第47話 異変
第二森林区。中央北に位置する場所。
暗い森が不気味に揺れ動き、空気が淀む。
(……妙だな。決着がついたか?)
森の異変と状況をパオロは察していた。
その呼吸は荒く、額には汗が浮かんでいる。
独創世界は、玉鏡星による認識の入れ替え圏外。
万全の状態の武道家と、サーラが戦ったことにある。
(サーラが最後に放った技……。あれは八極拳だったな。見様見真似にしては様になっていた。武術の心得があるようには見えなかったが、手の内を隠していたか? いや、仮にそうだとして、あの武道家に勝てるほどの腕前なのか?)
パオロは思考を進め、様子をうかがい続ける。
いくら悩んだところで、答えは見るまで分からない。
頭では分かっていたが、どうしても考えを巡らせたくなる。
(正直、八極拳が奥の手だとしても、サーラが勝つビジョンが見えない。それぐらい、あの武道家は武術という一点においては抜きん出ている。真っ向からやり合って勝てる気がしない。玉鏡星をもろともしないやつなんだぞ)
直接、手合わせたした上での、不安。
力量が分かるからこそ、嫌な思考が回る。
肯定したいのは山々だが、その材料が少ない。
正直、悪い方に転がったとしか考えられなかった。
(さらに言えば、あの武道家は未来のベクターだ。独創世界が同じだった上に、体術が段違いに成長していたから、間違いない。道具に頼っていないことから見ても、単身で聖遺物クラス。最悪に備えた方が良さそうだな)
パオロは頭の中で思考をまとめ、結論を出す。
サーラの敗色は濃厚。その上で手を打たないといけない。
タイマンの決着条件は、生死か勝敗かは不明だが、そのどちらか。
仮にサーラが死んでいたとしても、それを受け止め、仕掛ける必要があった。
「……来る」
荒い呼吸を整え、パオロは前を見る。
これといった根拠はない。ただの直感だ。
異変を感じても、いつ来るのかは分からない。
それでも、こういう時の勘は当たる気がしていた。
(呼吸が……。おいおい、こいつは……)
すると、急に肺が軽くなる感じがした。
玉鏡星の能力が継続している何よりの証左。
生死が世界の閉じる条件なら、勝者は武道家だ。
「…………っ」
そう考えていると、突如、目の前の空間が歪み、湾曲する。
一度、同じ独創世界から戻ってきた瞬間を見たから、分かる。
決着がついた。世界が閉じた。中にいた二人が戻る前の前兆だ。
ただ、それにしては不自然な挙動。想定外の何かが起こった印象。
(なんだ、この嫌な感じは……)
体を通し、伝わってくるのは武道家の感触。
鳥肌が立ち、毛が逆立って、悪寒が走っていく。
玉鏡星は、心や視界まで入れ替えることはできない。
現時点では、方向感覚と体の認識限定。表面的なものだ。
その上で感じる。体に残っている感覚が、何かを恐れている。
(あの武道家が怖がってる? そんなことがあり得るのか? というか、決着がついたなら、怖がる必要なんてなくないか。勝者は武道家だ。独創世界が閉じて、呼吸が入れ替わったままなら、ほぼ間違いないはず。例外なんて……)
パオロは思考を進める。
与えられた情報は、限定的。
不確実なノイズの混じりの断片。
どれだけ考えても予想の域を出ない。
ただ、出来事を想像するぐらいはできた。
(世界の法則が捻じ曲がった、のか……?)
独創世界は、条件に特化した空間だ。
発生させる条件が厳しい分、世界は強固。
内部から壊れることは、普通なら考えにくい。
ただ、問題が普通じゃなかった場合、話が変わる。
仮に、核兵器規模の爆撃が起きたら、世界は崩壊する。
非現実的すぎて考えもしなかったが、それだったら可能だ。
(成長した守護霊、卓越した武術……。それだけでは説明がつかない……)
サーラの持ち得る武器を思い浮かべ、考察を進める。
ただ、分からない。見通しが立たない。想像ができない。
サーラは記憶を失っている。潜在意識はブラックボックスだ。
(あいつの体には、何が秘められている……っ!!)
想像の行き着く先は、エリーゼが秘めた力。
独創世界を壊すなら、それ以外に考えられない。
「…………っ!!?」
そう考えついたと同時に、空間が捻じ曲がる。
捻じれは円形状に広がり、内と外は交じり合う。
そこで見えてきたのは、我が目を疑うものだった。
「…………」
ボサボサの金髪。黒いワンピースを着た少女。
それは変わらない。それだけなら普通のサーラだ。
ただ、身体的特徴が違う。想像を凌駕した変化がある。
「……っっ。……お前は、何、者だっ」
武道家の苦しがる声が響いた。
その喉輪は両手で絞められている。
華奢な体からは、想像もつかない膂力。
圧倒的な力の差が二人の間には生じている。
変化というよりも、進化と表現した方が適切だ。
(こいつは……この現象を形容するものは……)
二本の黒角、黒い尻尾、コウモリのような黒い羽根。
おおよそ人間の常識を逸脱した体躯。人ならざる者の証。
パオロは脳内で、類似する情報を無意識的にかき集めていた。
「ハァァァ……」
耳を焼かれるような吐息と共に、轟音が鳴り響く。
空気が震え、耳鳴りがして、一瞬、脳の意識が飛ぶ。
爆発した。目の前にいたはずの武道家は爆発四散した。
あれだけ手こずった相手を、たった一撃で、葬り去った。
あまりに鮮烈な光景に唖然としていると、言葉が浮かんだ。
目の前にいる異形を、たった一言で表現できる便利な言葉だ。
「魔人……エリーゼ……」
人であって、人ではない。
魔と人が交じり合った存在、魔人。
これ以上に適切な言葉は見当たらなかった。




