表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/51

13 矛盾領域

 廊下を駆ける足音が、ひとつ。


 軽い。

 けれど、切迫している。


 曲がり角を抜けた瞬間、少女が現れた。


 東雲凛。


 制服のまま。

 息は荒れていないのに、目だけが異様に鋭い。


 図書室の前で、凛は足を止めた。


 床に膝をついた男。

 壁に背を預けた男。


 スーツ。

 胸のID。


 回収班。


 凛は、一歩もためらわず距離を詰めた。


「……何してるの」


 低い声だった。


 二人は反応が遅れた。

 遅れたこと自体が、異常だった。


 凛の表情が歪む。


「ねえ」


 言葉を噛む。


「中で、何か起きてるんでしょ」


 扉を指差す。


「それなのに、なんでここで止まってるの」


 男が答えようとして、声を落とす。


「……東雲……」


「名前呼ぶ暇あるなら、報告して」


 凛は即座に遮った。


「状況。今。何が起きてるの」


 乾いた廊下に、声が反響する。


 相棒の方が、泣いた跡の残る目で扉を見る。


「……開かない……」


 凛の眉が跳ねた。


「開かない?」


 一歩、扉へ。

 取っ手に手を掛けかけて、止める。


 触れない方がいい。

 本能がそう告げていた。


「いつから」


 短い問い。


 男が震える声で吐き出す。


「……中にいた。……でも、瞬きしたら、外だった」


 凛の喉の奥が、ひやりと冷える。


「それで?」


 苛立ちが滲む。


「“開かない”って言って、座り込んで終わり?」


 二人の肩が跳ねた。


「現場が異常になってるのに!

