第79話 呪縛
刃が煌めき、火花を散らし、鍔迫り合う。
正面に立つのは、ミネルバ陣営の侍従ラウラ。
裁ちばさみの短い刃で、こちらの刀を受けている。
(刃の強度も切れ味もこちらが上回っているはず。なぜ……)
対するアミは、相手の得物を考察する。
刃渡りは約20cm。特別な拵えは見られない。
布を切るための必要となる、一般的な裁ちばさみ。
一方、こちらの刃渡りは74cm。太刀に分類される代物。
身幅は広く、重ねは厚く、鎬幅は高く、反りは浅めの仕様。
特別な銘こそないものの、荒々しい示現流の剛剣に耐え得る刀。
人を斬るために作られ、与えられた役割も用途も何もかもが異なる。
本来なら、初太刀すら耐えられない。刃が拮抗していること自体が異例。
(力の正体は、性能差を凌駕する強い思い入れ、でしょうか)
意思の力は、思い入れで性能以上の力を引き出せる。
いかな鈍ら刀であろうとも、名刀に勝る可能性を秘める。
今回のケースは、その最たる例。気を抜けばきっと、敗れる。
「……お前、なんのつもりだ。こいつに恨みでもあんのか?」
考えを整理する中、聞こえてきたのはラウラの声。
こちらは無防備な少女に刀を振るい、彼女はかばった。
動機を尋ねるのは、至極真っ当で、当然の疑問ではあった。
(わざと敗北し、離脱したい。そう言えれば楽なのですが、ここは……)
本心を頭に浮かべつつも、そうもいかないのが現状。
「強者の血を啜りたい。あっけなく不意打たれ、儚く散っていく姿が見たい。くずおれる様を見届け、その光景に酔いしれたい。こんな上玉を前にすれば、誰もが鞘走ると思いますが、何かおかしなことを言っていますか?」
アミは正気を保ち、狂気に染まるフリをする。
立ち位置はいつも変わらない。慣れたものだった。
「狂人が。……ここは僕がやる。お前らは先行ってろ」
ラウラは背後にいる各陣営に指示を飛ばす。
ここまで大人数になると、生き残るのが難しい。
人数が少ない方がこちらとしても、ありがたかった。
「この場は任せた。……必ず追いついてこい」
大半が移動を開始する中、ミネルバが声をかける。
王位継承戦における、彼女にとって主人に当たる存在。
「あぁ、這いずり回ってでも追いついてやるよ」
ラウラは淡々と返事をし、前を見る。
真意を表情から読み取ることはできない。
ただ、並々ならない覚悟と気迫を感じ取れた。
「……見損なったよ」
一方、アルカナは去り際に言い放つ。
声色はひどく冷たく、見限られたのが伝わる。
ザクリと目に見えない痛みが、心に広がるのを感じる。
(これでいいんです。これで……)
こうなることは、初めから分かっていた。
最初から裏切るつもりで、継承戦には参加した。
そう自分に言い聞かせて、痛みを感じないフリをする。
「……」
「……」
気付けば、時計塔広場に残ったのは二人。
互いの刃を合わせながら、睨み合う時間が続く。
(そろそろ、ですかね)
頃合いを見計らい、八百長を仕掛けようかと思った時。
「……ここなら誰も聞いてねぇ。意図があんなら話せよ」
ラウラは絶妙なタイミングで語り出した。
意を突かれ、柄を握る両手がわずかに震える。
致命的な失態。刃には感情が乗ってしまいやすい。
(悟られた? いいえ、関係ありません。ここで――)
敗北し、息を潜めるのがプラン。
計画は狂い、予期しないマッチアップ。
加え、計画が間接的に伝わった可能性がある。
アミは柄を握り直し、今やるべきことに意識を割く。
「示現流――」
刃を弾き、一足一刀の間合いを作り、刀を上段に構える。
慣れ親しんだ型。血の滲む思いをして確立した戦闘スタイル。
(口封じさせてもらいます)
手の震えを止めて、乗せるのは殺気。
