第83話 追体験③
イングランド東部で起きた戦いより、数年後。
11世紀前半。ロンドン内にある修道院の地下深く。
大きな空洞ができた場所に、一台の昇降機が降下する。
「この時代に、よくこんなものが作れたね」
機内で声をかけてきたのは、マーリンだった。
満足げに辺りを観察し、何度も首を縦に振っている。
褒めてるつもりだろうけど、上から目線の言葉が鼻につく。
「別に未来じゃ普通でしょ。……それより、約束は守ってよ」
作った経緯も、詳細も話すつもりはない。
サーラは、淡々と見返りの確認をしていった。
「もちろんさ。これまでの貢献を反故にするほど悪党じゃないよ」
機内での会話は、たったそれだけ。
深く話し込みたいほどの仲じゃない。
損得だけで繋がる、薄っぺらい関係だ。
「……」
やがて、昇降機は最下層にたどり着く。
サーラは手で扉を開くと、広い空間があった。
柱や壁は白の大理石。奥には白い大門がそびえ立つ。
至る所に文字が刻まれ、結界としての作用を果たしている。
「さて、竣工式といこうか」
一歩前に踏み出し、マーリンは白い杖を掲げた。
意思の力に連動し、白い門は勢いよく開かれていく。
奥には第一商業区が見えて、赤いカーペットが敷かれる。
その左右で待ち受けるのは、侵略に加担しなかった異世界人。
リーチェの魔法の対象に選ばれなかった、ある意味での善人たち。
(地獄の始まりだな……)
割れんばかりの拍手に迎えられ、サーラは歩み出す。
この状況、この場にふさわしい礼服はいくらでもあった。
だけど、選んだのは初期衣装。一部が破れた黒いワンピース。
これから起こることを考えたら、他の選択肢は思いつかなかった。
◇◇◇
第一商業区。北端に位置する大門前。
そこには銀の鎧を纏った門番が立っていた。
腰には剣を帯びて、頭に被る銀の兜を外している。
短い金髪、黄金色の瞳を持つ、長耳の青年が立っていた。
「マーリン王! お会いできて光栄であります!」
すぐさま膝を崩し、主に敬意を示す。
普通の人間だったら、十代後半ぐらいの顔。
ただ、彼らの見た目は、年齢のあてにはならない。
「君は確か……逆賊から臣民を守ってくれた少年兵だね。感謝してるよ」
マーリンは顔をじっくり見ながら、功績を讃える。
実年齢は七歳。人間なら、まだ親離れもできない時期。
(名前はゼスト。両親はリーチェの魔法で聖遺物に変えられた。その喪失感を使命感に変えて、兵士に志願。功績を重ねて、若くして、第一商業区の門番を任されることになった。歴史に運命を捻じ曲げられた可哀そうな子)
サーラは心の内で相手の経歴を思い返す。
言葉を発する必要はない。声をかける権利はない。
ただ、この瞳と脳内に姿を焼きつける。それ以外できない。
「もったいなきお言葉! これからも謹んで職務を全うさせてもらいます!」
慣れない敬語を使い、ゼストは反応する。
それ以上話すことはなく、歩みは前に進んだ。
◇◇◇
第二森林区。北端に位置する門前。
そこでは、一匹の鹿が待ち構えていた。
言葉を発せない代わりに、すり寄ってくる。
「……第二森林区は君に任せたよ」
マーリンは鹿の頭を撫で、使命を託す。
話し込むこともなく、次の門に向かっている。
「……」
サーラは少し足を止めて、息を軽く吸う。
地下とは思えないくらい、新鮮な空気だった。
陽の光を浴びていないのに、生命の活力を感じる。
(異世界人が一から開拓した、暗闇で光合成する原生林。そこに宿ったのは鹿の精霊。名前はケリュネイア。施工した日数は十年も経ってないけど、立派に育った。原動力は復興の気持ちと、故郷への郷愁。その思いの力が奇跡と成長を生んだ)
サーラは鹿に触れることなく、光景を瞳に焼き付ける。
頭の中で感情の整理を終えると、再び重たい足を進めた。
◇◇◇
第三回廊区。長い廊下と扉が二つ。
先に進む扉と、前に戻る扉しか存在しない。
「ここは少し寂しいね……」
人気のない廊下を歩きながら、マーリンは語る。
「分かってて言ってる? これから増えるでしょ」
サーラは愛想のない返事を返す。
ここの着工は、全て一枚噛んでいる。
部屋の構造も、秘められた能力も分かる。
(ここは……特に思い返すこともないか)
ただ、ストーリーがまだ存在していない。
振り返られるだけの過去がまだ出来てない。
サーラは足を止めることなく、前進を続けた。
◇◇◇
第四小教区。時計塔広場。
白い司祭服を着た重役が集まる。
異世界人の中でも、権力を持つ人たち。
王の居ない間に自治を任された、直属の側近。
人数は三人。財政、国務、司法をそれぞれ担当する。
三人とも金髪の剛毛がうねり、天然のアフロを作っている。
体系はそれぞれ丸みを帯び、私腹を肥やしているのが目に見えた。
「僕が眠っている間は、ここを任せたよ」
マーリンは淡々と挨拶回りを済ませる。
王としての最低限の面目は保たれた振る舞い。
「「「……仰せのままに」」」
三人の揃った返事を聞くやいなや、先に進もうとしている。
(名前は左からフォグ、ミスト、ヘイズ。三卵性の三つ子で、白き神が襲撃した集落にいた数少ない生き残り。白教の布教と集金体制の基盤を整え、地下に籠っても生活できる環境を作り、異世界人の発展に誰よりも貢献した)
サーラはすれ違い際に、三人の思い出に浸る。
ただ、特に声をかけることもなく、視線を切った。
◇◇◇
第四小教区。王墓所。
最奥には、金装飾の棺がある。
墓標には銘が刻まれ、そばには白い鎖。
「……さぁ、最後は君の番だよ。竣工式を終わらせてくれるかな?」
マーリンは棺に腰かけて、語り出す。
指示を受け、計画を立てて、それを進めた。
後は最後の作業を行うだけ。それで契約は満了する。
「本当にやらなくちゃ駄目なの?」
サーラは棺の前で、王と対面しながら尋ねる。
今さら引き返せない。聞くまでもないことだった。
それなのに、人としての善良な心が、それを拒絶する。
「やりたくないならやめてもいいよ。ただし、元の世界には二度と帰れない」
すると、マーリンは的確に嫌な現実を突き付けてくる。
彼の計画に加担したのは、元の世界を担保にされていたから。
別に好き好んで、関係のない人たちの復興を手伝ったわけじゃない。
(……分かってた、はずなのにな)
初めは、ただの打算だった。
自分の目的のためだけに近付いた。
だけど、深く関わって、知ってしまった。
異世界人の人となり、復興への思い、郷愁の念。
どれも悪意に満ちたものじゃない。善意に満ちた背景。
「――空触是色【殺界】」
サーラはそれを、悪意で踏みにじる。
無数の黒い手を通し、異世界人を握りつぶす。
絶叫と悲鳴が地下空間全体を揺らし、強固な結界を生む。
(…………ごめんねは、言わないよ)
こうして、分霊室は産声を上げた。




