第80話 可愛がり
第四小教区。王墓所。
金装飾の棺桶が最奥にある。
周囲一帯に他者の墓石は見えない。
普通の墓地とは一線を画する特別な空間。
祀られる人物の権威の象徴であり、神聖な領域。
そこでは、罰当たりな幾多の鈍い音が鳴り響いていた。
「――これならっ!」
サーラは一歩踏み込み、右拳を勢いよく放つ。
手の甲は下を向き、敵の腹部をえぐるように迫った。
「……無駄無駄。それじゃあ何万回やっても意味ないよ」
マーリンは余裕をもって、白い杖で受け止める。
ここまで体術勝負が繰り返されるも、進展はない。
相手の体に薄っすら纏われるセンスは、氷山の一角。
問題は体の内。潜在センス量を攻略しないといけない。
(内側をへし折る気持ちで打ったんだけど、駄目か……。この感じだと、どの部位を狙っても、厳しそう。純粋な殴り合いじゃなくて、もっと別の何か。表面的な部分というより、内面的な部分を攻めないといけないのかな)
サーラは今までの結果を見て、分析を重ねる。
収穫は、外側への攻撃が無意味と分かったこと。
逆説的に考えれば、次の狙いは自ずと内側になる。
(肉体じゃなく、精神……。そうか、あの手なら)
頭の中で要約すると、ふと頭に浮かぶ。
仮説に過ぎないけど、試す価値はあった。
息を吸って、肺に空気を送り、準備は万端。
こいつに勝つためなら、恥なんか捨ててやる。
「バカ! アホ! 間抜け! 根暗! 唐変木! おたんこなす! 王位継承戦なんてもの主催して何が楽しいの? 子供たちが苦しんでるところを眺めてるだけなんて、精神歪み過ぎ。可哀そうとか、怪我させたらどうしようとか、自分がもし参加者だったらとか、相手に寄り添える心はないわけ? それってある意味、病気だよ。病状を教えてあげようか? 反社会性パーソナリティ障害。通称ソシオパス。自分の快楽や利益を第一に考えて、他人が持つ権利を尊重しようともせず、踏みにじって楽しめるやつのこと。おめでとう! 完全一致だね!! 一生、誰にも迷惑をかけず、分霊室で引き籠ってたら良かったのに!!!」
サーラが選んだのは言葉責め。
肉体が駄目なら、精神を責め立てる。
そんな単純な発想から生まれた手段だった。
(効くとは思ってないけど、何かのきっかけになるかな)
効果がある確証なんかない。
探り探りの中、試した手の一つ。
正直、そこまで期待はできなかった。
「ソシオパスはひどいなぁ。いくら僕でも傷つくよ」
しかし、マーリンは落ち込んだ様子で語る。
表情はどんよりと曇り、眉をややひそめている。
(……え、効いた? いやいや、演技の可能性もある。ここは慎重にいかないと)
ある意味で予期しない展開。
ただ、体術よりは手応えがある。
一歩前進と言っていいかもしれない。
「事実でしょ。子供をいじめて何になんの。体罰で厳しく躾けられた方が人格が引き締まって、良い大人にでもなると思ってるわけ? 王子は全員未成年なんだよ? 社会に出る前に、こんな後ろ暗いイベントに参加させられたらトラウマになるわ! 将来、良い影響は及ぼさないだろうし、人格はこれを機に絶対歪んでいく。王位継承戦ならぬ、ソシオパス継承戦だね。そうなったら責任持てんの?」
サーラは事実を元に悪態をついていく。
論点は、マーリンの度を越した可愛がり。
言うなれば、子育て方針の全面否定だった。
「………………なるほど。そういう発想もあったのか」
対する相手は、変に納得している。
傷ついているというより、感心に近い。
(あー、駄目だ。まともに接してたら、心が腐る)
相手は道徳心も共感性も欠如している。
彼の判断基準は、損をするか、得をするか。
間違いを指摘したところで、大して効果はない。
むしろ、利益に繋がることを見いだされた気がした。
(……仕方ない。どうせ通用しないだろうけど、試すしかないか)
言葉責めに見切りをつけ、次のプランを考える。
今までの挙動を考えれば、成功する確率は極めて低い。
ただ、万が一にでも当たりさえすれば、一気に攻略へ近づく。
「もういいや。話してても埒が明かない」
サーラは右手を前に突き出して、構える。
バレバレの戦闘態勢。敵はこちらを見ている。
それでも、センスを右手に集中させ、言い放った。
「――空触是色」
放たれるのは言霊と、白い無数の右手。
対象に触れることで、相手の詳細を知る能力。
身長、体重、血圧、能力、資質など幅広く知れる。
中でも特筆すべきなのは、過去の記憶を読み取れること。
触れることさえできれば、突破口を見つけられる可能性は高い。
「そんな三流能力が通用するとでも?」
ただ、マーリンは能力の弱点を見抜く。
白い杖を振りかざし、迫る手を撃退していた。
(はいはい。潰されて終わり。ワロスワロス)
あの手は、パオロでも潰せるほどの強度。
彼も決して弱くはないけど、マーリンの方が格上。
そんな相手に真っ向から放って、通用するわけがなかった。
(これも駄目なら、次の手を考えないとか……)
成功を得るためには、失敗が付き物。
頭では分かってても、気が滅入ってくる。
「なんてね。そいつの能力は一流だよ。当たりさえすればね……」
しかし、マーリンはニヤリと笑い、両手を上げた。
(はぁ……? ちょ、ちょっと待って、何考えてんの?)
予期せず訪れてしまった、好機。
残る最後の白手が、無防備な敵へと迫る。
手放しに喜べるわけもなく、不安が勝ってしまう。
今なら止められるけど、止めたくない気持ちも正直あった。
(あぁ、もう! 見せるつもりなら、隅々まで覗いてやる!)
サーラは無理やり自分を納得させる。
白い手を操って、自分の意思で選択する。
「いってらっしゃい。戻ってこれるといいね」
マーリンは不穏な言葉を残し、手は体を通過した。
後戻りできない回想の始まり。敵を知るための時間旅行。
「――――ッッ!!!!!」
そうして、サーラの脳内には、相手の膨大な過去が流れ込んだ。




