9話 変わるもの、変わらないもの
「現時点でタミタフーズさんのお店も、店舗ごとに個別でご加盟いただいてるケースもあります。タミ牛が都内4店舗、タミーズも4店舗、タミタコーヒーが2店舗です」
「なるほど。今回はそれを、タミタフーズ全国3000店舗で一括で加盟して出店すると、そういうことですね」
「はい、今回はそういうお話しです」
今日の打ち合わせは30分の予定だった。俺と晴雄はそのうち15分ほどかけて、会社やアプリについてかなり詳しく説明した。
「……なるほど、ありがとうございます。最近よく話題になっているので知ってはいましたが、やはり面白さと実用性が兼ね備わったアプリですね」
「あ、ありがとうございます」
俺たちからの説明を聞き終えると、多美田さんは資料をパラパラとめくりながらそう言ってくれた。かなり感触はいいと感じるが、果たしてタミタフーズの判断は一体どうなるのか。
「深澤さんはどう思う?」
「そうですね……」
多美田さんは、隣に座る深澤さんにそう聞いた。彼女は資料に向き合いながら少し考えた後、顔を上げて俺の目をまっすぐに見つめた。
「ぜひ、前向きに検討させてください」
「あ、ありがとうございます!」
俺と晴雄は立ち上がって、多美田さんと深澤さんに頭を下げた。無事に商談を終えられた安堵感と、会社として大きな一歩を踏み出せた達成感があった。俺は晴雄と目を合わせて、この喜びを噛み締めるように背中をポンポンと叩いた。
「今回の草案を元に社内で協議して、また改めてご連絡差し上げます」
「承知しました。よろしくお願いします!」
きっとこのプロジェクトは大掛かりなものになるだろうし、今はまだその最初の一歩を踏み出した段階だ。気を抜けない状況には変わりないが、俺は自分を少し褒めてあげたい気分だった。
「じゃ、深澤さん。お2人を出口まで案内して」
「はい、わかりました」
次の予定があると言う多美田さんとはそこで別れて、俺と晴雄は深澤さんの後に続いて応接室を出た。同窓会のあの出来事以来、まだちゃんと深澤さんと喋れてはいない俺は、前を歩く彼女に声をかけるタイミングを見計らっていたが、中々勇気が出なかった。
「では、今日はありがとうございました」
そういうしているうちに、会社の出口に着いてしまった。彼女はそう言いながら、頭を下げた。
「君島、ちょっと俺急ぎの用事あるから先行くわ。また会社で」
「え、晴雄?どういうこと?」
「深澤さん、ありがとうございました。僕はこれで失礼します」
晴雄はそう言うと、俺たち2人を置いて走って出て行ってしまった。その行動が俺と深澤さんを2人にしてあげよう、という晴雄の気遣いであったことに気づいたのは、深澤さんが気まずそうに俺の方をチラッと見たその瞬間だった。
「……お疲れ」
「お疲れ様」
恐る恐る声を出すと、彼女は手持ち無沙汰に髪を触りながらそう答えてくれた。
「知ってたの?俺が今日来ること」
「うん。最近多美田さんがよく君島くんの話するから」
「……そっか」
相手が俺だと分かっていても、彼女は俺たちの担当になってくれたのか。それ以上は聞けなかったが、あんな出来事があった後だから、少しホッとした。
「社長会、ていうのがあったの?そこで知り合って仲良くなったって、多美田さんが」
「うん、そう。先週だったかな?」
彼女はそう聞くので、俺はそう答えた。だが彼女はというと、俺のその答えを聞くと「ふーん」とつまらなさそうに少し俯いた。
「どうしたの?」
「社長会って、そういうのあるんだーって思って。そういうお金持ちだけの集まり、みたいなの」
「ああ……。うん、そうだね」
そこに違和感を覚える気持ちは俺も一緒だ。お金持ちが集まって、女性を呼んで高いものを食べて高い酒を飲んで、俺はそんなくだらない会に行きたくて行ったんじゃない。だが参加してしまったことも事実で、そんな言い訳を彼女が受け入れるとも思えず、俺はただ頷いて肯定するしかなかった。
「同窓会の時も言ったけどさ、やっぱりそうなんだよ。君島くんは変わっちゃったんだよ。お金を持った人は、みんな。みんな変わっちゃうんだよ」
「みんな……?」
彼女はそう言いながら、鼻を啜る。そんな彼女の瞳は俺を見ているようで、俺じゃない誰かを思い浮かべているようだった。鈍感な俺がそんなことに気づけたのは、彼女が発する言葉の中にもヒントがあったからなのかもしれない。
きっとそうなんだ。同窓会の時、彼女が8年ぶりに会った俺をあそこまで否定したのも、その誰かと俺を重ねたからなのかもしれない。そう考えると、あの時彼女から投げられた言葉も冷たい視線も、今なら受け止められる気がした。
「深澤さん、俺は変わってないよ」
俺はそう言った。彼女はハッとした表情を俺に見せた後、すぐに視線を床に逸らした。
「深澤さんが言う『みんな』が誰のことかはわからないけど……。でも俺は、少なくとも俺はそうじゃない。変わったのは肩書きと財布の中身だけで、俺っていう人間はあの時から変わってないんだよ」
「……」
俺には自信があった。まだ何者でもない時の俺の感覚や生き方を、社長になってお金を稼ぐようになった今も忘れていないという自信があった。俺は彼女にハッキリとそう言えたのも、俺にそう言えるだけの自信があったからだった。
「……」
「あ、でも、確かにこの前のあの腕時計はやりすぎたかなって、ちょっと反省してる」
深澤さんは何も言わずに、ただ俺の目を真っ直ぐ見ていた。その表情は決して明るくはなかったが、俺は別にそれでよかった。彼女が俺を見る目はさっきとは全く違っていて、今は確かに、目の前の俺をしっかり見てくれていた。もうそれだけでいい、本当にそれだけで十分だ、俺は。
「……じゃ、深澤さん。また」
「……あ、うん。またね」
俺が胸の前で小さく手を振ると、彼女は照れるように少し笑ってから、小さく頷いた。