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3-11 力持ちのメアリ

かつてレガトス王国は、凶悪なる巨人王の蹂躙を受けた。

選ばれし勇者さえも、一度は圧倒的に蹴散らされた。

だが勇者は、美しき聖女とともに、巨人王を葬り、辺境の地を解放した。

不屈の勇者は人びとに賞賛され、豊かな領土を賜り、美しき聖女と結ばれた。


十四歳のメアリは、国を救った聖女の娘。

大人よりもはるかに力が強く、男五人分の働きも易々とこなすことができた。


王都から離れた辺境の村で、面白くもない日々を過ごしていたメアリは、ある日、傷ついた見習い巡察士(じゅんさつし)の少年セレスと出会う。


巡察士は、国内の異変を察知する使命を負う。この地にひそむ王国の危機を知る者は、もはやセレスのみ。一刻も早く王都へ知らせねばならない。


メアリは決意した。彼と旅立ち、使命を果たす手助けをすると。


なにものをも恐れぬ力持ちの少女と、臆病者と呼ばれた思慮深い少年が、歪んだ王国を救う冒険譚。

「どうしたんだ、聖女。はやく、花嫁を治すんだ」


 がさついた声が、背後の高みから命じる。

 聖女は美しき(かんばせ)を苦痛に歪め、重ねた両手に力をこめた。

 彼女の手にかかっているのは、ともに戦ってきた仲間の命。無理やり座らされた豪華な椅子にぐったりともたれ、とめどない冷や汗にまみれている。


 紺青の瞳はただ開いているだけで、目の前の聖女すら見えていない。

 知的な口元は力なく開いて、せわしない呼吸をくりかえすばかりだ。


(お願いだから何か言ってちょうだい。一言でもいいから!)


 だが、いくら癒しの力を注いでも、砕けた骨と内臓は、そう簡単には戻らない。

 修復中の肺と気管では、まともな声など出るはずがない。

 この華奢な体で、巨大な岩のようなこぶしの一打を、その身に受けたのだ。

 倒れた勇者のかわりに。一瞬もためらわずに。


 鍛え抜いた戦士でもない。あまたの魔法を操る魔術師でもない。

 ましてや、特別の力を持つ聖女や勇者でもない。

 生まれついての賢さで、ささやかな魔力をやりくりし、仲間を支援するだけの、市井のまじない師にすぎないのに。


「大した、女だ。はやく、治せ。王たる俺が祝福して、好きな男の嫁にしてやるんだから」

 娘のとなりで、豪華な椅子で、血にまみれて動かない勇者を見やる。

「……お願い、彼を先に治させて」


 危険を承知で、聖女は声を絞りだした。大きく、ゆっくり、はっきりと、背後の愚かな巨人のためではなく、目の前の賢い耳のために。


「このままでは、彼は死んでしまう。まだ血が止まってないのよ。この子はもう死なないけれど、もとどおりに治すまで時間がかかる。その前に、彼の血が足りなくなって、死んでしまうのよ!」

「弱い男は死ねばいい。それでは、この女に、ふさわしい花婿ではない」


 巨人が笑う。勇者の包帯から血が滴り落ちる。

 希望は潰えた。聖女に無がおしよせてくる。


 ――が、れ、を……ざ、ぎ、に……なお、じで……


 出るはずもない声が、漏れ出した。

 信じられないほど、はっきりと、大きく。


 ――がれ、さぎ、に……な、おして……がれが……ざき……わだし、あど……


 くりかえした。修復したばかりの器官を引き裂きながら、壊れた体でせき込みながら、あえぐ口から血と泡をこぼしながら、賢い娘は、命のかぎり、愛する人を護ろうとした。


「お前は、この弱い男を、治す方が、いいのか?」

 賢い娘は、力のかぎり、何度もうなずく。

「そうか。俺はまずお前を治して、祝福したいんだがな」

 巨人はぼんやりとつぶやいた。


(ああ、ありがとう、ありがとう、ありがとう……!)

