第一話 婚約破棄
「エレミア、もう我慢の限界だ。俺の妖精を惑わすお前のような悪女との婚約は破棄させてもらう!」
「はぁ……?」
今夜は学院で盛大に開かれる夜会です。
学院生たちは思い思いのおめかしをして、パートナーと一緒に楽しそうに、そして幸せそうに次々に会場に足を踏み入れます。
そんな中、なぜか腕も組まず、視線も合わせずにはっきり言えば剣呑な雰囲気を纏って現れた1組の男女が周囲の注目を集めます。それは長身で明るい金髪を持つ華やかな男性と、プラチナブロンドの長髪に少し陰りのある色気を纏ったとても美しい女性だった。
だが、優れた容姿で注目を集めたのではない。
注目の理由は、突然男性の方が婚約破棄を叫び始めたことです。
なにがあった?
なんてことは誰も思いません。『またか』とか『やっぱり』とか『仕方がないやつだな』なんて呟きがところどころで放たれます。多くのものは我慢したものの、一部の軽いお口が封じられることを嫌ったのでしょう。
しかし、拙い。
なにせ今は卒業間近な最高学年の生徒達が主役の夜会。
婚約破棄を言い出したのはその主役となるべき生徒の一人であるロベルト王子。
言われた相手はこれまた主役の一人であるエレミア・ファザート公爵令嬢だ。
正直勘弁してほしい。
多くの生徒の頭の中はこれ一色だった。
とばっちりは受けたくないからだ。
誰がこの出来事を実家に報告するのだ?
しないわけにはいかない。
なにせ国の一大事だ。
王太子であり、優秀な魔法の使い手であり、妖精にも愛されるという第一王子が、国王陛下が正式に承認された婚約を破棄しようというのだ。
よっぽどの理由があるに違いない。
そして皆が理由を探るために王子の言葉を振り返る。
しかしわからない。
『俺の妖精を惑わす』というのはどういう意味だ?
正直、公爵令嬢が第一王子に婚約破棄を突き付けるなら、誰も驚かない。
なぜなら第一王子は学院在籍中、全くと言っていいほどエレミアには興味を示さず、四六時中学院内外で遊び惚けてきた。
なぜか成績、特に実技試験の成績が良いので身分もあって退学にはならないが、女遊びに、酒賭博、学院の規則違反などは数えきれない。
その上、エレミア嬢に対して一切贈り物をしたという話を聞かない。
どんな社交の場においても、エレミア嬢は同じような赤いドレスを着ており、それはファザート家のお抱え職人の手によるものだった。
もちろん多くのものが諫めていたが治らない。
しいて言うなら国王陛下に叱られた際にはしばらく大人しくなるが、それだけだった。
なぜ国王陛下が叱るのかというと、ファザート家はこのオヤレミーノ王国建国時から代々続く由緒正しき家であり、強大だが姿がわからない幻の妖精"モファトゥーラ"との契約者が度々排出される家だからだ。
つまり、関係性をしっかり保つことに王家として大きなメリットがあるからだ。
なのに第一王子はそれを理解していないのか、理解したくないのか、エレミアを無視し続けた。
そんなロベルト王子に対して最初は良好な関係を作ろうと頑張っていたエレミアも、1年が経つ頃には笑顔が陰り、2年が経つ頃には諦め、卒業が近づいた今となっては表情が消えた。
その様子は逐次とはいかないまでも定期的に王宮に報告されていたにもかかわらず、王家も高位貴族たちも動かなかった。
なぜなら、ロベルト王子が入れ込んでいた相手。世間で言うところの浮気相手というのが、隣国の皇帝の娘であるラトファだったからだ。
古の竜族の血を引くシェルベルム帝国皇帝の力は強大だ。
もちろんオヤレミーノ王国の妖精の力も強力だが、より直接的な魔力行使が得意な竜の方が、人の世界では畏れられていた。
