれ。そういう感じ」


 軽く笑って、ケースの横に並ぶ。


「ねえ、この前のやつさ」


 少しだけ声が弾む。


「結構よくなかった? なんかこう……

 世界がちゃんと“反応してる”っていうか!」


 管理者は短く答える。


「記録は増加しました」


「増えたんだ。最高じゃん」


 当然のように頷く。


「でさ、なんか面白いことないの?

 次のイベント」


 管理者は、こちらを見る。


 視線は冷たいのに、拒絶ではない。


「あなたが望む“面白いこと”の定義を確認します」


「え、ノリでいいよノリで!」


 手を振る。


「派手で、カッコよくて、

 やっててテンション上がるやつ!」


 管理者は一拍も置かずに言う。


「矛盾領域は、条件が揃えば顕現します」


 思わず目を細めた。


「……あれって、また出せるんだ」


「可能です」


「じゃあそれで!」


 即答する。


 管理者は淡々と続ける。


「ただし、顕現は“結果”です。

 起点は、常に編集にあります」


 俺は肩をすくめた。


「あー、俺のノートね」


「あなたの追記です」


 言い切る声。


 少しだけ嬉しくなって、口角が上がる。


「え、なに。俺、そんな影響力あるの?」


 管理者は、否定しなかった。


「別にさ」


 軽い調子のまま続ける。


「大したこと書いてるつもり、ないんだけど」


 壁に背中を預ける。


「ちょっと面白そうだなーって思ったことを

 メモしてるだけでさ」


「結果として、世界は反応しています」


 事実を述べるだけの声。

 感情はないのに、どこか満足しているようにも聞こえる。


 俺は思わず笑った。


「リアクション良すぎでしょ」


「ノートに一言書いたら、

 世界が本気出すのやめてほしいんだけど」


 笑いながら言う。


「こっちは気楽にメモしてるだけなのにさ」


「現在の結果には、満足しています」


 管理者は淡々と告げる。


「準備は進行中です」


 何の準備かは言わない。


 けれど、

 昨日の出来事を思い出せば、

 想像はついた。


「事態の起点は常にあなたです、暫定Owner。

 編集を、待っています」


 まるで、

 次の一手が当然あると知っているみたいに。


 俺は少しだけ考えてから言った。


「……まあ」


 視線を天井に向ける。


「なんか面白いことあったら、考えるよ」


 それ以上は、踏み込まない。


 管理者も、それ以上は言わなかった。


 白い通路には、

 また静けさだけが戻る。


 でも――

 確かに、何かが動き始めている。


 



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