第98話 二対一
地下樹海。赤い洋館。三階。主の間。
本棚。散らばる本。巨大な釜。フラスコ。
様々な器材が並び、中央には長机がある部屋。
巨大釜の水面を見つめるのは、二人の女性だった。
水面には、第三回廊区で行われる死闘が映し出される。
「『暁の星』を使い、地下世界と接続し、ヘケヘケを呼び出した。ここまでは予想通りと言ったところでしょうか。……マイマスター」
声を発したのは、メイド服を着た金髪の少女。
長い後ろ髪を二つに分け、三つ編みを作っている。
髪留めはなく、赤いゴム紐で髪の根元を結ばれていた。
「…………」
隣に立つのは、黒いロングドレスを着た女性。
赤髪ツインテールで、黒色のシュシュをつける。
その手には、赤い星型の髪留め『暁の星』を握る。
彼女は何も答えない。ただ、わずかに口元を上げた。
◇◇◇
現れたのは、一匹の魔物じゃった。
尻尾と耳のついた小動物的な真ん丸の魔物。
ジェノの言葉通りなら、ヘケヘケという名前らしい。
(思うとったのと違う)
彼は帝国に由来ある扉を開けた。
その先にいたものは、大体想像できる。
骸人の霊体か、もしくは王子陣営の誰かじゃ。
それなのに現れたのは、予想したどれでもない存在。
(……何が、起きたんじゃ)
広島は裏をかかれたのを自覚しつつ、様子を見る。
「これの処置、お願いできる?」
ジェノは手甲を外し、折れた右腕を差し出す。
皮膚は青く腫れ上がり、1.5倍ほどは膨らんでいた。
「ヘケっ!」
任せて。と言わんばかりにヘケヘケは口を開き、閉じる。
差し出した右腕を、すっぽりと口の中に入れ込んでいった。
(……おいおい、嘘じゃろ)
手甲の防御を貫くために、超徹甲拳を使った。
バキバキに砕いて、全治二か月程度はかかる重傷。
相手の能力を制限させる、有効な手段のはずじゃった。
「ありがとう。相変わらずの治癒力だね」
しかし、右腕はすでに完治しとった。
治った右手で、ヘケヘケの頭を撫でていた。
(あり得ん……バキバキに折り砕いた骨を一瞬で……)
目の前で起きた事実は理解できる。
ヘケヘケが秘める能力も予想はつく。
ただ、受け入れられるかは別じゃった。
――能力が規格外過ぎるんよ。
回復系の能力だとしても、異次元の速度。
普通なら、数か月の怪我を数週間に縮めるのが限度。
才ある能力者が修練し、縛りと条件を重ね、ようやく至る領域。
「……ついでに、ツバを少しもらえる?」
するとジェノは、両手で水をすくうような形を作り、言った。
「ヘーケ」
すぐさまヘケヘケはよだれを垂らし、両手に注ぐ。
落ちたよだれはコップ一杯分。200CC前後の水分量。
「――いただきます」
それをジェノは飲んだ。喉をごくんと鳴らし、飲み干した。
体から白い湯気が溢れ出て、青白かった顔の血色が戻っていく。
いや、それどころか、ジェノの筋肉が少しばかり膨張した気もする。
「骨も臓器も完治……。名付けるなら、天使の接吻ってところじゃね」
広島はヘケヘケの御業に対し、命名する。
人智を超えた奇跡。天使の所業としか思えん。
あれが普通の技なら、医療の常識はひっくり返る。
「いいですね、それ。採用させてもらいます」
ジェノは外した手甲をつけ、構える。
体には一回り大きくなった、銀光を纏った。
今の体調で出せる最大顕在量に迫る勢いじゃった。
(半端な痛めつけじゃ足りん。一撃で仕留めるか、もしくは……)
現状を分析しつつ、広島は視線を動かす。
その先にいたのは、魔物ヘケヘケ。ヒーラー要因。
やることは決まっとる。無言で実行するのが、戦術的じゃ。
「そいつ、非戦闘員じゃろ? 引っ込めんのなら、潰すでぇ」
じゃが、ジェノはわざわざ断りを入れて、助っ人を呼んだ。
やるならフェアに行きたい。殺し合いにも仁義は必要なんじゃ。
「……やれるよね?」
「――ヘケヘケっ!!」
ジェノ尋ね、ヘケヘケが間髪入れず答える。
息の合ったコンビ。お互いに死ぬのを覚悟しとる。
血の繋がった家族か、兄弟レベルの関係性が見て取れた。
(無粋じゃったか……)