つまり様子見をしたのだ。
国王陛下が北方の戦争の陣頭指揮を執るために不在だったことも影響した。
この国では直接的な政治は大臣たちをはじめとした貴族が行い、国王は象徴であり、実戦力として運用されていた。
はじめは小さな小競り合いから10年にも渡る長い戦いになってしまうという泥沼の状態を脱するために国王陛下が自ら出陣してはや3年。敵国もなんとかしようと最大戦力を持ち出してきたためさらに長期化した。
それがようやくオヤレミーノ王国の勝利に終わり、間もなく勝利を挙げた国王陛下が王都に帰ってくる。それとほぼ同時期にロベルト第一王子が優秀な成績を治めて学院を卒業するという祝賀の雰囲気の中で、王都に残った貴族たちが様子見を続けてきた爆弾が爆発してしまった格好になった。
それをほとんどのものが理解しているからこそ、この場に集まった生徒達は楽しむに楽しめない状況に叩きこまれたのだった。
「ふん……これまで一度も贈り物どころかエスコートすらされたことはありませんし、笑顔での語らいどころか話しかけられたこともない有様ですが、それを妖精のせいにされるのですか? 軟弱ですわね」
「なっ、貴様!?」
そんな状況での婚約破棄に、エレミアは持ち前の気の強さを発揮して揶揄うと、あっさりと沸点を超えた王子が怒る。
が、一応この場がどういう場所なのかを思い出したのか、怒鳴り散らすようなことはなく、周囲が安堵する。だが……
「贈り物もエスコートも断り続けてきたのはお前だろう? それを俺のせいにするのはよしてもらおう。さらに、妖精はお前が怖いと怯えてしまい、お前がいると力を発揮しないのだ。そんな相手が妻などと、認められるわけがない」
「はぁ? バカなことを仰いますわね。第一学年の最初の頃、自宅で待てど暮らせど迎えは来ず、王城に問い合わせたところ『第一王子は既に随分前に出発なさっています。既にパーティー会場にいらっしゃるようですが……?』と言われたこと、忘れることはありませんよ?」
「はぁ……自作自演もいい加減に……」
そうして醜い罵り合いが始まる。
周囲の誰もが真実を知っているというのに、無理やりエレミアの過失による婚約破棄だという方向に持って行こうとしている第一王子に誰もが呆れていた。
どうせなら、隣国の皇女に一目ぼれした。国と国との関係として、皇女と一緒になればより有益なので、悪いが婚約は破棄させてもらう、とでも言っていればまだ心象は悪いものの最悪ではなかった。
それが、多くの人が知っている真実を無理やり捻じ曲げてこの場限りの嫌がらせのような形で婚約破棄の責任を免れようとしている姿にこんなのが第一王子で王太子になるのか、と誰もが失望を隠せなくなってきた頃、彼女はやってきた。
「あら、ロベルト王子。それにエレミア殿、ごきげんよう」
これまでの雰囲気を全てぶった切って現れたのは青い長髪に全てを凍らせるような硬い表情を貼りつけつつも、不機嫌な印象はないという一風変わった女性だった。
「あぁ、ラトファ皇女。今日もとても美しい。どうです、一曲ご一緒頂きたい」
その言葉に皆が言葉を失う。
婚約破棄を迫った直後に他の女性をダンスに誘うなど、考えなしにもほどがあるからだ。
「ラトファ様、ごきげんよう。それでは私は失礼しますわ。望まれていないようですし」
一方、エレミアはラトファ皇女には礼を返しつつ、話は終わったとばかりに踵を返して去っていく。
その後、夜会は1人浮かれている第一王子と、どう報告するか悩み迷う多くの生徒という地獄のような雰囲気のままただただ時間は流れ、お開きの時間を迎えたのだった。
なお、その後のロベルト王子の大人な誘いはラトファ皇女の張り手一発で撃沈した模様……。