 あなたたちが一番先に折れてどうするの!」


 男が喉を鳴らす。


「……俺たちは……」


「今、誰が中にいる」


 二人が固まる。


「司書。……早乙女先生は?」


 沈黙。


 その沈黙が、答えだった。


「……ちゃんと言って」


「中で、何が起きたの。どこまで行ったの」


 男が、震える手で端末を掴み、持ち上げる。


《SYNC:COMPLETE》


 凛はそれを見て、ゆっくり視線を上げた。


「……完了?」


「……覚えてない。……でも、終わってた」


 凛の胸が、冷える。


 扉を見る。


 普通の扉。

 なのに、向こう側に“別の場所”がある気配だけが、濃くなっている。


「……動ける?」


 問いかける形だけの言葉。


「動けないなら、せめてそこにいなさい」


「ここで倒れてる暇があるなら、救援を呼んで。

 ログ送って。手順回して」


 二人は、頷くしかなかった。


 凛は扉に向き直る。


「……入るな……!」


 掠れた声。


 凛は振り返らない。


「入る」


 短く言い切る。


 手を伸ばしかけて――止まる。


 首元が、ひり、と焼けた。


「……っ」


 制服の襟の内側。

 喉元に沿うように付けている、細い金属の輪。


 整合タグ。


 普段は意識することすらない。

 アクセサリーみたいに軽く、そこにあるだけのもの。


 なのに今は、

 じわじわと熱を持っている。


 痛い、というほどじゃない。

 でも、無視できない。


 まるで――

 ここから先はおかしいと、体に直接言われているみたいだった。


 凛は一度、喉を鳴らす。


「……大丈夫」


 誰に言うでもなく呟いて。


 そのまま、扉を押した。







 白い廊下の壁面に、淡い光が走った。


 無音のまま、ログが展開される。


《PHENOMENON:DETECTED》

《TYPE:PARADOX FIELD MANIFESTATION》

《LOCATION:KIRIGAOKA HS / LIBRARY》


《PARADOX FIELD:ACTIVE》

《IDENTIFIER:BLANK-CITY》


 管理者は、淡々と告げた。


「矛盾領域の顕現を確認」


《SUBJECT ENTRY:CONFIRMED》

《SUBJECT CLASSIFICATION:PARADOX INTERVENOR》

《STATUS:LATENT》


《TRINITY STATUS:PARTIAL》

《EDITOR:CONFIRMED》

《READER:IN PROGRESS》

《INTERVENOR:DETECTED》


《KEY STATUS:ALIGNING》

《PROJECTION:KEYS NEARLY COMPLETE》


「鍵はもうすぐ揃います」


 白い廊下の奥で、

 黒いケースは沈黙したまま、

 すべての鍵が揃う瞬間を待っている。


 「矛盾は、保存される」







 足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。


 図書室の天井が見える。

 蛍光灯も、本棚も、確かに“学校の中”だ。


 けれど、床に落ちた影の向きが合わない。

 距離感が、どこかずれている。


 凛は、ゆっくりと周囲を見渡した。


 紙が、ある。


 床一面に散らばり、

 宙を舞い、

 棚の隙間から零れ落ちるように浮かんでいる。


 新聞。

 冊子。

 写真。

 コピーされた書類。


 すべて、紙媒体だ。


 風はない。

 それなのに、紙は落ち着かない。


 ふわりと持ち上がり、

 くるりと回り、

 また別の場所へ沈んでいく。


 一歩進むごとに、

 足音が二重になる。


 本棚の向こう――

 いや、その奥に、街が見えた。


 夜の街。


 高い建物の壁。

 途切れなく続く窓明かり。

 赤のまま固定された信号機。


 荒れていない。

 壊れてもいない。


 ただ、

 人の気配だけが存在しない。


 生活の途中で、

 時間だけが切り取られたみたいな街。


 凛は、無意識に紙へ視線を落とした。


 写真が一枚、足元に滑ってくる。


 知らない顔。

 知らない場所。


 次の一枚。

 その次。


 どれも、誰かの記録だ。


 名前。

 日付。

 住所。


 意味を持たない断片が、ここに集まっている。


 歩きながら、紙を拾い上げる。


 新聞記事。

 行方不明者の小さな欄。


 住民台帳のコピー。

 びっしり並んだ名前。


 その中で――

 ふと、指が止まった。


 見覚えが、ある。


 最初は分からなかった。

 ただ、胸の奥が、きゅっと縮んだ。


 もう一度、見る。


 母。

 父。

 弟。


 間違えようがない。


 息が、喉で詰まった。


 写真を取り落としそうになり、

 慌てて掴み直す。


 周囲を見る。


 同じ写真が、いくつもある。

 角度違い。

 日付違い。


 住民台帳。


 自分の家族の名前が、そこに並んでいる。


 凛は、その場に膝をついた。


 胸が上下する。

 空気が、足りない。


 ――なんで。


 ――どうして。


 答えは、出ない。


 ただ、分かる。


 これは、過去の出来事だ。

 消えた都市の、当時のままの記録。


 ふと、背中を撫でるような違和感。


 音。


 すぐ近くで、何かが動いている。


 凛は顔を上げた。


 黒い影が、集まっている。


 人の形をした、真っ黒な塊。


