5話 捨てられたもの
俺はもう昔みたいなつまらない男じゃない。個性がなく目立たない男じゃない。今の俺にはお金がある。精一杯働いて誰よりも稼いだ金がある。
俺は何度も自分にそう言い聞かせる。この左腕の腕時計は、別に誰かに自慢したいがために着けてきた訳じゃない。何も誇れるものがなかった俺が、初めて手に入れた自分の個性なのだ。
「よし……」
店の中をしばらく歩き回っていると、お皿を持ってビュッフェを歩き回っている深澤さんを見つけた。ちょうど今のタイミングは1人でいるみたいだ。
ここしかない、そう思った俺は、急いで新しいお皿を取ってきて、そのまま勢いで彼女の後ろに並んだ。
「あの、深澤さん」
「うん?」
フワッと黒い髪を靡かせながら、彼女は俺の方を振り向いた。淡いオレンジ色のワンピースに身を包んだ彼女の、その無邪気で柔らかい笑顔を至近距離で目の当たりにすると、8年前と変わらぬ感情が蘇ってくるようだった。
「久しぶり。あの、ほら、君島。君島哲治」
辿々しくはあるものの、無理やり言葉を繋げた。が、彼女は小さく頷いて俺の顔を見たあと、すんっと視線を床に落としてしまった。
「ああ、君島くん……」
「え?」
深澤さんは俺の名前を淡々と繰り返すと、その表情かたスッと笑顔を消してしまった。俺はただならぬ不安と焦りに駆られ、額から汗が吹き出す感覚さえ覚えた。
「ああ、えっと、ほら、高2と高3の時同じクラスで、それで……」
「高校3年の夏に告白してきた君島くんでしょ?覚えてるよ」
彼女は俺の言葉に被せてそう言った。俺のことを覚えてくれていた、ということに喜んでいる暇はなかった。突然核心を突いてくる鋭さと語気の強さに、俺はさらに不安になった。高校の時、目立たない俺にも見せてくれていたあの無邪気な笑顔や優しさは、もうどこにもない。
「いや、あの。久しぶり、だよね……」
俺がそう言うと、彼女はまるで俺を憐れむように、冷たい目を俺に向けた。俺はなぜ彼女がそんな目をするのか、理解できなかった。そして俺はもちろん、空気を読んで気の利いた行動を取れるようなタイプでもなかった。
「変わっちゃったんだね、君島くん」
「え?」
変わっちゃった、という言葉の意味が俺にはよくわからなかった。だがそれが良い意味でないことぐらいは、鈍感な俺でも薄々感じ取っていた。
「社長になって年収1億?そんなこと自慢して回る人じゃなかったもん、昔は」
「いや待って。そもそも違うし、そんな自慢なんかしてないって」
俺は慌てて否定した。社長だってことは前田にしか言ってないし、年収の話に関しては誰にもしていない。そもそも1億もあるはずがない。
「そのギラギラした時計とか、まさにそうだよね。いくらか知らないけどさ、高い時計つけてカッコつけちゃってさ。女の子にチヤホヤされたかったんでしょ」
「いや、違うんだ。この時計は……」
この時計は、今まで誇れるものなんて何一つなかった俺が、誰よりも努力して稼いだ金で買った俺の個性そのもので、その証なのだ。俺はただ、深澤さんに少しでもいい男だって思われたかった、それだけなんだ。
と、そう言おうとして諦めた。俺が今何を言っても、きっと彼女にしてみれば言い訳にしか聞こえない。言葉だけを切り取れば、俺はただ自分が金持ちだと周りに「自慢」して、深澤さんに「カッコつけたい」だけなのだ。
「……いや、違うんだ。違くないんだけど、でも違うくて……」
でも、どうしても深澤さんにだけは伝わってほしかった。同じ「自慢」とか「カッコつける」という言葉でも、俺がやりたかったのはそういうんじゃない。言葉じゃどうしても伝わらないけれど、そういうんじゃない。俺はただ真剣に、真っ直ぐに、お金持ちという個性を手に入れた俺を見て欲しかった。
「もういいよ。昔はあんなに正直で素直で、ただただ真っ直ぐで良い人だったのに」
「……」
深澤さんは昔の俺をそう表現した。今そんなことを言われたって、この状況じゃ何の励ましにもならない。
「ホントに残念。やっぱり、お金は人を変えちゃうんだ。ね、社長さん」
「や、やっぱり?」
軽蔑を含んだ刺々しい言葉とその冷たい眼差しは、紛れもなく俺に向けられているものだった。その鋭利なナイフは俺の心の奥深くにグサッと刺さって、締め付けられるような胸の痛みが俺を襲った。
彼女はそれだけ吐き捨てるように言うと、小さくカットされたショートケーキを自分のお皿に乗せて、そのまま立ち去ってしまった。
「あ、ちょ、ちょっと!深澤さん!」
俺は咄嗟に彼女を呼び止めたが、もちろん彼女が足を止めるはずもなく、そのまま友人が待つテーブルに向かってしまった。俺は何もできず、その後ろ姿をぼんやりと見ているしかなかった。
「え、何、柚希。君島くんと何かあったの?」
「ううん、何も」
深澤さんと彼女の友達が喋っている声は、こんな騒がしい店内なのにはっきりと聞こえた。
「え、ていうかケーキもあるの?美味しそう!」
「そう?でももうショートケーキしか残ってないみたい」
深澤さんは自分のお皿に載ったショートケーキの、1番上に載った立派で真っ赤な苺を、フォークを使ってケーキの上からお皿に落とした。そしてそれを、隣に座る友人のお皿にひょいと移してしまった。
「柚希、苺食べないの?ショートケーキってさ、苺の部分がメインで、アピールポイントじゃない?」
「そうね。でも私、苺が好きじゃないの」
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