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3-05 風呂を沸かせばオケアが助かる

依頼人と受託者の依頼終了後の会話より。

「これで我が世界も救われる。礼を言う、世界の名を冠する勇者よ」

「何度も言うが俺の名前はオケアじゃなくて桶谷(おけや)なんだけどな。それにしても何故風呂なんだ?」

「世界同士の干渉は複雑ゆえに詳細は割愛するが、そちらの世界風に言うなら""風が吹けば桶屋が儲かる""という感じだ」

「その諺はバカ親を思い出すから嫌いだ」

「ユニークなご両親で羨ましいけどな。なんにせよ、風呂を沸かすだけで遊んで暮らせる大金が手に入って良かったじゃないか」

「よく言うな!沸かすまでの過程がハードすぎるわ。銃刀法違反の後期高齢者と顔は可愛いけど超ドSの女の子に死ぬほどシゴかれて、得体の知れない組織と命懸けの鬼ごっこしながら、特別な給湯器を直せる伝説の職人を探して、ようやく沸いた風呂だぞ。経費もすこぶる掛かったし!」

「楽しいスペクタクルだったよ。報酬はその鑑賞料ということで」

『お風呂が沸きました』

 軽快な音楽と共に機械音声が告げる。普段聞き慣れているその音声が、今の桶谷(おけや)風雅(ふうが)には神の福音にも等しかった。単純な事象だけを見れば、風呂釜にお湯が満たされた事を知らせるだけの音声が、だ。

 それは数々の困難、命の危機をも幾度となく乗り越えて彼が依頼をやり遂げた事を意味しているからだった。

 最初は脱力だった。その音声を聞いた瞬間に全身の力が抜け、築15年は経つであろう木造アパートの薄い壁に満身創痍の体を預けへたり込んだ。数秒経って達成感がじんわりと五臓六腑に染み渡り全身の細胞が打ち震える。

 気づいた時には彼は生涯で一番大きな声で雄叫びをあげていた。



 桶谷がその依頼を受けたのは彼がまだ会社員だった頃、初の出張で宿泊したホテルの一室だった。普段、旅行を滅多にしない彼には物珍しい装置が多く、童心に帰りベッド脇のスイッチを無造作に弄っていた。

 照明や空調のオンオフが繰り返される中で、唐突に声が聞こえてくる。

 無線的な何かを盗聴をしてしまったのかと桶谷は焦って機械周辺を見回すが、""ラジオ""の文字を読み取ると冷静になる。車を運転する桶谷はラジオに接した事はある。気まぐれで何度か聞いたが、つまらないのですぐに消していた。

 ただ、無茶な要求ばかりの商談で疲れた体には不思議とスッと入ってきた。桶谷は着替えもせずにベッドに横になり音楽番組らしきラジオにしばらく耳を傾けた。

 そのまま睡魔が彼を優しく包み込もうとした時、音声にノイズが走り今までの倍以上の音量でひどく割れた声が聞こえてきた。

「聞こえますか!?イピホテル横浜505号室にお泊りの方!」

 桶谷の眠気は一瞬で霧散した。音声が言及したのは彼が泊まっているまさにその部屋だったからだ。音声は同じ発言を繰り返している。聞き間違いではない。壊れたラジオという比喩はよく聞くが、まさしくラジオが壊れたのだろうと彼は断じて電源を切る。

 一抹の気色悪さを払拭しようと彼はシャワーを浴びる決心をするが、洗面所のドアノブに手をかけた所で、もしかしたら緊急事態かもと思い至る。

 備え付けの電話からフロントにかけた。

「はい、フロントでございます。どうされましたか?」

「あー、えーと」

聞かれて桶谷は気づく。自分の状況をそのまま説明しても悪戯だと思われるのが関の山。だから、なかなか言葉が出てこなかった。そして更に気づいてしまう。火事などの緊急事態であれば、このフロントの冷静な対応はおかしい。つまり、何も起きていないのだ。

