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「やあおつかれさま、クノ=カノトくん」
「お疲れ様です、ロアーさん」
珍しく朝ではなく体験授業前にやって来たロアーさんは、私の隣に着席した。
「今日は初級医学なんだってねぇ。ボクも聴いてみようと思ってさぁ」
…なんか悪いカオしてません?
ロアーさんはニタニタと愉しそうに嗤っている。講師が来るのが待ち切れないように、教室の入口に視線が固定されていた。まだ取ってはいないけど、医学に興味がある…といったところだろうか。
やがて講師らしき人物が教室に現れると、ロアーさんはヒラヒラと手を振っていた。講師はそれに気付いたようで、一瞬とても嫌そうな表情をしていた。なんとなく察した。ロアーさんは知り合いが講義をするのをからかいに来たのだろう。
先生は教壇に立った時にはもう気にも留めない様子だった。…いや、こちら側を視界に入れないようにしているか。
「医学に進みたいのなら、僕とは長い付き合いになるだろう。基礎医学を教えるフェディットだ」
壮年のガッシリとした体格の男性だ。派手な色のシャツに目を奪われる。
「最初に言っておくが、僕は魔術が一切使えない。だが、医療知識も技術も君たちよりはあるつもりだ」
次いで耳を奪われた。魔術師たちの学舎で、魔術が使えない者が講師をしている。確かに基礎知識を教えるだけなら魔術は不要だろうが、学生の中にはナメた態度をとる者も現れるだろう。
ロアーさんがクツクツと笑っている。震える声で私に耳打ちした。
「ナメない方が良いよぉ。彼、大玄獣に護られているからねぇ!とてつもない大玄獣にね!」
玄獣憑きなのだろうか。それとも使役関係か。何れにせよ、ちょっと興味が湧いた。
講義終了後。ロアーさんはうんと伸びをして立ち上がった。
「ちょっとからかいに行こうかぁ。君も行くかい?」
「えぇ…?いや、遠慮しておきます」
「そう?じゃあまたねぇ」
にこやかに手を振ってロアーさんは居なくなった。医学は取る予定なので、長い付き合いになると予告された先生に悪い印象は与えたくない。隣に居て耳打ちまでされていたことを認知されたかどうかも気になっているのに、火に油を注ぎに行きたいとは思わない。
ロアーさんも居なくなったし、今日は図書館へ行こう。先の講義で紹介された『読んでおくべき本』を借りに行くのだ。早くしないと同じ考えの人たちに先を越されて借りられなくなるかも知れない。
「君、懲りないな」
「…すいません…」
図書館のカウンター側で、大きな男性が小さくなって叱られている。叱っている方──白髪の混ざり始めた赤い髪の女性は、この大図書館の管理人だ。そして叱られているのは、シャツの色からしても、先程講義を終えたばかりの基礎医学講師だ。
「授業で本を紹介する時は先んじて報告してくれと言ってあったよな?」
「流れでつい…。なので早めにこうして報告に…」
「ほう?」
「ああいや、申し訳ない…」
なんだか可哀想になってきた。
そういえば、ロアーさんはどうしたのだろう。先生をからかいに行った筈だが…巧く巻いたのか、行き違いになったのか。
「まったく、魔王が友だちだからと調子に乗るなよ?」
「はは…そんなつまりは」
司書さんはニヤリと口を歪ませている。軽口なのだろう。フェディット先生も引き攣った笑みを返している。
魔王、というのも聞かない響きだ。先日の『悪魔』の噂を思い出す。
そういえばロアーさんが、この先生は玄獣憑きだと言っていたっけ。『魔王』というのは、その通り名的なものかも知れない。
玄獣には二つ名が付けられていることが多い。『知恵の竜』『癒しの翼蛇』『絢爛鳥』。例えばこれらは人間が大玄獣に勝手に付けた呼び名である。普通玄獣は自ら名乗らないからだ。
しかし、今ここで該当の本の貸し出し手続きに向かうのは流石に憚られる。確保した後、暫く読んでいくことにしよう。




