3-01 機兵と死なず姫
機兵。その人型機動兵器のパイロットであるユーリは、気がつけば死者の気配の充ちた霧深い森にいた。
目の前で、少女が一人、息絶えている。
「どこだ、ここ」
僕は、霧深い森に立ち尽くしていた。馬鹿みたいな大樹が立ち並び、垂れ込めた霧は不気味に冷たい。
墓場。そんな感じの場所だ。
目の前には、剣で大樹に串刺された少女。前衛芸術めいた屍をさらす彼女は、もちろんピクリとも動かない。
兵隊って仕事柄、死に顔はそこそこ見てきたけど、そのどれよりも真っ白だった。
僕は、戦術AR 《拡張現実》を映し出すバイザーをはね上げ、白く整った顔ををぽかんと見つめる。手にした短機関銃を馬鹿みたいにぶらぶらさせながら。
なぜここに居るのか。合成洗剤で拭われた油汚れのように、その記憶はごっそり拭い去られていた。
イータが居ないのが、酷く心細かった。
「あら、ごきげんよう。見ない顔ですのね」
少女の声を聞いて、僕は飛び上がりそうになった。
珍しい蝶の標本のごとく剣で大樹に縫い止められたその姿は、お世辞にもご機嫌そうには見えない。
その薄い胸元には、剣が柄まで埋まり込んでいる。
巨人の剣もかくやとばかりに柄は長い。大樹の向こう側から突き出した切っ先に、霧の合間から月明かりが差し込み、銀にきらめいた。
「このさみしい森で私以外の誰かと会えるとお思い? 無視は不躾ですわよ」
「いやあ、つい死んでいると思ってさ」
びっくりするくらい綺麗な娘だった。まとったローブは粗末だけど、物憂げな美貌に妙な気品がある。フードから覗く長い黒髪が艶やかに光った。
流浪の姫君。そんな表現がしっくりくるような子だった。
僕の着込んだ地球連合宇宙軍の歩兵装備一式は、あまりに場違いだ。そう、ファンタジーもののRPGに、現代戦装備のキャラをMODでぶち込んでしまったかのような。
「あなたの腕がもう少し太ければ、この剣を抜くのをお願いするところでしたのに」
雪みたいに真っ白い顔がため息をつき、長い睫の下の赤い瞳が胸に突き刺さった剣をちらりと見やる。
手足はだらんと垂れ下がったまま動きもしなかった。
「チビな上に華奢で悪かったね」
「ええ。とても剣を振れるようには見えませんわ」
馬鹿にしたように姫君はうすく笑う。
十七歳になったばかりの僕は、あいにく背が低く肉付きも薄い。隊の忘年会で女装させられること三度。
イータさえ居れば、と唇を噛む。
「胸に剣がぶっ刺さってるのに、随分元気だね」
「この忌々しい剣が、わたくしを生と死の狭間に縫い止めおりますの」
「無理に抜かない方がいいよ」
不思議なことに、彼女のまとうローブには血の汚れの一つもない。足下には、銀色の水たまりが広がっていた。胸にズブリと沈み込んだ剣は、彼女の体と癒着しているようにも見える。
「下賤な定命の者と同じに見ないでいただきたいですわね」
「――、じょ、じょうみょうのもの?」
耳慣れない言葉に、僕は馬鹿みたいにおうむ返しをする。
「あきれましたわ。その見慣れぬ装束、地の果ての果てでも見いだせぬほど珍妙ですわね」
グレーのつなぎの上にボディアーマーを羽織った僕を品定めするように、姫は僕をじろりとねめつける。
「そうだ、ここはどこだ? 僕ののった船はシリウスに向かってたはずなんだ」
「シリウス?」
「知らないなんて、そりゃ常識知らずだよ」
「あら、蛮族の物差しをわたくしに当てはめることこそ非常識ではなくて?」
それを言うなら、剣がぶっ刺さった少女に常識を云々するのがまず間違いかもしれない。とにかく。
「いいかい、シリウスってのは僕ら地球連合が戦争している植民星系のことだ。で、僕らはシリウスに一発食らわせるために輸送船で――」
頭がずきんと痛む。
船はワープレーンに入って、それからどうなった? そうだ、敵襲警報があって、気がついたら身一つでここに居た。相棒は、イータはどこだ?
