8話 打ち合わせ
タミタフーズグループの多美田さんから連絡が来たのは、あの社長会から1週間後のことだった。せっかく仲良くなったんだから一緒に仕事をしよう、あの時そう言ってくれていたのが本心だとわかって、俺は少し安心していた。
タミタフーズグループの本社は東京都武蔵野市にあって、赤坂にある俺の会社からは電車で1時間ほどかかった。
「お世話になっております、株式会社グルメットの君島です。営業部の多美田さんと本日13時のお約束で参りました」
「君島様ですね、お待ちしておりました。ご案内いたします」
俺と晴雄はかなり緊張していた。俺たちのいつもの営業先と言えば、大抵は飲食店だ。日本を代表する外食チェーン企業の本社に直接来ることなんてこれまでになかったし、同時にまたとないビジネスチャンスでもあった。
「上手くいくかな?晴雄」
「どうだろうな……」
もし俺たちが開発したアプリ「FOODY」がタミタフーズグループの飲食チェーン全店舗で採用となれば、アプリ利用者の大幅な増加が見込め、間違いなく会社はさらなる発展を遂げることができる。
「どうぞ奥の席にお掛けください」
「はい、ありがとうございます」
俺たちは応接室に通された。その真っ黒で大きなソファーに座ると、想像以上にフワフワで少し驚いた。
「あ!やばい!」
「何だよ、驚かすなよ君島」
「いや、完全に忘れてた。奥の席にお掛けくださいって言われても、一旦手前の席に座るのがビジネスマナーなんだって」
「え、そうなの?」
俺たちは慌てて席を立ったが、ここまで案内してくれた受付の人はもういない。
「今からでもこっち座る?」
晴雄は下座のソファーを指差してそう言う。
「いや、でも一旦下座に座るのはマナーだから。結局その後、案内の人にもう一回奥の席どうぞって言われて、上座に座るのが正しい流れなんだって」
ビジネスマナーの動画を直前に見てきていた俺は、その光景を思い出しながら晴雄に説明する。応接室に通されることなんて普段はないから、お互いに軽くパニック状態だった。
「あ、じゃあ結局こっちでいいの?」
晴雄は上座を指差す。
「いやでもさ、奥どうぞって言われていきなり奥座っちゃったのって、結構失礼に当たるんじゃないかな」
「じゃあ、やっぱりこっち座っとく?」
晴雄は下座を指差しながらそう言う。俺が首を傾げると、彼もまた首を傾げた。
「……あの、君島さん?」
「え?」
背後から俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。驚きながら振り返ると、多美田さんが口をポカンと開けながらそこに立っていた。
「君島さん?大丈夫ですか?」
「あ、ああ、はい!大丈夫です……」
と、適当に誤魔化しながらそのまま上座に座ってしまった俺たちだった。多美田さんがいつ部屋に入ってきてどれだけ見られたかはわからないが、とにかく今は目の前のことに集中しようと意識を切り替えた。
「君島さん、先日はどうもありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそありがとうございました。そして弊社のアプリに興味を持ってくださるということで、こんない早くお話いただけると思っていなかったので、本当に嬉しいです」
俺がそう言うと、多美田さんはうんうんと頷いてくれた。前は飲みの場でよくわからなかったが、いざビジネスとして会うと、キリッとした目つきと堂々とした振る舞いが印象的で、次期社長の貫禄をすでに感じるぐらいだった。
「あ、で、そちらの方は?」
「ご挨拶遅れました。副社長の大水です。君島が大変お世話になっております」
「大水さんですね、今日はどうもお願いします、多美田です」
2人が立ち上がって名刺を交換している間に、コンコンとノック音が聞こえる。
「あ、来ました。今回のウチの担当です。入ってください!」
「失礼します」
ドアが開いて、1人の女性が応接室に入ってきた。俺は名刺入れをカバンから引っ張り出してきた。そしてその女性に名刺を渡そうと立ち上がった瞬間、俺は驚愕した。
「ご紹介します。第1営業課の深澤です」
「え?ふ、深澤さん!?」
俺の声が応接室にこだまする。俺は両手で口を押さえたまま、目の前に存在する深澤さんをただただ見つめているだけだった。
スーツに身を包んだ彼女の姿は、高校時代や先週同窓会で会った時とはまた少し印象が違う。だが笑うと頬にできるエクボと肩の上でフワフワと揺れる髪は、俺が好きになった彼女のそれと全く同じだった。
「あら?2人はお知り合いでしたか?」
「クラスメイトです、高校の時の」
深澤さんは笑顔を崩さず冷静にそう答える。俺はまだ彼女ほど冷静になれず、ただ1人でオドオドしている。
「深澤さんって、例の?」
晴雄が小声でそう聞いてきたので、俺は小さく頷いた。すると彼はそれが面白かったようで、下唇を噛んで笑いを堪えようと必死な様子だった。
「でもそれはちょうどよかったです。話がより円滑に進みそうで」
この場で唯一何も知らない多美田さんがそう言う。同窓会で起こったあの出来事を知っていれば、そんな発想にはきっとならない。
「改めまして、第1営業課の深澤です。よろしくお願いします」
「あ、ああ。えっと、君島哲治です」
「副社長の大水です。君島がお世話になっております」
彼女が敬語でやけに他人行儀なのは、上司の前だからなのか、ビジネスだからなのか。もしくは本当にそれぐらいの関係性なのか。俺はその答えを知りたくなくて、考えるのをやめた。
「じゃ、早速弊社のアプリ『FOODY』の説明からさせていただきます」
とにかく今は目の前のことに集中しなきゃいけない、そう覚悟を決めた俺は早速説明を始めた。
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