「な、なんでもないです」

 シャイな中学生のように挙動不審になり桶谷は電話を切った。結局、悪戯電話みたいになってしまったと彼は反省する。彼は他人の目を気にする小市民なのだ。

 少し気落ちした桶谷はベッドに腰掛けると腕を組み視線をラジオに向け思案する。何も起きていないならさっきの声は幻聴か?でも、2回も聞いた。しかし、公共のラジオ番組がこの部屋を指定して話しかけてくる可能性は限りなくゼロに近い。ラジオをあまり聞かない桶谷でもそれは分かる。

 思考は袋小路に入るばかりだった。もう一度、ラジオを聞いてみよう。そう決心するのに30分かかるほどには複雑な袋小路だった。

 意を決して再度電源を入れると先ほどと同じ音質の声がラジオから聞こえてきた。やはり幻聴じゃない!桶谷の体を戦慄が突き抜けるが、必死で恐怖を押し殺す。冷や汗をかきながらもその発言内容を聞き取ろうと耳を傾けた。もし心霊現象であれば、亡者の未練を解消する事で実害を避けられる可能性が高いと考えたからだ。

「貴重品ボックスの中身を取り出してください。暗証番号はー」

 貴重品ボックス。大半のホテルでは各部屋にそれがある。だから、当て推量で言及するのは難しくはない。ただ現在設定されている暗証番号まで言い当てるとしたら、それはその部屋の宿泊客か全知の神もしくは魑魅魍魎のみである。

 桶谷は操り人形のように生気なく立ち上がり、導かれるままに貴重品ボックスの前に立つ。最後の抵抗として暗証番号を入れずに開ける事を試みる。ガチッと音がして扉は鍵の抵抗に合う。この時点で既におかしいと桶谷は悟る。なぜなら、彼は入室してから今初めてこの貴重品ボックスを触ったからだ。

 桶谷の冷や汗の量が増えていく。ここまで来たら試すしかない。ラジオから繰り返し流れている番号を彼は震える指で入力していく。心の中で開かないでくれと願ったが最後の番号を入力すると呆気なく鍵が開いた。暗証番号は6桁であるから、偶然であるとしたら100万分の1の奇跡である。

 あるいは奇跡の対価として得たのは、メガバンクのキャッシュカードと電源の入っていないスマホだった。この瞬間、桶谷は心霊的恐怖からは解放されたが別の恐れが湧き上がってくるのを感じた。犯罪の香りがする、と。

 桶谷は深呼吸して状況を整理した。ラジオはいつの間にかタレントが適当におしゃべりする番組に変わっている。犯罪者が一時的に電波ジャックしたのだろうかと桶谷は考えた。

 警察に届けるのが正解だと頭では分かっていたが、まだ20代前半の桶谷は、9つの命を持つ猫さえ殺す好奇心(バケモノ)には勝てなかった。思わずスマホの電源を入れてしまう。

 幸か不幸か起動のためのパスコード不要でホーム画面が表示される。数秒後、桶谷の見慣れないアプリでメッセージが飛んできて思わず目に入ってしまう。

『仕事をお願いします。報酬はそのカードの口座にある全額です。暗証番号は1192。近くのATMで残高を確かめてください。きっとこの仕事を受けたくなります。なお、1円でも口座から資金移動があった場合は受諾とみなします。また、受諾前の質問は一切受け付けられませんのでご了承ください』

 起動してすぐとタイミングが良過ぎる事、ひどく一方的である事からますます芳ばしい犯罪臭が立ち上ってくる。それと同時に好奇心(バケモノ)が更に成長しているのも桶谷は実感している。良心と好奇心が激しい裁判を繰り広げて、ついに天秤は完全に傾いた。


 桶谷はホテルに併設されたコンビニにあるATMの前に居る。件のカードを見つめて数秒、最後の逡巡を儀式的に行う。桶谷の心は決まっているが、良心が残っている事を確認したのだ。