 巨人の許しを得るなり、勇者の傷に手を当てる。ぞんざいに巻かれた包帯は、重く赤く濡れている。


 聖女は勇者のあらゆる傷を治し、間近に迫った死から連れ戻す。

 力の出し惜しみはできない。時間もかけられない。

 賢い娘は気づいているはずだ。自分の命もまだ、危ういことを。

 もてる奇跡の最善を尽くしながら、聖女は最良の結末を願いつづけた。


 × × 

 三年後。傷を癒し、力を蓄えた勇者は、ふたたび巨人王に挑み、聖女の助けを得て雪辱を果たした。

 不屈の勇者は美しき聖女と結ばれ、王国の守護者として、故郷を治める領主として、人びとの尊敬を集め、幸せに暮らしている。


(めでたし、めでたし……)

 セレスは、傷の痛みになかば朦朧としていた。

 寒い。見習い巡察士(じゅんさつし)の旅外套は、白く目立つがゆえに、脱ぎ捨ててしまった。

 支給されたばかりの剣も無い。愛用のナイフも、薬や小物を詰めた新品のポーチも無い。

 何もかも使い果たし、投げ棄てて、命だけ拾って、ここまで逃げてきた。


 まだ夜は明けていない。だが、邪悪の気配はもう感じない。

 空気が甘い。匂いが優しい。

 森の枝葉は切り払われ、道も整えられて歩きやすい。

 きっと近くに村があるのだ。人が暮らしている村が。


 ここまでくれば、かつてこの地が、巨人王の暴虐に晒されていたとはとても思えない。

 吟遊詩人がこぞって歌い、王都の劇場から村まわりの一座までが上演する幸せな結末は、十五年前。セレスが生まれる前ですらない。


 三日前まで、自分の目で見てきた。打ち壊された村。弔われることのない人骨。生きながら引きちぎられた、投げ捨てられた、積みあげられた、その末路。

 死霊が湧く。闇の魔物が生まれる。

 死と苦痛に満たされた土地は、災いを生む。早急な対策を講じるよう、報告すべき事態だ。

 ――あんなことくらいで、初めての使命を果たしたつもりで、興奮していた。


『人びとのために王国を巡り、異変を察知し、使命を果たすことを誓います』

 こんなことになるなら、誓うんじゃなかった。

 血で汚れた巡察証を、自分の見習い証とともに握りしめ、セレスは歯を食いしばって進み続けた。


 × ×

 薄闇の中で、メアリは身を起こした。ヒスイ色に光る目で、あたりを見回す。

 何かを感じて目覚めたはずなのに、特別な物音も、気配もしない。ただ豚が鼻を鳴らした。

 メアリは小屋の外に出た。太い鎖が足元でじゃらりと滑る。澄んだ寒さに身震いする。

 明るくなりはじめた夜空に、最後の星が瞬く。東の方はうっすらと赤い。

 叔母たちの住む母屋は、まだ寝静まっていた。

 村の方も静かで、とくに何もなさそうだ。

 メアリにはよくあることだ。母親から、聖女の力のひとかけらも受け継いでいないのに、ときどき予感めいたものが訪れる。

 どうせ目が覚めてしまったのだ、今のうちに食べ残しでも失敬するとしよう。

 メアリは小屋に戻り、豚の餌入れに手をつっこんだ。


『牛や豚だと思いなさい。あいつがいれば、働かずに済むんだから』

 豚の方がいい餌をもらっているし、メアリは十四歳で、男五人分の仕事を割り当てられている。

 鎖をつけられ、特別のおもりにつながれ、ろくに世話もされていない。


 だがメアリは、緑色に腐った肉やカビだらけのパンしか与えられなくても、腹ひとつ下さない。

 風呂など使わせてもらえず、真冬でも手桶一杯の濁り水を渡されるだけだが、風邪などひかない。ちくりとも歯が立たないから、虫もつかない。皮膚が荒れたり、できものに苦しんだりすることもない。