この子らに、何があったか知ることはできん。
ただ、死ぬ気で来るなら、手加減すんのも失礼。
「――ええ度胸じゃ」
そこで広島が纏うのは、赤い光。
最大限まで引き出した本気のセンス。
ジェノが纏った光を、やや上回る顕在量。
師匠という面目を、ギリギリ保てる程度の差。
やりとうなくても、やらにゃあいけんことがある。
「うちが揃ってぶちまわしたる! 超えられるもんなら、超えてみぃ!!」
ジェノの壁となり、超えられること。
それが、毛利広島に課された唯一の役割じゃ。
◇◇◇
相変わらず、凄まじい光量だった。
前よりも、磨きがかかってるのが分かる。
(広島さんも成長してる……。俺も負けてられないな)
ジェノは白銀の手甲を握り、戦闘態勢に入る。
右拳は腰の位置。左拳は胸より少し前に構える。
型も流派も何も知らない。見様見真似の同じ構え。
(この戦いで掴む。広島さんの動きも技も全て盗んで見せる)
適性試験の職業は盗賊だった。
人の本質は、死んでも変わらない。
定められた運命に従い、成長するまで。
「――行くよっ!! ヘケヘケ!!!」
相棒に声をかけ、ジェノは白い廊下を駆ける。
「ヘケっ!!!」
声に従って、ヘケヘケも同時に駆けた。
廊下は狭い。横幅はおおよそ四メートル弱。
小回りは効かないし、隠れる場所も存在しない。
絡め手なしの、真っ向勝負。実力の差がもろに出る。
気付けば、互いの得意な間合い。拳を伸ばせば届く距離。
「……」
「……」
目配せをして、ヘケヘケと意思疎通を図る。
言葉を交わさずとも伝わる。やることは決まってる。
小手先の連携はしない。互いの全身全霊を以てぶつかるのみ。
「「――――――――――ッッ!!!」」
右拳を突き、尻尾を薙ぎ、左拳を打ち上げ、尻尾を頭上から叩きつける。
連撃。ラッシュ。生き急いだ猛攻。互いの体術を、これでもかと見せつけた。
「…………」
広島は必殺になり得る拳を避け、尻尾を手で捌く。
黒龍戦で磨かれた連携。実績のあるコンビネーション。
それなのに通用しない。赤子の手をひねるように対応する。
(こんなんじゃ駄目だ……。もっと速く! もっと強く!!)
ジェノは愚直に、ひたすらに続ける。
拳を主体とした、型のない暴力を繰り返す。
呼応するように、相棒も一心不乱に尻尾を振るう。
こちらの手数は見るからに増え、圧倒的な攻めを誇った。
「――――」
一方、広島は不気味なくらい静かだった。
受けに徹し、拳と尻尾を完璧に捌き続けている。
明らかに優勢に見える。押し切れば勝てる気さえする。
「…………」
「…………」
しかし、ジェノとヘケヘケは、同時に退いた。
示し合わせたかのように、広島から距離を取った。
理由は単純。離れないといけないほどの脅威を感じた。
(なんて、殺気だ……)
身震いするほどの気配を察し、思わず息を呑む。
広島の感情が少し乗っただけで、気圧されそうになった。
地雷を踏んだ。理由は分からないけど、そんな気がしてならない。
「そこの魔物……加減しとるじゃろ。本気でこんかい。舐めとんのか」
理由はすぐに、本人の口から語られた。
戦いの中で、些細な違和感を感じ取ったんだ。
(ヘケヘケのことは言葉が通じなくても、なんとなく分かる。恐らくアレは、ギリギリまで隠す予定だった。彼女が晒した隙に叩き込むつもりだったはず。でも、見破られた。本能か経験則かは分からないけど、悟られた)
広島の意図をきちんと理解し、答えを出す。
どう考えても、選ぶべき選択肢は一つしかない。
「ヘケヘケ……やろう! 全力で!!」
手札を惜しむことなく戦う。
それ以外に勝てる手は浮かばない。
不意打ちが通る場所でも、相手でもない。
「…………ヘケ」
重々しい返事をして、ヘケヘケは手札を切った。
魔物が意思の力を扱えるという、切り札中の切り札。
辺りを照らす銀光と赤光に加え、もう一色が追加される。
量は多くない。だけど、誰よりも気高く、力強い、意思の色。
「……………………黄金のセンス」
その光に対し、広島は見るからに怯え、弱々しい姿を晒していた。




