3-17 はびりすってなんですか!? - 聖女の治癒にも穴はあるようで -
現代日本で言語聴覚士として働く主人公の水上沙夜。
とある日の帰り道、道路に飛び出した猫を助けようとした事で異世界へ飛ばされてしまう!?
飛ばされた先の世界では医学の発展が乏しいかわりに聖女の力で治療を行っているようだが…?
『なんで…どうして!貴方なんかにあの人の未来を決められなくてはならないの!』
そんな悲鳴にも取れるような叫び声は私の耳を突き刺すように響き、彼女は此方を見て殺意とも取れるような目線を向けながらも部屋から出ていくのであった。
「はぁ、疲れた〜…」
そう呟きながら薄暗いいつもの帰り道をとぼとぼと歩く。いつもは明るく感じる風景も冬の訪れからか太陽を感じず薄らと鳥肌が立つ程の寒さを感じるようであった。
小さい頃から憧れていた言語聴覚士として働き始めて2年と3ヶ月、中々思うように行かない毎日に私こと水上沙夜は溜息をつくのであった。
「私はもう無理だよぉ…推しがいるからまだ何とかなっているけどさぁ…」
そう呟きながら歩いていると闇に紛れながら黒猫が何も気にしない様子で進んでいる。
野良猫をこの辺りで見かけたのは久しぶりだなとホッとしつつ眺めていると急に辺りが明るくなり何事かと辺りを見渡すと直線の道路だからか確実に法定速度以上のスピードでこちらに迫ってくる車が見え、青ざめた私は何も考えずに猫を守ろうと道路へ飛び出すのであった。
「…猫ちゃんのためとはいえ…馬鹿だなぁ私…」
全身に強い痛みを感じながら視界が黒に染まっていく中、最後に私が見たものは此方を振り返る黒猫だけだった。
◇◆◇◆
ふと目を覚ますと先程まで硬いコンクリートの上に倒れていたはずの自分が柔らかい土の上にいる事に気が付く。
病院に運ばれずに放置されていたのだろうか?
そうだとしても何故場所を移す必要があったのか?
色々な考えが頭をよぎる。
「まさか…誘拐でもされた…?」
そう呟きながら辺りを見回すと明るい日差しの射す森の中であることがわかる。
コンクリートジャングルと言われていた家の周りからは想像出来ないなと却って心の中で感動していると森の奥の方からうっすらと話し声が聞こえてくる。
ここが何処なのか知っている人間かもしれないと警戒心も持たずに小走りで声の聞こえる方へ歩みを進めると木々が開け小さな小屋のそばに老婦人と小鳥が楽しそうに話している様子が目に映り、この人に聞けばこの場所や帰り道について分かるかもしれないと期待を込めて声をかけようと1歩踏み出したところで老婦人が此方に気が付き優しく手招きするのであった。
「珍しい格好をしたお嬢さんだね?そんな所に隠れていてはワーグにでも喰われてしまうよ」
そう悪戯に笑う老婦人を見て、ここは日本ではないのかもしれない事実に恐れつつも小屋の方へ歩く。
ふわりと嗅いだ事はないが何故か懐かしく甘い香りが辺りを漂っており、温かみを感じつつも老婦人へ話しかける。
「いきなり押し掛けてしまいすみません。道に迷ってしまい此処が何処なのかわからなくて…」
「おやまぁ…こんな辺鄙な所で迷子だなんて…お嬢さんも変わった人だね?此処はリデーフ王国の外れも外れ…王都まで西へ数十kmはある場所さ?」
その言葉に私は目を丸くする。
老婦人の言う言葉が正しければやはりここは日本では無い可能性が高く、そうなってしまうと私が無事に日本へ帰る事も難しいのでは無いかと悶々と考えてしまう。
そんな私の様子を見たのか老婦人は優しく微笑み髪を梳くように頭を撫でる。
小さい頃に両親にかけてもらったおまじないのようで不安に揺れていた心かま落ち着き考える余裕を取り戻すことが出来た。
「何か深い事情があるんだろう?詳しくは聞かないよ…けれどお嬢さんがこの国に慣れていない事はわかったからね、この婆がお嬢さんを保護しようじゃないか」
「そんな…そこまでして頂くなんて…」
「いいんだよ…もう先も短い婆の最期の楽しみとして面倒を見させておくれ?」
そう微笑む老婦人に何も言うすべがないなと諦めたように笑う私の肩に小鳥が乗ると頬に擦り寄って来るのであった。
「さて…そういえば名前を聞いていなかったね…お嬢さんの名前を聞かせて?」
「水上沙夜と言います…貴方は…」
「ベリンダ…ベリンダ・モローと言うのさ…ベルとでも呼んでおくれ?お嬢さんの事はサヨとでも呼ばせてもらおうか」
「わかりました…よろしくお願いしますベルさん!」
「そんなに畏まらなくてもいいんだよ?サヨは孫のようなものさ…世話を焼かせてくれよ」
そう微笑むベルさんはまるで本当のおばあちゃんのようでその背中が頼もしく見える。
日本への帰り方を見つけるまで頼らせて貰う分何か手伝える事は力を貸そう。
そう心に決め、小屋の中へ案内するベルさんに着いていくのであった。
木でできた扉を開き小屋の中を除くと、中にあるものは温かみのある質素なものばかりで小さなキッチンとベッド、作業台なのか窓際に机と椅子があるのみで、元々はベルさん以外に人がいたのか2人分の家具が揃えてあった。
「狭い所で申し訳ないが寛いでいいからね」
そう微笑みながら牛乳のような白い液体が入ったコップを受け取る。
中身がわからずそわそわとコップを見ていると後ろから大笑いしている声が聞こえ、思わずベルさんの方を見てしまう。
「あっはは!そんなに疑わなくても…それはヤギの乳だよ!特にサヨは若いから身体にいいものが必要だろう?」
余程面白かったのか目尻にうっすら浮かんだ涙を指で拭いながらキッチンからこちらをみる。
そんな様子に恥ずかしさを感じチビチビとヤギ乳を飲んでいるとふとベルさんが用意しているスープが目に入る。
野菜が入っているであろうスープは具材がほぼなくなっている位にくたくたに煮込まれており、胃腸が弱いのかと思い見ていると気になるのかい?と笑いながらスープとパンの乗った皿を持ってこちらに歩いてくるのが見えた。
「これはね…私ももう年で前と同じように食事をとる事が難しくなってしまってね…食べやすいようにしているんだよ…なんでも治せると噂の聖女様にも頼ったんだがねぇ……」
そう悲しげに呟くベルさんの様子を見ていると私にも出来ることはないのかと胸が痛くなる。
自分自身の知識を使ってなんとかベルさんにリハビリを行えないか考えたが、もしこの世界にない知識であった場合下手に持ち込んでしまって影響が出てしまう可能性が怖く何も言い出せずベルさんが食事を摂る様子を見るのみになってしまうが、ふと本来首の真ん中辺りにある喉仏が少し下の方へさがっているのが目に映る。
60代以降の人は喉仏が急速に落ちやすく、その関係から食べ物を飲み込む際に全身に力が入りやすかったり、食べ物が気管へ入ってしまうとは言われるが、ベルさんの飲み込みにくさもそれによるものなのだろうかと考え込もうとするが、自分の悪い癖だ
と首をブンブンと振り顔を上げる。
そんな様子を見ながらベルさんは微笑み私の頭を優しく撫でつつ小動物のようだねと笑うのであった。