第78話 嘘
打ったのは、あてずっぽうの左拳。
ルーカス戦の経験を踏まえた、直感。
読みは的中。位置はドンピシャだった。
だけど、速さは相手が上で間に合わない。
爪が両腕に食い込み、赤い血が生じている。
痛くはなかった。痛さを感じなくなっていた。
気にすべき問題ではあった。でも、今じゃない。
それよりも、気にしないといけない問題があった。
「私は君の元弁護人だ。……あの時は、すまなかった」
ガルムは動きを止めて、語り出した。
短い言葉だったけど、すぐに理解できた。
(ガルム・アンダーソン……)
狼男と元弁護士の名前が一緒だった。
名前を聞いた時は、偶然だと切り捨てた。
彼は足が不自由だった。想像がつかなかった。
(なんで、もっと早く言ってくれなかったんだ……っ!)
彼と過ごした期間は約6か月。
決して、短いとは言えない時間だ。
だからこそ、こいつは止めてやらない。
「……っっ!!」
ジェノは自らの意思で左拳を振り抜いた。
捉えたのは、ガルムの頬。体はズシンと沈む。
白銀の手甲。その左手が有する能力は、重力操作。
対象に拳を当てるという条件付きで、能力は発動した。
推定数十倍ほどの重力が、ガルムの体に襲いかかっている。
(嘘つきばっかりだ……。マルタもガルムもリーチェも……っ!)
悲運にも重なるのは、嘘の連鎖。
隠しておきかったのは、理解できる。
誰だって、自分の汚点を晒したくはない。
理由は色々あるけど、面目を保つのが大半だ。
(ちゃんと最初から話してくれれば、全部、許していたはずのに……)
だからこそ、言って欲しかった。
信用して、初めから言って欲しかった。
「…………ッッ」
その思いも虚しく、元弁護人は屋根を突き破り、落ちていく。
殺すつもりはない。加減して打ったから、きっと助かるはずだ。
ただ、すぐには戻って来れない。それぐらいの感覚で力を使った。
「その力……。益々、欲しくなってくるねぇ」
一部始終を見ていたのは、マルタだった。
体には、薄っすら紫色のセンスを纏っている。
何がなんでも力尽くで手に入れる。そんな印象だ。
肩にかけた大弓を構え、一本の矢を番えて、弦を引く。
(基本は遠距離。戦闘スタイルは変わらないか)
弓と矢を使うのは、パメラだった時の情報。
マルタがどのような戦闘スタイルなのかは不明。
ただ、少なくとも現段階では遠距離で貫くみたいだ。
(だったら、接近戦でケリをつける)
プランを脳内で組み立て、両手の手甲を構える。
内容は至ってシンプルだ。余計なことは一切考えない。
「あげませんよ。欲しいなら無理やり奪い取ってみたらどうです?」
ジェノは態勢を整えた上で、挑発を飛ばす。
今さら謝ったところで、もう相容れることはない。
相手の底は全く見えてないけど、ここは徹底抗戦一択だ。
「あぁ、そうさせてもらうよ。怪我しても文句言うんじゃないよ!」
マルタは挑発に応えるように、十分に引き絞られた矢が放たれた。
◇◇◇
第四小教区。時計塔広場。
辺りに満ちたのは、黄金色の光。
展開されていた影が、解除されていく。
発動したのは、正常の魔眼。異常を正す能力。
効果範囲は、ソフィアの半径20メートル程度に及ぶ。
判定は彼女の主観的判断を天秤として、無差別に修正する。
能力を全て無効にするわけではなく、自然な状態に戻すが正しい。
現実との乖離が基準。だけど、彼女の主観がズレた場合、適用されない。
「……」
リーチェは警戒し、周囲を見る。
真っ先に目線を送ったのは、メリッサ。
再会した中で、違和感が最も大きかった相手。
彼女に異常があったなら、反応を見れば大体分かる。
「あぁ……なるほど。そういう能力っすか」
肝心のメリッサの反応は、グレーだった。
魔眼の能力のことか、もしくは別の能力か。
操られていたかどうかは判断がつかない状況。
「今ので洗脳は解けた? 私に恨みはないはずでしょ」
すかさず、リーチェは踏み込んだ質問をする。
話を掘り下げる以外に、今は確認する手段がない。
どちらに転ぶのだとしても、結果を知る必要があった。
「あんたに恨みはないっすよ。……ただ」
メリッサは不穏な空気を醸しながら、語り出す。
異常は認めた。でも、洗脳の件は肯定も否定もしてない。
「ただ?」
リーチェは静かに聞き返す。
恐らくだけど、次の返答で分かる。
彼女とこの場で戦うかどうかが確定する。
「そのまま死んでくれるとありがたいっす」
発したのは、敵意のある言葉。
それにしては、他人事のような反応。
戦う気はないけど、死んで欲しいって印象。
(たぶん洗脳は解けた。その上で出てきた言葉。でも、これって……)
反転の魔眼のことを考えれば、言い分は分かる。
事象を書き換える存在は、綿密な計画を台無しにする。
恨みがなくとも、不穏分子は消えて欲しいと言う意味のはず。
「――」
その時、背後から濃い殺気が生じた。
思考を回したせいで判断が数瞬、遅れる。
(洗脳を解いたことで、元の因縁に戻った。恐らく、相手は……ラウラ)
相手を予想しつつ、振り返り、確認する。
少し後手に回ったけど、今からでも対処できる。
「――」
「――」
ガキンという甲高い音が鳴り響く。
衝突したのは、刃と刃。刀と裁ちばさみ。
競り合うのは、婦警と身を呈するラウラだった。
(なんで……私は彼女の父親を殺したのよ……)
親を殺され、恨み、復讐に走る。
彼女にはそれを行う権利が十分あった。
――それなのに。
「お前に恨みはもうねぇよ。これでチャラだからな」
その瞳に曇りはなく、真っすぐ前を向いている。
彼女の親を殺した。その罪が一つ浄化された気がした。