 服に穴は空いていない。もともとは、胸や尻まで見えるボロボロの服だったが、年頃の体になっても顔色一つ変えない上、ついむらむらと手を出そうとした男の一部を片手でひねり潰したので、同じ悲劇がまた起こらぬよう、叔母としても配慮せざるを得なくなった。


 自分たちよりも明るい金色の髪を、ぶっつり短く切ってしまいたいと従姉妹たちはせがんだが、長い方がいい金になるので、叔母は聞き入れない。

『売ったら丸刈りになるんだから、それまではがまんなさい』

 伸びれば伸びるほど、従姉妹たちは騒いだが、(ごみ)の中から拾った櫛でこまめに梳いて大事に扱い、長さは尻を越えた。もういい値で売れるはずだが、叔母はまだ欲張っている。


 うなじでくくった金髪を背に流す。力仕事になったら、丸めてまとめて日よけ頭巾に入れる。騒ぎたいなら、騒げばいい。引っ張ったりしたら、ただでは済まさない。


 × ×

 光がひらひらと顔に触れて、セレスは紺青の目を薄く開いた。

 枝葉の隙間から日差しがこぼれ、青空さえ垣間見える。もう太陽は高いようだ。

 息をするだけで喉が痛い。

 だが、人らしき存在を感じて、重い頭をひきおこす。


 セレスが倒れていたのは、ごく緩い斜面で、森を切り開いた耕地が下に見えた。

 少年だろうか、ぶかぶかの古い仕事着姿で、鼻歌まじりに石ころを拾い集めている。

 罰なのか、奴隷なのか。やけに太い鎖がつながる先に魔力を感じ、セレスは最悪の予想を見つけてしまった。

 あれは逃亡を防ぐ特別のおもりだ。見た目の百倍重い上に、決められた位置から動かそうとすれば、見た目の千倍重くなるという。


 あの鎖の長さでは森まで来ない。ここに転がったままでは、助けは得られない。

 茶色の革服も、暗褐色の髪も、森の陰影に紛れてしまう。

 あがく。動けない。明るい場所まで六歩か七歩。それがどうしても進めない。


『知らせろ、お前が王都に知らせろ、新たな巨人がこの地にやってくる!』

 剣を手に出ていく背中が、その後の光景がよみがえる。

(ここまで、来たのに……そんな……)

 潰された喉では声にも出せず、巡察証を握る手から、力が抜けていく。


 × ×

 メアリは、石を詰めた大籠を両肩に担ぎ、端に運んだ。鎖でつながる鉄球を眺め、犬のようにナデナデする。

 これを支給されて以来、みな安心して見張らなくなった。メアリが五人力となって、すべて押しつけられるようになると、監督するのさえ、面倒くさがった。

 叔母は素敵な家のことで忙しいから知らないが、叔父や従姉妹たちも忙しいのだ。昼間からカードに興じるとか飲んだくれるとか。雑貨屋で生地や型紙を眺め、また新しい服の仕立てを企てるとか。


 鉄球さえ設置したら、ここには戻ってこない。昼の食事も持ってこない。

 日が暮れて村に戻るときまで、メアリの自由だ。

 男五人でもきつい仕事を割り当てられているが、もはや半分の時間も要らない。

 五人力は十二の頃の話。メアリはもうすぐ十五歳だ。


 さて、今日は天気もいいし、森の小川で、洗濯と水浴びでもするとしようか。

 あまり綺麗にすると、叔母に気づかれるからほどほどに。

 メアリは、足枷についた鎖の輪をつかみ、ぐにゃっと広げ、外した。

 あとで、また元どおりはめて、形を戻しておけばいいのだ。

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[一言] 【タイトル】キャラクターの異名のようなタイトル。 【あらすじ】タイトルも合わせて、古風な雰囲気のファンタジーに見える。 【本文】タイトル、あらすじからのイメージは間違っていなかった。最初…
[一言] 3−11 力持ちのメアリ タイトル:力自慢の女の子の話かな? あらすじ:メアリは勇者だね!外から何かが迫るというより内部の問題? ひと言感想:区切りの印ごとに視点が変わる。聖女・少年セ…
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