悟られたのなら、殺してしまえばいい。
ここで仕留めれば、目撃者はいなくなる。
わざと敗北しなくとも、任務を遂行できる。
「【吉祥】……」
紫色に迸るセンスを刀身に集める。
打ち筋は全て、上段からの打ち込み。
軌道は読めても、能力までは読めない。
慣れ親しんだ型なら、震えることもない。
「総棟梁の命令だろ。ジェノを暗殺しろとでも言われたか」
刃を振り下ろそうとする、ほんのわずかな間。
間隙を縫うように入り込んだのは刃ではなく、言葉。
相手は構える様子もなく、隙だらけの姿勢で言い放っていた。
「……【天】」
一方、慣れ親しんだ型は、淀みのない行動を促す。
震えも動揺も関係なく、パフォーマンスが発揮される。
刃は容赦なく振り下ろされ、無抵抗の女性へと迫っていく。
「………………」
風切り音が鳴り、辺りは静けさに満ちる。
型にはまった斬撃。見事なまでの太刀捌き。
幼少期から刀を振るい、磨き上げられた剣術。
乱れも迷いも断ち切り、悪事に手を染めてきた。
葬りたくなかった鬼を、この手で葬り続けてきた。
止めれば嘘になる。進んだ道を否定することになる。
(私は……。私は……っ)
ガチャンと音が鳴り、刀が落ちる。
足元がグラグラと揺れ動くのを感じる。
立ち眩みが生じて、立っていられなくなる。
「――――」
もたれかかるように、地面へ倒れ込む。
疲労、苦痛、責任、緊張、全てが襲い掛かる。
(棟梁……失格ですね)
しかし、地面に倒れ込むことはない。
フワッと宙に浮いたように肩を抱かれている。
「事情を聞かせろよ。僕が助けてやるからさ」
その相手は額から微量の血を流す、ラウラ。
多くを語った覚えはない。二回、刃を交えただけ。
それなのに、計画が伝わった。意思の疎通は取れていた。
「……総棟梁の呪縛から解放されたい。一緒に倒していただけませんか」
心の重荷が少し下りていくのを感じる。
あるがままの自分を見つけられた気がする。
それが言葉に現れた。やっと思いを口にできた。
「あぁ、任せとけ。……その代わり、終わったら僕を手伝えよ」
すると、ラウラは心強い返事をしてくれる。
今まで生きた中で、一番欲しかった言葉をくれる。
「はい。その時は、なんなりと私をお使い下さい」
アミは迷いもなく、運命を託す。
この方こそが、真に仕える主だと悟る。
(あぁ……この出会いに、心より感謝します)
内側から溢れ出るのは、感謝の心。
今まで苦しめられ続けていた戒めの言葉。
ただ、今は違う。本当の意味で思うことができる。
「――あぁ、これ以上は見てられんね」
不意に響いたのは、聞き覚えのある声と足音。
見紛うはずがない。相手は誰よりも見知った人物。
(広島、さん……)
ぞくりと背筋に震えが走っていく。
嫌な予感がした。凶兆のような気がした。
「聞いてたのか。だったら、お前も総棟梁退治に手伝ってくれ」
ラウラは、何の気なく声をかける。
彼女の纏う異様な雰囲気に気付いていない。
いいえ、気付いた上で、止める気なのかもしれない。
(刀を……早く握らないと……)
悪い意味で、ガタガタと体の震えが止まらない。
なんとか体を動かそうとするも思うように動けない。
「そいつは、無理な相談じゃのぉ……」
すかさず、広島は無防備なラウラに手刀を振るう。
首元に吸い込まれるように入り、ラウラは白目を剥いていた。
(読まれていた、というわけですか……)
自ずと展開が読める。
言われずとも理解できてしまう。
総棟梁の思慮深さが、手に取るように分かる。
「ジェノ・アンダーソンはうちが殺る。安心して眠っときんさい」
広島に課された任務も同じ。彼女は総棟梁の側についた。
その事実を理解した瞬間、景色は暗転し、意識は飛んでいた。




