第59話 逆らえない命令
バッキンガム宮殿で王位継承戦が始まる数日前。
東京都。千代田区。内閣総理大臣官邸。首相執務室。
協議用のテーブルや座椅子が並び、奥には執務机がある。
その机の前で、T字の杖を握りながら、立っている男がいた。
「……」
短い黒髪を逆立てた強面の中年。
黒スーツに袖を通し、目つきは鋭い。
胸元には菊紋の議員バッジがつけられる。
法律を制定できる機関。国会に参加できる証。
バッジに上下はないが、議員には上下が存在する。
国会議員の代表。第100代目内閣総理大臣。千葉一鉄。
国会で決めた法律を執行する、内閣という組織を持てる長。
行政機関のトップに立つ一鉄には、もう一つの肩書きがあった。
「お呼びでしょうか。……総棟梁」
隠密部隊『滅葬志士』のトップ。総棟梁。
内閣が光の組織ならば、滅葬志士は影の組織。
表沙汰にできない問題を解決するための実行部隊。
声をかけたのは婦警服を着た紫髪の女性。臥龍岡アミ。
腰には刀を帯び、各都道府県のトップ。棟梁の地位につく。
「きたかぁ……アミ。早速だが、総棟梁として命令を下す」
一鉄は、どちらの立場を明確にした上で、言い放つ。
滅葬志士の位は、総棟梁。棟梁。副棟梁。隊員の四段階。
総棟梁は、棟梁の上官になり、命令に逆らうことはできない。
逆らえば、除名処分となり、私的な制裁が与えられることとなる。
制裁内容は上官の裁量に任され、内閣で制定した法律は適用されない。
法律を執行する内閣とは、相反する理念。影の組織と呼ばれる由縁である。
(嫌な予感がしますね……。気のせいだといいのですが……)
アミは状況を理解した上で、この場に立っていた。
各都道府県の管理監督と運営は、棟梁に一任されている。
アミの場合、東京都が管轄であり、直々に呼ばれることは稀有。
そのため、管轄区域を超えた命令が下される可能性が極めて高かった。
「9月1日。ロンドンのバッキンガム宮殿にて、次期イギリス国王を決める王位継承戦が秘密裏に行われる。現在、経歴問わずの実力者限定で、継承戦に同行する侍従の募集が行われている。それに応募し、侍従として継承戦に参加してこい。一人が不安なら、同行するメンバーを組織内から適当に見繕え」
一鉄から下された命令は、国外任務だった。
予想した通り、管轄区域を超えた命令ではある。
ただ、聞いた範囲なら思っていたよりも重くはない。
平和ボケで鈍っていた腕を、鍛え直すチャンスでもある。
(……何か裏がありそうですね)
気になるのは、継承戦に介入する理由。
鍛え直すために、参加させるとは思えない。
「承知しました。……ただ、命令の本意はなんでしょうか」
アミはかしこまりながらも、疑問点を伝える。
命令はどの道逆らえない。聞いても自己満足の領域。
仮に裏があり、内容を知っても、従う以外の選択肢がない。
それでも、知っておきたかった。任務に支障を出さないためにも。
「合格すれば、追って知らせようと思っていたが……まぁいい」
すると、一鉄は、含みのある発言をしている。
継承戦に参加するだけなら、この言い方にはならない。
(やはり、何かある……。杞憂であればいいのですが……)
複雑な心境を抱きながら、アミは傾聴する。
疑問は伝えた。一鉄はそれに応じようとしている。
後は、どんな内容だとしても聞き手に回るしかなかった。
「継承戦に乗じて、侍従として参加予定のジェノ・アンダーソンを暗殺しろ」
下されたのは、想定の中で最悪に近い命令。
嫌な予感はこれ以上なく、当たってしまっていた。




