1話 君島社長
俺は一口大に切ったショートケーキを口に運んだ。
「おお、いい食べっぷりだね社長!」
一瞬にして口全体に甘さが広がる。でもそれは鬱陶しい甘さじゃない。きちんと計算されて作られたであろう生クリームの絶妙な甘さは、生地の独特な食感と相まって、他の店のショートケーキにはない唯一の美味しさを引き出していた。
「さ、次は苺も」
店長さんが俺にそう勧めるから、俺はその大きな苺を口に運んだ。すると今度は苺の特徴的な甘酸っぱい風味が味覚を強烈に刺激する。ショートケーキの控えめな甘さと対比になって、お互いがお互いの良さをしっかり出すことに成功している。
「美味しいです。めちゃくちゃ美味しいです、これ」
率直で素直な感想を店長さんにぶつけると、彼はニコッと大きな笑顔を作った。
「なあ社長さん。ショートケーキで大事なのはケーキの部分か、苺か。どっちだと思う?」
「え、大事なの?」
店長さんの突然の質問に俺はやや戸惑って、横に座る晴雄の方をチラッと見て助けを求めたが、彼もまた首を傾げていた。
「正直、立派な苺を使ったら売れはするんだよ。見た目が良くなるし、美味しそうに見えるからな」
「はい」
「でも、大事なのはやっぱりケーキの方だ。そのショートケーキの性格を決めるのは、地味でパッとしない、この真っ白なケーキの方なんだ」
俺はその話を聞いてからもう一口、ケーキの部分を食べてみた。なるほど、口の中にフワッと広がるしなやかな甘さは上品で、苺の味を土台から支える大事な役割を担っているんだと、俺は初めて気づくことができた。
「これは多分、人間も同じなんだよ。ケーキの土台の部分が駄目だったら、どんなに苺が立派で大きくても、良いケーキとは言えない、そういうもんだ」
店長さんはご機嫌なようで、自分の発言で手を叩いて笑っている。その人の性格や内面が駄目だったら、他にどんな立派な点があっても、いい人間とは言えない。店長の言いたいことはよくわかるが、声を出して笑うような可笑しな話ではなかった。
「で、店長さん。早速アプリの説明に入ってもいいですか?」
「ああそうかそうか。今日はそういう用事だったな、はは」
店長さんは薄汚れたエプロンとコック帽を適当に畳みながら、俺の正面の席に座った。
「ではここから私、グルメット副社長の大水からご説明致します」
アプリの具体的な説明は、基本晴雄に任せている。プログラムを組んでいるのは彼だから、設計やシステムに関しては社長の俺よりもよっぽど詳しい。ま、実際にそこまでの知識が必要な場面はそれほど多くはないのだが。
「なんだっけ?えーと、『FOODY』っていうアプリの話だっけ?」
先ほど渡していた資料を、店長はペラペラとめくる。
「はい。このアプリは簡単に言えば、食品ロスを無くしましょう、という趣旨のアプリです」
「いやいや、もう大体は知ってるよ。最近俺の周りでも話題になってるから」
「あ、そうでしたか」
晴雄は嬉しそうに笑いながら俺の方を見る。感慨深いのは俺も彼と一緒で、自分たちの開発したアプリがこれほど認知度があるなんて、数年前の俺たちが聞いてもきっと信じないだろう。
「だからあれだろ?ウチの店で材料を発注しすぎたとか消費期限が近いとかで、廃棄予定になった材料とか料理とかをアプリに登録すれば、それを見た人が買いにきてくれる、みたいなサービスだろ?」
「ええ、まさにその通りです。お店側からしたら廃棄予定のもので利益を出せますし、アプリ利用者目線でも、廃棄予定とはいえ安く食べ物が手に入るので、登録者は毎月グングンと伸びています」
店長はうんうんと頷きながら、資料に目をやる。ここのお店は都内じゃかなりの人気スイーツ店だし、このお店が加入してくれればさらなるユーザー数の増加を期待できる。
「どうでしょうか。このお店の利益もそうですが、食品ロスを減らすという社会貢献にもなります。ぜひ、『晴天堂』さんにもご加盟いただけないでしょうか」
「……」
株式会社グルメットは赤坂に本社を構えるベンチャー企業である。社長は俺、君島哲治。副社長は大学で知り合った友人である大水晴雄。起業当初はたった2人のスタートだったが、今や50人近い社員を抱える規模にまで成長した。
「君島さん、宅配の荷物来てますよ」
「宅配?」
俺のデスクに宅配の段ボール箱を持ってきたのは、秘書の古川あかり。晴雄のサークルの後輩で、大学を卒業した後ウチの会社に就職してくれた。
「何頼んだんですか?」
「え、なんだろう。覚えてないな」
「あたし開けてもいいですか?」
「うん、いいよ」
自分のデスクからハサミを持ってきたあかりちゃんは、段ボールの箱を手際よく開け始めた。緩衝材の中から出てきた小さな白い箱を見て、俺はようやく自分が何を頼んだか思い出した。
「あ、腕時計だ、腕時計」
「腕時計?あ、ホントだ」
あかりちゃんはその白い箱を色々な角度から覗く。箱に描かれたTempusのロゴがキラキラ光る。
「これ知ってますよ君島さん。テンパスの時計ってめっちゃ高いじゃないですか」
「なんかそうらしいね」
あかりちゃんから箱を受け取った俺は、それをゆっくりと開けた。重厚感のあるデザインと、眩しいぐらいに輝くシルバーの腕時計が、箱の中にズッシリと構えて待っていた。
「これいくらするんですか?」
「600万ぐらいかな」
「うわ、すご!この時計と同じ空気吸うだけで数千円の価値ありますよ」
「そうなの?」
腕時計を取り出してみると、なるほど、結構重い。これが高級時計の重さというやつなのか。シャツを少し捲ってそれをつけてみたが、長くつけているとかなり疲れそうだ。
「お、いいじゃないか君島。やっと届いたか」
俺とあかりちゃんが話しているのを聞いて、晴雄がニヤニヤしながら俺たちの方にやってきた。
「副社長、どう思いますか?社長が買った時計600万もするらしいですよ。しかも、宅配ってことは多分ネットでワンクリックで買ってますよ」
「まあまあ、今回は許してやってくれ、あかりちゃん。君島にはな、こんな高い時計を買わなきゃいけない、切実な事情があるんだよ」
大学生の時からの仲である晴雄は、俺のことをよく知っている。こんなバカ高い時計を買った理由も、この会社を起業した理由もだ。
「高い時計買わなきゃいけない事情って、そんなのあります?社長って元々そういうの全く興味ないですよね?」
あかりちゃんは首を傾げる。まあ、そう思うのがきっと一般的だろうということは、時計を買った本人でもわかる。
「そうだな。この時計を買った理由を理解するには、君島が高校生だった頃の話をしなくちゃ駄目なんだな」
そう言って、晴雄は俺の高校時代の青春の記憶を語り始めた。無論、当時俺と晴雄はまだ出会っていないわけで、彼が話す内容は全部俺が彼に打ち明けた話なのだが。
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