「地球とやらもシリウスも、あなたの妄想ではありませんこと?」
「そ、そんな」
「それとも、邪なる神の余興で異界から連れてこられたのかもしれませんわね」
少女は、酷薄な笑みを浮かべる。
僕は湿った土の上にがっくりと膝を突いた。
こういう与太話があった。ワープレーンで船外に放り出されると、ごく希に並行異世界に漂着するのだとか。もちろん、そんな目に遭って帰ってこれた奴なんて一人も居やしないんだけれど。
――異世界に行くってんなら、金髪のかわい子エルフちゃんたちに大歓迎してもらいたいもんだね。
――俺たち機兵乗りにかかりゃ、ドラゴンなんざ一発さ。
そう小馬鹿にする僕ら陸戦隊員たちをみて、迷信深い宇宙船乗りたちはこう脅したもんだった。
――異世界が都合の良い世界だとは限らないだろう?
ああ、そういうことなのだ。
「つまりここは、クソッタレなほうの異世界ってことか」
「あら、蛮族の割に現状認識は適切ですのね。ここは、そう、神に見放された地、狂王の統べる地」
彼女の瞳の暗さに、僕はぶるりと震えた。井戸に巣くう底知れぬ暗闇を覗いたときみたいに。
「――君が串刺しのままなのは、死神さまが取り立てを忘れているせいかい?」
「おあいにく様。去ったのは善なる神々だけでしてよ。この世を見下ろす客席は、狂王と手を組んだ邪なる神々で満席。あなたたち定命の者のもがく様をあざ笑うために」
「君はなんなのさ?」
他人事めいた言い方に僕はちょっとむっとなる。言いぶり的に邪な神なのかも。
いやいや、あまりに脳がファンタジーに冒されている。
「ほら、あなたの後ろにも。狂王の僕ですわ」
雷鳴に似た響きに、僕は慌てて振り向いた。大樹の枝がへし折れる音だった。
ひしめき合う巨木の奥で、巨大な何かが取っ組み合っている。
狼のようなうなり声に紛れて、ひどく硬質な足音が聞こえる。
懐かしい、そしてほっとする音だった。
「イータ!」
「悠利!」
僕の叫びに、巨大な影が中性的な合成音声で応じる。
見間違うはずがない。僕の愛機、アトラス級機兵のイータだった。角張った胴体、細長い手足に、赤く光る単眼の光学センサ。
全高六メートルのその巨体も、規格外の巨木に囲まれれば小さく見える。
「イータ、こっちだ!」
一も二もなく駆け出す。イータは敵する巨大な影に前蹴りをお見舞いし、両手でライフルを構えたまま後ずさる。
尻餅をついた黒い影は、その勢いのままに大樹の後ろに隠れる。
敵に銃口を向けたまま、イータが膝をついた。
「ユーリ伍長と確認。コックピット解放します」
胸部前面のハッチが開く。
するりと乗り込んだ僕は、ヘルメットのコネクタにケーブルを接続し、操縦桿を握りしめる。
ハッチが閉じ、コンソルの光が視界を占める。
「神経接続、スタート!」
首の神経を圧迫されたような不快感の後、僕の体はぐぐっと膨れ上がり、身長六メートルの鉄の巨人、イータと一体化した。僕が立ち上がろうとすれば、イータの体が立ち上がる。
ヘルメットに装着された電極を介して、僕の脳はイータの躯体と直結されていた。それまで機体を操っていたイータのAI人格は、戦術支援システムとして僕の意識の傍らに控えている。
体にかかる慣性が強い。視点が遙かに高い。この体の大きくなる感覚を、僕は愛している。
「誰がチビだって? 君の言う狂王の手先ってのがどんなもんか、見せてもらおうじゃないか!」
木に縫い止められたままの姫を一瞥してから、僕は影の隠れる大樹をにらみつけた。
イータの長い両腕が僕の意のままに動き、大樹に隠れた陰を狙う。