 意を決してカードを挿入する。メニューから残高照会を選択し、指定された暗証番号を先ほどより震度が高まった指先で入力する。 

 散々ビビったがどうせ空口座だろう、そう高を括っていた桶谷の脳を表示された数字が激しく揺さぶる。一目で金額を認識できなかった彼は画面を指差しながら掠れた声でいち、じゅう、ひゃくと桁を数える。10桁あった。もう一度、カードを入れる所からやり直すがやはり10桁、金額にして10億円だった。

 一般的な感覚を持っている桶谷は歓喜よりも恐怖が足元から沸々と湧き上がる。どう考えてもまともな金じゃない。壊れた首振り人形のように周りをキョロキョロと何回も確認する。他に客は居ないのに気のせいか視線を感じるし、反社会的人物や警察がすぐにでも自分を拉致・逮捕しに来るような気がしてならない。

 いや、待て。冷静になれ。桶谷は自分に言い聞かせる。銀行のシステムエラーの可能性があるじゃないか。そうだ、そうに違いない。正常性バイアスに囚われた桶谷は大胆な行動を取る。エラーであれば金が引き出せる筈はないと考え、引き出しのボタンを押しスムーズに暗証番号を入れ一度に引き出せる限度額の50万円と金額を入力した。

 バラララ。機械が紙幣を数える音が鳴ると同時にズボンのポケットに入れておいた得体の知れないスマホが震えた。新たなメッセージが送られてきている。

『仕事を受けていただきありがとうございます。それでは早速今日のAM9:07東京発の東北新幹線の7号車4A席に座ってください。次の指示は着いたら改めて出します。なお、このスマホは今後肌身離さず持ってくださいね。充電もお忘れなく。ちなみに念のためにお伝えしておくと、契約を破棄する場合は貴殿の命で違約金とさせていただきます』

桶谷はATMの前でスマホを見つめて立ち尽くす。メッセージの最後の一文が彼を脳天から地面に突き刺して金縛りにかけている。そんな彼を嘲笑うかのように早く現金を受け取れというATMの警告音が響き渡っていた。



「無事、引き受けてくれて良かった」

 魔法陣から出たザントは額の汗を拭いながら呟いた。向こうの世界では指先だけで映像すらやり取りができるというのが彼には信じがたい。こちらからは文章をいくつか送るだけで一般的魔術師3人分くらいの魔力が必要だというのに。今回は声の転送もしたので、いくらザントがこの世界随一の魔力量を誇る人間とはいえ、疲労困憊だった。

 ザントは改めて思う。異なる世界に干渉するのは骨が折れすぎる。こんな調子で本当に我が世界、オケアを救う事ができるのだろうか。

「ザント様、新たな転生反応があります」

 椅子に座りお茶でも飲んで一息つこうとした所で優秀な一番弟子から声がかかる。彼女の美貌は清涼剤ではあるが、報告内容は歓迎できない。

 この転生という現象も異世界から干渉だが、人間1人を送り込むには一体どれほどの魔力が必要なのか見当もつかない。それを頻繁に実行してくるモノを敵に回して本当に勝てるのか。ザントはこの世界消滅の危機を知ってから悩みが尽きない。

「すまないが、君が処分してきてくれ。ただ、危なくなったらすぐに撤退するように」

 弟子は頷くと空間転移の魔法ですぐに現場に向かう。相変わらず仕事が早くて助かる。向こうの世界の新たな協力者もそうだといいが、と願うザントであった。

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[一言] 【タイトル】タイトル単体ではさっぱり意味は分からないが、興味を引く程度の分からなさに調整されている。 【あらすじ】変わったやり方で、これで興味を引かれる人はいると思う。あらすじで読者に伝え…
[一言] 3−5 風呂を沸かせばオケアが助かる タイトル:オケア=桶屋と読んで「うん、それはそうだな」と思うなど。 あらすじ:桶谷さんがハードな環境から抜け出せるのか、気になる。 ひと言感想:こ…
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