灯台下の人魚姫
中学2年生。田舎の学校、夏休みのまんまんなか。ちょうど折り返しに位置するかどうか、くらいの頃。木造校舎の教室で、あたしの肩にひと1人分の重みが乗る。あついあついと言いながらくっついてくるあたり、この友人は相当に人懐っこいか、暑さで頭まで解けてしまったのかもしれない。
「このみー、あつーい……。アイス食べ行こー……?」
「くっつくと余計暑いよ、ひな」
登校日で新たに配られたテキスト類を鞄に仕舞って、前のめりになっていた上半身を起こす。肩の重みがなくなったかと思えば、同時に「うわっ」という声が背後から聞こえてきた。
「もう…そんなところに座ったら汚いよ」
「このみが急に起き上がるからじゃん!?」
ひなのことばを流しながら視線を窓にやる。窓の外には2色の青が広がっており、片方はふわふわと柔らかな白が、もう片方はきらきらと輝くような白がアクセントになっている。
(もう少しで1年も経つのかぁ)
昇りかけの太陽に目を眩ませながら、この町に来た時のことを思い出す。町はずれにある灯台の下で、あたしは人魚と出会ったのだ。
遮るものが何もない炎天下。バスに揺られて辿り着いたのは、父方の祖父母が住んでいるのだという海辺の田舎町。人はまばらで、よく言えば長閑、悪く言えば寂れている。そんな町。
(つまらなそう)
商業ビルもなければ、ゲームセンターやショッピングモールもない。あるのは潮風にやられた茶色交じりの低い建物と、デザインも何もないグレーの地面だけ。これから数年間はここで生活しなければならないのだと思うとため息しか出てこなかった。祖父母宅最寄りのバス停で降車して視線をあげる。視界には一面の青が広がり、目を刺すような白がぎらぎらと反射していた。
(目が焼けそう)
そんな感想を抱きながら顔を顰める。さっさと祖父母の家へ向かおう…と方向転換しようとしたところで、ふと耳が声を拾った。
(…歌?)
幽かに聞こえたそれは、かわいらしい女の子の声だ。奏でる旋律は流行りの聞き慣れた曲なのに、まるで別の曲を聴いているかのように引き込まれる。気が付いた時には祖父母の家とは別の方向に歩みを進めていた。幾らかあるいて見えてきたのは、ところどころに錆びた跡が見える灯台と、その横の防波堤に腰掛けて歌う女の子の姿だった。
「……人魚姫」
「え?」
声に出ていたようで、女の子が振り向く。まっすぐ伸びた黒髪と透き通るような肌が太陽に照らされてどこか神秘的な印象をうけた。
「あ、その、違うんです。ごめんなさい!」
はっとして謝れば、女の子はしばらくきょとんとした顔のまま固まって、それから心底可笑しそうに声をあげてわらう。
「あはは、人魚姫は初めていわれたなぁ。じゃじゃ馬とかお転婆はよく言われるけど!」
先ほどまでの神秘性はどこへやら。そういう女の子はもう年相応の子供にしか見えない。
「ねーねー、あなたがうわさの転校生さん?今度引っ越してくる子がいるって学校全体で盛り上がってるんだよね」
……さすがはどがつくほどの田舎。転校生1人で学校中が盛り上がるらしい。以前聞いた話では全校を合わせても通っていた学校の1クラスにも満たない人数らしいから、そう考えれば妥当かもしれなかった。思考を巡らせている間にも、女の子は言葉を紡ぎ続ける。
「わたし、小鳥居ひなっていうんだ。あなたとおなじ中1!」
「あ、あたしは水瀬このみ。よろしくね、小鳥居さん」
「ひなでいいよ! わたしもこのみって呼ぶから」
よろしくー!と、女の子─ひなは、あたしの肩をバシバシとたたく。少しだけ痛い。彼女がお転婆と言われる理由をなんとなく察しながら、あたしはこの町で最初の出会いを終えたのだった。
(あれから毎日のようにひながうちにきて、入り浸り始めたんだっけ)
地域全体が顔見知りのようなこの町では、家の場所もあたしの存在も最初から知れ渡っていたようで、会う人みんなに「あぁ、水瀬さんところの……」と自己紹介の前に言われるような状況だった。最初は驚いたが、そんな状況なら家の場所を教えていなくても遊びに来ることは可能だろうなと今なら思う。実際今転校生でも来ようものなら、あたしだって探し当てる自信がある。長年この土地に住んでいるひななら、このくらい朝飯前だろう。
視線をしりもちをついた友人に移す。いたぁい、とおしりをさするその様子は間違いなくおてんば娘であり、どんなお世辞で固めても人魚姫には到底見えない。
「もー、今日のアイスはこのみのおごりだからね!」
「はいはい、1本だけね。……あ、代わりに今日は灯台のところ行こうよ。ひなの歌聞きたい」
ひなはきょとんとした後、心底楽しそうににぃーっと笑う。懲りずに肩を組むようにくっついてきて「このみはわたしの歌ほんと大好きなんだねぇ」とバシバシ叩いてくる。事実なので言い返せないが、それはそれとして相変わらずひなの叩く力は強い。
「痛いってば、ひな」
「あはは、ごめーん!」
反省の色が一切見えない笑顔にため息を吐く。肩を組んだまま町の商店へ向かおうとするひなに引っ張られながら、あたしは「この町も案外悪くないよ」と思い出の中にあたしに胸の中で言葉をかけた。
──じゃじゃ馬でお転婆な人魚姫は、今日もあたしの隣で歌っている。
お世話になっております。
雅楽代書房の翠雫です。
こちらの小説は2022年2月に、友人たちと行った三題噺の一環で書いたものになります。
真冬なのに夏のお話を書いていますね。何故でしょう。
アイスクリームが食べたかったのかもしれません……。
雅楽代書房
店主 翠雫みれい