第64話 約束
目の前には、突如、放たれた右拳が迫る。
知らない内に意思の力を習得した弟子の一撃。
いたずらでもなんでもなく、殺意がこもっている。
回避することはたやすい。反撃に転じることもできる。
でも、その必要はない。起きる結果はすでに決まっている。
「――」
パシッと拳を受け止める音が響く。
継承戦の案内人。エミリアが止めた音。
案内中の客人に危険が及んだ場合に働く力。
恐らく、状況限定の無敵。神すらも凌いだ異能。
「再開の挨拶にしては、ずいぶん手荒ね。……ジェノ」
リーチェは、結果を受け止め、冷静に反応する。
最悪な再開を迎えながら、心は驚くほど静かだった。
こうなるのを読めていたからじゃない。要因は別にある。
(白き神による精神汚染……。まさか、ここまで進行しているとは思わなかった)
今の彼はジェノであって、ジェノではない。
外見は同じでも、中身には白き神を宿している。
精神に影響が及ぶのも不思議じゃない。むしろ自然。
白き神の起源を考えれば、正直、納得がいく展開だった。
「……離して、ください」
すると、理性が上回ったのか、ジェノは丁寧に言った。
殺意を向ける対象じゃなかったからか、元に戻ったのか。
どちらにしても、ここから戦う展開にはならなそうだった。
(問題は、どこまで汚染が進行しているのか……)
事の本質を見極めながら、リーチェは思考を巡らせる。
無駄な会話はできない。少しでも情報を引き出す必要があった。
「人を怨むな、身を怨め。やった人より、やられた方が悪いんじゃなかった?」
そんな状況の中で、選んだのは特別な言葉。
養母を殺され、復讐を選ばない決断をした理由。
もし、今の人格がジェノなら、間違いなく反応する。
「どの口が……っ!!!」
ジェノは血走る目で、体から銀光を迸らせる。
身の丈のおおよそ五倍ほどの光柱が生じていた。
ただ、今のところ、襲い掛かってくる気配はない。
殺意はあったけど、理性で抑えたような状態だった。
(主人格は神寄り。でも、完全に乗っ取られたわけじゃない。改善は可能)
恐らく、中にいるジェノが抵抗している。
まだ希望はある状態。諦めるにはまだ早い。
解決するためには、策を講じる必要があった。
その鍵を握っているのは、彼が発する意思の力。
(顕在センス量は多め。系統は肉体系ね。でも、まだまだ粗が多い)
リーチェは、じっと修行の成果を観察する。
彼の才能はセンスを覚える前から見抜いていた。
こうなるのは当然。むしろ、期待値よりは低かった。
「今のあなたじゃ、相手にならない。十年修行してから出直すことね」
だからこそ、褒めることはできない。
突き放すことで、更なる成長を期待する。
伸び代はあるけど、今は教える段階じゃない。
自分で考え、選択し、自らが責任を取るフェイズ。
成功と失敗を重ねた上で改善し、それが自信に繋がる。
師匠に言われたからやる。程度の熱量だと、成長は頭打ち。
言われなくてもやる。教育じゃなく、能動的な訓練こそが至高。
失敗した責任を自分で取らないといけないからこそ、本気になれる。
(健全なる精神は、健全なる体に宿る。裏を返せば、肉体的な成長が伴えば、精神的な成長も望めるはず。そうなれば、白き神を手中に収めることだって可能。……いいえ、それ以上のことだって望めるはず)
リーチェが見据えるのは、次の段階。
元々、彼の肉体的なレベルは低かった。
一方、精神的なレベルは極端に高い状態。
肉体と精神の釣り合いが取れていなかった。
それは今も変わってない。精神の比重が過多。
ただ、肉体が精神と釣り合えば、きっと変わる。
神から脱却し、元に戻る可能性は十分考えられる。
そのためになら、悪役に徹するのも嫌じゃなかった。
(私の復讐は、まだ終わってない……)
もちろん打算もあった。
弟子であるジェノは殺せない。
だけど、中に宿った白き神は別の話。
故郷を滅ぼしたのは白き神と当時の依り代。
どちらにも必ず、非道な行いの報いを受けさせる。
「……確かに、今の俺じゃ勝てない。だけど、三か月後なら分からない」
すると、ジェノは悔しさを堪えるように言い放つ。
期待では十年。成功すれば、それ以上の結果が望める。
失敗すれば、責任は言い出した本人。彼が悪いことになる。
「いいわ。だったら、決闘してあげる。日にちはいつがいい?」
熱量も動機も十分だった。
復讐を果たせる可能性もある。
話に乗る以外の選択肢がなかった。
「今年の12月25日の正午。場所はリバティアイランド。そこでケリをつける」
ジェノが指定した場所は因縁の地。
白銀の鎧を纏ったジェノを殺し損ねた島。
(そうね。決着をつけるなら、あそこ以外にあり得ない)
殺し損ねたなら、もう一度殺すまで。
条件が整えば、今度は絶対ためらわない。
「約束するわ。何を差し置いても必ず向かう。それまで、死なないことね」
リーチェがジェノと交わした約束は、二度目。
一度目は殺さない約束。二度目は殺し合う約束。
因果が巡り、反転し、予期しなかった方向に進む。
再開を喜ぶこともなく、二人は別の道を歩み始めた。




