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「恋煩い?」
「…はい?」
休日。フィルメクオコットさんに覗き込まれ、幾度目とも知れぬ溜息を吐いていたことを知る。
「頬杖ついて溜息なんて」
「ぁー…、はは」
フィルメクオコットさんはカップに湯を注ぐと対面に腰掛けた。
「特許王来てたらしいよ。見れた?」
「はい。会えました」
「『会えた』? へー!凄いじゃないか」
凄いと思う。ロアーさんは何者なんだろう。クーシェ先生の伝手だろうか。特許王も卒業生なのだし、先生とは面識もあって当然だろう。
「あの…クーシェ先生にそっくりな学生を知っていますか?」
フィルメクオコットさんは目を瞬かせた。
「クーシェ先生に?んんん~?いや、知らないと思うなぁ。思い付かないし」
「親戚だと思うんですけど。同姓だし」
「え〜?あの変人の身内なんていう学生が居たら有名になっちゃってそうだけどなぁ」
変人って言った。塔の講師なんて凡そ変な人ばっかりと聞くが、群を抜くんだろうか。確かに見た感じは随分自由そうな人ではあったが。
「顔も格好も喋り方もそっくりなんです。でもロアーさんはいい人ですよ」
「え〜?もう本人じゃないのそれ」
「年齢がだいぶ違うんですが」
流石に同一人物説は推せない。例えば呪術で私の認識を変えていたとしても、周囲の目まで欺くとなればそれは幻術の域だ。幻術も使いこなすんだろうか?だとしても、幻術では物理的な体積は誤魔化せない。というか、そもそも私を騙す意味が解らない。
「でもさぁ、年齢の話ならそれこそさぁ」
フィルメクオコットさんはラックに立て掛けられた紙面を顎で示す。不老講師。そうだった。クーシェ・ロアーは例の噂の当人だ。
「いやでも、瞬間的な年齢操作は流石に有り得ない…」
そもそも不老と若返り…というか年齢操作はだいぶ違う。老いが遅いのはあり得ても、若返りは流石にない。
「それならさぁ、確かめてみなよ。ふたりは同時に存在するか?」
「………」
フィルメクオコットさんは少し悪い顔をしている。愉しそうだ。
「茶化してます?」
「そんなことないよぉ!夢があるなぁって!塔の噂のひとつが解明出来るかもだよ?ふふ」
ハァ〜と大きな溜息が出る。この話はここまでかなと思った矢先。
「変身。無くはないと思うよ、今ではね」
逸らした視線をもう一度フィルメクオコットさんに向け直す。
「だってさ。実例があるじゃん」
真っ直ぐに私の目を見ていた。
「──フィルメクオコットさん?」
「ココットでいいよ、長いでしょ」
笑顔の一瞬、視線が途切れたことにホッとする。
「話し方もさ、最初の頃みたいにラフな感じでもいいのに」
友だちだと言って貰ったし、愛称で呼ぶくらいはいいかとも思うが、流石に口調は気を付けたい。
「一度切り替えてしまうとなかなか難しく…」
そっかぁ、と笑っている。追及する気はなさそうだ。このまま別の話題に移ることも出来る。そう出来るようにしてくれている。だけど、私は続けることにした。
「…ココットさんは、そういえば私をカノトと呼びますね」
「うん。だってあんたはカノトちゃんだろ?」
そこで何故か、ココットさんは例の会員証を机に置いた。パチンと小気味の良い音が短く響く。
「クノちゃんは今、アイドルやってるよ」
「 は? …はあ?」
脳が処理しきれないことを言い出した。え、なんて?クノがクノとして認知されてるだけで驚きなのになんて言った?アイドル?噂の?
「…え…なんで」
「かわいいからかな!」
訳が解らない。待てよ、『かわいい』?
「クノは私とは見た目が違いますか」
「おや?知らないのかい?」
ちょっと待って、思い出した。玄獣学研究室のアイドルって確か──
「人間の形してないんですか!?」
「偶にだよ」
私の使い魔とアイドルが似ている、と以前聞いた。こうなってくるとそれはそうだとしか言い様がない。だって、私の使い魔なんだからクノの分体みたいなものだ。似てるも何も分け身なのだ。
「それでこないだ、クーシェ先生に求愛されてるって言ってたよ。だからね」
「きゅ!?」
サラッと流そうとしないで欲しい。ついて行けていない。
「…あんたたち、やっぱり交換日記でもしたら?」
それは真面目に検討する必要がある。クノに文字の読み書きが出来るのかは不安だが。
「いいかい?まあとにかく。だからね。クーシェ先生も、人間じゃないって可能性はあるよねって話」
そうなると、つまり。
「玄獣が、玄獣について教えていると?」
「だとしたら、そんな価値のある授業もないよねぇ!」
確かにそうとも受け取れるが、塔の懐が深過ぎる。しかし眠鬼の講師も居ると聞いているから、あながち有り得ない話でもないかも知れない。