 輪郭の周囲で、文字が蠢いている。


 黒い影が、一歩踏み出した。


 距離は、まだある。

 腕を伸ばしても届かないはずの間合い。


 ――なのに。


 空気が、先に押し寄せてきた。


 凛は反射的に肩を強張らせる。


 黒い人型の腕が、ゆっくりと持ち上がる。


 関節の位置が、曖昧だ。

 肘がどこにあるのか分からないまま、

 文字の塊が“曲がるべき形”をなぞっていく。


 輪郭を走る文字が、ざわりと音を立てて逆流した。


 黒い腕が、振り上げられる。


 力を溜める、というより――

 内側に押し込めていたものを、無理やり引きずり出すような動き。


 凛の喉が鳴る。


「……っ」


 次の瞬間。


 黒い腕が、叩き落とされた。


 速い。


 振り下ろすというより、

 距離そのものを潰すような一撃。


 凛は、考える前に身体を投げ出していた。


 背後で、鈍い衝撃音。


 床が、ひしゃげる。


 割れることはない。

 代わりに、押し潰された跡だけが残る。


 そこにあったはずの影が、歪んで沈んでいる。


 凛は、転がるように体勢を立て直した。


 心臓が、喉まで跳ね上がる。


「……当たったら……」


 言葉にならない。


 黒い影は、止まらない。


 もう一体が、横から動く。


 腕が持ち上がる。

 今度は、さっきより低い位置。


 凛の視界を、横切るように。


 黒い文字の奔流が、刃のように走った。


 凛は跳ぶ。


 紙一重。


 制服の裾が、空気ごと削られる感覚。


 触れていないのに、冷たい。


 皮膚の表面を、感情だけが撫でていったみたいな嫌悪感。


 着地した瞬間、凛は悟る。


 ――攻撃に、躊躇がない。


 威嚇でもない。

 様子見でもない。


 当たるかどうかだけを基準に、振っている。


 凛は歯を食いしばった。


 逃げるしかない。


 そう判断した瞬間、身体が先に動く。


 凛は、走った。






 ただひたすらに走る。


 足音が、紙を踏み裂く。


 床に散らばった新聞が弾け、

 写真が舞い上がり、

 台帳の束が、波のように押し流される。


 背後から、黒い気配が迫ってくる。


 数は、分からない。

 振り返る余裕がない。


 ただ、近い。


 首元が、灼ける。


「……っ!」


 整合タグが、はっきりと熱を主張していた。

 さっきよりも強い。

 危険が近づくほど、温度が上がっている。


 凛は歯を食いしばる。


 息が荒れる。

 肺が追いつかない。


 通路が、歪む。


 さっきまで三列だった本棚が、

 いつの間にか五列に増えている。


 距離が伸びる。

 角度が狂う。


 逃げ道が、勝手に書き換わっていく。


「……くそ……!」


 右へ。

 理由はない。


 曲がった瞬間、

 背後で空気が裂けた。


 重い衝撃。


 振り下ろされた何かが、

 凛の通っていたはずの位置を、

 紙ごと叩き潰す。


 紙が悲鳴を上げるように散る。


 凛は、そのまま転がり込むように次の棚の影へ滑り込んだ。


 首元が、さらに熱を増す。


 近い。

 ――近すぎる。


 息を吸うと、喉が痛い。


 凛は、棚の陰で一瞬だけ立ち止まった。


 背中を預ける。

 冷たい。


 ……考えろ。


 走るだけじゃ、追いつかれる。


 凛は、周囲を見る。


 紙。

 文字。

 記録。


 宙を舞う新聞の見出しが、

 一瞬だけ、視界の端で揺れた。


 読めない。

 けれど、何かが引っかかる。


 その瞬間、

 黒い影が、わずかに動きを止めた。


 ほんの一瞬。

 迷うような、引っかかるような挙動。


 凛は、目を見開いた。


「……今の……」


 偶然か?


 もう一度、視線を走らせる。


 舞っている紙の流れ。

 文字の密度。


 黒い影の輪郭が、

 紙の重なりに引っ張られるように歪む。


 ――避けてる?


 いや。


 引き寄せられてる?


 考えるより早く、

 黒い影が、再び動いた。


 今度は、横から。


 凛は、跳ぶ。


 床を蹴ると同時に、

 棚の一段を踏み台にする。


 紙が、爆ぜる。


 その向こうで、

 黒い腕が、空を切った。


 整合タグが、焼けるように脈打つ。


「……っ!」


 視界が、一瞬だけ揺らぐ。


 それでも、身体は止まらない。


 走りながら、凛は感じ始めていた。


 ――この場所は、敵にとっても安定していない。


 紙が多すぎる。

 記録が濃すぎる。


 溜め込まれたものが、

 そのまま形になっている。


 だから――

 動きが、一定じゃない。


 凛は、棚の列を抜け、

 開けた空間へ飛び出した。


 そこは、図書室の中央――

 なのに、天井が高すぎる。


 窓の向こうに、都市の光。


 黒い影が、複数、広がる。


 囲まれる。


 凛は、足を止めた。


 呼吸が、乱れる。


 首元が、限界みたいに熱い。


 整合タグが、

 これ以上は危険だと告げ続けている。


 逃げろ。

 まだ、早い。


 ――でも。


 凛は、拳を握った。


「……それでも……」


 足が、前に出る。


 理由は、はっきりしない。


 ただ、

 逃げ続けるだけじゃ、終わらないと、

 体の奥が、そう訴えていた。


 黒い影が、同時に踏み出す。


 次の瞬間。


 凛の視界が、

 ほんのわずか――

 ずれた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