02 旧校舎地下にて
霧ヶ丘市は、退屈なくらい整っている。
駅前にはチェーンのカフェとコンビニが並び、少し歩けば昔ながらの商店街がある。シャッターが下りた店もあるが、夜になれば街灯は点くし、治安も悪くない。春は桜が咲き、夏は花火大会があり、秋には祭り、冬にはイルミネーション。
イベントは、ある。
事件が、ない。
地方都市としては優等生だ。
でも俺にとっては、この街はあまりにも優等生すぎた。
朝七時四十分の電車。決まった時間に鳴る発車ベル。窓の外に流れる住宅街。グラウンドから聞こえる野球部の掛け声。校門の前で生活指導の先生が腕を組み、遅刻しかけの生徒が息を切らして駆け込む。
全部、見慣れた風景だ。
何も起きない。
起きなさすぎる。
平和なのは分かっている。
この街は安全で、正しくて、間違いなく“当たり”の人生ルートだ。
――でも。
このまま何も起きなかったら、俺は何者にもならないまま終わるんじゃないか。
そんな考えが、時々、胸の奥で引っかかっていた。
*
翌日の放課後。
俺はもう一度、図書室に立ち寄った。
「先生。俺、昨日の続きやってきますね」
司書の先生は頷き、昨日と同じように鍵を差し出す。
「うん、お願いね」
銀色の鍵を受け取り、旧校舎へ向かった。
霧ヶ丘高校は、いつも通りだった。
……ただし、旧校舎を除いて。
『地下設備点検のため立入禁止』
『関係者以外立入禁止』
昨日は無かった札が、いくつも貼られている。
「は?……地下設備?」
そんな話、聞いてない。
先生からも特に説明はなかった。
…偶然だ。
たぶん、偶然。
そう思いながら、俺は旧校舎へ入った。
書庫の奥。
目線の先で、床板が、不自然に浮いている。
昨日は、こんなじゃなかった。
おかしいところなんか一つもなかったはずだ。
おもむろに床板を持ち上げると、下に金属製のハッチが現れた。白と水色の縞模様。取っ手と鍵穴。
完璧な地下施設の入口だ。
「……いや、意味わかんねえだろ」
笑って誤魔化しながら、取っ手を握る。
冷たい金属。
埃が付いていない。
俺はハッチを開けた。
暗い。
下へ続く梯子。
冷たい空気。
そして、縁に取り付けられた小さな表示パネル。
一瞬だけ、文字が灯る。
《ACCESS…》
すぐに消えた。
「……見間違いか。うん、見間違いだ」
そういうことにしておく。
そうしないと、日常が壊れる。
それでも、この好奇心に嘘はつけなかった。
俺は梯子を降りた。
*
地下は、想像以上に異様だった。
壁も、床も、天井も、すべて同じ白。
影が薄く、距離感が掴めない。
その白の上を、水色のラインが走っている。
固定された線じゃない。
光が流れるように走り、角を曲がり、消えては別の場所に現れる。
一定間隔で、低い機械音が響く。
学校の地下に、こんな場所があるわけがない。
通路の奥。
金属製の扉。
その向こうから、足音がした。
現れたのは、人の形をした存在だった。
「――侵入者を確認」
感情のない声。
怖い。
普通に怖い。
なのに、妙に納得してしまう。
(……やっぱり、こういうの、いるよな)
人の形をした何かが、悠斗の方へ一歩踏み出した。
その時のことはあんまり覚えていない。
とにかく、俺は反射的に逃げていた。
梯子を駆け上がり、急いでハッチを閉める。
追ってくる気配は、なかった。
床に座り込み、息を吐く。
「……最悪」
でも、少しだけ笑ってしまった。
その夜。
俺は黒い革表紙のノートを取り出し、震える手で追記した。
『管理者は扉の外には出られない』
怖かったから。
ただ、それだけだ。
なのに、胸の奥で妙な確信が芽生えていた。
――世界は、俺の書いた“設定”を反映している。
*
同じ時刻。
霧ヶ丘市から遠く離れた場所に、白い部屋があった。
壁も床も天井も、無機質な白。
空調の音だけが、一定のリズムで響いている。
部屋の正面には、複数のモニターが並んでいた。
映っているのは映像ではない。
数値、波形、文字列――世界の表側では決して見えない種類の情報だ。
《EDIT LOG DETECTED》
《TYPE : PATCH / ANNOTATION》
《AREA : KIRIGAOKA》
《SCALE : ORANGE》
オペレーターが、モニターを見たまま報告する。
「また霧ヶ丘です。短期間で三件目」
「編集者は?」
背後からの問いに、オペレーターは首を振った。
「検出できません。ログだけが出ています」
《SYNC : COMPLETE — NOT FOUND》
別の席で、分析担当が低く息を吐く。
「整合処理が走っていない。それなのに、結果だけが固定されています」
「……嫌なパターンだな」
監督官が腕を組む。
《SESSION AUTHORITY DETECTED》
《AUTHORITY : TEMP-ADMIN》
《OWNER : UNKNOWN》
《ACCESS : GRANTED》
オペレーターの指が一瞬止まった。
「権限、通ってます」
「未登録です。既知リストに該当なし。発行元も追えません」
「手順が逆だ」
監督官は短く言い切った。
「原因不明。主体不明。だが、現実側に影響が出ている」
《CASE CLASSIFICATION : UNCLASSIFIED》
《REFERENCE STATUS : DRIFT》
《CONTAINMENT : PENDING》
「監視レベルを引き上げます」
「いや、準備を進めろ」
監督官は即断する。
「回収班。《リトリーバー》を待機状態に」
《RETRIEVER UNIT : STANDBY》
「同時に、潜入要員を一名。霧ヶ丘高校へ」
「端末保持者は未特定です」
「分かっている。確定しているのは一点だけだ」
監督官はモニターを見つめた。
「――編集ログの中心が、そこにある」
白い部屋に、空調音だけが流れ続けていた。
※読みやすさ重視で改稿・編集作業を行いました。
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